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26.そして、夏が来る!

 期末テストが終わって、数日が過ぎた。
 鷺原家の庭。満月を背に木の枝にとまっているのは、手の平に乗るほどの小さなフクロウだ。
「ふむ。赤点はなかったか……それは、フラン様もお喜びになろうて」
 もちろん人の言葉を話すフクロウなど、地上の生物には存在しない。メガ・ラニカの魔法生物だ。
「で、メレンゲが来たって事は、また課題……?」
 妙に年寄りじみた言葉で話すフクロウに、百音は小さなため息を一つ。
「まだ前の課題、クリアしてないよ……?」
 一つ前の課題は、悟司と協力して魔法を使うという事だったはず。
 だが、練習こそ進めているものの、その成果はいまだ出ていなかった。先日のテストの時はハルモニィに変身する間はなかったし、悟司が弾丸を使うような事件も、そうそう起きるわけではない。
「左様。早よう課題を終わらせねば、どんどん溜まってゆくばかりじゃぞ……?」
 夏休みになっても、メガ・ラニカの帰省や臨海学校と、予定は山ほど詰まっている。そちらをしっかりこなしつつ、課題もちゃんと進めていくのは……なかなかに骨が折れそうだった。
「それでじゃな。次の課題は、入学の頃よりも友達を五人以上増やす……」
「あ、それなら簡単じゃない」
 既に料理部にも陸上部にも、仲の良い生徒は片手で足りないほどにいる。前の課題が大変だったぶん、今度の課題は……。
「…………という事だったのじゃが、あまりにも簡単すぎたのでこれはナシじゃ」
 微妙なオチに、百音はこけた。
「ちょっと! ボーナス課題とか、たまにはそういうのくらいあっても……!」
「ばっかもぉぉぉん!」
 小さな体に似合わぬ怒声に、少女は思わず身をすくませる。
「手を抜くことばかり考えおってからにこの娘は……。で、本当の次の課題じゃがの」
 木の枝の上で姿勢を正しつつ、フクロウはくるりを顔を回してみせた。真剣な場面にしたいのか、それに笑い声を続ける事はない。
「お主、パートナーから美春さんと呼ばれておるの」
「それがどうかした?」
「百音さん、と呼ばれるようになれば合格じゃ」
 フクロウの言葉を理解するまでに、たっぷり一分近い時間がかかった。
「百音さんって……呼ばせるの?」
「別に、百音でも、百音ちゃんでも良いぞ?」
 要は普段から、下の名前で呼ばれるようになれという事なのだろう。小さなフクロウは、今度は短くほぅと笑い声を上げてみせる。
「そ、そんなのがなんで魔女っ子の試験に……?」
「ばっかもぉぉぉぉぉぉぉん!」
 上機嫌な様子も一転、百音の呟きにフクロウは再び怒声を上げた。
「最も身近な味方たるパートナーに名前すら呼んでもらえんようで、友達を増やすもなにもあるか! 接吻しろとまでは言わんから、せめてそのくらいやってみせい!」
 ばさばさと羽ばたきながら力説するフクロウの言葉に、思わず頬に血が上る。
「ちょ、ちょ……っ! 悟司くんとは、そういう仲じゃ……っ!」
 前半はともかく、後半は凄まじく余計だろう。
 そこまでやれと言われれば、この場で恥ずかしさの余り爆発できる自信があった。
「じゃから、名前で呼ばれるだけで良いと言うておるに……」
 顔を真っ赤にして下を向いている百音に、枝の上のフクロウは呆れたように首を回すだけ。
「その程度の絆も結べんようで、おぬしらに科せられたお役目が果たせるものか。では、さらばじゃ!」
 そして、言いたい放題のことを言い終わると、フクロウは小さな翼を拡げ、月明かりの中に羽ばたいていく。
「あ、ちょっと! お役目って何!?」
 フクロウは、確かにおぬしら、と言った。
 魔女っ子としての使命なら、おぬしで済むはずなのに……。
「メレンゲー! カムバーーーーック!」
 もちろん、少女の問いは遠く飛び去るフクロウに届くはずもない。
「どうしたの? 美春さん」
 月明かりに叫ぶ百音に掛けられたのは、縁側からこちらを怪訝そうに見ている悟司からの声。
「あ………ううん、何でもないよ………悟司くん」
 その顔を見て、顔に再び血が上ってくる感触を感じ……百音は思わず、その場にうつむいてしまうのだった。


