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2.夜はまだ、終わらない

「で、どっちも……」
 華が丘高校魔法科一年A組一班のテーブルに並ぶのは、基本に忠実に作られたカレーライスだった。
「カレーなのか……」
 そして、華が丘高校魔法科一年B組一班のテーブルに並ぶのも、やはりカレーライスだった。
「まあ、当然だろうね」
 野菜が可愛らしく切られているあたりが少々A組のカレーよりも個性的だったが、星は砕け、太陽は周りの光が煮崩れてただのマルになっているあたり、激しい残念感が漂っている。
「せっかくおかず交換しようって思ったのに……」
 とはいえ、味はどちらも申し分のない出来だ。殊にA組のカレーは、圧倒的な兵力不足にも音を上げずに戦い抜いたハークの力作である。
「この材料なら、他のモノも作れたけどねー」
「……それはいいけど、ニンジンこっちに乗せてこないでよ。星で可愛いんじゃないの?」
 ファファの言葉に気が付けば、皿の上にはきれいに星がトッピングされていた。
 もちろんファファの皿にではない。冬奈の皿にだ。
「にがいから、ヤなのにー。冬奈ちゃんのいぢわる」
 ファファに移されたニンジンをまとめて元に戻しておいて、冬奈は溜息を一つ。
「で、委員長達は何を決めてきたの?」
「各班の班長集めて、シャワーの順番や、洗濯機の使い方なんかをね」
 会議の大半は、女子から出された意見の対処に費やされていた。後は洗濯物を干す場所だの、覗きの撲滅だの、男子からすればこだわり所のよく分からない点もちらほらと。
「よくやった!」
 けれどその言葉に、冬奈たち女子一同は万雷の拍手。
「後はまあ、ケンカがあったらなるべく早めに解決するとかね」
 男子としてはそちらのいざこざ関係が気になっていたのだが、こちらには特に反応は返ってこない。
「でもまたトラブルがあったら、あの魔女っ子、出て来ないかなぁ……?」
「ぶっ」
 誰かの呟いたひと言に、少女は思わず吹き出した。
「百音、ちょっと、大丈夫?」
「う、うん……」
 冬奈の渡してくれたハンカチで口元を拭きながら、百音は水を飲んでいる間で良かったと本気で安堵の息を吐く。
「だったらあの薔薇仮面も出てくるかな?」
「…………」
 やはり誰かの言葉に、少年は思わず動きを止める。
「どしたい、ウィル」
「……いや。別に」
 レイジの言葉に、ウィルはスプーンの上に乗っている熊の生首を見つめたまま。食べ物なのかと一瞬考えたが、何事もなかったように口に運んでみる。
 熊の生首は、普通のカレーと、ジャガイモの味がした。
「さて。食べ終わったら、男子は片付けをして、女子はシャワーに行ってくれ。明日からの時間分けは、一覧にして教室に張り出しておくから」


 片付けといっても、ひと班八人分の食器と鍋を洗うだけだ。カレーだからそれほど食器の数もないし、数人でかかれば大した仕事ではない。
「パートナーって、誰が良いと思います……?」
「難しい問題だね……」
 そんな作業をまったりとこなしつつ。
 皿を洗う祐希の問いかけに、布巾で皿を磨いていたウィルは難しい顔。
「ですよね。これから三年間、付きあうんですし……」
 しかも三年間、一緒に暮らす同居人となるのだ。あまりそりの合わない人物を選んでも、苦労は目に見えている。
「全くだよ。この私に、たった一人の女性を選べというのだから……世の中とは、非情なものだね」
「……女の子なのは、前提なんですね」
 炊飯釜に溜めていた水を捨て、柔らかくなっている米粒の残りを洗い落とす。食事の前に仕込んでおいたそれは、米粒一つこびり付くことなく面白いようにきれいに洗われていく。
「当たり前だろ。委員長は、男の方が良いの?」
「僕は仲良く出来るなら……」
 包丁を棚の中に戻していたハークは、祐希の言葉に大きな溜息を吐いてみせた。
「どうせここには男しかいないんだから、素直になっちゃいなよ」
 ハークは男だけの所では素直になりすぎだろうと思ったが、さすがに祐希も口には出さないでおく。
「それとも、そういうケでもあるの? こっちの世界じゃ、薔薇、っていうんだっけ……?」
 だが、意外な人物がハークの言葉に突っ込みを入れてきた。
「ハークくん。そこで薔薇を引き合いに出されるのは、聞き捨てならないな」
 ウィルだ。
 いつもは柔らかなその視線も、今この瞬間だけは剣の如き鋭さを帯びている。
「こっちの世界の俗称だよ。別に花のことを悪く言ったわけじゃないってば。……ボクは百合の方が好きだけどね」
「……ふむ。で、どうなんだい? 委員長は」
 だが、それも一瞬のこと。
 いつもの本気とも冗談ともつかぬ様子で、祐希にそう問いかける。
「…………まあ、そりゃ、ちょっとは期待しないこともないですが」
 祐希のようやくの本音に、ハークとウィルは互いに頷き合い、どこか満足げな空気を漂わせている。もちろん、先ほどの一瞬の不穏な気配はどこにもない。
「そういうマクケロッグ君はどうなんですか」
「女の子の家で暮らすほうがいいに決まってるだろ。聞くほどの事?」
 即答だった。
 迷う時間は、全くのゼロ。
「そこまで正直になれるというのも、ある意味うらやましいですね」
「………おわった」
 そんな中。たった一人、会話にも加わらず黙々とウィルの隣で食器を拭いていたセイルが、ぽつりと呟く。
「だったら先にシャワーに行ってきてください。順番は決まってますけど、前の班が終わってたら自由に使って良い事になってますから」
 祐希の言葉に頷きを一つ返し、セイルは家庭科室を後にしようとして。
「そういえばセイルはどうなの? パートナーにするなら、やっぱり女の子だよね」
 ハークの言葉に、足を止める。
「…………」
 んー、と少し考えて、放った言葉は。
「おいしいもの、つくってくれる人がいい」
 そう言い残して、セイルは着替えを取りにテントへと戻っていくのだった。


