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23.理不尽な、神話

 気が付けば、視界に広がるのは木々の緑と、空の青。
 書き割りではない。
 先ほどまでいたステージの上ではなく、そこが本物の屋外だと認識したのは……意識がはっきりしてからのこと。
「レイジ………くん………?」
 そして、傍らでこちらを見守っている少年の姿に気付いたのもだ。
「気が付いたか、百音……」
 口にした名に、少年は優しく微笑んでみせる。
「え、あ…………あぅ…………っ」
 その瞬間、頭の中に蘇るのは、ステージ上での出来事だ。
 レイジに抱かれ、動くことも出来ないまま、唇を……。
「………悪い。あんなこと、しちまって」
 呟く言葉に、百音は言葉を紡がない。
 紡げない。
「けど、あんな近くに百音の顔があって……あんなこと言われて………演技だって分かってても……好きで好きでたまんねぇ気持ちが、我慢できなかったんだ」
「レイジくん…………今、何て……?」
 言葉の中に埋もれた言葉を、百音はかすれた声で問いかける。
 今、レイジは……何と………?
「好きだ、百音」
 今度の言葉は、埋もれない。
 必要な言葉だけを、必要な形で突きつけてきた。
「何度でも言う。好きだ」
 繰り返し。
 何度も。
 何度も。
「こんな事しちまって、言っていい言葉じゃねえのは分かってる。でも、もう俺もどうすればいいのかわかんねぇくらい、おめぇの事が好きなんだ……」
 いつものレイジなら、もっと冷静な判断と、気の利いた言い回しをするはずだ。だがそれが出来ないほどに、レイジの思考は空回りし……暴走しているのだろう。
「……レイジくん、ごめん………」
「……ダメか」
 レイジの言葉は疑問形ではなく、百音の言葉を受け入れる形。
 自分でも分かっているのだろう。自分が百音に対して、何をしたか。
 そしてそれが、受け入れられなくなる可能性を孕んだものであるということも。
「違うの………まだ、気持ちの整理が……どう答えて良いか……」
 百音の心の中に渦巻くのは、目の前の少年と、穏やかに微笑むパートナーの少年……そして、祖母からの課題。
 レイジの好意は素直に嬉しい。
 だが、それを受け入れて良いかどうかは……。
「……ああ、なら良かった………」
 呟かれた言葉に、百音はその耳を疑った。
「まだ、ダメって決まったわけじゃねぇんだな」
 少なくとも、百音の言葉は拒絶ではない。保留……すなわち、百音本人も判断を迷っているということだ。
 迷っているなら……まだ、勝ち目はゼロになったわけではない。
「待つさ。俺だってこんなに強引なことやっちまったんだ。百音の気持ちに整理が付かないのなんて、当たり前だ」
 自分でも、同じ事をされればまずは混乱するだろう。落ち着き、考え直してこそ……相手の想いが、分かってくるはずだった。
「だから、好きでも嫌いでも、気持ちが定まったら、教えてくれ。それまで、おめぇにもうこんなことしねぇから!」
 そう言いきってレイジはその場を立ち上がり。
「良く言うじゃないか、ヒヨッコが」
 掛けられた百音ではない声に、表情を変えるのだった。


