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5.崩れゆく世界

 目の前に現れたのは、一人の少女。
 それは、ダンが探し求めていた、金色の髪の娘であった。
「ダメって……カズネ! お前……ッ!?」
 操られているのかと一瞬思うが、こちらを見上げる碧い瞳はいつもの少女と変わりない。
 そもそも心の有り様が全てを左右するこの世界で、操られていないフリや、ダンのように心の片隅に影を仕込むような真似はそれこそ無意味というものだろう。
「……操られてなんかないよ」
 そんなダンの心を読んだのか、カズネは穏やかに微笑んでみせる。
「ただ、話を聞いてただけ」
 朗らかにそう言って、カズネはくるりと黒外套の人物へと向き直った。
「来るな……」
 そんな彼女の振るまいが分からないのは、ダンだけでなく風然も同じなのだろう。目深に被ったフードの奥を覗き込むような彼女に、かさついた声でそう呟くだけだ。
「来るな……!」
 叫びと共に闇から生まれたのは、無数の氷の刃。
 それは正面に立つ少女に次々と突き立ち、小さな身体を貫いていく。
「カズネ!」
「大丈夫!」
 だが、氷の刃に貫かれたはずのカズネは慌てて駆け寄るダンを片手で制してみせる。
 既にその片手には、彼女を貫いたはずの氷の刃はない。ポンポンを体中をはたけば、他の刃もカズネの体から粉雪を払うように落ち……再び現れた鋼の体には、傷一つ残ってはいなかった。
「ね。……痛くなんかない。効かないんだよ、ここじゃ」
 この世界では、想いが形になる。
 だからこそ、風前の意思は通じないのだ。それよりも強いカズネの意思に阻まれて。
 カズネが生きることを、一つも諦めてはいないから。
「どうして……そうまでして……」
 聞こうとするのか。
 幾度も貫き、拒絶されても、風前の言葉を求めるのか。
「分かんないから」
 男の問いへの答えは、たったのひと言。
「あたし、バカだからさ。聞かなきゃ分かんないんだもん」
 ダンのように、多くの事を考えられるわけではない。
 ペトラのように、冷静に振る舞えるわけでもない。
 セノーテのように、多くの世界を見てきたわけでもない。
 そんなカズネに出来る事は、たった一つ。
「そりゃ、聞いても分かんない事ばっかりだけどさ……。それでも、聞かないよりはマシでしょ?」
 言葉の通じない相手には、確かに力を振るうこともあった。しかしその力が通じないこの世界なら、最後までそれに頼ることなく、聞こうとする姿勢を貫くことが出来る。
「それに……あなたは、ちゃんと話せる人だし」
 拒絶の炎を片手で振り払い、カズネは影の顔を覗き込んだ。黒外套に包まれた顔は闇に包まれ、その形を確かめる事は出来ない。
「……そういう、匂いがする」
 けれど、そこに確かに風然はいるのだ。
「どうして……あの世界で……」
「あの闇の中は、確かに苦しかったよ」
 重なる問いに、カズネは笑顔。
 冷たくて、暗くて、寂しくて。
 折れそうな気持ちを怒りで保ち、それでも限界は近くて……。
「でも、あなたの声であたしは道を見つける事ができた。ありがとね」
「それは……貴様らに、知らしめるため……」
 風然の呟きと共に周囲に浮かぶのは、幾つもの光景だ。ただの姿絵や写真ではない。キングアーツの動画通信のように動き、それよりもはるかに鮮明な映像である。
「我らの、苦しみの歴史……」
 それは、ダンさえも初めて目にするヒサ家の歴史だった。
 神揚皇帝の駒として、その存在を賭して多くの歴史を巻き戻し、神揚の繁栄を陰で支えてきた一族の……凄惨な物語。
 恐らく風然は、自身が見てきた多くの光景をそのまま周囲に映しているのだろう。
 歴史の影に埋もれる事さえない。
 歴史そのものから姿を消していく、ヒサの一族たちの無念を、絶望を。
「うん。……だからさ、もうちょっと教えてもらったら、なんか分かりそうな気がするんだよね……」
 ダンでさえ気が滅入りそうなそれらの歴史をまばたき一つせずに見つめながら……カズネは静かにそう、呟くだけだ。
「どうして……」
 故に。
「どうして……」
 揺らぐのは、世界。
「どうして……そんな事が言える……!」
 風然の色に染め上げられた、世界樹の内側の世界だ。
 この闇に引き込まれた者は、同じ一族でも、主たるナガシロの娘ですら……この記憶を目にする前、永劫の闇の中でその心を折られ、風然の操り人形と化したはずなのに。
「どうしてって言われてもなぁ……」
 そして、その世界は。
「あなたのことが、知りたいからかな」
 向けられた笑顔に、音を立てて崩壊する。


 赤毛の猟犬が構えるのは、黒金の片手半。
 もちろんそれを支えるべき両腕はない。構えているのは、その牙でだ。
 緑の異形の右指が変じた大爪を足と翼のバネだけで躱しきり、カウンター気味に噛み構えた刃を叩き付ける。
 けれど不自然な体勢で放たれた一撃に、今までのような重さはない。分厚い黒金の装甲に弾かれ、崩れた体勢に振り下ろされるのは、異形の左の大爪だった。
 後ろへと飛ぶ動作は、間に合わない。
 斬撃に持って行かれたのは、最後に大地を蹴った右足だ。
「……ペトラ。アンピトリオンは、もう限界です!」
 既に両腕はなく、機動力の要たる後ろ脚も失われた。それでも騎体が立っているのは、翼とそれ以上に優れたバランス感覚があるからに他ならない。
 けれど。
 ペトラは、前へと進む。
 残された左足を大きくたわませ、世界樹の広間を翔ぶように疾走する。
「……ごめん。アンピトリオン!」
 その言葉と共に切り離されるのは、騎体の背中に取り付けられていた連結器だ。同時に背中の操縦席が開き、ペトラの体も後ろへと跳ぶ。
 鉤爪が掴んでいた連結器を放り捨て、騎士型に変形したポダルゲーが少年をその内へ取り込むのと、黒金の異形へと突っ込んだ猟犬が大爪に引き裂かれるのは、ほぼ同時。
「死ぬ気かと思いました」
 入れ替わりに操縦席に着いたペトラの膝に身を置きながら、セノーテは小さく息を吐く。
「死なないよ」
 そんな少女の重みと温もりを感じながら、ペトラはバルミュラの刀を引き抜いた。
「……だからもう少し、力を貸して」
 思い出すのは、十三年前の光景だ。
 あの時もペトラは、こうして風然と対峙した。
 ただ一つ違うのは……。
 制御装置を握るペトラの手に重ね合わされる、細い指。
「……はい!」
 セノーテが構えた刀の周囲に、ペトラの無数の神術炎が浮かび上がる。


続劇

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