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「………うお!?」 テラスに一歩足を踏み入れるなり、八朔は思わず声を上げた。 「気付いたみたいね」 一歩退がってテラスを出てから、ゆっくりと深呼吸を一つ。辺りの様子を見回してから、もう一度テラスへ足を踏み入れる。 「……これ、魔法ですか?」 田舎の商店街にそぐわない、ウッド調の洒落たテラス。その中は、外でありながら、明らかに外ではなかった。 雰囲気などという曖昧なものではない。 通りの排気ガスの混じった空気とは明らかに違う。森の中か空気清浄機でも通したような澄んだ空気が、テラスの中にだけは満ちていた。夏場にはこの中は冷房すらかかるのではないか……そう思わせるほどの快適さが、そこにはあった。 もちろん、ガラスやエアカーテンなどで仕切りがあるわけではない。空気以外には干渉しない壁のような『何か』が、テラスの周りを覆っているとしか思えなかった。 「エピック、ってヤツですか?」 華が丘高校の参考資料で見た魔法の名を、八朔は口にしてみせる。 特定の図形を描くことで、その内に怪異を及ぼす魔法だ。異界から魔物を呼び出すためのフィールドとして知られる能力だが、その内に守りの力を得る……結界を作る能力という側面も持っていたはず。 「正解。細かく言えば、ちょっと違うんだけど……まあだいたいそんな感じ」 「……なんか、地味に便利ですね。魔法」 この快適な空間の中なら、ゆっくりお茶を楽しむ気分にもなれるだろう。 後は、向かいの八百屋に大根や白菜が並んでいる光景さえ、気にしなければ。 「それよりどうするのよ、はいり。見つけたのが私だから良かったけど、入試の前日に受験生と一緒に歩いてるのなんか見つかったら、職員会議モノよ?」 妙な感動の仕方をしている八朔を放っておいて、葵は話題をはいりへ戻す。 「うーん。菫先輩も、動けないんですよね?」 「ごめんなさいね。これから、予約のお客さんが来る予定になってるから……」 ちらりと視線を奥の店内へと送る菫。 カウンターでは初老のマスターが、黙々と何かの作業を続けているのが見えた。どうやら予約のお客さん用の料理の支度をしているらしい。 「大丈夫ですって。道はだいたい分か…………」 そう答えかけた八朔の言葉が、自然と止まる。 視線ははいり達を超え、高圧線のさらに向こう、はるか彼方の青い空へと。 そこに見えるのは蒼穹の中、一直線に白く軌跡を残す……白灰の竜。 商店街の上空をまっすぐに飛ぶそれは……。 「………ウェザードラゴンって、あんなに実体化するもんなんですか?」 天候竜。 天の気と魔力が応じて現れる、自然現象の化身。 灰とも白ともつかぬ鱗を持つ竜は、曇の化身たる曇天竜だ。この竜が現れるということは、もうすぐこの青空には雲が立ちこめるのだろう。 「宇治はそうでもないんだっけ?」 「宇治のウェザードラゴンなんて、霧やもやと変わりませんよ……」 上空を飛んでいても気付かないし、仮に降りてきてもすぐに霧のように散ってしまう。華が丘の上空を優雅に舞うそれとは、全くの別物と言っていい。 せいぜい、その姿を見て天気予報の代わりにする程度だ。 「まあ、よっぽど何かしないと、襲われたりはしないけどね。………ただの自然現象だし」 どうやら華が丘での天候竜の扱いも、宇治のそれと変わらないらしい。 「けど、何かあったときのために、せめて連絡手段くらいは持っておかないと」 「君、携帯は?」 菫や葵の言葉に、八朔はポケットから携帯を出してみせる。 「……魔法化はまだなのね」 折りたたみのそれをちらりと一瞥し、葵はお茶をひと口。 「受験に合格したら、機種変していいって言われてます。学区外入学枠狙いですから、厳しいのは分かってますし」 そもそも今回の華が丘遠征は、華が丘高校の受験のためなのだ。たった数日の滞在のために華が丘以外では使い道のない魔法携帯に変えられるほど、八朔の家は裕福ではない。 「まあ、普通そうよねぇ」 「…………」 「…………」 相づちを打つ菫に対して、はいりと葵はなぜか無言。 「どうかしたんですか?」 「……ああ、気にしないで」 へらりと微笑むはいりに対して、葵はお茶をもうひと口。 