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5.ウナイシュの影

 薄紫の空を舞うのは、黒い翼。
 その姿を眼下に広がる海へと映し、目指すのは一路、南へだ。
「ふぁあ………っと、いけねえ」
 漏れたあくびにダンは思わず息を吐き、落ちかけていた高度を立て直す。
 たった一人の行軍なのだ。ケライノーにも本能のようなものはあるから、水に落ちる事まではないだろうが……寝ぼけて明後日の方向に進路を変えても、正してくれる者は誰もいない。
 ウナイシュ海。
 メガリ・ヘデントールのあるヘデントール地方は、対岸のニルハルゼアと合わせ、長らく湾の上顎と下顎に例えられてきた。しかしアーデルベルト達の地道な調査により、ヘデントールは大陸の一角ではなく、さらに巨大な湾を中央で分断する半島である事が分かったのだ。
 キングアーツにとって未だ未開の地であるヘデントールの南部こそ、いまダンの翔んでいる海域であった。
「にしても、夜通し翔んでこれだもんな……」
 ウナイシュ関連の資料をアーデルベルトに見せてもらった後、ケライノーの修理を手伝い、作業が終わると同時にヘデントールを発ったのだ。気持ち程度の仮眠は取ったが、それだけだ。
「……ふぁあ」
 もう一度溢れたあくびを噛み殺し、眠気覚ましも兼ねて操縦席の隅に突っ込んであった携帯食料を取り出した。
(……あいつがいりゃ、暇なんかねえんだけどなぁ)
 何しろ機体のバランスを取るという概念のない娘だから、ダンは一時たりとも気が抜けないし、そのくせ自分が暇なら延々何かを話しかけてくる。黙ったら黙ったで拗ねているか眠っているかのどちらかだから、ダンが落ち着く暇は本当にない。
 だからこそ、その一切に気を配らなくて良い今回の単独行は、逼迫した事態とは対照的に生あくびが絶えることがなかったのだ。
 それが良い事なのか、悪い事なのか。
「あいつ……ちゃんと飯、食ってるかな」
 お世辞にも美味しいとは言えないキングアーツ仕様の携帯糧食をかじりつつ。思い描くのは、メガリ・イサイアスで手を離してしまった、少女の姿だ。


 朝焼けの空をぼんやりと眺めながらカズネが口にしたのは、硬くなりかけたパンが一枚だった。
「……外でのご飯は、これで最後かぁ」
 白み始めた空の真横。ようやく夜が払われ始めた南の空は、薄紫の霧に覆われていた。
 これから先はイズミルまで滅びの原野を縦断することになる。イサイアス付近からイズミルまでなら大回廊を使う手もあるが、先遣隊と鉢合わせても仕方ないし、クーデターの渦中にあるマグナ・エクリシアは迂回する方が早い。
 いずれにしても手足を伸ばしての休憩など論外だし、以降は食事や用足しさえも狭い操縦席の中で済ませなければならないのだ。
「不満ですか?」
「ううん。……ありがとね、セノーテ」
 セノーテの荷物の残り物……最後のパンのかけらを口の中に放り込み、小さく呟くのは感謝の言葉。
「借りを返しただけです」
 ひと晩ゆっくりと眠ったおかげか、セノーテは十分に動けるようになっていた。カズネがエイコーンの操縦席から引っ張り出して来た戦闘糧食も美味しいものではなかったが、栄養補給という意味では効果があったのだろう。
「……ですが、行ってからの策はあるのですか?」
 イズミルとの戦を止めなければ、という意思は分かる。
 金月の指輪を受け継いだ、女王としての義務も。
 けれど彼女の中で定まっているのは感情面のことだけで、その先のことをセノーテは何一つ聞いていない。
「うん。……何とかしてイズミルまで飛び込んで、国のみんなに呼びかける」
 例え万里が変わってしまったとしても、イズミルの住人全てが変わったわけではないはずだ。その力をどうにかしてまとめられれば、何かが変えられるはず。
「それが、策……」
「……難しい事考えるの、苦手なのよ」
 具体的な方策や細かな動きも、セノーテの手を握っている間に考えようとはしたのだ。
 しかし思いついた案は、少し考えれば突拍子のない物だと分かったし、かといって具体案を思い描くには彼女には知識も経験も足りなさ過ぎた。
「けど……話せばちゃんと分かってくれるわよ。きっとね」
 目の前の手をそっと取り、カズネはにっこりと微笑んでみせる。
 何せその代表が、すぐ目の前にいるのだから。


 ダンが狭い操縦席で朝食を終える頃に見えてきたのは、水平線に見える突起物だった。
 地図と付き合わせてそれがウナイシュ海で最大の島……ウナイシュ島である事を確かめ、ダンはケライノーを加速させる。
 この近辺で、タロとソフィアは姿を消した。
 それは一連の事件の発端でもある。
 だからこそダンは、彼の地で何が起こったのかを確かめておきたかったのだ。
 自らの目で。
「……何だありゃ!?」
 そして予感は、確信へと変わった。
 ウナイシュ島の中央にあるのは、巨大な穴。まるで地の底にまで通じるかのような大穴が、深く大きく刻まれているのだ。
 もちろんそれは、ヘデントールで見せてもらった一連の調査資料には記されていない。
「まだ、新しいってことか……」
 ケライノーの視界を望遠に切り替えれば、穴の断面にはいまだ新しい地肌が覗いていた。それは太い木の根を引き抜いた時のそれに近いものだ。
「ウナイシュの清浄の地の跡よ。……公式な資料からは抹消された場所だけどね」
 ヘデントールを出立してから開きっぱなしだった回線に、独り言が漏れていたのだろう。
 思わず口にした疑問に答えが返ってきた所で慌てて辺りを見回し、ケライノーが捉えた光景に息を呑む。
「なんで……こんな所に!?」
 ダンの目の前に現れたそいつは。
 翼持つ黒金の騎士と、巨大な飛行鯨は……。


続劇

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