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#5.5幕間 overture

「一緒に着替えたぁ!?」
 華が丘の図書館に響くのは、少年の叫び声。
 次の瞬間起こるのは、非難の視線の一斉砲撃。
「声が大きいよ、レイジくん……」
 叫ぶと同時に気付いても、それはもう後の祭りでしかないわけで。
「いや、だって………よ。百音……」
 レイジは居心地悪げに調べていた新聞のファイルを広げると、向かいの席でやはり気まずそうにしている百音にぽそぽそとぼやいてみせる。
 性別逆転が起こった直後、百音とパートナーの間で衣服を交換したのだという。もちろんそれは、性別逆転が起こった二人の間で……特に男性化した百音にとっては、死活問題だった……必要だったからしただけで、他意がないのは分かっているが。
「だって、男子更衣室に入るのもイヤだったし。悟司くんに着替える間、部屋を出ててとも言えなかったし……」
 普段の悟司なら、容赦なく更衣室の外に放り出していただろう。……無論、そもそも同じ更衣室で着替える、というシチュエーション自体存在しなかっただろうけれど。
 だが、当時の悟司は女性の体。
 百音が着替える間、着られる服を待っている悟司は裸同然になってしまう。いくらなんでも、そんな悟司を更衣室の外へと放り出せるわけもなく……。
「もちろん、見ないようにはしてたよ……? それに、非常事態……だったし……」
 ついでに言えば、女物の下着の付け方が分からない悟司に下着を着付けてやって、そのあと思いあまって混乱の極みとも言える行為に及んでしまったのだが……流石にこの場で、そこまで口にする度胸はなかった。
 そもそも、その事自体、恥ずかしすぎて思い出す勇気もない。
「いや、そりゃ、非常事態だったってのは分かるけどよ……」
 レイジも性別逆転に巻き込まれた一人。混乱していた状況は自身も同じだし、男の姿で女物の服を着なければならないやるせなさも……したことこそ無いが、想像は出来る。
 だが……。
「…………悟司が自分の家に先に服を取りに帰る、ってのはダメだったのか?」
 ぽつりと呟いたその言葉に、華が丘の図書館には久方ぶりの沈黙が戻り。
「そ、それを早く言ってよ!」
「ちょ……こら、声が大きいって」
 二人の座る席は、再び視線の集中砲火を浴びせられる事となった。


