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12.明かされた秘密

「美春さん? 美春さーん」
 山の麓に辿り着いても、百音の姿は見当たらなかった。
 暗がりの中だ。いくら長身で目立つとはいえ、明かりも持っていない百音をこちらから見つけるのは、少々骨の折れる仕事だった。
「どこに行ったのかなぁ……」
 悪くなった足元に足を取られ、転んででもいなければ良いのだけれど……そんな事を考えつつ。少しでも目立つようにと、懐中電灯を持った手を派手に動かしながら、悟司はアスファルトの道路を進んでいく。
「美春さんってば、もう大丈夫だって!」
 叫んでもなお、返事はない。
 肝試しはどうでも良かったが、いい加減な所で戻らなければ、百音まではいり達に叱られてしまう。
「美春さんってばー!」
 もう一度名を呼んだところで、足元に転がってきた小さな石のかけらに気が付いた。
「え………?」
 見上げれば、そこにあるのは道の側に張り出した土の壁。
 慌ててその意味を理解し、辺りを見回せば……。
 懐中電灯の小さな明かりに浮かび上がる看板に描かれた文字は『危険 崖崩れ注意』。
「っ!」
 ご、という音が、足元を揺らす。
 その咄嗟の衝撃に、思わず悟司は尻餅をついて。


 百音がゆらゆらと揺れる懐中電灯の明かりを見つけたのは、それとほぼ時を同じくしての事。
「あ、悟司く………」
 呟きかけたその瞬間、身を揺らすのは振動と、己の形を変えようとする、悟司の頭上の山の影。
「悟司くんっ!」
 思考ではなく、反射の動きで走り出す。
 ポケットから半ば無意識に携帯を取り出し、レリックに己の魔力を叩き込んだ。
 ストラップ化されたレリックは、流し込まれた魔力を点火線として周囲のマナを取り込み、己の姿を取り戻す。
「変身っ!」
 レリックの杖を手に、叫んだところで気が付いた。
 車の始動に例えれば、起動時の術者の魔力は車のキー、マナはガソリンに等しい。
(何で……っ!?)
 だが、ここはマナの充満する華が丘ではなく、マナの存在しない降松。いかにキーを捻ろうと、ガソリンがなければ車のエンジンは掛かるはずがない…………のに。
 手の内のレリックは元の姿を取り戻し。
 掛け声と共に生まれたハートの意匠は、くるりと上下を逆さまに、スペードの意匠へと姿を変える。身を包む衣装はいつもの魔女っ子のそれではなく、シルクハットにマントをひるがえす、純白のスーツ姿。
「え………?」
「百音! 魔法じゃ……っ!」
 響き渡るしゃがれ声に、パートナーに迫り来る崖崩れに向けて細いステッキを突き出せば。放たれた衝撃波の渦が、大量の土砂を真っ二つに引き裂いて……。


「きゃーーっ!」
 狼男の叫び声に上がるのは、絹を引き裂く悲鳴ではなく、男の叫び声。
「……いや、そこは逆じゃね?」
 小柄な少女に抱き付き、きゃあきゃあとはしゃいでいる長身の男に、さすがの狼男も苦笑いを隠せない。
 失敗だったかなぁ……と思いつつマスクを取れば、そこには真紀乃の姿がある。
「いいの! 中身はボク、女の子なんだから!」
「まあ、そうだけどよ……」
 一方のセイルはさすが純正の人狼種というべきか、驚いている様子もない。ただ抱き付いてはしゃぐリリの頭を、ぽんぽんと軽く撫でているだけだ。
「それより、ここのお札を持って帰ればいいんでしょ?」
 真紀乃が構えていたのは、ゴールとなる祠の前だった。さすがに神様がいると言われれば祠に変な物を置くのも気が引けて、お札は傍らに積んだ段ボールの上に置いてある。
「ああ……って、怖いフリしてただけなのかよ」
 散々はしゃいで満足したのか、けろりとしているリリに苦笑しつつ。真紀乃は段ボールの上からお札を取り、渡してやる。
「それじゃ、帰ろ。セイルくん」
 だが、肝心のパートナーから返事がない。
 無言なのはいつもの事だが、普段なら頷くなり首を傾げるなり、何らかのリアクションは返ってくるはずなのに。
「セイルくん?」
「あ……うん………」
 もう一度の呼びかけに、珍しく返事を寄越してきたセイルを不思議に思いながら。
 リリは彼女の手を引き、麓のセミナーハウスへと戻って行くのだった。


