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2.入れ替わりの、帰還

 普通科棟二階、女子更衣室。
 登校日でもない夏休みの真っ只中。本来なら誰もいないはずのそこに、今は二人の生徒の姿があった。
 一人は女子。
 そしてもう一人は……あろうことか、少年の姿だった。
「じゃあ、好きっていうあの話は……?」
 少年はそんな事を呟きながら、淡いレースの付いた服をそっと脱いでいく。夏休みは限りなく無人になる普通科棟、それもさらに人の来る可能性の少ない二階だからこそ出来る事だが……。
 さすがに場所柄を考えているのだろう。少年はおとおどと上着を脱ぎ、次にスカートのホックをぱちりと外す。
「森永から振られたんだって。びっくりしたのはこっちだよ」
 部屋を同じくする少女も、やはり服を脱ぐ最中だ。少女のサイズからは明らかにオーバーサイズのそれをもそもそと脱ぎ、足元に置いていく。
「森永くん、キースリンさんが好きなんだとばかり思ってたんだけど……そっちの趣味があったのかなぁ?」
 さすがに女子更衣室で着替えることには抵抗があるのか。女物の服を脱ぎ捨て、女性ものの下着姿になった少年は、自らの体を隠すようにその場にうずくまってみせる。
「あんまり信じたくないけどさ……下着はとりあえず、いいんだよね?」
 少女の側もようやく服を脱ぎ追えたらしい。男物のトランクスだけの姿で、残った服を少年の側へそっと寄せてみせる。
「うぅ、恥ずかしいよぅ……」
 先ほどまで少女の着ていた大きめの服は、軽く胸元に当ててみるだけでも少年の大きさに丁度良いように見えた。
 そこでまだブラを付けたままだったことに気付き、落ち着かなさげに背中のホックを外しに掛かる。
「僕だって同じだよ……でも、僕はさっきの格好のままでもいいけど……美春さんは……」
「そうなんだけどさ」
 そう。
 性別逆転が起こったとき、女子にだけ起きた問題があった。
 服装、である。
 パンツスタイルならまだ良かった。もちろん見る者が見れば男がレディースを履いている事に気付くだろうが、家に帰るまでの僅かな距離なら、誤魔化しきる事も出来るだろう。
 だが、スカートはそうはいかない。
 帝都の大通りならともかく、田舎の華が丘に男がスカートを穿くというファッションは異質すぎた。いかな事情があれ、そんな格好をしているといやがおうにも目立ってしまうのだ。
「…………ええっと。これ、前後ろってあるの……?」
 さらに言えば、幸か不幸か百音と悟司の体格は、入れ替わる前とほぼ同じ程度に逆転していた。
 即ち、百音のスカートが悟司に丁度良く、悟司のジーンズが百音に程良い大きさだったのだ。
「ちょっと待ってて」
 百音は手早く上だけ着ると、スカートの穿き方に悪戦苦闘している悟司の前に膝を着いた。
「ねえ、悟司くん……そういうのは……」
 腰の位置を整えてホックを留めれば完成なのだが……まあ、スカートの穿き方に慣れているよりはいいか、と思いつつ立ち上がる。
「ないない。ノーマルだって」
 慌てて否定し、所在なさげにシャツを羽織る悟司。
「悟司くん。やっぱり、ブラ付けたほうが良いよ……」
 真夏だから、百音もそれほど厚着にしているわけではない。普段はそれで何の問題もないのだが……今日ばかりはもう一枚くらい重ね着しておいても良かったと、悔いるばかりだ。
「ノーマル………なんだけどなぁ……」
 そんな悟司だから、ブラの付け方など分かるはずがない。
 必然、百音に付けてもらうことになるのだが……。
「そっか……」
 抱きかかえられるような格好で背中のホックを留めてもらい、そのまま胸を覆うパットの位置も直してもらう。
「じゃあ……さ」
 もう一度、ストラップの位置を調整してもらいながら……。
「今、好きな人って……いるの?」
 百音は悟司を抱きかかえたまま。
 彼女の耳元で、そう問いかけた。


 その姿を見た瞬間、男は持っていた鞄を取り落としていた。
「………ルーナ!? お前、いつ帰って……」
 目の前にいるのは、白い髪を腰まで伸ばした小柄な少女。
 それは、男の記憶にある十六年前の彼女の姿と寸分変わりのない物で……。
「……ちがう」
 その途切れ途切れの否定の言葉に、男はその少女が記憶にある娘とは別人であることを理解する。
 記憶の娘は、もっとさばさばした物の喋り方をしていた。むしろこの喋り方は、彼女の伴侶となった青年の……。
「違うの、パパ」
 だがそんなシリアスな思考も、ルーナもどきの傍らに立つ少年のひとことであっさりと吹き飛んだ。
「パパぁ? 俺ぁお前みたいなヤツからお父さんなんて呼ばれる覚えはないぞっ!」
 背丈は男と同じくらいだろう。しかも八月のこの暑い中、ぴちぴちのシャツの上から冬物のコートを羽織っている。
 正直、このまま警察に通報する手もアリだと思ったほどだ。
「いや、あたしリリだってば……。さっきママには電話で説明したんだけど……まだ帰ってない?」
 さらに追加されたひとことは、男をキレさせるのに十分過ぎる威力を持っていた。
「リリだとぅ!? ウチの可愛い可愛いリリがお前みたいな変な格好した小僧なわけないだろう! それにルリをママって呼んで良いのは、リリと海だけだ!」
 普段なら笑い話で済ませられるのろけトークも、外野席に立たされて聞かされるのはとんでもなく厄介でめんどくさいものだと、リリは生まれて初めて知った。
「……どうやって説明しようか、セイルくん」
 だが、問われたセイルが考えていたのは、もっと別のこと。
(………帰って?)
 お前、いつ帰って。
 確かにリリの父は、セイルをルーナと間違えてそう言った。
 彼女は死んだと聞かされていたが……死んだ相手に帰ってきたなど、言うはずがない……。
 ならば……?


