8.少女たちのドキドキお風呂だいさくせん
夕食が終われば、次に来るのはお風呂の時間。
もともと大人数の研修に使われる建物だけあって、風呂も一度に数十人が入れる大きなものだ。
「なあ、レム」
そんな大浴場。小柄な裸身をさらに小さくして、八朔は隣の少女の名前を呼んだ。
「何だ? 八朔」
対するレムも、どこか元気のない様子。流石に水場ということで、髪の毛を上でまとめているから、根本の痛みはいくらか和らいでいるはずなのに……。
「俺達さ……」
生徒の入浴時間は、それぞれの風呂で二つに分けられていた。
大浴場は男湯と女湯があるから、男と女、ではない。
レム達のように性別逆転してしまった生徒と、キースリンや雪穂など、ごくわずかにいる性別逆転を逃れた生徒達だ。
「女湯に入ってるんだよな……?」
周りを見れば、女性の裸体が落ち着かない様子で歩き回っている。もともと男だけあって、胸元まで隠すという感覚がどうにも希薄らしく、胸元などははだけられたままだ。
「けど、何でこんなに盛り上がんねえんだろ……」
「ああ。つか、気まずいよな……」
本来なら、女湯に堂々と入れるチャンスなどあるはずがない。それを堂々としていて、しかも女性の体を見放題だというのに……全く心がときめかなかった。
むしろ、寝間着や下着で大通りを歩いているような、不安げな落ち着かなささえ感じる有様だ。
「つかさ。正直言えば、俺、お前らのおっぱいだって、触ってみたいとは思ってるんだ」
八朔の告白に、レムは嫌な顔一つするでもなく、むしろ淡々と頷いた。
「……正直に言いやがったな。けど奇遇だな。俺もだ」
「な、なんだとぅ……! 破廉恥じゃぞ、お前ら!」
そんな会話に、隣で湯に浸かっていた良宇が、さすがに大きな声を上げかける。
「なら良宇はどうなんだよ。触ってみたいのか、みたくないのか!」
八朔もレムも、中身は男だ。
女の子の体に興味シンシンのお年頃である。
「男同士なんだから、いいじゃねえか。素直になっちまえよ」
「それはまあ……のぅ」
そんな熱い情熱に、良宇はしばらく唸っていたが……やがて、首を無言で縦に。
「まあレムや良宇なら触られても全然平気なんだけどよ……」
自身の片手で収まるほどの小さな膨らみを下から軽く押し上げて、八朔はぽつりとそうひと言。
「ああ、俺も別に触られても気にしないぜ」
もともと気心の知れた仲だし、性別逆転の心情の分かる間でもある。女の子同士がふざけあって胸を触るという話も、こういう気持ちなのかな……などと、思わないでもない。
「でもさ………。触っても本物の女子じゃなくて、お前のおっぱいなんだよな……」
柔らかだろう胸を触っても、頭の中をよぎるのは男のレムのあの顔だ。さすがの八朔も、男の胸を触って胸を高鳴らせられるほど、餓えているわけではない。
「知らなきゃ多分ドキドキしたんだろうが……なんつーか、お前の胸なんか揉んでも全然嬉しくねぇ」
ため息をひとつ吐き、男湯と女湯を仕切る高い壁を見上げる。
「けど、女子の方は賑やかだな」
今の時間帯なら、男湯には男子の姿になった女子達が入っているはずだ。
「何やっとるんだろうな……」
聞こえる野太い男達の声に、何か薄ら寒いものを感じ……。
三人は、それ以上の思考を中止する。
レムや良宇達が男湯の騒ぎに思いを馳せている頃。
その反対側の湯船にいたのは、体を洗い終えたレイジ達だった。
「祐希ぃ。キースリンさんと入れなくて残念だったな」
「いや、まあ……」
キースリンは性別逆転を免れた女子のグループとして、先に雪穂やはいり達と入っていた。それが彼女にとって良かったのかどうかは別にして、彼女の秘密がばれなかった事だけは良かったと、祐希は思う。
「つかよ。お前、悟司に告白しようとしたってホントなのか?」
だが、その問いには流石に吹いた。
「ちょっ! 誰がそんなこと……!」
吹き上がった飛沫を手の甲で拭いながら、さすがの祐希も声を荒げてみせる。
「違うのか? 聞いた話じゃ、身分違いの恋にヤケになって男色に走ったとかどうとか……」