 天井を流れているのは、白い湯気の煙。
「ふぅ。今日も大騒ぎだったわね……」
 シャワーの水音に混じるのは、冬奈の声だ。
「こんなので、大丈夫なのかなぁ……」
 応じるのは、舌っ足らずな百音の声。
 入学式に、いきなりのテント生活。パートナーを決める余裕が出来たのはマシだったにせよ、しばらくは帰る家のない生活が続くのだ。
 そういえば魔法の暴走で、巨大なガルムまで現れていた。
 たったの一日で、これである。
 これから続くテント生活が、平穏無事に済むとはとても思えなかった。
「ま、何とかなるんじゃない? どっちの兄貴の時も何とかなってるし」
「冬奈ちゃんって、お兄ちゃんがいるの?」
 遅れて会話に混じってきたのは、ファファの声。さっきまではA組の晶や真紀乃も混じっていたのだが、先に入っていたぶん先に出てしまっていた。 
「いるわよ。パートナーはなんか、お嬢様って言ってたけど……ヴァンデル何とか……?」
「ヴァンデルフェラー?」
「それって、大貴族だった気が……」
 ファファも百音も、メガ・ラニカの貴族事情にそこまで詳しいわけではない。ただ、それでも聞いたことのある名ということは、相当なものなのだろう。
「それじゃ、ファファちゃん。先に行くね」
 ぎぃ、とスイングドアを抜けて通路に出てきたのは、大きめのタオルを巻き付けただけの百音と冬奈。
「あー。まってよぅ」
「急がないと、男子が覗きに来るわよー」
 慌てる少女にひらひらと手を振って、冬奈は意地悪い笑みを浮かべてみせる。
「冬奈ちゃんならともかく、わたしのなんか見ても面白くないと思うんだけどなぁ……」
 その言葉に、冬奈が感じたのは二つの視線。
「………なによ、その目は」
「………べつにぃ」
 一人はファファで。
「……別にぃ」
 もう一人は、百音だ。
「あ、あたしのだって、見たって面白くなんかないわよ! バカ言ってないで行くわよ」
 その言葉に、百音は冬奈に押されるように更衣室へと姿を消して。
「……………」
 残ったのは、ファファ一人。
「……うぅ。やっぱりシャワーだと、なんだかさっぱりしないなぁ」
 上から注ぐ暖かいお湯の音も、どこか空虚に響いている。
「お風呂入りたいなぁ……」
 メガ・ラニカにも、浴槽にお湯を貯めて入る風呂の習慣はある。それを思いだし、一向に暖まる気配のない身体をぶるっと震わせる。
「もうちょっと、浴びていこうっと」
 その時だ。
 更衣室とシャワールームを繋ぐ扉がぎぃと開き。
「……………」
 足音軽く入ってきたのは、小さな姿だった。


