13.メガ・ラニカからの客人
華が丘山の長い長い坂の下。
猫の額ほどの広場に建てられた簡素な小屋から現れた人数は、小屋の大きさから比べても明らかに不自然な数だった。
だが、この小屋に限ってはそれで問題ないのだ。
扉の向こうは異世界……正確に言えば、異世界に通じる通路へと続いているのだから。
「いらっしゃい! パパ! ママ!」
そんなゲートを越えてやってきた二人組に元気よく手を振ったのは、小柄な少女。
「やあ。久しぶりだね、ファファ!」
飛びついてきた少女をしっかりと抱きとめて、客人の男は穏やかに笑っている。愛娘と会うのは先月メガ・ラニカに帰省したとき以来……まだひと月も経っていないのだが、それでも久しぶりの再会は嬉しいものだ。
「冬奈ちゃんもお久しぶり」
父子の傍らに寄り添うように立っていたファファの母親も、ファファと一緒にゲートまでやってきた冬奈の姿に、穏やかに声を掛けてみせる。
「はい。夏休みはお世話になりました!」
夏休みの旅行では、冬奈はファファの実家の世話になっていた。無論、その時と立場が逆転するとなれば……愛娘の文化祭での晴れ姿を見に来たファファの両親が泊まるのは、冬奈の実家ということになる。
そして。
「冬奈さん」
挨拶をしあっていたファファや冬奈達に掛けられた声が、もう一つ。
「え…………?」
それなりに年を重ねた……そして、年下の少女たちに向けても礼儀正しい口調を崩さないその声は……。
「大クレリック!」
メガ・ラニカが擁する大魔女が一人。
大クレリックこと、トゥシノ・クレリック。
「この間はありがとうございました!」
メガ・ラニカ行の最終日、冬奈は彼女の世話になっていた。彼女の治療がなければ命も危なかったのだと、後にファファ達から聞かされていたのだ。
帰り際のごたごたで礼を言う間もなく、華が丘へと戻るはめになったのだが……。
「礼なら、お友達に言っておあげなさい。あれから体調は変わりありませんか?」
「はい。おかげさまで」
冬奈の体調不良は、身体の内に溜まったマナが適切に排出できない事に由来するもの。
メガ・ラニカでのマナの排出量が多すぎたために起こったもので、逆を言えば、適正な排出量が保たれる華が丘に戻れば何の問題もないことになる。
「なら結構」
「あ、あの……大クレリック」
穏やかに頷くトゥシノに次に掛けられたのは、ファファの声。
「ファフセリアさん。あの時は、あなたもご苦労様でした」
冬奈の事件の時、応急処置や状況維持に奔走したのは、他ならぬパートナーの彼女だった。彼女がいなければ、やはり冬奈は危険な状態に陥っていたに違いない。
「いえ、それより……これ、ありがとうございました! あの時、お礼がちゃんと言えなかったから……」
ファファが取り出したのは、彼女の魔法携帯だ。
そこからぶら下がる杖状のストラップこそ、あの場でトゥシノからファファへと託されたもの。
彼女のお礼もまた、あの時の騒ぎの中でする事が出来なかったことの一つ。
「役に立っているようで何よりです」
「そうだ。大クレリックも……冬奈ちゃんの所に泊まるんですか?」
トゥシノ達の訪問の予定は聞いていないが、なにせ冬奈の命の恩人だ。空き部屋にも余裕はあるだろうし、迎え入れられないはずがない。
「いえ。私は私であてがありますから。行きますよ、海」
メガ・ラニカの大魔女は穏やかに答えると、傍らに従う少年を連れ、街のいずこかへと歩き出すのだった。
瑠璃呉家のリビングに入ってきたのは、小柄な少年だ。
「おばあちゃん…………来た」
ぽつりと呟くその言葉に、リビングにいた全員に妙な緊張が駆け抜けていく。
「久しいね、クソ坊主」
セイルに続き現れたのは、夏だというのに厚手のコートをまとった老婆だった。フードの奥の瞳でソファーに腰掛ける男を静かに見据え、呆れ気味に言い放ってみせる。
「ホントにセイルの婆さんなんだな……クソババア」
答える陸の様子も、老婆の暴言とさして変わりない。
「やれやれ。ルーナレイアに一度も勝ったことのないヒヨッコが、随分と吠えるじゃないか。陸」
「ンだと……」
派手なカラーシャツに細身の長身。これでサングラスでも掛けていれば、チンピラとして警察のお世話になってもおかしくはない程だ。
「まあいいや。セイルの学校の祭りが終わるまで、世話になるよ。いいね? ルリも」
男に対するものよりいささか柔らかな物腰で、老婆は男の傍らに腰掛ける女性にも声を掛けた。
「はい。ただ……ですね、大ブランオート」
ほんのわずか、歯に物の詰まったような物言いに、メガ・ラニカの誇る大魔女は首を傾げてみせる。
「ただいま」
そんなリビングに姿を見せたのは、セイルではない黒髪の少年だった。
