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2.マイペース/マイペース

 武術道場の朝は早い。
 朝日が昇る頃には、朝の冷たい空気を切り裂く鋭い声が稽古場のそこかしこから聞こえてくる。
「あれ? 今日はレムだけ?」
 道場が動き出すとほぼ同時に現れた通いの少年に、少女はそんな声を上げていた。
 いつもなら一緒に来るはずのパートナーがいない。
「………ああ。真紀乃さんは、もうちょっとロードワークしてから来るって」
「そう」
 他人事のようにそう答え、もそもそと道場の壁に掛かっている木刀を取り上げる。
 本来の彼の得物はレリックたる双の刃なのだが……人もそれなりに多い朝の稽古で真剣を振り回すわけにもいかないため、普段はこうして木刀で稽古をする事になっていた。
 だが、訓練の型を始めたレムの様子に、少女の表情があからさまに曇る。
「……ずいぶん剣に身が入ってないわね。そんな調子じゃ、怪我するわよ?」
「そんなこと……」
 言った端から踏み込みでバランスを崩し、思わずその場に片膝を着く。
 木刀とレリックの刃では重量もバランスも、何もかもが違う。その辺りの調整は、いつもならきちんと出来ているはずなのだが……。
「……真紀乃のこと?」
 言葉はない。けれど、その無言こそがレムの答えに等しいものだ。
「晶じゃないけど……見てたらそのくらい、分かるわよ」
 どうして分かったのか、といった様子でこちらを見上げる少年に、ため息を一つ。
 少女は友人ほど周囲の機微に聡い性格ではないが……拳、そして剣に伝わる気持ちなら、十分に理解できる。
「真紀乃さんは、オレよりもっと先を見てるみたいだから……」
「先の……ねぇ。先のなに?」
「それは……分かんないけど」
 それが分かれば苦労はない。分からないからこそ、レムは悩み、途方に暮れているのだ。
「そういう相手は……そうやっていじけてても、気付いてもらえないわよ?」
「いじけてなんか………!」
「どうせ、向こうがこっちを気付いてくれないから、いじけて見てくれないってすねてるだけなんでしょ?」
 放り投げるような少女の言葉に、さしものレムも構えを取った。
「……冬奈さん。いくら女の人だって、言って良いことと悪いことがあるぜ?」
 レムは基本的に女性に対しては礼儀を守る質だ。しかし人間である以上、絶対に女性に対して怒らない……というわけではない。
「女だから何? 言って悪かったら……訂正させたらいいじゃない。武道家なんだから、力ずくでも構わないわよ?」
 対する冬奈は挑発するように微笑み、ゆるりと構える。
 二人だけの道場に立ち籠めるのは、緊の空気。
 武術のレベルは、明らかに冬奈の方に分があった。しかし、女性の冬奈は本気のレムと戦えたことがない。故にレムの本気と、初見に等しい動きが加われば……勝負は実際にどう転がるか、分からなかった。
「冬奈ちゃん、レムくん! ごはんだよー! …………って、どうしたの?」
 そんな張り詰めた空気を打ち壊したのは、道場の入口から飛んできた明るい声。
「………分かったわ、ファファ。すぐ行く」
 パートナーの元気な声に構えていた拳を納め、冬奈は肩をすくめるしかない。対するレムも毒気を抜かれたような顔で、道場の入口を見ているだけだ。
「とにかくそういう相手は、追い掛けて、追いついて、無理矢理に振り向かせるしかないんだから。しゃんとしなさいって」
 冬奈はレムの肩を叩くと、不思議そうな顔をしているパートナーのもとへと走り出すのだった。