 子門家の朝は早い。
 四月朔日の道場に練習に行く日は当然として、それがなくとも家主の真紀乃は朝日が昇る頃には活動を開始している。
「ねえ、レムレム」
 昇る朝日を眺めながら、真紀乃は隣で生あくびを噛み殺している少年の名を呼んだ。
「んー?」
 今日は早朝練習の日ではない。
 だが、隣の部屋で朝から物音がすれば、間借りしている身のレムも起きて行かざるを得ないわけで……。
 こうして、彼女の早朝ランニングに付き合っている。
「レムレムは、夏休みってどうするんですか? やっぱり、メガ・ラニカに帰るんですよね」
 まだ本気ではないのだろう。真紀乃にしてはゆっくりめのペースで早朝の県道を流しながら、聞いてくるのはそんな事。
「帰れる間は帰るけど、その後は……臨海学校に行って、あとはずっと文化祭の支度かなぁ……?」
 メガ・ラニカに帰れる期間は決まっている。ただそれも七月の末から八月の頭にかけてだけだから、あまりゆっくりは出来そうにない。
 さらに言えば、メガ・ラニカから戻ればすぐに臨海学校があるし、二学期になればすぐに文化祭だ。
 休みを全日勝ち取れたとはいえ、本当にゆっくり出来る期間はそれほど長くなさそうだった。
「つか、真紀乃さんも来るんだろ? 俺んち」
「いいんですか?」
「いいも何も、渡航許可証しっかり出してもらってるくせに……」
 クラス全員分のメガ・ラニカへの渡航許可が下りたのは、テストが終わった数日後のこと。ただしそれも二週間に満たないわずかな期間だけで、往復の移動には引率教師の同行が必要という条件付きだった。
 とはいえ、メガ・ラニカに戻れる機会は長い三年の間でも数度しかない。この機を逃せば、次に戻れるのは冬休み……年の瀬のさらに短い期間だけになってしまう。
「えへへ……。ダメなら、実家に帰ろうかとも思ってたんですけど……」
 真紀乃の実家は、華が丘ではなく帝都にある。こちらもけっして近くはないが、それでも別の世界ほどに離れているわけではない。
「レムレムがいいって言うんなら、お義父さまとお義母さまに……」
「……いや、その呼び方はどうかと思うぞ?」
 顔をしかめるレムの様子に、真紀乃も元気な笑い声を上げ。
 ほんの少しだけ、スピードを上げるのだった。