 並べられた空き缶を吹き飛ばすのは、奔る銀の光。
 十歩の距離を隔てて置かれた空き缶の数はちょうど十。
 うちの四つは既に宙を舞っている。さすがに同時とはいかなかったが、続けて放たれた五発目の弾丸も、正確に五つ目の空き缶を吹き飛ばしていた。
「で、百音ちゃんに何もしてないって……バカじゃないの?」
 そして、六つ目の空き缶がからんと舞い上がったのと、その言葉は紡がれたのは、ほぼ同時。
「だから二人とも、二学期も副委員長なんてやらされるんだよ」
 ハークのため息を先にいるのは、B組の二学期副委員たちだ。
 A組の二学期委員長は数の暴力の名の下に一学期委員長の続投で決まっていたが……B組もA組と同じく、民主主義という制度のもとで一学期委員長の続投が決定されていた。
 そして数の暴力に屈さざるを得なかったB組委員長は、自らに与えられた数少ない権限……副委員長の指名権限……を、容赦なく行使したのである。
 簡単に言えば、道連れであった。
「副委員長は関係ないだろうが……」
 だが、ハークの言葉に苦笑するレムに対して、もう一人の副委員長は渋い顔のまま。
 無論、副委員長続投の件に対して、ではない。
「正直、何て言って良いか……分かんないんだよ。………レイジはいいヤツだしさ」
 故に、臨海学校の砂浜でレイジが百音を誘ったとき、悟司はその成り行きを見守ることしか出来なかったのだ。
「殴れば解決するって話題でもないし……。百音さんだって………」
 あの場面でレイジが男の姿だったら、あるいはそんな解決法もあったかもしれない。
 けれど、いくら中身が男とはいえ……女の姿をしている相手に拳を振り上げられるほど、悟司も割り切れる性格ではなかった。
「だから放ってるの? 百音ちゃんのこと、嫌い?」
「嫌いなわけ……っ!」
「なら、言えば?」
 言いかけ、止めた悟司に対し、ハークの答えはシンプルなもの。
 悟司とて、それくらい分かっているのだ。
 彼が百音のことを『百音』と名前で呼んでも、彼女はそれを否定しようとはしなかった。嫌われているなら、嫌な顔の一つもされただろうし……いやらしい考え方をすれば、それは認めてくれたことの第一歩、と考えても良いのかも知れないのだが。
 だが、なのだ。
「…………」
 それ故に、ハークの答えに悟司は反論を紡げない。
「そういうお前はどうなんだよ。告白とかしたのかよ」
 代わりとばかりに放たれたのは、レムの問い。
 けれどハークはその問いに眉をしかめ、たっぷりの無言を貫いた後。
「……………誰に?」
 そのひと言を、寄越すだけ。
 どうやら本当に思い浮かばなかったらしい。
「晶さんにだよ」
「……誰がどう見たら、ボクが晶ちゃんに告白しようと思うわけ?」
 だが、ため息と共に否定するハークの言葉に、レムと悟司は無言で顔を見合わせるだけだ。
「……………っていうか、何でボクが君たちとこんな話しなきゃいけないんだよ。意味分からない」
 そもそも今日は、晶が冬奈達と遊びに出かけていて、ハークは完全にフリー。
 何とやらの居ぬ間に街に出て、女の子に声でも掛けようと思っていたのに……そんな貴重なひとときを男なんかとの雑談に費やすなど、愚の骨頂だ。
「いや、話に混じってきたの、お前だろ……?」
 射撃の練習していた悟司とそれを眺めていたレムに声を掛けてきたのは、間違いなくハークの側だったはず。
 その流れから逆ギレされても、二人はどうすることも出来はしない。
 そんなハークを放っておいて、レムは明後日の方向に飛んでいった八つ目の空き缶を拾い上げようとして。
「………痛ッ!」
 響くのは少年の声と、ぱち、という乾いた衝撃音。
「どうしたんだ? なんか、凄い音がしたけど……」
 冬場にセーターなどを着ているときによく聞く音だ。しかし、この季節にはなかなか聞かない音のはず……なのだが。
「いや、なんか最近、静電気が酷くてな……」
 思わず引っ込めた右手を振りつつ、レムは苦々しい表情を隠さない。
 空き缶に限らず、ドアノブや金物に触れるたび、同じような状況になるのだ。心構えというか、慣れのような物は出来てきたが、それでも痛いことには変わりない。
「こんなに湿気が高いのに?」
 体質的なものはあるにせよ、普通、静電気は乾燥していないと発生しない。
 これだけ蒸し暑い夏の日に静電気が起きるなど、余程のことだ。
「何なんだろうな……よく分からんけど」
 先日、天候竜に弾き飛ばされそうになった後あたりから酷くなってきた気がする。天候竜に何か吹き付けられたりと、そういった覚えはないのだが……。
「死ぬわけじゃないだろうから、気にしないでくれ」
 原因が分かればともかく、分からないままでは対処のしようがない。
 軽く肩をすくめ、話の打ち切りを宣言するレムに、他の二人も苦笑するしかない。
「なあ、ハーク」
「何?」
「……さっきから気になってたんだけどさ。そのヘアピン、水月さんのだろ? 返さなくて良いの?」
 悟司によって突如変えられた話題に、ハークはふとその存在を思い出す。
「ああ……そういえば」
 男に戻ってから、特に気にすることもなく付けていた鈴蘭のヘアピンは……もともとハークが晶に贈ったものだ。
 悪い魔法が掛かっていないか気になって、葵に調べてもらってはいたが、『少なくとも彼女の害になる魔法は封じられていない』という話だった。途中経過はどうあれ、少なくとも彼がヘアピンに寄せていた懸念は、無くなったことになる。
「安全って言われたし、返しとかないといけないのかなぁ……」
 ハークの指に弾かれた鈴蘭は、嬉しいような、困ったような、穏やかな桜色を灯すだけ。


