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27.蚩尤

 ベッドサイドにゆらりと流れるのは、薄紫の煙だった。
「覚悟はしてたが………キツいなぁ………」
 傍らの視線に煙草をもみ消し、短い言葉で消臭魔法を口にする。そして煙草の代わりに抱き寄せるのは、十六年の間連れ添ったパートナーにして……自らの魂の半身だ。
「十六年前のあの日から、わかってた事だけどね……」
 パートナーシステムの真実、そしてそこで二人が果たす役割については、覚悟はとうについている。例えパートナーでなく、また魂を分かつ存在でなくとも、ルリは陸と……そして、陸はルリと共にいることを望んだだろうから。
 だが、二人の間に生まれた愛娘に課された宿命は……。
「俺達はただ、見守るしかない………か」
 既に運命は回り始めた。
 役割を終えた二人に出来ることは……ただ、彼女に残されたわずかな時間を、穏やかに過ごせるよう取り計ってやることだけだ。


 石畳をゆっくりと進んでいくのは、男達に抱え上げられたお神輿だ。
 その中央に祭られているのは、華が丘八幡宮の神体を模したもの。
 金色の、大鏡。
「それにしてもよ………」
 勇壮な行列を少し離れた所から眺めつつ、レイジはぼんやりと呟いた。
 金色の円盤は、メガ・ラニカにおいては彼等の守り神・ツェーウーのシンボルを示す。それこそ、目の前のそれと同じ物が……だ。
「ここで祭ってる神様が、俺達の世界のツェーウーだったとはな……」
 偶然の一致ではない。
 華が丘八幡宮に祭られた神体こそが、ツェーウーそのもの。
 この地、この存在からあふれ出る膨大な力……『マナ』によって、遙かな昔、地平の彼方にレイジ達の世界は創り出されたのだ。
「知ってたんだってな、良宇」
「すまん。説明……しきれんかった」
 華校祭の夜の話。
 それを同じ話を、良宇は既にローリから聞いていたのだという。それも、華校祭が始まる遙か前……二学期が始まった直後に。
「いや、まあ、ありゃあ……仕方ねえ。どうせ分かってなかったんだろ?」
 台本の準備で、メガ・ラニカの神話や歴史を相当なレベルまで調べていたレイジですら、いまだ十分には消化し切れていないのだ。
 前提情報をほとんど持っていない良宇が理解出来ないのも、無理もない話。
「………………すまん」


 十月に入ったというのに、夏の暑さは衰える気配を一行に見せていない。
 だが、結界に囲まれたテラスの中は、快適そのもの。
「で、結局それって……どういう事なの?」
 アイスコーヒーをかき混ぜながら問うたのは、冬奈だ。
 体力の限界を迎えていたファファと後夜祭に参加しなかった彼女は、あの夜告げられた一切の話を聞いていない。
「メガ・ラニカが、この地球から離れようとしてる……って言われてもなぁ」
 そして、レムも。
「確かに、時の迷宮の移動時間はおかしかったけどさ……」
 メガ・ラニカに帰省したとき、レイジ達と調べていた話題だ。行きと帰りの移動時間が大幅に違っていたそれこそが、世界が魔法的な意味で離れつつある証拠の一つなのだろうが……。
「けど、それで何か不都合があるのかな?」
 もともとメガ・ラニカと地球は魔法的な通路を使って繋がっているから、物理的な距離の話ではない。
 もっと概念としての、魔法的な意味での距離である。
 だが、時差が起きるだけなら、時計を調整すれば済むことだ。地上の移動でも長い距離を動けば時差は起きるのだから、そこまで重大な問題とも思えないが……。
「こういう事ですよ」
 一同の所に注文の品を持ってきた祐希がポケットから取り出したのは、自身の魔法携帯だった。数語の呪文を唱えて放り投げれば、それは空中で人型に変形し……着地と共にポーズを決めてみせる。
「ワンセブンがどうかしたんですか?」
 メインディスプレイに表情が写る様は可愛らしくはあるが、祐希のやりたい事がよく分からない。
「僕をツェーウーのいる地上、ワンセブンをメガ・ラニカとします」
 その言葉と共に、ワンセブンはテーブルの上をゆっくりと歩き出した。
「ワンセブンは僕の魔法で動いていますよね?」
「それがどうかしたの?」
 ワンセブンは、祐希の魔法で動いている。先ほどの着地も、今の歩行も、ワンセブンの内部に複雑なメカが組み込まれているわけではなく、全て祐希の魔法によって成されるものだ。
 それはこの場にいる誰もが知っていること。
「なら、魔法の効果範囲から出れば……」
 意図的に操作範囲を狭めたのだろう。
 小さな人型を模した機械はテーブルの端でぱたりと倒れ、そのまま動かなくなった。
「…………世界を支えるマナが、メガ・ラニカに届かなくなるって事か?」
 メガ・ラニカに満ちる魔力……マナは、ツェーウーから生み出されるものだと聞いている。即ち、華が丘八幡宮にあるオリジナルの黄金の円盤から、今も泉の如くあふれ出しているのだと。
 それはゲートを通り、メガ・ラニカへと流れこんでいるのだ。
「公式の資料には、華が丘で魔法が使えるのは、メガ・ラニカのマナが流れこんでるからってあったけど……」
 実際は、その真逆。
 華が丘で生み出されたマナが、メガ・ラニカへと流れこんでいるのだ。
「そのマナが届かなくなれば、精霊は動きを止める……」
 メガ・ラニカを構成するのは、『精霊』と呼ばれる不可視の存在だ。マナによって動く彼らは、ある時は風となり、またある時は大地となり……世界の全てを支えている。
 故に、動力源となるマナを失った『精霊』は、その力を失い、崩れていく。
 日本各地にある魔法都市から通じる多くの魔法世界も、その崩れ去ったメガ・ラニカの一部なのだという。人が住んでおらず、魔法などの大きなマナを消費する事もないから崩壊は穏やかなものだが、それでも少しずつその形を削られているのは確からしい。
「世界の、滅びか……」
 メガ・ラニカの極北でレムと真紀乃が見たのは、ゆっくりと崩れていく世界の果て。
 世界の果てにある世界樹のさらに北……今は無き大地にあったアヴァロンも、その崩壊に飲み込まれたのだろうか。


