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3.黒金vs猟犬

 吹きすさぶ青い風の中。
 ぶつかり合うのは、鋼の音。
 剣と、刃と。
 爪と、盾と。


 けれどそれは、かつての再現ではない。
 翼を備えた彼らの戦場は、空の上。
 黒金の騎士は心を失い、打ち合わされる刃には一切の感情も宿らぬまま。
「カズネ! ダン!」
 猟犬の騎士の双刀を受ける時の、叱咤の声はない。
 片手半の斬撃を流した時の、賞賛の声もない。
 ただ黙々と剣を繰り出し、追い詰めようと歩を進めてくるだけだ。
「風然……」
 伝声管から漏れる苦しげな声は、ペトラの翼を操る少女のもの。
 斬撃の応酬の中でペトラがわずかに視線を向けたのは、黒金の騎士の肩に立つ黒い姿だ。黒い外套をなびかせながら、激しく刃が交わされる空中においてもバランスを崩す気配はおろか、ペトラの刃を恐れる様子もない。
 風然・ヒサ。
 先代のヒサ家の主にして、セノーテの編み出した呪いを連綿と受け継ぐ、彼女の遠い末裔である。
 黒金の騎士のカズネは無言。
 そして風然も無言。
(どうすれば……っ)
 片手半の斬撃の癖も、その隙に放たれるダンの牽制の間合も、稽古のそれと変わらない。
 変わらないのだ。
 足りないのだ。
 自身の限界を超えようとするいつもの気概も、年下のペトラを全力でねじ伏せようとする大人げなさも、何もかもが。
 故に、勝つだけであれば容易かった。
 片手半を躱し、大上段に双剣をかざす。
 見え見えのフェイントだ。しかしいつものカズネならばあえて片手半をぶつけて来るし、ダンもそれに苦笑しつつも付き合ってくる。
 けれど突き付けられたのは、黒金の大盾だ。
(何やってるんだよ……二人とも……っ!)
 違う。
 違うのだ。
 こんな戦い方は、カズネとダンのそれではない。
 もっと強く。
 もっと迅く。
 追いつけない勢いと強さでペトラの前を大人げなく駆け抜けていくのが、彼らのはず。
(こんな戦い方してたら、僕はすぐに抜いちゃうよ……!)
 セノーテの翼もある。
 戦うための意思も、その先を望む想いもある。
「いい加減に……」
 突き出された大盾を両足で目一杯に踏みつけて……。
「しろぉっ!」
 ペトラは叫びと勢いに任せて黒金の機体を蹴り飛ばし、迫り来る巨大な壁へと叩き付けた。
「ペトラ……」
「……ちょっと大きい声出した。ごめん」
「平気。それより……」
 どうやらいまの一撃程度の衝撃では、ドゥオモ達のように意識を取り戻す事はなかったらしい。
「……うん。追うよ」
 やはり、エイコーンを破壊するしかないのか。
 そんな事を考えながら、翼ある猟犬は黒金の騎士を追って壁の奥……世界樹の内側へと飛び込んでいく。