 夕焼けの空に、ガラガラと鳴る鈴の音と、柏手の音が響き渡る。
 神前に並んでめいめいに祈るのは、茶道部の面々だ。
「そういえば、夏休みにゃあ臨海学校があるんだっけ」
 八幡宮の石段に腰掛けたレイジが眺めているのは、夕焼けではなく西の空。
 そこにあるのは、まだ朱に侵されていない空をゆっくりと舞う晴天竜だ。眼下に暮らす人間の存在など見えてもいないかのように、天候の化身は優雅に巨大な翼を伸ばし、青い空を音もなく滑っている。
「そうだ。八朔くん」
 ふとパートナーに呼ばれた名に、やはり天候竜を眺めていた八朔は顔を向けた。
「海というのは、どんな所なんだい?」
「………メガ・ラニカには、海ってないんだっけか」
 メガ・ラニカは、北海道ほどの大きさを持つ平面世界だと聞いていた。
 回りは全てが虚空に繋がる断崖だから、水があってもただ流れ落ちてしまうだけだろう。
「『小さな海』ならあるけどな」
「……小さな海?」
 海はないのに、海がある。
「大陸の中央にある、大きな湖ですわ。大陸中の河は、そこに流れ込んでいるんですの」
 首を傾げる八朔に、キースリンが言葉を添えた。
 どうやら現在のメガ・ラニカは、その湖を底に置く、盆地状の構造になっているらしい。
「小さいったって、相当でけぇぜ? 何せ、メガ・ラニカで一番でけぇ湖だからな」
 メガ・ラニカの地図でも見れば違うのだろうが、残念ながら八朔は彼の地の地図を見たことがなかった。
「もしかして、八朔も知らないのかい? 海」
「知ってるけどよ。どっちかっていうと、海よりは琵琶湖の方が……」
 そう言いながら、レイジ達の言う『小さな海』の感覚は、それに近いものなのかと思い至る。
 ただ違うのは、日本最大の湖は琵琶湖でも、そのすぐ北西には琵琶湖よりはるかに広大な日本海が広がっているという一点だ。
「そっか。京都にも海ってないもんねぇ……」
「……いや、あるぞ」
 ぽつりと呟いたリリは、良宇の言葉に首を傾げた。
 ちなみにリリはセイルに付いてきているだけで、茶道部とはあまり関係がない。
「……あるの?」
「あるぞ。俺は行かなかったけど」
 京都府民の八朔の言葉にも、どうしてもイメージが浮かばないらしい。
「で、結局どんな感じなんだ? その海って」
 巨大な湖と言っても分からないだろうし、かといって潮水の話をしてもやはりぴんとは来ないだろう。
 だから、良宇は立ち上がり、真っ直ぐ先を指差した。
「…………あれだ」
 華が丘山の山頂から見えるのは、華が丘の町並みと、その先にある降松。そして降松は、鉄工業と造船に支えられた港湾都市という側面も持つ。
 空と大地の境にあるのは、夕日を弾く瀬戸内の海。
「………?」
 だが、それを見てもセイルは無言で首を傾げるだけ。
「あれが、海?」
 キースリンも、よく分かっていないようだった。
「……あのなんか丸くなってるのが、海だったのか? あんまりでかいようには見えねぇんだけどよ……」
「いや、丸いのはだな……」
 平面世界のメガ・ラニカに、水平線はない。
 その辺りまで含めた二つの世界の違いを説明することは、八朔や良宇にはいくらなんでも荷が重すぎた。


 そして、さらに数日が過ぎ。
「ねえ。この後、どうする?」
 校長の話が延々と続く体育館の中。前から飛んできた小さな声は、晶のものだ。
 隣に立っているハークがその手の内に携帯を忍ばせているあたり、どうやら風の魔法で声を飛ばしてきたらしい。
「そうねぇ……部活も休みだし、とりあえず菫さんとこで考えましょうか」
 冬奈の手持ちに、声や風を操る魔法はない。
 だが、構わず放った冬奈の囁きに、晶はこっそり指を振って応えてみせた。
「感覚強化の魔法が使えるのよ、あの子。ったく、こういう事ばっかり悪知恵が回るんだから」
 届かないはずの声がしっかり届いている事に不思議そうにしている傍らのパートナーに、冬奈はやはり小声で囁いた。
 もちろんこちらはすぐ隣だから、小さな声でもしっかり届く。
「そうだ、冬奈ちゃん。臨海学校の水着も買いに行きたいって行ってなかった?」
「あ、ちょっ、ファファ。それ言っちゃ……」
 慌てて止めるがもう遅い。
 前からゆっくり流れてきた風に含まれている言葉は……。
「あらあら。なら、またお姉さんが付き合ってあげないとダメかしらねぇ……?」
 どこまでも楽しそうな二日年上の相手の声に、冬奈はがっくりと肩を落とすのだった。

 そして、長い長い校長の話も終わりを告げて。
 華が丘に、夏休みがやってくる!


続劇

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