7.希望に続く夜
「なあ……良宇」
校庭に降り注ぐ春の日差しをのんびりと浴びながら、八朔は傍らの巨漢の名を呼んだ。
「何じゃい」
パイプ椅子に腰掛けている八朔達とは対照に、良宇は腰の後ろで腕を組み、直立姿勢を崩さない。
両足を肩幅にビシリと揃えたその姿は、ブレザー姿なのが残念なくらいだった。
「例の茶釜は?」
先日の礼法室の片付けで発掘された、備品の要。良宇が使えるように手入れすると、担任の許可を得て持って帰った所までは知っていたが……。
「ああ、ありゃ乾燥待ちだ。ちゃぁんと乾くまでは、放っておいた方がいいんだとよ。だったよな?」
レイジの言葉に、良宇は首を縦に。
大まかな乾燥は釜の余熱で問題ないが、完全に湿気が抜けるまでには数日かかる。普段使いにするならそこまでする必要はないのだろうが、最初くらいはきちんとやってもいいだろう。
「じゃ、今日はこうやって座ってるだけか……?」
釜がなければ、湯が沸かせない。
日本人としての風情が欠落している八朔も、流石に電気ポットで抹茶を点てろとまでは言わなかった。
「ハルモニアでもいりゃあともかく、俺たちが座ってるだけで人なんか集まるのか?」
会議室から借りてきた長テーブルに、男三人。
ひなたぼっこをするにはそれなりに良い環境だが、端から見ればむさ苦しいことこの上なかった。
「だが、何もせんよりはマシじゃろう」
「そりゃそうだがよ……」
新しい部の立ち上げ期間は、期末テストのテスト週間が始まるまで。それまで五人の正部員が集まらなければ、茶道部は茶道同好会に格下げになってしまう。
同好会に部室と予算は出ないから、そうなれば礼法室も手入れ中の茶釜も、当然ながら取り上げだ。
そんな中。
「あの……すいません」
ふと掛けられた、声。
「おう! 何の用じゃ!」
「す、すみませんっ!」
声の主、逃亡。
「馬鹿! なに威圧してるんだよ!」
「い、威圧なんぞしとらんわ……!」
良宇としては、普通に声を掛けただけだ。むしろ、いつもよりも元気よく、オマケに愛想とスマイルも付け加えてみたつもりだったのだが……。
二メートル近いコワモテの巨漢が引きつった笑顔で上から声を張り上げてくれば、普通の者は逃げる。
「良宇。お前はいるだけで良いから……な?」
「つか、お前も座ったらどうだ……?」
「お……おう」
オブラートに包もうとしつつも散々な言いぐさに、二メートルの巨体を出来る限りに小さくして、良宇も二人の横にちょこんと腰掛けた。
長テーブルの半分を占有するその姿を、ちょこんと表現して良いのかどうかは……微妙なところではあったけれど。
「で、さっきの話なんだけどよ。実演とかすりゃ、もうちょっとお客さん来てくれるんじゃないか?」
少なくとも、こうして三人並んでいるだけよりはマシなはずだ。
「ふむ……悪くないのう」
それをするためにも、まずは釜。
「釜が使えるようになるのって、あとどのくらいかかるんだ?」
「帰って様子を見んと分からんが、明日明後日には何とかなると思うぞ」
ちゃんと家の風通しの良い所に置いてある。今日は晴天竜が舞うような天気だから、雨が降ったりはしないだろう。
「なら、勝負はそれからかな」
空の向こうをゆっくりと横切っていく巨大な飛竜をぼんやり眺めながら、八朔は携帯をチェックする。
最初は空飛ぶ巨大怪獣に違和感を感じたものだが、このふた月ですっかり慣れた。今となっては空飛ぶ天気予報くらいの感覚だ。
携帯のインフォメーションでは華が丘の降水確率は四十パーセントとなっているが、晴天竜が空を舞っている限り、雨が降ることはないだろう。
「だな。今日はこの様子じゃ、どうにも……」
だが。
奇跡は、起こった。
「あの……すいません。入部したいんですけど……」
その声が掛けられた瞬間には、既に八朔は着スペルを起動済み。
「お……むぐぐっ!」
「悪いが、お前は黙ってろ! 良宇!」
「むごごー!」
体力強化の魔法まで使って八朔が良宇を押さえつけている間に、レイジは受付用紙とボールペンを取り出している。
「それじゃよ、ここにクラスと名前を書いてもらえるかい?」
正部員か、兼部となる副部員か。正部員であればありがたいが、何はともあれ四人目の仲間。嬉しいことには変わりない。
「はい。あとここ……………」
用紙に名前を書きながら、生徒はレイジにぽつりとそう問うた。
「応援団ですよね?」
「違うっ!」
茶道部の本日の参加希望者、ゼロ。
綺麗に火の通ったタマネギと挽肉に、塩胡椒を少々。