現在の瑠璃呉家の男手は、陸とセイルの二人だけ。
本来なら「ただいま」と言うべき三人目は、いないはず。
「カイ・クレリック………!」
だが、現れた少年に最も強く反応したのは、この家の住人でも、ホームステイしているセイルでもなく。
来客である老婆……大ブランオートだった。
「…………ってことは」
「お婆ちゃんと海、帰ってきたよ!」
気付いたときにはもう遅い。続いて玄関から現れるのは、孫のパートナーであるリリと…………。
彼女いわくの、お婆ちゃん。
「陸さん。ルリ。しばらくお世話になり……」
リリに続いてリビングに入ってきた老女は、目の前にいるフードの老婆の姿に、一瞬目を丸くして……。
「…………ちょっと考えりゃ、分かることだったね」
ルリ・クレリックの所属する魔法流派は、南部十二方銀月会。そしてその流派の頂点に位置する魔女は……大ブランオートと同じく大魔女の称号を持つ。
「…………貴方と一緒ですか。フィアナ」
トゥシノ・クレリック。
ルリの実母である。
「……そう言いたいのは、こっちだよ」
互いに顔を見合わせ、二人の大魔女はその表情を曇らせてみせるのだった。
美春家の洋菓子店にその客人が現れたのは、夜も遅くになってからのこと。
「お義母さん、いらっしゃい」
「やあ。この間も来たが、また世話になるよ」
大ドルチェ……フランがこの店を訪れたのは、ほぼ二ヶ月ぶり。百音がメガ・ラニカに帰省した際、入れ違いのタイミングで華が丘を訪れ、数日を過ごしている。
「百音も元気そうだね。メレンゲから報告は聞いてるよ。……何やら、張り切ってるそうじゃないか」
閉店時間を過ぎた店内に客はいない。
そして百音の秘密は、美春家の中では秘密たり得なかった。それはパートナーと並ぶ、彼女の正体に関する例外事項の一つに数えられているからだ。
「あ……うん」
今日も劇の練習と料理部の活動が終わってから、幾つかの事件を解決して回っていた。田舎の華が丘の事件だから、迷子だの重い荷物を背負った老人だのといったささやかな困りごとばかりだったが、それでも人助けは人助けだ。
「その調子で課題も早く終わらせておしまいよ?」
「…………う、うん……」
直近の課題に与えられた期限はあと数日。文化祭が、終わるまで。
だからなのか、それとも他の人助けが順調だからか、フランがそれ以上のことを口にする様子はない。そのことに胸をなで下ろしつつ、百音は胸の内にある問い掛けを放とうとして……。
「さて、長旅で少々疲れたよ。美春家の皆に挨拶させてもらったら、少し休ませてもらってもいいかね」
小さな鞄を控えていた少年に預け、フランは百音の前を静かに通り過ぎるだけ。
「案内します、お婆さま」
問いかけるタイミングを完全に逸し、百音は家の奥へと消えていくその背中を見守ることしか出来ないまま。
セイルにも、当然ながら瑠璃呉家の一室が与えられている。
とはいえ、それほど大きな家でもない瑠璃呉家のこと。リリのパートナーが女の子であれば、リリと同じ部屋に暮らすことになっていたらしい。
だが、リリの元へとやってきたパートナーは男の子。
そんな彼をリリと同じ部屋で寝起きさせるわけにもいかず、もともとは海の部屋だったそこをセイルの部屋として作り替えていた。
「セイル。こいつは?」
意外にもきちんと片付いている部屋の机上に置かれた鉄球を見て、彼女の祖母は首を傾げる。
セイルのレリックを改装する前、その一部となっていたパーツだ。先日の帰省の際、倉庫から持ち出していたのは知っていたが……。
「………プレゼント」
余計な装飾がないのはともかく、ひと抱えはある鉄球である。
ぽつりと呟く孫の言葉に、老婆はため息を一つ。
「どういう魔法公式を考えてるんだい。意見を求めたいってことは、設計図はちゃんと作ってるんだろうね?」
その言葉に、セイルは鉄球の脇に置いてあった紙の束を差し出してくる。ざっと流し読めば、基本コンセプトから細かな仕様までがひととおり記されており……かつて老婆が仕込んだことは、きちんと守っているようだった。
「…………ふむ。まあ、レリックそのものとしては、悪かぁないけどね」
鉄球の仕様を把握し、老婆は設計書を指先で軽く弾く。
「こんな物騒なものもらって喜ぶ娘がいるもんか。そいつの誕生日まで、あと何日だい」
「………二日」
それは奇しくも、華校祭の開催と同じ日だ。
「なら、その二日で何とか調整するよ。いいかい?」
師匠の言葉にセイルは無言で頷いて。
レリック作成で名を馳せた大魔女とその弟子は、早速作業を開始する。
続劇
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