メガ・ラニカに帰った時、レイジもキースリンの実家に訪れていたが、確かにハルモニア家は桁外れの貴族だった。それにショックを受けて想像だにしない行為に走るのも、まあ分からないではないが……。
「あれ? そうなの? ボクもそう聞いたけど……」
「どこから聞いた話なんですか! 違いますよ!」
全力で否定していると、体を洗い終わってきたハークまでそんな事を言ってくる。
「まあ、別にどっちでもいいけど……そうだ」
「どしたんだ、ハーク」
ばしゃりと湯船の中で立ち上がったハークに、二人は揃って首を傾げた。
「ちょっと胸、揉ませてよ!」
頼み事は、直球だった。
「分かりやすいなお前。……まあ、別に減るもんじゃねえし、気持ちは分かるからいいけどよ」
こんな事、いくら仲が良くなったからと言って、女子に頼めるわけがない。だが、似たような状況の男同士なら、確かに頼みやすくはある。
「……けど、楽しいですか? 男の胸なんか触って」
そう問うた所で、祐希は言葉を止めた。
ハークが胸元に手を伸ばしてきた事に対しても、上の空だ。
「みんな男とか女とか、深く考えすぎだって。これはこれで、おいしいって思わなきゃ。人生損するよ?」
祐希の程良い大きさの胸を優しい指使いで撫でさすりながら、そんな事を呟いているが……喋っている内容はどうでもいいのだろう。ハークの視線は、手の中で形を変える祐希の胸元に注がれている。
「触らせてくれてありがとね。じゃ、ボクは先に出るよ」
ひととおり祐希とレイジの胸の揉み心地を堪能すると、ハークは頭を一つ下げ、さっさとお風呂を出て行った。
「俺ぁあそこまで割り切れねえ……どした、祐希」
その楽しそうな背中を見送った所で、レイジは隣の少女が無言でいるのに気が付く。
「いえ……。男とか女とか、深く考えすぎ……か」
しばらく真剣な表情で何か考えていたようだったが、やがてレイジに向けて顔を上げ。
「レイジくん。僕も少し、胸を触らせてもらってもいいですか?」
真剣な表情のまま呟いたのは、そんなひと言。
「お前、やっぱり……!」
「違いますよ。……違う事を確かめたいんです」
紡ぐ言葉に、洒落や冗談は一分もない。
「……いいぜ。けど、俺に欲情だけはすんなよ?」
一つ頷き、祐希はレイジの胸元にそっと両手を伸ばした。
優しく触れるそれは、レイジの乳房を掬い上げるように包み込み……それだけだ。
無論、レイジとしても男……それも祐希に胸を触れられたところで、気持ちよくも何ともなかった。先ほどのハークのように揉んでくるわけでもなし、感覚としては、医者の触診や健康診断に限りなく近い。
「………ああ、やっぱりドキドキしたりしませんね」
その呟きと共に、押し上げられていたレイジの胸から、束縛が消えた。
「勘弁してくれよ……。お前にドキドキされても、嬉しくも何ともねえ」
ほっとしたような表情の祐希に、胸を揉まれた少女も苦笑を寄越すしかない。
「いえ、ありがとうございます。色々と、覚悟が決まりました」
「何の覚悟だよ!」
レイジのツッコミにも、祐希の表情は晴れやかなままだ。
「葵先生」
呼び止められた声に振り向けば、そこにいたのは見慣れぬ女生徒だった。
「あら、どうしたの? ……マクケロッグくん」
性別逆転した生徒なのは分かるが……一瞬の思考時間を置いて、記憶にあった写真の中からその姿と名前を思い出す。
「ちょっと、見て欲しい物があるんですが……」
そう言って差し出されたのは、鈴蘭の飾りの付いたヘアピンだった。
「これ……確か、水月さんのヘアピンよね?」
確か晶の写真の中で、彼女の髪に付いていた物だったはず。男の子の頭にヘアピンが付いていたから、よく記憶に残っていたのだが……。
「はい。何か、変な魔法が封じられてないかとか……分かりますか?」
「なるほどね……愛されてるわねぇ、水月さん」
くすくすと笑う葵に、ハークは慌てて手を振って。
「そ……そんなんじゃないです! それ、ポーチを売ってた店で、僕が買ってあげた物だから……それにも変な魔法が掛かってて、晶ちゃんに恨まれたらヤだなぁって……」
