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2.序曲の、終焉

「強くなれ……か」
 あの時言われた言葉を口にし、銀髪の娘は目の前の墓標にそっと花を手向けた。
「ドラウン様……」
 眼下に温泉街を望む丘の上だ。掘り出された温泉の湯気と炊事の煙が、朱い夕焼けの中にゆっくりとたなびいている。
 穏やかな光景を眺め、この人にしては平和過ぎる処かな、と微かに苦笑。
「シェティス」 
「ハイリガードか」
 掛けられた声に振り向けば、そこには幼子がぼんやりと立っていた。
「誰のお墓?」
 墓標には何の銘も刻まれていない。ただ、十字に組まれた木の杭が盛られた土の上に立てられているだけの簡素なもの。
「ドラウン様のだ。結局、体は見つからなかったがな」
 スクメギでの最後の戦い。ハイリガードの渾身の一撃を受けて吹き飛んで以来、上官であった狼面の男は行方不明のまま。重力の技で跡形もなく消え去ったという報告もあるが、いずれにせよ片腕を飛ばされて止血もしていない身だ。無事に生きているとは思えない。
 そこでミユマに事情を話すと、温泉場の近くで見晴らしの良い場所を紹介してくれたのだ。彼女もドラウンとは知らない仲ではないから、気にはなっていたのだろう。
「……そっか」
 無論、ハイリガードも知らぬ関係ではない。軽く目を閉じ、何度となく相見えた強敵の冥福を天に祈る。
 傍若無人に振る舞う彼女だが、戦士の端くれ。戦で死んだ者への礼を失うほどの常識知らずではない。
「そういえば、ロゥは?」
「あんな奴、知らない」
 その名がシェティスの口から出た瞬間、ハイリガードはぷいと違う方を向いた。
「ロゥったら、『つよくなるんだー』とか言って、ずっとパパと修行してるんだもん。つまんないよ」
 今頃は修行し疲れて眠っているか、風呂で疲れを落としている頃だろう。さすがに風呂場に乱入できるほどハイリガードも子供ではない。
「……そうか」
 かつて部下だった少年も、動き始めている。いくら休む時期とはいえ、出来る事は何かあるに違いない。
「私もいい加減、先の事を考えないとな」


 眼下に温泉の灯りを見下ろす丘の上。
「……エンティナ様の墓標が新しくなっておるな。貴公か?」
 宵闇の中、ローブを羽織った影が、年老いた声で静かに呟いた。
「いや、これはドラウンの墓じゃよ」
 答えたのはこちらも老人。犬族の彼は、ローブの老爺よりもわずかに声に張りがある。
 新しくなった十字の墓標には何の名も刻まれていなかった。ローブの老人が間違えても仕方のないところだろう。
「……そうか。あの小僧の」
 かつてこの場所には一本の墓標が立っていた。
 二人の老人が師と仰いだ、偉大な戦士の墓が。
 永い平和を望んだ彼女の遺志に従い、彼女の愛したココ王国でも指折りに平和なこの場所に墓標を立てたのだが……。
「奇しくもエンティナ様の墓所と同じ場所。儂等によくよく縁があるとみえる」
 永い争いを望んだ弟子が同じ場所に眠るとは、何と因果な事か。
「のぅ、ロッドガッツよ」
 感慨の中、ローブの老爺が静かに口を開く。
 力なく細められた眼には、最盛期の力はもう無い。見据えるだけで相手を射抜いた蛇の瞳も、今はその力のほとんどを失っている。
「エンティナ様が旅立たれた時に貴公へ預けた『不死鳥』のティア・ハート。もはや、売ってしまったかの?」
 その声と共に老爺の眼前に現れたのは、闇の中でも紅く燃える宝石だった。通常のティア・ハートとも、ロイヤルガードの持つそれとも違う。それよりもはるかに強く、深い輝きを自ら放つ、赤い石。
「時が、来たか」
 預かってより二十年。国が買えるほどの価値を持つ秘石は、常に老犬の懐に収められていた。売るどころか、使った事さえもない。
 時が来た時、すぐに盟友へ返せるようにと。
「今、ロイヤルガードの封印を解き、オーバーイメージの修練をさせておる。数名かは、近いうちに会得出来ようて」
「……先日のあれも、所詮は前哨戦か」
 今の墓標の主を亡くし、二人の老爺も加わった激しい戦い。世界の命運を賭け、切り札のいくつかさえ失った戦いを、老犬は『所詮』という。
「左様。トーカ様の託宣も、儂の占も、同じ結果が出たわい」
 貴公は悪い結果しか占わぬの、と老犬は失笑し、天を仰ぐ。
「イルシャナ様も、エンティナ……いや、エミュ殿も無事覚醒されたが。ドラウンは惜しい事をしたな……」
 不幸な最後ではあったが、師匠や老魔術師と並んで付き合いのある弟子だ。その最後を憐れみこそすれ、喜ぶ気にはけしてなれない。
「ふむ。それに関してじゃが……」


 闇の中。
 男は、ゆっくりと身を起こした。
 見回す限りは一面の闇。最後に身を投じた重力の中とも、噂に聞く冥府とも思うが、それにしては身体の感覚がはっきりと有り過ぎるのが疑問だった。
「生きて……いるのか?」
 達した結論を、思わず口に。
「ええ。貴方は死んでいないわ」
 その結論に、帰ってくるとは思わなかった返事が来た。
「私に必要だったから」
 答えるのは、まだ若い娘の声。同じ戦場を渡り歩いた銀髪の副官かとも思うが、よく聞けば全く違う質だ。
 やや高い声は、軽やかなリズムと共に空間へ響き渡る。
「……何の為に」
 響き方に、狭い洞窟か何かだと判断。
「通信、聞いたわ」
「何?」
「貴方の望んでいた戦いが、もうすぐ始まるの」
 少女の声は、歌うように。踊るように。
「ドラウン……だったかしら? 貴方は、その戦いに私と共に身を投じる事になる」
 くるくると男の周りを回る、幼子の声。男の裸の胸に触れ、離れ、闇の中で声は近く遠く。
 そんな戦いを望む幼子に、男はいくつか思い当たる事があった。
「……獣機に乗る気は無いぞ」
「獣機?」
 その言葉に、踊る声がぴたりと停まった。
 細い指先はちょうど男の胸の位置。
 獣機、と繰り返した言葉の響きには、どこか嘲笑うような色が染みついている。
「そんなガラクタは必要ないわ。貴方は、貴方の思うとおり、戦いたいだけ戦ってくれればいいの」
 闇の中、少女は耐えきれなくなったのか、くすくすと笑い始めた。裸の胸にしなだりかかり、男の巨躯を抱きしめるような姿勢で嗤い続ける。
「この私、カースロット・ジグブリードを思うままに扱ってね」


続劇
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