 二人の前に立つのは、フードを目深に被った女性。
 声の質から、相応の年を重ねている事は理解するが……不思議と、そのフードの内を確かめようという好奇の想いは浮かんでこなかった。
「大ドルチェ……」
 けれどレイジは、それが誰かを感覚で理解する。
 メガ・ラニカで百音の実家を訪れたとき、主たる彼女と会うことは出来なかった。だがその姿を目にしたとき、背後の百音の気配は、明らかに変わっていた。
 畏れとも、驚きともつかぬ様子に。
「他にやることがあるんだろう? ここは任されてやるから、さっさとお行き」
 どうやら、レイジの事もお見通しらしい。
 レイジは無言で一礼し、再び体育館へと駆け出していく。
 そして……残されたのは、百音とフランの二人きり。
「いい男じゃないか。私の好きだった男にそっくりだよ」
 肩の力を抜いたようなフランの言葉に、百音は不思議そうに首を傾げてみせる。
「ばーば………?」
 彼女と顔を合わせるのは、フランが百音の家に来たとき以来だ。百音は悟司の家に戻っていたし、何度か家を覗きもしたのだが……その度に彼女はどこかに出かけていた。
 フランと顔を合わせれば、課題のことを言われるとばかり思っていた。
 そして、悟司に告白を強いられるのだとも。
 ……だが、今の彼女から、そんな威圧感は感じない。
「……好きなんだね、さっきの小僧が」
「わかんない……わかんないよ……」
 嫌いではない。
 むしろ、好き……なのだろう。
 しかしそれが、悟司を越える想いなのか……それとも、どちらも紫音に対するそれとさして変わらないものなのか……そこまでの判断には、まだ至れずにいる。
「じゃあ、告白するのはパートナーでいいじゃないか。とっとと告白しておしまい。それで課題は合格さね」
 どこか投げ遣りに紡がれた言葉に、百音の何かが音を立てて切れた。
「わかんないよ! こんな気持ちで……わかるわけ、ないじゃない…………」
 溢れるのは、涙。
 拭っても拭っても止まらないそれを、百音は必死に拭い、それと同時に溢れ出す言葉をも吐き出していく。
「ばーば! パートナーって何!? 無理矢理告白させるって、他に好きな人も作っちゃいけないって……そういうこと!?」
 フランはそれを咎めはしない。
 ただ、静かに受け入れ……百音の言葉が途切れたところで、穏やかに言葉を紡ぎ出す。
「なら、悟司、とか言ったかね。パートナーの小僧は嫌いかい?」
 その問いかけに、さらに涙があふれ出た。
「嫌いじゃないよ………そうだったら、こんなに苦しくなんか……ないよ………」
「そうさね。苦しいだろうさね」
 苦しくて、悲しくて、悔しくて。
 やるせない想いに目を伏せる百音を抱き寄せるのは、フランの細い両腕だ。厳しい事で知られる大魔女の意外な優しさに、涙はさらに溢れるだけで……。
「ホントはね……今日までに、ばーばに聞こうと思ってたの」
 泣きじゃくりながら口にする言葉を、フランは促そうともしない。彼女のペースに任せるがままに、ただ……待っている。
「なんで、こんな事させるのかって……」
「……ああ。だから、他の善行を頑張っていたのかい」
 何もしないまま反論しても、フランはそれを受け入れようとはしないだろう。それが故に、百音は課題以外の活動に力を傾けていたのだ。
 自らの実力を、示すために。
 課題などクリアせずとも、十分な力を持っていると理解してもらうために。
「なら、魔女になれたら話してやろうと思っていたが……先に聞くかい? パートナーの、本当の意味を」
 フランの腕の中、伝わってきた感覚は、首を縦に動かすもの。
 承諾の意。
「辛くなるよ?」
 知れば、それはさらに百音を苦しめることになるだろう。故に、全てが終わってから語ろうと思っていたのだ。
「分からないまま苦しいより、ずっといい」
 だが、少女はその道を選んだ。
「…………そうかい」
 そして、少女を優しく抱いたまま。
 メガ・ラニカの大魔女は、腕の中に向けて穏やかに語り出す。
 舞台で語られた物語……狂ったマナの物語の、さらにその先を。