「悪ぃ、遅くなった。天候竜の資料探し、もう終わっちまったか?」
 図書館にそいつが姿を見せたのは、視線の集中砲火も治まって、さらにしばらく経ってからのことだった。
「や。まだこんなにあるから、好きなところから始めてくれ」
 メガ・ラニカの歴史書に、写真集。果ては地元新聞のファイルまである。文字通り、よりどりみどりだ。
「……つか、何で今更、天候竜なんだ?」
 性別が入れ替わっていた頃の調べ物なら、分からないでもない。
 だが既に天候竜から肝心の魔法薬は取り戻し、性別逆転事件は解決済み。天候竜も、何事もなかったかのように大空を舞っている。
「ちょっと気になることがあんだよ。こないだアイスおごってやっただろ? その分は、手伝え」
「高いアイスだなぁオイ……」
 苦笑しつつ、八朔が取るのはメガ・ラニカの歴史書だ。
 なるべく薄い物を選んだつもりだが、開いた瞬間、その文字の小ささにため息を一つ。
「けど、何かあったの? 大神くんが遅れるなんて、珍しいね」
 大神八朔は魔法科の生徒にしては、際立った個性のない人物だが……普通であるが故に時間も普通に守るタイプだ。そんな彼が大幅に遅刻するのは、どちらかといえば珍しい部類に入る。
「叔母さんの法事の準備で、婆ちゃんに捕まっててさ……。当日は文化祭でいないんだから、そのぶん手伝えって」
「叔母さんって……確か、八朔が生まれた頃に亡くなったんだっけか?」
 確か、八朔の母親の妹に当たる人物だ。
 そして、彼等の担任教師達の親友でもあったと聞いている。
「ああ。十七回忌って聞いたから、ちょうど十六年前……俺の生まれた年だな」
 一般に行われる法要は三回忌あたりまでだが、大神の家はそれなりに歴史のある家だ。おそらく弔う意思を持つ者がいる限り、弔い上げにあたる三十三回忌あたりまでは続けるつもりなのだろう。
「…………十六年前か」
「どした? 難しい顔して」
 八朔の問いに、レイジは彼の云う難しい顔をしたまま手元にあったファイルを指してみせた。
 調べていた地元新聞のバックナンバー。
 記された日付は……ちょうど十六年前。
「百音が見つけてくれたんだけどな。ここ……見てみ」
「天候竜が地上に降りてきて、魔法使いに追い払われた……? ………逆じゃないのか?」
 こちらから干渉しない限り、天候竜の側から何かをしてくることはまずない。
 魔法使いがちょっかいを出して天候竜に襲われた、ならともかく、天候竜がちょっかいを出して魔法使いに追い払われたなど……。
「天候竜から何かしたってぇ事件は、これだけだ。で、こいつぁそれこそ偶然なんだけどよ。こっちが……」
 一枚紙を二つ折りにした、表裏。四ページしかない地元紙の、同じページの対角線上。
 天候竜の記事よりもはるかに大きく扱われているそれは……。
「叔母さんの事故か。……結構事件になってたんだな」
 近くの山に遊びに行って、そのまま行方不明になったと聞いていた。探知系の魔法を尽くして探してもみたが、結局遺体は見つからなかった……とも。
 もともと田舎で、事件の少ない華が丘だ。大都市ならさして珍しくない行方不明も、地方紙であればトップニュースとして十分な価値を持っていたのだろう。
「大神くんの叔母さんって、そんな山を歩くような人だったの?」
「さあ。どっちかって言えば、インドア派だったって聞いてるけど……まあ、何か用でもあったんじゃないのか?」
 なぜ、そんな彼女が山の中にいたのか。
 八朔の祖母はその理由を知らないと言っていた。知っていれば、今と状況は変わっていただろうとも。
「そうか……」
 偶然なのか、それとも必然なのか。
 皆の生まれた年……十六年前に起きた二つの事件をとりあえず心に留め置いて、三人はさらに過去の話題へと調査の手を伸ばしていく。

 
「リリ! 誕生日プレゼント、何が良い?」
 底抜けにハイテンションな男の声に返ってきたのは、愛娘の素っ気ないひと言だった。
「え? もうママに言ったけど」
 瑠璃呉家の居間。大きめのソファーに腰掛けている妻に視線を送れば、穏やかな笑みが返ってくるだけ。
 それが「ちゃんと聞いてるわよー」と同じ意味を持つのは、陸の長年の経験から把握済み。さらに言えばそのあと陸がどれだけ不平不満を口にしようとも、さらりと流されてしまうだろうことも。
「セイルくん、何か食べたいものある?」
「…………美味しい、もの」
「なにおう! ルリの料理は何食っても美味いだろ!」
 仕方なく、玄関から戻ってきた少年に噛み付いてみるものの……。
 セイルは陸の言葉に、無言でこっくりと頷いてみせるだけだ。
「………お、おう。分かれば宜しい」
 あっさりと折れた相手に振り上げた拳を下ろすわけにもいかず、何となく小柄な少年の頭を撫でてみたりするが……陸としては居心地の悪さは否めない。
「い、いよいよリリも十六歳の誕生日だしなー。ぱーっとお祝いするんだからな! 手伝えよ、セイル!」
 やはりその誘いにも、首を縦に。
 無論、少年がこちらをいなすつもりで適当な相づちを打っているわけではないのも、理解はしているのだが………何となく、面白くない。
「それよりセイルくん。何持ってるの?」
 年甲斐もなくぶーたれている陸を放っておいて、リリが気付いたのはセイルが持っている封筒だ。
「………手紙」
 切手代わりの印章に、細かな文様の入った封筒が二通。どちらも地上では見られない造形を持つそれは……。
「メガ・ラニカからか?」
 宛先はルリと、セイル。
 ルリ宛のそれは丁寧な羽根ペンで。
 セイル宛のそれは木炭で荒くその名が記されている。
 無言で開けば、セイルへのそれは魔法の封じられた手紙ではなく、普通に紙に書かれた地上の手紙と同じ様式だった。
「…………文化祭」
 ひととおり流し読み、セイルが呟いたのはたったひと言。
「セイルくんのお婆ちゃん、文化祭に来るの?」
 それでセイルの言いたいことを理解したのだろう。そしてリリの言葉に、セイルもこっくりと頷いてみせる。
「…………大ブランオートが!?」
 セイルの祖母は、メガ・ラニカでも有数のレリックの製作者にして、魔女達を統べる大魔女の地位にある。
 だが、そんな地位を差し引いても……陸やルリとは、無関係な相手というわけではなかった。
「陸さん……」
 さらに。
「何だ……?」
 やはり手紙を斜め読みしていた妻の言葉に……。
「お母様も、来るって」
「………………………………マジか」
 陸は今度こそ、言葉を失うのだった。