 華が丘八幡宮に続く石段のふもと、長い石畳に広がるのは、無数の屋台が並ぶ壮観な光景だ。
「でもさ。世界が崩壊しかけてるのは分かったけど……それとパートナー制度って、どういう関係があるの?」
 世界の崩壊を救うと言われても、少女たちに具体的に何か特殊な力があるという話はなかった。せいぜい魔法が使える程度だが、魔法程度ならメガ・ラニカや華が丘のほとんどの住人が使える、ありふれた奇跡でしかない。
「……パートナーって、同じ魂の持ち主なんだって」
「同じって……生まれ変わりって事?」
 メガ・ラニカにも、生まれ変わりの概念はある。死したメガ・ラニカ人の魂は、ツェーウーの導きを受け、新たな生命としてメガ・ラニカの地に再び生まれ落ちるのだ。
「違うわよ」
 呟いたのは、少女たちではない。
 浴衣を着こなした、彼女たちの担任……葵だった。
「文字通り、生まれ変わっていないあなた達の半身……」
 一つの世界に、同じ魂は一つしかない。
 その同一の魂がメガ・ラニカと地上、同時に存在するという事は……その二つの場所がひと繋がりではなく、別々の道を歩き出したことを意味しているのだ。
「けど、それって……パートナーは、初めから決められてたって事ですか? あたしとレムレムも?」
 当事者としては、世界が分かたれる事よりも、そちらの方が重要な問題だった。
 魂のレベルでパートナーが決まるのならば、合宿が始まった段階で……いや、それよりも前、入試の募集を受け付けた段階で、全ては決まっていることになる。
「そういうことになるわね。もともと別れた魂は引き合うものだから」
「だったら、あのパートナー合宿って……」
 パートナー合宿は、あくまでも生徒の自主性によって決められるものだと聞かされていた。
 けれどこの話が本当なら……。
「別れた魂を引き合わせるための儀式ってこと」
 故に本質的な所では、席に着いた瞬間にパートナーが強制的に決められた第一期生と、何も変わってはいないのだ。
 ただ、生徒の自主性に任せるフリを見せ、魂が引き合う時間を長く取っているだけにしか過ぎない。
「だから、魔法科の名簿なんてものがあるんですか……?」
 華が丘高校には、一つの噂がある。
 魔法科には、何年も先の生徒の……さらに言えば、パートナーまで決められた裏の名簿が存在しているのだと。
「それ、噂じゃないの?」
「祐希が見たって言ってた」
 A組の委員長が、そんな事を冗談で言うとも思えない。少なくとも、ジョークや悪ノリを解し、実行してしまうB組の委員長よりは、そういう意味での信頼度は高かった。
「一応、極秘なんだけどね………ま、そういう事よ」
 そしてその都市伝説を、魔法科の教師はあっさりと認めた。
 この展開を見据えていた誰かが流したのだろう。犯人の顔はある程度予想が付いたが、さすがの葵もそれを口に出すまではしない。
「けど、ボクの半身が………」
 呟いたハークの先にいる少女は、自らのパートナーをじろりと見据え、ひと言ぽつりと呟いた。
「……何よ。文句あるの?」
「………別に」