「私たちのを貸すわけにもいかないし。どうしようかしらね……」 そして。 「あれ? せんせー」 救世主は、外から来た。 そこに立っているのは、一人の少女。 春物の薄手のパーカーにミニスカート。短めに整えられた髪は、日本人にはない淡い色。 「リリ! ちょうどいいところに!」 リリと呼ばれた娘は、八朔と同じくらいだろうか。 買い物の帰りらしく、ポケットに突っ込まれた腕には小さなビニール袋がぶら下がっている。 「リリ、暇?」 「……それ、受験生を捕まえて言う台詞じゃないですよね」 どうやら八朔の見立てで問題ないらしい。 この姿で華が丘の受験生となれば、魔法世界から来たメガ・ラニカの民なのだろうか。 「あんた、柚のおばさんの家、知ってたわよね?」 「そりゃまあ、一応………。何回かママと一緒に遊びに行ったことありますし……」 また柚子の関係者だ。 ということは、華が丘に移住してきたメガ・ラニカの住民ということだろうか。もちろん、メガ・ラニカ人と地上人の間に産まれた、ハーフという可能性もあるが。 「だったらこの子、連れてってくれない? あたし達、華が丘の先生じゃない?」 「……いや、話が全然見えないんですけど」 それはそうだろう。 はいりの説明は、何かを教える人間としては致命的とも思えるほどに、要領を得ていない。 「あたしの教員生命に関わるのよ! お願い! あとで入試のヤマ教えるから!」 「乗った!」 「はいりっっっ!」 葵が慌てて立ち上がり、テラスのテーブルががたりと鳴る。しかしこれも魔法の産物か、テーブルの上のカップからお茶がこぼれる様子はない。 「…………冗談だってば。ってか、入試の内容なんかあたし知らないし」 「……冗談なんですか」 「リリも本気にしないでよ。頼むから」 溜息を一つつき、葵は椅子へと座り直す。 疲れたようにカップからひと口お茶を飲んだところに、リリの視線が注がれる。 「なら、ハーブティ一杯かなぁ。ケーキ付きで」 リリの視線がはいりに向かい、それをはいりが正面から受け止める。 しばらくの沈黙の後…………。 「………仕方ないなぁ。葵ちゃん、半分出してね」 「私を巻き込まないでよ」 「あ、あの、なにも、そこまでしてもらわなくても……」 はいりに連れて行ってもらうだけでも気を遣っていたのに、これが見ず知らずの女の子ともなれば、気遣いの桁がさらに変わってくる。 そこまでするなら、危険を覚悟で一人で向かう方がはるかに気楽だった。 「ええっと、リリちゃん。この子ね、柚ちゃんの甥っ子さんなんだけど……携帯持ってないのよ。危ないから、大神さんちまで一緒に案内してあげて欲しいんだけど……ケーキにクリームも付けるから」 「………菫さんの頼みなら、仕方ないなぁ」 だが、リリは菫の言葉にあっさりと陥落。 「じ、人徳の差……?」 買収されただけじゃないのか。 はいりの言葉にその場にいた誰もがそう思ったが、誰一人としてそれを口にする者はいなかった。 「キミ、名前は? 柚子さんの親戚だったら、やっぱり大神でいいの?」 「ああ。大神八朔っていうんだ。君は?」 はいり達はリリと呼んでいたが、同年代とはいえ、いきなり下の名前を呼び捨ては失礼だろう。 「リリ・クレリック。リリでいいよ」 「クレリックって……やっぱり、メガ・ラニカから移住してきたの?」 魔法世界メガ・ラニカは、中世ヨーロッパの雰囲気を残した世界だと言われている。 そこに暮らす住人達の大半は、今の穏やかな暮らしを続けることを望んでいるというが……一部の好奇心の強い者は、メガ・ラニカとは違う華が丘での暮らしに興味を示すのだろう。 「ハーフだよ。パパが地上人で、ママがメガ・ラニカ出身なの。だから、あんまり向こうには行ったことないんだよねー」 メガ・ラニカと華が丘の交流が始まって、もうすぐ二十年になる。高校受験を控えたリリがハーフでも、別段おかしな話ではない。 「そうなんだ……」 商店街を抜けてほんの少し歩けば、辺りには家よりも、田圃や畑が目立つようになってきた。 この辺りになると高圧線の脅威もないらしく、ホウキで飛ぶ者達の姿もちらほらと目についてくる。ブレザーを着てホウキに乗っているのは、華が丘の生徒だろう。 