 ほんのわずかな沈黙の後。
「えっと……私も祐希さんのこと、好きですよ?」
 キースリンから返ってきた言葉に、祐希は苦笑。
「いえ、そういう意味の好きではなくて………ですね」
 多分……いや、間違いなく、二人の間には好きの認識についての誤差がある。
 けれど、その誤差を正すための言葉を、祐希はしっかりと言い直した。
「愛しています、キースリンさん」
 告げられた言葉を、少女は一瞬、理解できなかった。
 メガ・ラニカの母国語は日本語だ。もちろん、祐希の告げた言葉そのものは理解できる。
 だが……。
「あの……祐希さん?」
 困惑の感情と共に呼ばれた名に、少女は穏やかに返事を戻す。
「えっと……ご存じだと思いますが……。私、男ですよ?」
「ええ。知ってますよ」
 それは今までの数ヶ月で、しっかりと認識済みだ。
 いや、正確には、少しだけ違う。
 彼女が男だったからこそ。その秘密を知ってしまった祐希は、二人の間に生まれた秘密を守るため、パートナーになったのだから。
「それに……今は女の子ですけど、薬が出来たら、戻っちゃうんですよ?」
 戻らない方が楽だろうと思った事も、なかったわけではない。
 けれど、やはりキースリンは男なのだ。ゆくゆくはハルモニア家を継ぐ身という自覚もあるし、ロベルタからもらった薬で一時的に女の体になるのと今の状況では、わけが違う。
「分かってます」
 だが、その言葉にも、祐希は穏やかに頷いてみせる。
「え、え……ええ………?」
 キースリンも貴族の令嬢として暮らしてきたから、告白された事は初めてではない。祐希よりも情熱的な告白を受けたり、ペンダントより豪華な贈り物を受けた事も、ある。
 だが、それはハルモニア家令嬢としてのキースリンに送られたもので、男としてのキースリンに送られたものではなかった。ゆえにそれらの申し出は、キースリンも全て断ってきたのだが……。
「僕は男のあなただとか、女のあなただとかじゃなくて……キースリン・ハルモニアさんが、好きなんです」
 祐希の告白は、彼女が今までに受けた告白とは、何もかもが違っていた。
 キースリンをキースリンとして。
 好きだと言ってくれる彼の言葉に、彼女は……。


 土砂の波を切り裂いたのは、百音の魔法の衝撃波。
「え……? なんで、魔法が……?」
 ここはセミナーハウスを山一つ越えただけ。華が丘の側に近くはあるものの、あくまでも降松だ。
 マナはなく、したがって魔法も使えないはずなのに……。
「………ハルモニィ……?」
 腕の中に抱きしめていた小柄な影は、いまだショックが抜けきらないのだろう。こちらを呆然と見上げ、そんな名前を紡ぐだけ。
「ああ。僕の名前は……」
 今の格好は、明らかにハルモニィではない。ハルモニィと名乗るのは不自然だし、どう名乗って誤魔化すべきか。
 そう思った瞬間、まとっていたマントが闇に溶け、白いスーツもその色を失っていく。
「え……ちょっと………!?」
 まだ解除の魔法は唱えていない。だからといって、今の悟司を置いていくわけにもいかなかった。
 そもそも逃げようにも、装備の解除される時間が短すぎる!
「美春………さん?」
 悟司の小さな体を抱くのは、先ほどまでいたシルクハットの怪青年ではなく……悟司自身の、パートナー。
 美春百音。
「馬鹿もんっ! 周囲のマナの密度くらい、常に把握しておれ!」
 呆然とする互いのもとに降り注いだのは、しわがれた男の声だった。
「メレンゲ! なんでこんな所に!? 来れないって言ってたんじゃ……」
 手の平の上に舞い降りた魔法生物に、百音は思わず声を上げる。
 強い魔法の加護を受けた生物は、マナの密度の薄い場所ではそう長くは生きられない。そう言っていたのは、メレンゲ自身ではないか。
「そんな事はどうでも良…………」
 ここまで必死に飛んできたのだろう。苦しげに咳き込めば、風切り羽が数枚、風に散り、闇に溶けていく。
「よくないよ! え……ええっと……っ!?」
 レリックの起動と先ほどの強力な魔法で周囲のマナを大量に使ってしまったせいか、杖はストラップに戻り、魔力を送り込んでも起動する気配がない。携帯は圏内だが、そもそも誰かを呼ぼうにも、ここがどこかが分からなかった。
 せめてもう一度、空だけでも飛べれば……。
「あんたか。大ドルチェんとこの魔女見習いってのは」
 悟司とメレンゲを抱いたまま崩れ落ち、泣きそうな表情の百音に掛かるのは、黒いマントと声だった。
 表情を隠すためだろう。夜中だというのに大きなサングラスを掛けたそいつの声は、百音達とさして変わらぬ少女のもの。
「あなた……は?」
「魔法庁の魔女だよ。そのちっこいのを回収しに来た」
「え……?」
 突然の来訪者に呆然とする百音から小さなフクロウを拾い上げ、サングラスの少女は携帯でどこかへと電話をかけ始める。
「あんたの知ってる人からの頼まれごとなんだとよ。……ロリ近ぁ、このぬいぐるみみてーなのでいいんだよな? なんか崩れかけてっぞ」
 ロリ近。
 その影で囁かれるあだ名は、確かに百音も聞いた覚えのあるものだった。……さすがに当人に面と向かってそう言っている者を見るのは、初めてだったが。
「あたしがコレん中で抱いてりゃいーのか? ……てか、なんでロリ近がコレの事知ってんだよ。……そんな事は後? 携帯で場所は追えてんだな? こっちの場所が筒抜けなんて感じわりーけど、仕方ねーよ」
 ぱたんと携帯を閉じ、話を切る。
「あの野郎か……魔女の事と一緒に、どこまで話しやがったんだ」
 少女がそんな事を呟いていると、辺りを強いハロゲンの輝きが薙ぎ払う。
 やがてアスファルトを蹴り、百音達の傍らで甲高いブレーキ音と共に急停止したそれは……。
「ローリ……先生……」
 教員用の駐車場でひときわ目立つ、巨大な4WDだ。
 もちろんその車の主の顔は、百音もよく知っている。
「そういうこと。てめーらも早く戻らねーと、みんな心配するぞ」
 少女は魔法のフクロウを抱いたまま4WDの助手席に乗り込むと、轟音と共にその場を後にしていった。
「あ……うん………」
 残された百音は、悟司を抱きしめたまま呆然と呟くのみ。