「……そっか。だからか」
 ファファがそんな納得の言葉を漏らしたのは、運ばれてきたケーキを切り分けている時だった。
「どうかしたの? ファファ」
 ケーキと入れ替えに空の皿を渡しつつ、冬奈は首を傾げてみせる。
「うん。冬奈ちゃんのマナの排出障害、ずっと不思議だと思ってたんだ……」
 夏休み、メガ・ラニカに里帰りした時の事だ。
 冬奈はその身に抱えたマナの排出障害が悪化し、倒れてしまったのだが……。
「………そうか。メガ・ラニカのほうがマナが多いなら、過剰排出にはならない……よね?」
 あの時の冬奈の症状は、マナの過剰排出だった。
 華が丘ではちょうどいい排出量に調整されていたそれが、メガ・ラニカでは体調が崩れるレベルの排出量となってしまったのである。
 だが、仮にメガ・ラニカのほうが華が丘よりマナが多いなら、過剰排出ではなく、排出量不足で体調を崩さなければならないはずだった。
「そのくらいメガ・ラニカのマナは減ってるのね……」
 深刻そうにそう言いながらも、ケーキを人数分に分け終えた冬奈は、さっさとそれを口に運んでいる。
 深刻なのかそうでないのか、よく分からない。
「でも、冬奈ちゃんが私の半身って……ちょっと、嬉しいかも」
「はいはい、ごちそうさま」
 くすりと笑うファファの様子に、皿を片付けに来たライスの女主人が苦笑する。
「菫さんも……知ってたんですか?」
 メガ・ラニカの秘密が明かされたあの場所に、彼女も居合わせていたという。しかしメガ・ラニカの大魔女達と顔見知りであるならば、彼女もその真実を以前から知っていた可能性も……ないわけではない。
「だいたいはね。メガ・ラニカと華が丘に魂を分かたれたものを同じ所に置いておけば、離れていくメガ・ラニカを繋ぎ止める効果があるのは昔から知られていたし」
「じゃあ、華が丘高校が出来る前から……」
 菫は華が丘高校に魔法科が出来る以前の卒業生だ。その頃にはもちろんパートナー制度はなかったが……。
「……細々とはね。最近はその程度じゃ足りないから、パートナー制度とか、華が丘高校のモニュメントとか、強化する手段を色々やってたみたいだけど」
 その言葉に難しい表情を見せたのは、祐希だった。
「モニュメントって……この間、壊れちゃいましたよ?」
 華が丘高校のモニュメントと言えば、玄関前にあった謎のアレをおいて他にない。
 だがそれは、一学期の期末テストで、女王トビムシによって粉々に破壊されてしまったのだ。


 華が丘高校に怪奇と謎は多くあれど、その最大の謎は誰もが認めるところだった。
『入口のあの像は一体何なのか?』
 税金の無駄遣いという者もいれば、実は世界に名だたる芸術家が無償で寄付した正真正銘の謎の物体という者もいた。
 だが。
「境界の強化装置……ねぇ」
 その正体は、魔法都市のマナの境界線……『境界』をより盤石にするための制御装置。強化された壁で華が丘に溢れる大量のマナを囲い、より効率的にメガ・ラニカへと流し込むための魔法装置であった。
 故にそれが壊れた今、境界は薄れ、隣町の降松でも簡単な魔法なら使えるようになっているのだ。
「じゃが、なんでそんな大事なもんをあんな所に置いとったんじゃ?」
 良宇の疑問は、話を聞いた誰もが思うことだろう。
 メガ・ラニカを支える要となるほど大事なものなら、厳重な壁で囲んでおけば良かったのではないか。
「魔法の儀式ってのは、そんなもんなんだよ。茶道だって、色々と約束事があるだろ?」
「むぅ………」
 茶道の約束事は、一つ一つが茶道の理に叶ったものだ。とはいえ、意味を知らなければ不可解なものや、理不尽なものも確かに多い。
 そう考えれば、モニュメントの設立にも、良宇やレイジのあずかり知らぬ理論や計算が働いているのだろう。
「けど、それの代用でリリやレムっつーのも……」
 問題はそこなのだ。
 巨大な魔法装置であるモニュメントの再建には、長い時間が掛かるのだという。
 故に、その予備装置として選ばれたのがリリだった。
 華が丘とメガ・ラニカで魂を同じくする瑠璃呉陸と、ルリ・クレリックの間に生まれた彼女は、世界を結び付ける力が他の生徒達よりも格段に強い………のだという。
 そして、その候補としてさらに加えられたのが……レム。
 ツェーウーの眷属……双刀に宿る魔に魅入られた彼も、強いマナを生み出す存在として、メガ・ラニカを支える候補の一つに数えられているという。
「っていうか、誰がこんなややこしい事態にしたんだよ……」
 世界が離れていくのは、誰の手に止められることでもなかったはずだ。
 しかし、メガ・ラニカが再び開国を余儀なくされたのは、メガ・ラニカに流れこむツェーウーのマナが唐突に減少したからだという。
 それが自然現象なら仕方ない。
 けれど、それが何か人為的な……そんな神に挑めるだけの力を持つ者がいれば、の話だが……ものであるならば……。
「悪かったわね」
 掛けられたのは、レイジ達の背後から。
 そこに立つのは……。
「…………先生?」
 浴衣に身を包んだ、1−Aの担任だった。


続劇

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