14.ローゼリオンの伝説
メガ・ラニカのリリックは、特定の法則で並べられた魔術言語でマナを制御する技法だ。
大陸にあまねく存在する精霊がその内にマナを取り込めば、物理法則に従った自然現象となるが……。魔術言語で構築された『魔法』がマナを取り込めば、そこから生まれる力はそこで定義された法則に従う、超常の力となる。
魔法は技術。
特定の機構に特定の操作を行えば、それに応じた効果が発生する。
それは、地上世界で車を運転する事に等しい。
「わぁぁぁあぁぁぁっ!」
故に素質さえあれば、例え子供が唱えた魔術言語でも、魔法現象としてこの世に力を顕現させる事がある。
子供でも、エンジンの掛かった車のアクセルを踏みこめば、動かすことが出来るのと同じように。
「あぁあああぁぁぁあぁぁぁぁあっ!」
ぼんやりとした世界に響き渡るのは、泣き叫ぶ声。
周囲に走るのは、不完全に構築された魔法の放った力の残滓。
倒れているのは、小さな子供。
流れ出すのは、赤い血だ。
泣き声は止まることなく、むしろ混乱と恐怖にその勢いを加速させる。
そして赤い血も止まることなく、少女の混乱に拍車を掛けるだけ。
ぼんやりとした世界の中。
倒れている子供の表情だけが、はっきりと認識できた。
その顔は……。
○
「きゃあああああああああああああああああああっ!」
広い部屋を揺らす叫びが自分自身の悲鳴だと気付いたのは、ベッドから飛び起きて、しばらく経ってからのことだった。
「夢………?」
体中に、嫌な汗が浮いている。
泣き叫ぶ自分。
手綱を取ることも出来ず、本質のままに暴れる魔法。
そして、倒れているのは……確かに、彼女の兄だった。
「嫌な夢、見たなぁ……」
昨日の紫音との模擬戦のせいだろうか。華が丘に戻ってからは、この夢を見ることはなくなっていたのだが……。
試験に合格できなければ、華が丘とはお別れだ。
そのプレッシャーが久しぶりに嫌な夢を見せたらしい。
「まだ……みんなと別れたく、ないのに……」
ともかく、濡れた体が気持ち悪い。
ベッドから出て、寝間着を着替えようとしたところで廊下に響くのは、ばたばたというやや重い足音だ。
「美春さん! 大丈夫っ!?」
そしてすぐに連なる、ノックの音。
「あ、うん……大丈夫、だよ………」
パジャマを脱ぎかけたところで掛けられた声に、百音は思わずその身を凍らせる。
「ホントに大丈夫? 入っていい?」
「や、ちょっと! ダメ! いま入っちゃダメだからね!」
今入ってきたら絶交だからね!
悲鳴に近い声でそう叫び、少女はこのまま着替えるべきか、一度着直すべきか、逡巡を始めるのだった。
働かざる者、食うべからず。
ブランオート家の一日は、朝食の確保から始まる。
本来なら大きな獲物を捕まえて、数日をそれで食いつなぐのが定石なのだが。昨日の急な狩りでは、そこまで大きな獲物を見つけることは出来なかったのだ。
朝食もそこまで腰を据えての狩りにはならないから、手軽に手に入る野草や果実……メガ・ラニカの北方の森では、冬期でも実る果実は珍しくない……が中心になる。
はずなのだが。
「…………」
セイルの目の前にあるのは、セイルの身よりも大きな二つの物体だ。
ひと晩で積もった雪の中。折り重なるようにして、そこにある。
「…………落とし物?」
「いや、人はモノじゃないと思う」
首を傾げるセイルに、リリはコートの襟を寄せたままで苦笑。
「じゃなくって、行き倒れだよこれ! 助けないと!」
ノリツッコミをしている場合ではない。リリはぼうっとしたままのセイルを横に、倒れている夏服の二人組に慌てて駆け寄った。
昨日の晩は大ブランオートが帰ってきたおかげで遭難せずに済んだが……一歩間違えれば、彼女も同じ目に遭っていたはずだ。他人事ではない。
「うぅ……」
幸いなことに、まだ息がある。
夏服を着ているから、地元の者ではないだろう。リリと同じように、冬支度に気付かず迷い込んでしまった旅行者と言ったところか。
「ってこれ、真紀乃ちゃんとソーアくん!? セイルくん!」
表に返してみれば、そのうっかりな旅行者は見知った顔だった。
「…………あさごはん?」
「どこをどうやったらそういう考えが出てくるかなぁ君は!」
パートナーの呟きに速攻でツッコミを入れておいて。
リリは行き倒れた二人を、慌てて屋敷に運び始める。
窓から差し込むのは、すがすがしい朝の光。
メガ・ラニカの朝日も、徹夜して迎えると黄色いのだな……と、八朔は妙なところで感心してしまう。