「ああ、撫子ちゃん。お砂糖は入れなくて良いんだよ?」
ついでに砂糖を入れようとした撫子を、やんわりと引き留める。
「え? でも、お砂糖を入れないと甘く……」
「いや、そもそもミートパイは甘い料理じゃないからさ」
中に果物を入れれば確かにお菓子だが、今回中に入っているのは挽肉とタマネギだ。どちらかといえば、お菓子というよりはファーストフードに近い。
「そうなんですの? 私、パイというからてっきり……」
初めて食べるなら、そういう勘違いもあるだろう。
「ええっと、ジャムはこのくらい入れれば……」
「だからキースリンさんもミートパイにジャムは入れなくていいんだってばぁ!」
だが、砂糖どころかジャムを入れようとするキースリンには、流石にツッコミを入れるしかなかった。
華が丘育ちの撫子はともかく、キースリンはメガ・ラニカ育ちではないか。まさかミートパイを食べたことがないわけではないだろうが……。
「でもお肉にジャム、合いません?」
肉に甘みは、確かに合う。肉料理にマーマレードやベリーのソースが掛かる事も珍しいものではない。
「合うけど……………合うよ、ねぇ」
「うん……」
百音も近いことを考えていたのだろう。ぼそりと呟くハークに、微妙な同意を示してみせる。
「…………」
沈黙の果て。
「………やってみるべきかな、これは」
至るのは、そんな結論だ。
「ジャムなら、お砂糖はこのくらい……」
「だからそれはちょっと多いよ、撫子ちゃん」
撫子の無意識の天丼をやんわりと引き留めて。
そもそもジャムに砂糖を追加で入れるのはどうなのかと思ったが、そこまでは口にしなかった。
○
「へぇ……そんな事があったんだ」
縁側に腰掛けた悟司が呟いたのは、そんな言葉。
「うん。それで、作ってみたんだけど……どうかな? 悟司くん」
大きめの皿の上には、小さめのパイが山盛りだ。もちろんそこまで大量のパイを料理部で焼くはずもなく、百音が家に帰ってから作ったもの。
「どっちがジャム入り?」
「こっちの四角い方だよ。こっちが、入ってないの」
普通の物は半月型にして、見ただけで分かるようにしてある。
悟司はとりあえず、四角い方を一つ取り。
「……案外、アリじゃない?」
ジャムが入っていると言っても、そこまで大量に詰め込まれているわけではない。隠し味程度の甘みなら、むしろ普通の物よりも美味しい気さえした。
「だよねぇ。びっくりしちゃった」
他の班や先輩達にも好評だったし、後で聞いたところでは、ミートパイにジャムを入れるのは、そう変わったことでもないらしい。
地域によっては、そちらが基本になっていることも珍しくないとさえ聞いた。
「料理部も、楽しいみたいだね」
悟司の言葉に、百音は笑顔。
百音は本来、陸上部にも所属している。運動部との掛け持ちは大変ではないかとも思ったが……本人が楽しんでいるならまあ、大丈夫だろう。
「……そういえば、悟司くんは部活って入らないの?」
「うーん。今は、魔法の勉強とか、副委員の仕事を頑張りたい感じかな」
右手に巻かれた八つの弾丸を眺め、呟くのはそんな言葉。
先ほどまでもその練習をしていたが、操れる弾丸の数は一向に増える気配がない。今の三発から四発に増えるだけでも、状況はかなり変わってくるはずなのだが……。
「そういえば悟司くん、中学の頃ってバスケやってたじゃない。あれ、どうなったの?」
百音がメガ・ラニカへ引っ越したのは、中学に入ったばかりの頃。それまでは華が丘で、今のクラスメイト達と一緒に学校生活を過ごしてきたのだ。
その時の最後の記憶では、悟司はバスケ部に所属していたはず。
「…………」
だが、その問いには返事がない。
「……聞いちゃいけない事だった?」
彼の部屋にはまだ、バスケットボールが置いてある。興味そのものが失せたわけではないはずだが……。
「いや、いいよ。……ちょっと、膝をね」
「………ごめん」
「もう治ってるし、気にしないで」
大事になる前の対処だったし、魔法を併用した処方のおかげで、そこまで致命的な自体には至っていない。医者にも、バスケを再開してもいいと言われている。
だが、身体的なところと精神的なところには、やはりそれなりの落差があるわけで……。
「…………」
覗き込んだ百音の顔は、泣きそうなまま。
「…………」
何とはなしの気まずさに、思わず辺りを見回せば。
「……で、何を見てるのかな、そこは」
部屋の奥にあるふすまの隙間。
ニヤニヤ笑いの視線に気付く。