 夏の終わり。
 残暑という限りなく嫌な暑さがやってくる時期を迎えても、結界に切り取られたオープンテラスの中は高原の如き涼しさを保ったままだ。
「聞いた、はいり」
 そんな外ならぬ外で暑さを避けながら。葵はストローから唇を離し、傍らでケーキを食べている同僚の名を口にした。
「んー? 天候竜の悪意なら、こないだリセットしたばっかりじゃない。まだ半年は暴れないと思うけど……ポーチの時も、大丈夫だったでしょ?」
「違うわよ」
 氷のたっぷり入ったアイスティーをストローでかき混ぜつつ、葵はため息を一つ。
「なら、ホリックがエピックで移せるようになったって話?」
「それでもなくて」
 先日メガ・ラニカで見いだされた、新しい魔法技法だ。徐々に生徒達の間にも広まっているらしいが、葵が話題にしたかったのはそれでもない。
「文化祭は、さすがに忘れないよ」
「違うってば。………来るらしいわよ、大魔女」
 素なのか、あえてか。
 間違いなく素だろうと勝手に見当を付け、結局自らの口から本題を紡ぎ出す。
「何人?」
「三人。前と同じ面子だって」
「まあ……仕方ないか」
 八月に入った直後に一度。
 その後にも大魔女ほどではないが、高位の魔女たちが幾度となく華が丘を訪れている。
「メガ・ラニカの結界、まだ復旧の目処が立たないんでしょう?」
 ようやく口を開いたのは、二人の間で黙々とモンブランを崩していた小柄な姿。
「ええ。代替案の提示に来るって言ってたけど」
 そう言いながら、葵はローリの口の周りに付いていたクリームを拭ってやる。
「とりあえず、降松あたりまで境界が広がってるのはマズいよねぇ。もう学校でも、気付いてる子達いるんでしょ?」
 それを見たはいりもローリの口元に残ったクリームを拭おうと手を伸ばすが、今度はぴしりと払われた。
 身長的には大人と子供ほどの差があるが、これでも三人は同級生だ。特にはいりとローリの身長差は著しく、そんな彼女に子供扱いされることは……ローリのプライドをいたく傷つけるらしかった。
「みたい。今の所は、みんな自重してるみたいだけど」
 結界崩壊の最初の異変は、境界の拡大だ。
 それは、これから続く大変動の最初の一つにしか過ぎないのだが……。
「こうなったら、ローリちゃんか葵ちゃんが……」
 払われた手に息を吹きかけているはいりの気楽な言葉に、ローリと葵は揃ってため息を一つ。
「この規模じゃ、あんたでないと無理でしょ。それに、もともとこういうのはあのバカ猫の仕事だったじゃない」
「だよねぇ……」
 ちらりと視線を送る先にいるのは、店の中で黙々とカップを磨いている初老のマスターの姿。
「それに……」
 その視線を遮るようにやってきた菫が、小さく呟き、三人の元にお代わりのカップを置いてみせる。
 見回す顔は……。
「…………分かってるよ。ここからでしょ」
 はいり。
「そうよ。この日のために、私たちはここにいるんだから」
 葵。
「おば様にも、寂しい思いさせたしね……」
 ローリ。
「けどこれで、十六年前からの約束……果たせるんだから」
 菫。
「うん。あとひと息、がんばろ。みんなで」
 そして…………。
「………柚の十七回忌……か」

 運命の日は、九月二十八日。


 奇しくもそれは、文化祭の当日。
 そして、リリ・クレリックの誕生日とされる日であった。


続劇

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