「ごめん、なさい……」
 返ってきたのは、そんな言葉。
「……ダメ、ですか」
 それは、十分に予想出来ていた答え。
 当然だ。祐希は男で、キースリンもまた、男なのだから。
 しかし肩の力を落とす祐希の言葉を、目の前の少女もまた、否定する。
「違うんです! ただ、ちょっとびっくりして……私も、祐希さんのことは好き……なんですが……その……」
 祐希の事は好きだ。
 その感情は、間違いないと断言できる。
 けれどそれが、秘密の共有者としての感謝から来るものなのか。それとも、頼れる委員長、パートナーとしての敬愛から来るものなのか……。
 それとも、祐希のそれと根を同じくするものなのか。
 そう問われれば……。
「ええ。僕もそれで、だいぶ悩みましたから」
「そうなん……ですか?」
 泣きそうになっているキースリンに、祐希は穏やかに苦笑する。
「あなたを友達として好きなのか、家族の一員として好きなのか、そういう想いがあるのか……。分かりませんでした」
 今の女性としてのキースリンを見た事が、決意の引き金になった事は否定しない。
 しかし、同じ男、そして頼れる委員長仲間であるレイジが女の姿になっても、胸を触っても、祐希の胸には何の感慨も浮かんでは来なかった。
「……はい」
「でも、そうじゃなかった。あなただから、こんな気持ちになってしまったんです」
 だが、キースリンは傍らに座っているだけで……胸が苦しくて、その想いを告げたくて、たまらなくなるのだ。それが夏休みよりも前からの話だという事は……。
 彼女が女の姿をしているからではなく、キースリン・ハルモニアだからこそ、その想いがある、ということなのだろう。
「もちろん、僕たちの関係は分かっています。だから、キースリンさんが僕のことを友達としてや、家族として好きだと言ってくれるなら、それでも十分なんです」
 彼女が本当の女性であれば、そして本当の女性だと信じていれば、そういった繋がりも期待してしまったのだろう。
 しかし、彼女は女性ではない。それは最初から分かっていた事で、それを認めてなお、祐希は彼女の傍らにいたいと……そう、願うのだ。
「ただ、僕の気持ちを知っていて欲しかった……わがままなんです、僕の」
 この言葉が、キースリンを悩ませるだろう事は容易に取れる。
 けれどそれが分かっていても、伝えておきたかった。
 例えそれで、彼女が祐希から離れる事があったとしても。
「だから、キースリンさんも答えを探すなら……急がないでください」
「…………いいん、ですか?」
 祐希はそれ以上は、無言。
 言葉を紡ぐことなく、パートナーからの問いに、ただ一度頷いてみせるだけ。
 それはいつもの祐希と何ら変わることない、穏やかなもので……。
「そうだ。このペンダントは……?」
 キースリンの首に掛けられた小さなペンダントは、告白の証として渡されたものなのだろう。気持ちは嬉しいが、答えを保留にしたままで受け取るのは、さすがに祐希に悪い。
「キースリンさんへの、メガ・ラニカのお土産です。色々あって渡すのを忘れていたんですが……一緒に行った友達にお土産を買って帰ってはいけない決まりは、ないですよね?」
 そう言ってくすりと笑う祐希に、少女もようやく穏やかに微笑むのだった。


続劇

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