「そういえば、大神くん……魔法携帯持ってなくて、大丈夫なの? 華が丘、受験するって聞いたけど」 「入試で魔法の試験はないって聞いたからさ。魔法携帯は合格してからって事になってるんだ」 いずれにしても、八朔は学区外入学枠からの選抜になる。枠内にどれだけの希望者がいるかは分からないが、一般枠のリリに比べて激戦となるのは間違いない。 「……そもそも、携帯にホリックの加工する魔法都市なんて、華が丘くらいのもんだぜ?」 華が丘で普通の携帯が使えないのは、華が丘にあふれる大量の魔力が携帯の電波に干渉するからだ。天候竜を見事に実体化させる魔力には、こういった悪影響もあるのである。 もちろん、八朔の住んでいた宇治の魔法都市も、携帯の電波に干渉するほどの魔力は有していない。 「へぇ……。ってキミ、他の魔法都市にいたの?」 「ああ。宇治の無限茶畑って、知らないか? 世界中の宇治茶を作ってるってやつ」 八朔の父方の家は、そこに出入りする業者の一つだ。その家業を手伝うため、八朔の両親は華が丘から宇治へと戻ったのである。 「どこまでも茶畑が広がってるんだよね? あれ、ずーっと不思議だったんだー。宇治茶ってどこでも売ってるのにね」 道の脇に立っている自販機にも、お茶のペットボトルが並んでいる。そこにもしっかりと、宇治茶の文字が記されていた。 「普通の茶畑もあるけど、そこで足りないぶんは、ぜんぶ無限茶畑で作ってるからな……」 魔法都市としての宇治の歴史は、数百年にも及ぶと言われている。『先の戦』が応仁の乱だという京都の歴史からすればつい先日だが、たかだか二十年の華が丘の歴史とは桁が違う。 しかしそれでも華が丘の魔法都市が有名なのは、宇治の無限茶畑が無人の空間だったのに対し、華が丘はメガ・ラニカという魔法使いの暮らす異世界へと繋がっていたからだ。 「へぇ………」 そんな他愛のないことを話していると、リリがふと、足を止めた。 「着いたよ、大神くん」 見上げれば、そこにあるのは瓦葺きの立派な門扉。 表札には、大きく大神の文字がある。 「……結局、何もなかったな」 「何かあってからじゃ遅いんだってば」 当たり前のことだ。 何かあっては、自衛の手段を持たず、連絡の一つも取れない八朔ではなすすべがないのだから。 「それじゃ、ボクはもう帰るね。さっきはシャーペンの芯買いに来ただけだったんだ」 「そっか。悪かったな、受験勉強の追い込みなのに」 そう言う八朔のバッグも、中身の大半は参考書の類だった。祖父母に挨拶して一息ついたら、最後の追い込みに入らなければならないだろう。 「半年ぶりに家で教科書開けたら、芯切れてるの忘れてて焦った焦った」 「…………いや。それで、大丈夫なのか?」 苦笑するリリのビニール袋には、シャーペンの芯どころかペットボトルやスナック菓子の袋が入っていたが……八朔は見なかったことにする。 「何とかなるっしょ」 そして、リリはポケットから携帯を取りだした。 表面に大型のメインディスプレイを持つそれは、最近流行りのスライダーと呼ばれるタイプ。ただ、メインディスプレイに描かれているのは女の子らしい写真やイラストではなく、おどろおどろしい奇怪な図形。 「出て来いっ!」 言葉と同時、掌に握られたディスプレイの図形が淡く輝き。 地面に同じ図形が描かれたかと思うと、その内側からゆっくりと何かがせり上がってきた。 長く節くれ立った柄を持ち、リリの背丈ほどもあるそれは……。 「…………ホウキ?」 見間違えようもない。それは、一本のホウキであった。 「それじゃ、受験がんばってねー」 どこからともなく喚び出したホウキを左手に取ると、リリは携帯を持っていた右手でキーを連続打鍵。 流れ出すメロディに瞳を閉じれば、今度は左のホウキが淡く輝き出して……細い身体はゆっくりと宙へと舞い上がる。 「ばいばーい」 駅ではいりがしていたように、リリは空中でホウキに横座りに腰掛け直すと、そのまま空中を音もなく滑り出した。 「……………」 同い年の少女が平然と使って見せた連続の魔法に、八朔は言葉を失っていて。 「………縞、だったな」 それだけを呟くのが、精一杯だった。 そして、夜が明け。 運命の受験の日が、やってくる。 |