晶は今回の性別逆転事件で、霊薬の入ったポーチをこちらの世界に持ち込んだ張本人だ。霊薬に関しては事故という結論が出ていたが……確かに他に取り扱っていたアイテムなら、調べてみる意味はあるだろう。
「はいはい。じゃあ、明日までには調べておくから。寝てる間はいいでしょうけど、昼間に付けてないの見られたら言い訳が大変でしょう?」
意外な気遣いに頭を一つ下げると、少女はぱたぱたと部屋へと戻っていった。
それを見届けて。
「ええっと……ここじゃ、蚩尤の魔法は使えないんだっけ……」
そんなことを独りごち。
「向こうの魔法は、見られたら問題かしらねぇ……」
葵もまた教職員の控え室へと帰っていくのだった。
女湯をつんざくのは、少女の悲鳴が一つだけ。
「やかましい!」
だがその悲鳴も、後ろから飛んできた洗面器が直撃する甲高い音と共に沈黙してしまう。
「つかいちいち動きが色っぽいんだよウィル!」
「女性なのだから当然だろう! むしろ、君たちの方が色気がなさ過ぎるんだよ!」
洗面器がぶち当たった後頭部を押えながら、ウィルも即座に復活し、洗面器の飛んできた方向に言葉を投げ返す。
「いや……男が色気があってもなぁ……」
色気があるのは悪いことではないのだが。どうしても、男だった時の姿が脳裏に浮かんでしまうのだ。
いっそその時の記憶を削除できれば、艶っぽい動きを見せるウィルにも胸を高鳴らせる事が出来るのだろうが……。
「あのー」
そんな事を考えていると、浴場の入口から所在なさげな声が飛んできた。
「ああ、何?」
「なんていうか……覗きに来てるんですけど」
入口に立っているのは、男の体になった真紀乃と晶の二人組。
宣言通り、覗きに来ているらしい。
「ああ……まあ、なぁ。見てく?」
「ちょっとお! なにその面白くないリアクション! あたし達、女湯を覗きに来てるんだけど!」
「そこまで堂々とした覗きも珍しいけどな……」
セミナーハウスが貸し切りなのを良いことに、女湯の入口から堂々と入ってきたらしい。もはや覗きというより、ただの乱入だった。
「つか、こっちも裸だぜ!? 悲鳴を上げるの、ウィルだけかよ!」
しかも覗きには覗きと、二人とも全裸である。
もちろん股間にタオルを巻くような女々しい真似をするはずもない。堂々と仁王立ちである。
「………別に見慣れてるし。悲鳴って言われてもなぁ」
だが、股間から下がるブラブラも、男達にとってはおなじみの物体だ。巨大であれば驚きもしただろうが、どちらにしても悲鳴を上げるようなものではなかった。
「てか、もっとこう、お互いのおっぱい触りあったり、覗きに来たあたしらに洗面器投げ付けたり、女の子になれた役得を満喫する気とかないの!? バカじゃない?」
「覗きに来た挙げ句に逆ギレかよ!」
「○○○ーは!」
「バカ女の子がそんなこと堂々と言うんじゃありません!」
言いたい放題に暴言を吐いておいて、しょぼくれたようにため息をひとつ。
「つまんなぁい……ねえ、ハーちゃんは?」
「ハークくんなら、もう出ましたよ」
先ほどまで一緒に浸かっていた祐希の答えに、晶はトドメを刺されたのか、がっくりと肩を落とす。
「……ちぇ。帰ろうか、真紀乃」
せめてハークがいれば、悲鳴を上げさせるなり抱き付くなりしてオモチャに出来たのだろうが……さすがに他の男子に抱き付いてイタズラをするほど、晶も見境なしではない。
「だな。レミィももう出たみたいだし……。向こうで見せ合いっこしてたほうが楽しかったな」
どうやら髪を乾かすのに時間が掛かりそうだと、レムも既に風呂を後にしていた。二人としては、当てが外れたどころの騒ぎではない。
「いや、お前ら何やってんだよ……」
「秘密ー。悔しかったら、覗きに来てみれば? 歓迎するわよ?」
べぇ、っと舌をひとつ出し、晶は脱衣所へ戻っていく。
「…………それもちょっと、なぁ」
覗きたい好奇心は、ないでもない。
だが、女の子の間に良くあるノリでむくつけき男どもがじゃれあっている姿を想像するのは……純正品の男達には、少しばかり荷が重すぎる行為なのであった。
続劇
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