 プールに併設されたシャワー室。
 テント村への帰り道、百音と冬奈が見つけたのは、キースリンの姿だった。
「あれ? キースリンさん、A組はもう全員終わったんじゃないの?」
 A組の最後は、晶やキースリンのいる一班のはず。百音達の前が一班の晶達だったから、キースリンも晶達が来る前にシャワーを終わらせていたとばかり思っていたのだが……。
「少々、実家に連絡を取っていまして……」
 正確に言えば、メガ・ラニカに電話はないから、華が丘にいる実家の使いに連絡していたのだ。
「他の皆さんは?」
 キースリンのハルモニア家も名家というから、色々連絡を取らないと厳しいのだろう。そんな家柄の子が誰かの家にホームステイするのだから、相手の子は大変だろうな……と、百音達は人ごとながら心配になってしまう。
「ファファちゃんが今入ってるので、最後だよ」
「男子が覗いてくるかもしれないから、気を付けてねー」
「ふふ。私の身体なんか見ても、面白くないでしょうに……」
 穏やかに笑う様子、礼の動き一つ取っても、確かに気品が見て取れる。
「いろんな趣味の奴がいるから、分かんないわよ? 中には、『こんな可愛い子が女の子なわけがない!』なんて趣味の人もいるらしいから」
 だが、その穏やかに笑うキースリンの表情が、凍り付く。
「あ、じょ、冗談よ? こんな田舎にそんなのいないと思うし。あたしもネットで見ただけだし」
 同居人のヴァンデルフェラーのお嬢様が、そんなページを見ていたのを思い出しただけだ。もちろん、華が丘でそんな趣味の知り合いがいるわけではない。
「え……ええ。気を付けさせていただきますわ」
 引きつった表情のまま、キースリンは百音達と別れ、シャワー室へと向かう。
「……大丈夫、ですわよね」
「あ、キースリンさん」
 そんなキースリンがシャワー室に着いた時、ちょうど更衣室からファファが出てくる所だった。
「女子のシャワー室は、ファファさんで最後と聞きましたけれど?」
「うん。わたしたちで、終わりだよ」
 そう言ってファファはぱたぱたとテント村へと戻っていく。
 春とは言え、夜はそれなりに冷える。ファファは寝間着を着ていたようだし、薄着のまま外にいては風邪を引いてしまうだろう。
 けれど。
「わたし……たち?」
 シャワー室は、ファファが最後と聞いていた。
 しかし、ファファは確かに『たち』と複数形でそう言った。
 誰か、キースリンのように遅くなった子でもいるのだろうか。
 そう思った時。
「……………」
 更衣室を出て、そのままぱたぱたとテント村へと走っていく影が、ひとつ。
「……………え?」
 セイル=月瀬=ブランオートの小さな背中を見つめ、キースリンは呆然とひと言、呟くのだった。


「ごめんくださーい」
 一年A組一班の女子テントに顔を覗かせたのは、ジャージ姿の百音だった。
「あれ、百音。どうしたの?」
 トランプの束を片手にしたまま、晶は客人を招き入れる。テントのメンバーは百音とも馴染みのリリと真紀乃だし、キースリンも嫌がっている様子は見られない。
「ファファちゃんと冬奈ちゃん、寝ちゃったから……退屈なんだもん」
「え? だってまだ……」
 携帯のデジタル表示は、まだ九時半を少し過ぎたあたり。このご時世なら小学生でも、けっして深夜とは言えない時間帯だ。
「八時くらいから眠そうにしてたよ、二人とも」
「そうなんだ……」
 冬奈の朝は早い。日が昇る頃には既に起きて朝稽古をしているのだと、晶は冬奈から聞いていた。
 九時半など夜のうちにも入らない、夜型の晶とは正反対だ。
「なんか、二人で抱き合って寝てて、ほのぼのしたけどね」
 そう言って百音が取り出したのは、ストレートタイプの携帯だった。本人でなければ取り出せないシークレットフォルダから表示されたのは、仲良く抱き合って眠る冬奈とファファの姿……らしきもの。
「へぇ……。見に行ってみましょっか?」
 携帯の写真では、フラッシュがあっても写りが悪くてよく分からなかった。
 ぜひとも現物を見ておきたい。
 何となく、そう思った。
「ちょっと……」
「何よ真紀乃。あなたが止めても、あたしは行くわよ。リリも行くでしょ?」
「当たり前じゃない。こんな面白そうなもの、ほっといてどうするの」
 既にリリも自前の携帯を取りだしている。バッテリーの残量は残り一本と心許ないが、授業中には教室で充電出来るという話だし、ひと晩くらいは持つだろう。
「キースリンさんは?」
 晶の問いに、キースリンは手元の新書から視線を上げ、静かに首を振ってみせる。
「私は……遠慮しておきますわ。お二人に悪いですもの」
「ノリ悪いわねぇ……。で、どうよ真紀乃。行くの、行かないの」
 そして真紀乃が取り出したのも、ストレートの携帯だった。
「もちろん行きますけど、そんな大声で喋ってると、二人を起こしちゃいますよ!」
 そんな彼女の声が一番大きい。
 場の一同はそう、一斉に突っ込むのだった。


続劇

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