「あったか、良宇……?」
初代ローゼリオンの手記を探す作業は、少年達によって夜を徹して行われていた。
捜索した書庫も既に三部屋目。これでもまだ氷山の一角でしかないというのだから、旧家恐るべしといったところだろう。
「ないな……。こんなモノならあったが……」
良宇が引っ張り出してきたのは、彼が着られるほどに巨大な全身鎧。
保全の魔法でも付与されているのか新品同様のものだったが、片腕が二の腕の所からまるまる欠けていた。そこまで製作したところで、メガ・ラニカで重甲冑は役に立たないと気付きでもしたのだろうか。
「ほっとけよそんなもん……」
フルプレートを元に戻す良宇を横目に、荷物を漁っていれば……。
「……何でこれがこんな所に……」
書庫だというのに、出てきたのはなぜか真っ青な騎士服だった。
ご丁寧にも、内ポケットには目元を覆う仮面まで仕込まれている。
ローゼリオン家の誰かが、以前にも誰かさんと似たようなことをしていたのだろうか。
血は争えないなと思いつつ、八朔はそれを元の場所へと片付ける。
「隣の部屋にでも行ってみるかな……」
この部屋にある未調査の本棚は、ウィルがあらためているものだけだ。ここは先行して次の部屋を確かめた方が、効率的だろう。
「ウィルー。俺、隣の部屋に行ってるわ」
呟いて立ち上がると、目の前にはいつの間にか黒髪の少年が立っていた。
「案内するよ」
「いや、隣の部屋だし、別にいいよ」
別の階や距離があるなら迷う可能性もあるが、隣の部屋なら迷いようもない。
「隣の部屋は、何もないから…………次の書庫に、案内する」
「……じゃ、じゃあ、頼もうかな」
ハロルドの有無を言わせぬ迫力に、八朔はそう言って頷くしかなかった。
「レイジ、ハロルド、ちょっと来てくれないか?」
そんな調査とも荷物あさりとも知れない事をしていると、最後の本棚を調べていたウィルが珍しく大きな声を上げる。
「なんだ……?」
レイジはウィルから和綴じの冊子を受け取ると、ぱらぱらとめくり始めた。
「なあ、二人とも。このへんとか、どうよ」
「間違いなさそうだね……。お爺さまから伝え聞いた話にも、一致するよ」
ウィルの言葉にハロルドも無言で頷いている。
どうやら、当たりらしい。
「……アヴァロンの姫様の話は載ってるのか?」
冒険譚の後編で八朔達が一番気になっていたのは、当然ながら前回の続きだ。怪物達に囲まれたアヴァロンの城、その最奥で助けを求めていた麗しの姫君は一体どうなったのか。
「まあ待てよ。……あった。『陥落したアヴァロンから危機一髪で姫君を救い出した勇者ホリンと黒猫の魔術師、そして我の三人は、大異変の元凶となったであろう偉大なる竜の脅威に立ち向かう事となった』」
「アヴァロン、陥落したのか……」
だが、どうやら姫君は無事に脱出でき、別行動を取っていた魔術師も勇者達に合流できたらしい。残念ながらご都合主義全開のベストエンドではなかったが、少なくともバッドエンドではないだろう。
良宇と八朔が最悪の事態に至らなかったことにほっと胸をなで下ろしている間にも、レイジはその手記を読み進めている。
「……偉大なる竜……………天候竜……だと?」
その手が、止まった。
「はぁ? 天候竜なんて、別に何もしねえだろ」
魔法都市で暮らす者にとっては、天候竜など空飛ぶ天気予報程度の認識でしかない。だからこそ、数十メートルの巨躯を誇る異形でありながら、華が丘の住民とも共存できているのだ。
「まあ待てよ。……ウィル、ハロルド。これ、俺の読み間違いか?」
「……いや、間違いないと思う」
ローゼリオンの手記は派手な修飾表現こそ多用されていたが、文字そのものは綺麗で、丁寧な字が描かれている。
ハロルドも頷いているから、レイジの読み間違いではないのだろう。
「その天候竜……凶暴化して、人を食ったらしい」
天候竜は本来、大気中のマナを吸収して過ごす存在だ。極端に高いマナ濃度を持つ魔法生物なら食べることもあり得るが、人間のマナ濃度がそこまで高まる事は、普通ない。
手記の中でも、初めての事態だと書かれている。
だからこそ、ウィル達にも確認を求めたのだが……。
彼らの父祖の言葉に従うならば、そのあり得ない事態は、本当に起こったことらしい。
目の前に広がるのは、メガラニウスの大通り。
「うわぁ……すごいねぇ……!」
王都でも一番の繁華街。それは即ち、メガ・ラニカ全土で最大の繁華街ということになる。
ファファの地元や華が丘の商店街とは桁が違う。