 少女がうっすらと瞳を開いたのは、鈍い衝撃を感じたからだった。
「ここは……」
 一面の闇だ。
 目は開けているはずだが、辺りに何があるかも分からない。海に浮かんでいるような浮遊感はあったものの、体のどこも濡れてはいなかった。
(そうだ。あたしは、エイコーンの操縦席で……)
 ぼんやりとした頭にようやく浮かぶのは、カズネが気を失う直前の事だ。
 ヒサの双子と戦い、なんとか二人を取り返した所で現れたのは……。
「ダン! いないの、ダン!」
 すぐ近くにいるはずの大柄な少年に声を投げるが、その声は辺りに響くこともなく空間の彼方へと消えていった。
 明らかに操縦席の音の響き方ではない。
 音の反響は結局いつまで立っても聞こえては来ず、辺りは再びの静寂に包まれる。
「……寒い」
 響かぬ声を口にして、ふるりと体を震わせる。
 誰もおらず、辺りに何があるかも分からない。
 不安に蝕まれた心は、鋼の体の冷たさを一層際立たせ、胸を締め付ける痛みをさらに強く、大きくしていく。
(これが……ドゥオモや万里様をおかしくしたやつなのかな……)
 こんな冷たくて寂しい場所にずっといたならば、心はやがて本当に凍り付いてしまうだろう。しかし、そう思ってもどうすれば良いのかが分からない。
 手を動かそうにも既に腕の感覚はなく、浮いているのか沈んでいるのか……そもそもそんな状況が当てはまるのかさえ、分からなかった。
 体は重く、心も動かない。
(でも……)
 目が覚めてからまだ数秒しか経っていないのか、それとも一年の時が過ぎたのか、もうそれさえも分からなかった。
(だったら…………!)
 拳を握り、すべき事を考える。
 まだ終わってなどいない。
 世界を回り、滅びの原野を越えて、やっとここまで辿り着いたのだ。こんな所で終わるなど、ありえない。
 そんな中で。
「受け入れよ……」
 響いたのは、声だった。
「誰? 誰かいるの?」
 幻聴だろうか。しかしそんな声は一度も聞いたことがなかったし、幻というにははっきりしすぎている。
「受け入れよ……」
「ちょっと、ここってどこなの! あなたは誰!」
「受け入れよ……」
 受け入れよ。
 誰とも知れぬ声は、闇の中でただそのひと言を繰り返すばかり。
「受け入れよ……」
 けれど繰り返されるだけの言葉でも、他人の声だ。
 ここにいるのは、一人ではない。
 それを理解するだけで、カズネの心に明かりが灯る。
 それが敵でも悪でも、世界は自分一人ではないのだ。
「あーもう分かったわよ! 受け入れてあげるから、教えてちょうだい!」
 どうせここにいても、暗いか寒いかだけ。
 例え罠でも、おかしくなってしまうよりは一歩を踏み出す方がずっといい。
「この世界の事、全部!」
 その言葉と共に、カズネはさらなる闇の中へと自ら身を躍らせていた。


