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5.大回廊を抜けて

 朝焼けの光を受けて長い影を伸ばすのは、神獣とトリスアギオンの混成部隊だ。
「……話さなくて良かったの?」
 イズミルの基地で最も高いバルコニーから一行を見送るのは、昌から受け取ったペトラを大切そうに抱きかかえた、黒髪の女性である。
 呼びかけたのは、もちろん腕の中の子供ではない。
 傍らでその光景を眺めていた、青年騎士に向けてだ。
「……あの様子を見れば分かる。お前そっくりだ」
「そういう所、素直じゃないわね。兄様」
 そんなアレクの言葉に、二人の話を聞いていた金髪の女性はくすくすと笑っている。
「すなおじゃないのー?」
「そうよー。カズネの伯父様は、自分の中に溜め込んじゃう人だからねー」
 膝の上から返ってきた幼い声に微笑みながら、ソフィアは鋼の腕で小さな身体を抱きしめた。
「ねー!」
 カズネはまだ一歳になってそれほど経っていないが、大人達の間にずっといるせいか、喋りも歩きも達者で仕方ない。こうして抱きかかえておかないと、あっという間にどこかに行ってしまうのだ。
「後は、奉達に任せるしかないか……」
「……イズミルが独立するまでは、自重してくれ」
 イズミルは、隣り合う二つの大国のより有効な緩衝材となるべく、独立の気配を窺っている。各所に根回しを行ない、好機を見計らっている最中なのだ。
 そんな微妙な時期にイズミルの一角を担う万里やアレクが迂闊な動きを出来るはずがないし、それが未来にどんな影響を及ぼすかも分からない。
 それは未来のペトラがいてもいなくても、同じ事だ。
「長いなぁ……」
 ペトラの旅の手助けを奉達に任せた事は、母親として心苦しいばかりだが……それもまた万里の戦いなのだろう。
「……でもさ」
「何?」
 絹糸のようにしなやかな幼いカズネの金髪に顔を埋め、ソフィアは首を傾げてみせる。
「……どうして今のタイミングで、未来からこの子がやってきたのかしらね」
 ペトラが時を越えてやってきた事には、何かしらの意味があるはずだ。
 しかし万里の問いかけに、腕の中の幼いペトラは答えてくれるはずもなく。ただ差し出された母親の胸をちゅうちゅうと吸っているだけだ。


 目の前に続くのは、薄紫の大気に覆われた、太くまっすぐな道だった。
「ここが……大回廊」
 イズミルから南北に続く大街道である。イズミルを発ち、神揚によって建てられた前線基地も越えたペトラ達は、南に向けてひたすらに機体を走らせていた。
「大回廊は初めてですか?」
「いえ……僕の知ってる道とだいぶ違うなと思って」
 ペトラの時代には既に大回廊の浄化も終わっており、キングアーツから神揚まで、滅びの原野に足を踏み入れずに渡る事も出来る。
 しかし十三年前のこの世界では、そこまでの浄化は済んでいない。気密を保った輸送神獣や輸送用アームコートを使い、滅びの原野を横切らなければ南北の大国を行き来する事は出来ないという。
「大揚には、大使のかたがいらっしゃるんですよね」
 そんな薄紫の世界を走りながら、ペトラが口にするのはこの先の事だ。大揚でキングアーツの大使に親書を渡し、彼女達に転移術者の手はずを整えて貰うのだと聞いていた。
「コトナとは面識は?」
「あまり。時々イズミルにお子さんと来ていたので、その時に挨拶するくらいで……」
 それも数年に一度ほどだ。穏やかで理知的な人物という印象くらいはあるが、奉やリーティほど顔見知りというわけではない。
「へぇ。日明さん、子供が欲しいってずっと言ってたけど……」
「……その話、大使館ではしないようにな」
 コトナの浮いた話は、今のところ耳にした事がない。ここでうっかり口を滑らせれば、それこそ歴史が変わってしまう可能性もある。
 よく分からない未来の情報で振り回されるのは、正直奉としてもこりごりだった。
「なあなあ、俺は未来でどうなってるんだ?」
「リーティ!」
 そんな話をした矢先に混ぜっ返すリーティに、奉はため息を一つ。
「……けど、無事に元の時代に戻れると良いですね」
「はい……」
「どうした。何か気になる事でもあるか?」
 アレクと万里の息子だと言うべきなのだろうか。
 少し話しただけでも、未来のペトラは聡い少年なのだと分かる。そんな彼だから、この助力が体の良い厄介払いという事も薄々感付いているだろう。
 頭は良くても、それを割り切れずに悩んでしまう。
 その辺りの判断が苦手なのは、母親の悪い所そのままだ。
「いえ……。僕をこの時代に送った人が、言ってたんです。僕には、この時代ですべき事があるって」
 イズミル城を抜け出したあの晩、確かにセノーテはそう言ったのだ。『すべき事がある場所に案内する』と。
「……ふむ」
 だがペトラがここに来てした事は、何もない。
 せいぜいイズミルで騒ぎを起こして過去の万里と出会い、奉達に面倒を掛けたくらいだ。
「誰に言われたんだ? それ」
「まあ……それは、内緒ですけど」
 何せそれを言った張本人は、リーティの隣で燃える翼のバルミュラを駆っているのだ。それこそ十三年後の彼女に悪い影響を及ぼす可能性もある。
「怪しいなぁ」
「ですね。……もしかして、好きな人とか?」
 しかし、その物言いが引っかかったのだろう。リーティと千茅は、ペトラの言葉に口々にそんな事を言い始める。
「え、いや……その……」
 言われて思い浮かぶのは、初めて彼女と見た時の、イズミルの街になびく白銀の髪。
「なあ。ここからは通信機じゃなくて思念で話そうぜ」
「ちょっとリーティさん!?」
 通信機での会話だから言葉尻を勘ぐられるだけで済んでいるが、思念通信などしては今のざわつく感情も筒抜けだ。
「図星かぁ」
「そういう分かりやすい所も、万里様そっくりですね」
 アレクと結ばれた今でも、万里はその手の話を振るとすぐに恥ずかしがってしまう。夫婦なのだから堂々としていれば良いのだが、その態度が面白くてついついからかってしまうのだ。
「本当にさっきの話とか、向こうでしないようにな?」
 少年いじりで盛り上がる一同に、改めてため息を吐く環だが……。
「……周囲に感あり。神獣のようです」
 静かに紡がれたセノーテのひと言に、その浮ついた空気は一瞬で取り払われる。


続劇

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