 華が丘に一軒しかないカフェの一角には、異様な空気が立ち籠めていた。
「うぅ……まとまんねぇ……」
 借り物のノートパソコンを目の前に置いたまま、少年はがりがりと頭をかきむしる。ようやく使い方に慣れてきたワープロソフトの文面は一文字も埋まることなく、減っていくのはバッテリーばかり。
 さっきまで三つフルに埋まっていたバッテリーアイコンが二つになっている様子に、焦りはさらに強まっていく。
「ホリン君。菫さんが、コンセント使って良いって」
「……悪ぃ。助かる!」
 そんな様子を見かねたのだろう。カフェの制服を着て現れた祐希に手を合わせると、レイジはいそいそとPCバッグの中からアダプターを取り出した。
「で、何をしてるんです? ………台本?」
 画面に映っているのは、台詞とト書きのようなもの。ただし小説のような形式ではなく、ト書きは状況や演技の説明に特化しているようだった。
「ああ。夏休みにメガ・ラニカに戻ったとき、ウィルの爺ちゃんから聞いた話が面白かったんでな。半分は趣味でやってんだが……文化祭でどうかと思ってよ」
 バッテリーアイコンが充電中のそれに変わったのを確かめると、レイジはホッとひと息ついて、傍らのコーヒーを口に運ぶ。
「そういえば、文化祭の出し物って休み明けには決めないと、厳しいですよね……」
 夏休みももうすぐ終わり。それが明ければ、9月の末には文化祭だ。
 何の出し物をするにせよ、四週間で準備を終えるのは……それなりにハードなスケジュールになりそうだった。
「すいませーん! ジュース、くださーい!」
 A組とB組の委員長が揃って頭を抱えていると、カフェの入口から掛けられたのは元気の良い声だ。
「あ、はい! ………って、子門さん?」
 祐希もその声に一瞬バイトのそれに表情を戻すが……見慣れた客の顔に、再び表情を元に戻す。
「あれ? ホリンさんも来てるなんて珍しい!」
「ん? レムは一緒じゃねえのか?」
 毎日やっているというロードワークの最中なのだろう。しかし、普段なら一緒に訓練しているはずの、パートナーの姿が見当たらない。
「んー。なんか、先に道場に行ってるって」
 いつもの流れだと、冬奈の道場にはロードワークを済ませた後で行き、稽古をする事になっているのだが……。
「…………子門」
 変わらぬ真紀乃の元気な声に、レイジはわずかにトーンを落とし、その名を呼んだ。
 含まれるのは、問いかけの意思。
「何ですか?」
 そして真紀乃もそれに応じ、回答の意を返してみせる。
「こんなこたぁ言いたくねぇんだが……最近、レムの様子がちっと暗えんだよ。……心当たり、ねえか?」
「レムレムが……?」
 呟く様子はいつもと同じ。
「気付いてねえか?」
「特には……。ならちょっと、気を付けてみますね」
「特にって……おめぇ、同じ屋根の下で暮らしてるんじゃねえのか? 気を付けてみるっつーか、ちゃんと見とけよ」
 あくまでも他人事の真紀乃の言葉に、レイジがさらにトーンを落とす。含む意思は問いかけではなく……問い詰めだ。
「…………」
 流石の真紀乃もレイジの変化に気付いたのだろう。言葉を止め、表情を真剣なものへと入れ替える。
「ホリン君。言い過ぎですよ」
 その間に水を差したのは、男物の制服を着た祐希の言葉。
「…………すまねぇ。ちっと、まとまるモンがまとまらなくてな。気が立ってた」
「いえ……あたしも、レムレムのこと、もっとよく気を付けるようにしますね」
 わずかに顔を伏せた真紀乃に祐希が案内したのは、レイジの席から最も遠く。
 そして真紀乃は何事もなかったようにジュースを飲み干し。
 レイジも、再び終わりの見えない作業へと取りかかる。


 夏の日差しを弾く銀の髪がさらりと流れ。
 それに続くのは、落ち着いた藍の袖。
「なるほど。これが、ユカタというのか……なかなか良いものだね、これは」
 おろしたての桐の下駄をかつ、と鳴らし、アスファルトの上でくるりと一回転。
 少年の表情を彩るのは、満足そうな笑顔だ。
「……ああ」
 それに頷くのは、本来の彼のパートナーではなく……長身のそいつよりもさらに大きな、巨漢と呼ぶに相応しい姿だった。
 藍の濃淡で勇壮な唐獅子が描かれた浴衣は、銀髪の少年よりもはるかに着慣れた様子。使い込まれた下駄を悠然としたテンポで鳴らしつつ、大神と表札の掛かる屋敷の門をくぐり、先に街へと繰り出した少年を追い掛ける。
 屋敷の前はバス通り。
 見れば、先に出ていった少年はバス待ちの知った顔と話をしているようだった。
「あれ? 大神くんじゃなくて、維志堂くんなんだ? ってことは……」
 良宇がいるということは、そのパートナーも……。
「レイジはライスで何か難しいことをやっとる。水月は街か?」
「うん。ハークくんとデートだよ」
「…………」
 満面の笑みの晶はともかくとして、今のハークほど不満そうな顔をデートの時にするだろうか……と良宇は思ったが、そういう難しい機微は分からないので口には出さなかった。
 難しい世界の話だから、何か難しい理由があるのかもしれない。
「けど、今日……お祭りとかあったっけ?」
 八幡宮の夏祭りはもう終わっている。次の大きな祭は、十月頭の収穫祭のはずだ。
 それでなくともイベントの少ない華が丘だから、夏休み中の祭などあれば晶が忘れるわけがないのだが……。
「別に浴衣は、祭の時に着る服じゃないぞ」
「へぇ……そうなの?」
「ボクに聞かないでよ……。日本人は晶ちゃんでしょ」
 刹那。
 疲れたように呟いたハークの呆れ顔の上を、横切る影がひとつ。
「あれは……!」
 鳥ではない。
 飛行機でもない。
 そして、魔法都市に住まう天候の化身……天候竜でも、なかった。
 ひらりとフリルをひるがえす、その姿は……。
「また魔女っ子かなってちょっ! 晶ちゃん!」
 叫んだときには既にハークは襟を掴まれ、晶に引きずられた後。
「ほら、見に行くわよ、ハークくん! それじゃね、維志堂くん!」
 飛行の魔法を一瞬で展開した晶に続き、ハークも自前の黒い翼を拡げ、嫌々ながら付き従う。空中で襟を掴まれたまま引き回されては、たまらないどころか命にも関わる。
「お、おう………」
 飛行魔法で文字通りあっという間に姿を消した二人を、良宇は呆然と見送るしかない。
「………忙しないのぅ。あいつらも」
 そして。
「………………ウィル?」
 傍らにいたはずの銀髪の少年が姿を消していることに気付いたのは、その時になってからだった。


続劇

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