「もぅ……悟司くんのバカ!」
 男物の服を着て、百音は大股で家路を急いでいた。
 結局、その場で悟司からの回答はもらえなかったのだ。ただ気まずい沈黙を残したまま、二人は更衣室を後にし、互いの家……百音は夏休みの間、華が丘の実家に戻っている……へと別れている。
「………悟司くん、か」
 もう一度その名を、口の中で転がしてみた。
 悟司のジーンズに包まれた足が自然と止まり、ぼぅっと頬が熱くなるのが分かる。
「やだ、もぅ……」
 よく考えれば、着ているのは悟司の服だ。さっぱりとしたシャツからは、ほんのり彼の匂いがする……とまではいかないが、何となく気恥ずかしくなった百音は、再び速めの足取りで歩き出す。
 そんな速さだから、家に着くまではあっという間だ。
「ただいま!」
「お帰りなさい、百音。大変だったわねぇ」
 当然ながら、既に家には連絡を入れてある。迎えてくれた母親は、入ってきた百音の姿にもさして動じることはなかったが……。
「どうしたの? にーには」
 居間に入れば、部屋の隅で真っ白になっている少年の姿があった。
「何かショックで固まってるみたい。百音の話をしたらずっとなのよ。もうちょっとしたら戻ると思うけど……」
 いま百音が悟司の服を着ていることを知ったら、果たして兄はどう思うだろうか。
 何となくそんな事を考えながら。とりあえず荷物を置こうと部屋に戻ろうとしたところで、呼び止める声が一つ。
「そうだ。あなたがメガ・ラニカに帰ったすぐ後に、お母さまが来てね。あなたへの手紙を預かってるのよ」
「ばーばから?」
 差し出された手紙を受け取ってみれば、その裏にあるのは彼女の所属する流派の刻印だった。私的な手紙ではなく、流派の長としての手紙という事なのだろう。
 それを胸ポケットに押し込むと、百音は今度こそ自分の部屋へと歩き出した。


「百音さんの鈍感……」
 いまだに着慣れない女物の服でぎこちなく歩きながら、悟司は小さくため息を吐いた。
 更衣室で百音に抱きしめられたとき、どきりとしたのは否定しない。ただそれが、本来の彼自身の気持ちなのか、それとも女性化に伴う心境の変化で芽生えた感情なのかが分からなかっただけで……。
「…………百音さん、か」
 もう一度その名を、口の中で転がしてみた。
 そう呼べれば、こちらの想いも気付いてくれるのだろうか。
 少しは距離も縮まるのだろうか。
「………いや、馬鹿なのは俺だな」
 呟き、ほぅと肩を落とす。
 心の内にあるのは、百音の笑顔。
 そして、凜と背を伸ばすハルモニィの姿。
 かたや大事なパートナー。
 かたや数度助けてもらっただけの、面識もろくにない正義の味方。
 無意識ながらも二人を天秤に掛けている自分に、嫌気がさしてくる。この頼りない気持ちは、女性の身体になったからでも、女物の服を着ているからでも、ましてや百音の服を着ているからでもないはずだ。
「………っ!」
 百音の服を、着ている。
 そう意識すれば、頬がかっと熱を帯びるのが分かった。
 普通なら変態と罵られてもおかしくない状況だ。それが……。
「お、落ち着け俺、静まれ……素数を数えるんだ……」
 頭の中で素数を数えつつ。鎮めるべきものがない事にようやく思い当たって、少女の姿をした少年は再びため息を一つ。
「ただい……」
 力なく玄関を開いたところで……。
「悟司! お帰り!」
 迎えてくれたのは、元気いっぱいのそんな声だった。
「姉ちゃん!? いつ帰って……っていうか、なんで俺って分かって……!」
 悟司が姉と呼んだ女性は、先ほどカフェにいた、唯という娘。
「さっきライスで聞いたわよ! なんか、女の子になっちゃったんだって? ちょっと見せてみなさいよ!」
 その瞳の輝きは、祐希を見る彼女の母親と全く同じ質を帯びていた。いわゆる、とびきりのオモチャを見つけた子供の瞳だ。
「いや、ちょ……!」
 助けてくれ。
 そんな悟司の悲痛な叫びは、家族の誰にも届くことはなかった。


続劇

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