「すごいって、あんたメガ・ラニカの人でしょ……ファファ」
対する冬奈も驚いてはいたが、パートナーよりも少しだけ冷静だった。珍しい魔法のアイテムはそれなりに華が丘でも見ているし、人通りの多さも帝都のそれを見慣れていたから、そこまででもない。
「でも、王都ってあんまり来たこと無いんだもの……」
「そっか……じゃあ、まずどこ行こうか」
胸元あたりの高さにある少女の頭を軽く抱き寄せると、冬奈は優しい声でそう問うた。人混みには慣れているが、ファファとこうした大きな街で買い物をするのは初めてなのだ。
彼女だって、楽しみでないはずがない。
「華が丘に戻ったら、すぐに臨海学校なんだよね……?」
パートナーにそう言われ、冬奈もその事を思い出す。
華が丘に帰ったら、一日のインターバルを挟んですぐに臨海学校だ。八月の前半にここまでスケジュールを詰め込まなくても良いのではないかと思うが、渡航許可の出た指定日がこの日になってしまったというのだから、学校側ばかりが悪いわけでもないのだろう。
スケジュールの詰め込みを嫌がってメガ・ラニカへの渡航を取りやめた者もクラスに何人かいたが、その気持ちも分からないではない。
「水着、どこかに売ってないかなぁ……? 冬奈ちゃんも、まだ買いに行ってないよね?」
臨海学校で持ってくるよう言われていた水着は特に指定はなかったはず。いくらなんでも授業で使う指定の水着では、華がない。
だが、その問いに対する答えは、いつまで経っても返ってこない。
「冬奈ちゃん?」
「ああ、ごめん。何だっけ?」
「大丈夫? おうちでゆっくりしてた方が、良かった?」
王都へは竜籠ではなく飛竜を使ったが、今度は冬奈も乗り物酔いをしていないようだった。朝も特に変わったところがあるわけではなく、裏の森でランドとの稽古もちゃんとこなしていたようだったが……。
「あたしが丈夫なの、知ってるでしょ? で、なんだっけ……水着?」
「うん。王都なら小さな海も近いから、どこかに売ってないかなぁって思って……」
小さな海はメガ・ラニカの数少ない水産資源の源であると共に、最大の水場として大陸有数の保養地という顔も持っている。もちろん水場のない地方では水着の需要などあるわけがないから、保養客の大部分は王都で水着を揃えていく事が多い。
「そうね。じゃ、まずはそのあたりから探してみましょっか」
そして、二人は仲良く街を歩き出す。
目の前に広がるのは、メガラニウスの大通り。
「晶ちゃん……」
王都でも一番の繁華街。それは即ち、メガ・ラニカ全土で最大の繁華街ということになる。
「なに?」
「普通、観光って言ったらまずは定番コースからじゃない……?」
光ある所にはまた影がある。
彼女たちが向かったのは大通りそのものではなく、その二つばかり隣の路地だった。
「普通に回っても面白くないでしょ。せっかくだから、あたしはこの赤の扉を選ぶわよ」
並ぶ店舗は表通りのように華やかで煌びやかなものは無く、地面に敷いたシートに無造作に商品を並べているような、怪しげな露天商や屋台がほとんどだ。
「何なんだよ、赤の扉って……」
そういえば晶のお気に入りのゲームにそんな台詞があったな……などとぼんやりと思い出しつつ、どうでも良いことだったので速攻で考えないことにした。
呟いたときには既に晶は露店の一角へ。
「それより見てよ。このポーチ、魔法で中が大きくなってて、何でも入るんだって! 凄いって思わない?」
「はいはい……」
メガ・ラニカの旅行者御用達のアイテムだ。ただ、確かに便利なのだが……怪しいモノを掴まされると前に以前の使用者の変な道具が入れっぱなしになっていたり、途中で効果が消滅したり、中に入っていた物がいつの間にかどこかにいってしまったり、などという事がある。
もちろんそういった品の見極めも、この裏通りでの買い物の醍醐味ではあるのだが……。
「あ、このヘアピンもかわいいっ!」
女の子とのデートのハズなのに、なんでこんなにテンションが上がらないんだろう。
ハークはため息を一つつき、ハークの分までテンションを上げている晶を追い掛けて走り出す。
ローゼリオン邸の門の前。レイジと良宇は荷物を提げて、彼の館を後にするところだった。
「何から何まで、ありがとうな。ウィル」
エドワードの話に、夜を徹しての大捜索。そして得られたのは、レイジが予想していた以上の成果。
ローゼリオン家には、どれだけ礼を伝えても伝えきれないだろう。