 猟犬の騎士に激しい一撃を叩き付け、その隙に大きく飛び退いたエイコーンを、ペトラは茫然と見つめている。
 黒金の騎士が舞い降りたのは、広間の中央。
 肩に乗っていた黒外套の影が黒金の甲冑の中へと消えていったのと同時、その足に絡みついたのは、地面から伸びてきた太い茨だ。
「これは……」
 その光景に近いものを、ペトラは十三年前にも目にしていた。
「ペトラ!」
「……うん!」
 セノーテの声に我に返ったペトラは慌てて双の刃で斬りかかるが、茨はそれ自身が太い鞭となり、猟犬の騎士が近付くことを拒絶する。
 だが、ペトラはそれを諦めない。
 攻撃の読みやすい上空を舞い、茨が自在に動けない低空を駆け抜け、何とかエイコーンに近付こうと何度も何度も接敵を繰り返す。
 そうこうする間にも、茨はペトラの努力を嘲笑うかのように、一本、また一本と騎士の足に絡み、侵し、その機体を世界樹と同一の物へと置き換えていく。
「でえええええええいっ!」
 それは何度目の接敵だっただろうか。
 頭上から一気に加速した刃が捉えたのは、既に腰辺りまで一体化していた騎士の、背中の一部。
 そのまま横に薙ぎはしない。接合部に引っ掛けるように刃を突き込み、力任せにかち上げる。
「ダン!」
 引き剥がされた装甲……ケライノーの上部ハッチの下で気を失っていたのは、大柄な少年だ。刃を戻す時間も惜しく、広場の端に向けて双刀を投げ捨てると、代わりに少年の体を引っ掴む。
「ダン!」
 離脱の動きはセノーテ任せ。大きく相手と距離を取り、外部スピーカーの声を手のひらの中へと叩き付けた。
「ぐ…………ペトラか……」
「良かった……」
 どうやら無事ではあるらしい。ダンは小さく身じろぎし、手のひらの中でゆっくりと身を起こす。
「……カズネは!」
 自身の事よりもパートナーを心配するそれは、間違いなくいつもの彼だった。
 だが……。
「……あそこです」
「……おいおい……。あの中だってのか……」
 三人の目の前にあるのは、広間の中央、地面と完全に一体化した黒金の騎士だったものの姿だ。巨大な盾と片手半を下げ、異形と化した翼を広げ……蛇のように伸びる下半身を、ゆっくりとのたうたせている。
「……ダンを助けるので、精一杯だったんだよ」
「俺よりアイツの方が大事だろうが! 何で……」
「僕だって二人とも助けたかったよ!」
 ダンは反射的に声を荒げるが、スピーカーから返ってきた彼よりはるかに強い叫びに、そんな怒声は吹き飛ばされてしまう。
「……悪ぃ。お前らは一生懸命やってくれたんだよな」
 自身の影から、突如として溢れ出した闇。
 逃げるヒサの双子と、その後のペトラとの戦い。
 それが悪い夢ではなかった事を教えてくれるのは、ボロボロになったアンピトリオンだ。
 殊にペトラの神獣は攻撃力よりも素早さに重点を置いた騎体である。重装を誇るエイコーンからダンを助け出すだけでも、並の苦労ではなかったはず。
 何より、この状況を引き起こしたのは……ダン自身なのだ。ペトラを攻められる筋合いなどあるわけがない。
「で、あの中のカズネを助ける方法はあるのか?」
 背中の翼を解き放ち、ダンはひとまずペトラの手元を飛び離れた。いつまでもアンピトリオンの手の上にいても枷になるだけだし、奇襲を受けたエイコーンも動き始めている。
「三人なら、あるいは……」
 彼の問いに答えたのは、猟犬の騎士の駆り手ではなく、その背中から。そこに広がる燃える炎のような翼と鈴を鳴らしたような澄んだ声は、ダンにも覚えがあった。
 イズミルを脱出した後、カズネと彼は何度も彼女と刃を打ち合わせてきたのだ。ちょうど目の前で繰り広げられている、黒金の異形と猟犬の騎士の打ち合いのように。
「ですが正直……賭けになります」
「十分だ。俺がやる」
 脇に転がっていた双刀を拾い、片手半を受け流すアンピトリオンからの声に、ダンは即答。
「やるって……詳細を聞かないのですか?」
「説明があるなら手短に頼む」
 エイコーンの中がどうなっているかは分からない。しかし、時間が経てば経つほど事態が悪化していく事だけは理解出来た。
「セノーテ。ダンはやるって言ったら聞かないから」
 そして、ペトラの気持ちも同じである事も。
「……分かりました。これを!」
 小さく呟き、打ち合いが離れたタイミングを見計らってセノーテはポダルゲーのハッチを開く。そこから放り投げられた小さな何かを受け取れば、それは布の切れ端で結ばれた白銀の髪の一房だった。
「で、どうすればいい!」
 それを懐に押し込んで、声の会話を思念のそれに切り替える。
 人の体は、思念通信の指向性を強める働きを持つ。例えばセノーテの体の一部分……髪の一房でも持っていれば、彼女との会話の精度はより高くなる。
「あなたを世界樹の内側に送り込みます。私とペトラで道を作りますから、そこから飛び込んで下さい」
「ククロさんの言ってたあれか……分かった」
 予備知識もあるにはあったが、具体的な手段に関してはセノーテの説明の半分も分からない。しかし問い返す時間は惜しいし、分からない事があれば後で聞けば良いだろう。
 きっと、懐の髪束が役に立ってくれるはずだ。
「ペトラは世界樹のコア……エイコーンの中央に刃を突き立てて下さい」
 セノーテの言葉に小さく頷き、赤毛の猟犬は力強く大地を蹴った。


続劇

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