 体育館に現れた姿に、誰もがざわめきを隠せなかった。
 そいつはゆっくりと歩を進め、皆が集まっている舞台のもとへとやってくる。
「……後は?」
 観客は既にない。そして、片付けも終わっていた。
「悟司くんがやってくれました」
 問いかけた祐希の声は、どこか硬さを秘めたもの。
「レイジ……」
 そして、レイジの前に立つのは……。
「悟……」
 その名を呼ぶよりはるかに迅く。
 踏み込み、叩きつけられたのは、右の拳。正確な軌道を描いて頬に飛び込み、そのまま力任せに振り抜かれる。
 咄嗟の一撃に、レイジはもちろん反応しきれない。勢いのまま吹き飛ばされて、フロアに叩きつけられる。
「悟司………」
 正面にあるのは、やはり少年の姿。
「百音さんが誰を好きになろうが、それは俺がどうこう言える事じゃない。俺は百音さんが好きだけど……困らせたいなんて思ってるわけじゃないからな」
 訥々と紡がれる言葉に、辺りは沈黙を守るだけ。
 普段穏やかに笑ってばかりの少年の珍しい激昂に、唐突な告白を茶化す者も現れない。
「だからレイジ。お前が百音さんを好きでも、百音さんがお前を好きでも……それはそれで、受け入れようと思ってた」
 パートナーは、恋人ではない。
 それは、悟司が一番良く分かっていた。
 もちろんそうなれれば悟司としては嬉しいが、パートナーという権限を振りかざして百音に迫るようでは彼女を傷つけるだけだとも。
 だから、悟司はレイジとの関係について……気になりはしたが、干渉しようとはしなかった。むしろ、そうして悩む百音をどう助けようか……結論が出ないまでも、それだけを考えていたのだ。
「けどな。劇の途中で姿を消して……あんな所で百音さんを困らせるような事して……何やってんだ! レイジ・ホリン!」
 慣れぬ一撃と激昂に、自身も消耗したのだろう。
 悟司はそう叫んだきり、はぁはぁと肩で息をするだけだ。


 語られた壮大な茶番劇に、百音は己の耳を疑った。
「そんな………」
「だから、後悔するって言ったろ」
 残暑もまだまだ残る時節だというのに、体の震えが止まらない。フランがこうして抱きしめていてくれなければ、叫び、泣き出していたかも知れなかった。
「じゃ、ママも……?」
 聞きたくなかった。
 だが、聞かなければ……おそらく、前へは進めない。
「いや。あれのパートナーは女だったからね。あの男とは、恋愛結婚さ。安心おし」
「……そっか。ばーばは……?」
 祖母の言葉にほぅと長い息を吐き、少女は新たに問いかける。
「ま、想像に任せるよ」
 苦笑するその様子に……かつて彼女の従者から聞いた、フランは想い人とは結ばれなかったという話を思い出す。
 おそらく、それも今の百音と同じような状況だったのだろう。
 そしてフランは、己の想いよりも……世界を選んだ。
「でも、なんでこんな事を……」
 それは、少女が知る限りの理不尽の極み。
 正常に回っていれば、誰も不幸にはならないのだろう。
 例えば陸とルリ。
 例えばハークと晶。
 例えば祐希とキースリン。
 おそらく彼等は、その理不尽さに気付くことなく、最後まで与えられた役割を果たすに違いない。
 だが、そこにわずかな歪みが生まれれば……その歪みは加速度的に肥大化し、あっという間に理不尽なからくりの構造を露わにしてしまう。
 百音と悟司、そしてレイジのように。
「なけりゃメガ・ラニカはとうに滅んでるからだよ。今のこの世界があるのは、私やおまえ達のおかげでもあるのさ」
「………じゃあ、私は…………」
 世界の一部となる事を選べば良いと……そう言うのか。
 かつてのフランのように。
「百音。世界を救う鍵を見つけな。それが出来れば、この試験……全部合格にしてやるよ」
「…………世界を、救う?」
 唐突に出てきた桁の外れた言葉に、百音は再び耳を疑った。
 魔女にもなれない魔女見習いが……世界を、救う?
「バランスの崩れきったこの世界の、バランスを再び取り戻す鍵を手に入れるのさ」
 歪みの正体は分かった。
 けれど、それを正す方法と言われても……果たして、どうすればいいのかなど見当も付かない。
「私もオランも、崩れ去った大アヴァロンから小さなアヴァロンを作ったお師匠達も……みんなが挑んで果たせなかった大問題さ。それを何とか出来たなら……私の出した課題なんざ、放っておいても構わないよ」


続劇

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