「なに。お爺さまも手記が見つかって喜んでいたし、むしろこちらが礼を言うべきだよ。ありがとう」
エドワードは、残り五十二編の父祖の手記が見つかったことを大層喜んでくれていた。今頃は薔薇園の東屋で、良宇の土産の地上のお茶を楽しみながら、ゆっくりそれを紐解いているはずだ。
「お前らも、良かったら一緒にどうだ?」
レイジ達がこれから向かうのは、王都の反対側にあるというハルモニア家の邸宅だ。キースリンからは少しくらい増えても構わないと言われていたし……何より大貴族の邸宅に二人だけでお邪魔するのは、いかに肝の据わったレイジといえども少しばかり気が引けた。
「私は少し、準備したいことがあるから。キースリンさんと委員長によろしく言っておいてくれると嬉しいね」
おそらく、エドワードの言っていた『試練』という言葉に関係があるのだろう。貴族の作法にも通じるウィルがいてくれれば心強いのは間違いないが、無理を頼んでばかりもいられない。
「八朔くん、君は行ってきてもいいんだよ?」
「勘弁してくれよ。……ここまで納豆ご飯ばっかり食わされて、肝心な所は付き合わせないとかナシだぜ?」
ローゼリオン家の食卓は、紅茶を除いて空前の和食ブームだとかで、食卓には必ずと言っていいほど白ご飯と手作り納豆が供されていた。八朔にとっては地獄だったようだが、もともと納豆が平気なレイジや良宇にとっては何の問題もない。
強いて言えば、食卓が華が丘の維志堂家とほとんど変わりなく、目新しさが無かった程度だ。
「そうか……そう、だね」
ならば、ハルモニア家に向かうのはレイジと良宇の二人。ウィル達と再び顔を合わせるのは、最終日の集合地での事になる。
「じゃ、また最終日にな!」
「ああ! 二人も、良い旅を!」
裏通りを抜け、大通りへ。
「うー」
綺麗に飾り付けられた街並みを眺めながら、晶が唸りを止めることはない。
「何? まださっきのヘアピン、気にしてるの?」
最初に目にした露店での事だろう。即断即決が信条の晶にしては、珍しいことだ。
「だって、このポーチ買ってあんまりお金残ってなかったし……他にも見て回りたい所、たくさんあるんだよ?」
メガ・ラニカの物価は基本的に安いが、それは大量に生産されている日用品の話であって、貴重品の類はむしろ高い傾向にある。それが高度な魔法を使って作られた特殊なアイテムならば、なおさらだ。
本来なら今彼女が持っている魔法のポーチも、彼女の手持ちで買えるようなアイテムではないのである。
「決めた! ひととおり回って、お金が残ってたらあのヘアピン買ってくる!」
要するに、もう一週は決定ということだ。
「あ、晶ちゃんだ! おーい! 晶ちゃーん!」
その言葉に振り向けば、大通りの向こうにいるのは見慣れた顔。
「あれ、ファファじゃない! ってことは……」
彼女が抱き付いている腕を辿れば良いだけだ。
探すまでもない。
「どしたの。晶、西に行くって言ってたじゃない」
「冬奈こそ、ファファの実家って東なんでしょ?」
どうやら、どちらもやる事は似たようなものだったらしい。
「いいじゃない。せっかく会えたんだし、みんなで見て回ろうよ! ね?」
「まあ………それもそうね」
ここで会えたのも何かの縁だ。ファファも喜んでいるし、ハークの言っていることも間違ってはいない。
「っていうか、なんでそこだけテンション高いのよ。ハークくん」
ただ晶としては、ハークの言葉という所が引っかかるだけだ。
「じゃ、どこ行こうか……」
どちらも街はひととおり巡ったところらしい。ならば、次に行って面白そうな目新しいところは……。
「あれ……? ねえ、あれ」
ふと。
ファファの言葉に通りの向こうを見遣れば、そこにいるのは……。
「ローゼリオンくん……?」
ウィルだった。だが、いつもの銀色に輝く長い髪ではなく、何故かその髪は漆黒だ。
「………イメチェンしたのかな?」
「それに、何であんなにコソコソしてるんだろ?」
ウィルは周りの流行になど容易く流されず、堂々と自分の決めた道を歩くタイプだ。その彼がイメチェンともなれば、相当な理由があるに違いない。
いつもと違う雰囲気にも由来しているのかもしれないが……。
「これは……調べてみる価値、あるわよね?」
晶の言葉に、反対の意見はない。
次に行って面白そうな目新しいところは……こうして決定した。
続劇
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