「いやぁ。なんか良い雰囲気だし、お邪魔かなぁと思って」
「別にお邪魔とかじゃないから……」
その割には、ほったらかしもせずにこうしてしっかりチェックを入れている。
正直、勘弁して欲しかった。
「お父さん近所の寄り合いだし、お母さんも隣にでも行ってこようか? 三時間くらい」
「その時間設定が生々しいよ!」
そもそも高校生の二人に、どこまでの展開を期待しているのか。この親は。
「お母さまもどうですか?」
「あら、あたしのぶんもあるのね」
そして百音に呼ばれれば、結局は隣にやってくるのだ。
この家に女手が戻ってくるのも久しぶり。はしゃぐ気持ちは分からないではないが……。
「……ったくもぅ」
悟司はため息を一つつき、今度はジャムの入っていないパイをひと口、かじり取る。
暖め直されたパイは、ひと口かじれば……へにゃりと、口の中で崩れ落ちた。
「……レンジで暖めたんですか?」
ちゃんと暖まってはいるが、パイ生地が柔らかくなってパイ特有のサクサク感がなくなっている。
「あの、ひかりさんから教わったんですが……お口に、合いませんでした?」
放り込んで、ボタンを押すだけで良いと言われたのだ。実際に試してみれば、機械に疎いキースリンでもあっという間にパイを暖め直すことが出来たのだが。
「いや。こういう時は、レンジよりオーブンで温めた方が美味しいと思うんですよ」
「そうですか……」
どうやら、上手くできなかったらしい。
パイそのものは、撫子と二人で分けて良いといわれたから……ハークと百音は、家に帰ってから新しく作るらしい……今日こそは大丈夫だと思ったのに。
「ちょっとやってみましょうか? 簡単ですから、怖がらなくても平気ですよ」
テーブルの向かいでしゅんと沈みこんでいるキースリンに、祐希は穏やかに微笑みかける。
「あ、はい……」
その様子に、テーブルの横から不満そうな声が飛んできた。
「ちょっとぉ……祐希? その態度はおかあさん、どうかと思うなぁ」
「態度と言われても……」
失敗したところを指摘して、改善案を出しただけだ。
友達にダメ出しするだけなら厳しいが、ちゃんとフォローを入れての事なら悪い事では無いはずなのに。
「こういうときは、こうキッスちゃんを抱き寄せてねぇ。『君の作った物が美味しくないわけないじゃないか、ハニー!』くらい言いなさい! 男なら! 女の子に対して!」
だん、とテーブルを叩いて力説する、ひかり。
「いや……キースリンさんも、男だし」
「ですよねぇ……」
男女ならそれもアリだろうが、男同士でのそれは、さすがに微妙だった。
「そんなの関係ないの!」
テーブルに、もう一回の打撃音。
「外じゃキッスちゃん、女の子って事になってるんでしょ? 女の子への態度として見ると、さっきの祐希ってすっごく感じ悪いわよ?」
「そう言われても……せめて、家の中くらいキースリンさんにもそういう気遣いなしでゆっくりと……」
服装に関しては、男物を着る方が落ち着かないと言われたからそのままにしてあるが、態度は基本的に悟司やレイジに対するものと変わらないように接していた。
「そうそれ! その考えが間違ってるのよ。家でそういう態度で慣れちゃうと、外でも同じ事しちゃうんだから!」
「いや、それくらい気を付ければ……」
「そんなのボロが出るに決まってるでしょ」
再び力説するひかりに、祐希は言葉を失っていた。
家では全自動給湯器・電子レンジ・電気ポットの三つのボタンを押すしか出来ないこの女性も、ひとたび外に出れば現役のキャリアウーマンだ。
狭い地元だから、買い物先で会社の同僚に会ったりもするが……その時の彼女の評判は、おしなべて高い。
そんなボロを出さない達人にボロが出ると全力否定されても、説得力などどこにもなかった。
「うぅ……。お母さん、祐希をそんなふうに育てた覚え、ないんだからね……?」
まともに育てられたのは今までの十五年の人生の前半分くらいまでだったはずだが、暗にとはいえアブノーマルな属性に育った方が良かったと言われたのは、祐希としてもさすがに初めてだった。
「無茶苦茶言うなこの人……」
「もうお母さん寝る! 後片付け、お願いね!」
ふて寝なんかしなくても、後片付けは祐希の仕事。
いつもの事とはいえ……拗ねて自分の部屋に引きこもってしまった大人げない大人に、祐希は小さくため息を吐くしかない。
続劇
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