7.ターニング・ポイント
万里の白鞘を受け止めるのは、双の刃から短剣へと変わっていた。
ペトラが得物を変えたわけではない。受け止める者が変わったのだ。
「で、なんで万里様とアレク様がこんな事になってるんだよ! アーレス!」
リーティはもともと諜報や偵察が主で、アーレス達ほど戦いが得意なわけではない。だが防御と回避に絞れば、流石に経験不足のペトラよりは戦力になる。
「知るかよ。……ペトラ、お前も行け!」
「でも……っ」
目の前でアーレスとリーティが戦っているのは、彼の両親なのだ。二人がどうしてこんな凶行に及んだのか、確かめる義務と責任が息子たる彼にはあるはずなのに。
「足手まといだって言ってンだよ! テメェはカズネ守んだろうが! 大事なのは何だ!」
両親を糾す事と、カズネを守る事。
今この瞬間、二つの事は同時には出来ない。
そしてペトラの技量では、万里のそれには到底及ばない。
「……カズネには、ダンが」
「あいつ一人でどうにかなるか! ……こっちじゃ足手まといだって言ってるんだ!」
それは、アーレスなりの気遣いなのだろう。
ペトラは小さく唇を噛み……。
「……よろしくお願いします!」
リーティが万里の白鞘を弾いた隙を突き、その場から一気に走り去る。ペトラも大地を駆ける犬の性質を宿した身、身体能力は狐のそれに劣るものではない。
「……あーあ。あの賞金首のアーレス・ファーレンハイトが丸くなったもんだね」
かつてはキングアーツ王家に牙を剥き、一時は敵にさえ回った事のある男だ。それが今では、あれだけ敵視したアレクやソフィアの子供を護るために剣を振るっている。
二十年近い時の流れは無情で、そして面白くもあるものだとリーティは笑いを隠せない。
「だったら賞金ついでだ。それに親子で剣を交えるなんざ、あんなガキにさせていい事でもねえだろ」
「そういう物の言い方、だんだん鳴神に似てきたよ?」
あのイズミルを巡る戦いの中。高らかに笑っていた黄金竜の主を思い出すリーティに、アーレスは露骨に顔をしかめてみせる。
「勘弁してくれ…………ッ!?」
だが、余裕があったのもそこまでだ。
二人の体を走るのは、痛みとも痺れともつかぬ感覚。
「な……神術……!?」
理解出来たのはそこまでだ。不意打ちで放たれた麻痺の術に、アーレスとリーティは構えていた刃を足元へと取り落とす。
「テメェは…………っ!」
眼前にあるのは、振り上げられた白鞘と、キングアーツ様式の両刃の剣。
そして、その向こうに見えた影は……。
それをカズネに伝えたのは、誰だったか。
「あああああああっ!」
遙か西のウナイシュでソフィアとタロの乗るホエキンを沈めたのは、燃えるような翼を持ったバルミュラだったと。
それが今、カズネ達の前に浮かんでいる。
語られたように、燃える翼をその背に備えた姿で。
「どうした、何があった! カズネ!」
「あいつが! あいつがッ!」
先程までは死人のように大人しかったカズネが、突如怒り狂い、声を荒げているのだ。目の前の奇妙なバルミュラが関係している事は分かるが、その事情まではダンには分からない。
「そこのあんた、何者だ! 識別は!」
機体の反応はあるが、敵味方の識別信号は出ていない。イズミルを含めた三国に属さないか……何かしら、出所を知られたくない機体なのだろう。
(だとしたら、ネクロポリスか……? けど、あそこは俺達の味方のはず……)
もちろんダンも、答えが返ってくるなどとは思っていない。聞いてみただけだ。
しかし彼の問いに、燃える翼のバルミュラは応えた。
通信ではない。
自身の胸部……バルミュラの操縦席を開くという方法で。
「おいおい……」
現れたのは、月夜にも眩しい白銀の髪を持つ娘だった。
昼間会った時と同じ神揚の式服をまとい、音もなく宙に浮かぶバルミュラの胸元に立つ彼女の名は……。
「セノーテ……!?」
「……ペトラは?」
「まさか、あんたが……ッ!」
叫びと共に背中の片手半を引き抜こうとした瞬間、彼女の駆るエイコーンは翼を打ち、バルミュラから大きく離脱する。
「ダン! バカ、戻ってよ!」
ハギア・ソピアーを改装したエイコーンには、未だ飛行能力は備わっていない。彼女が空を飛べるのは、背中に接続したケライノーの翼があるからだ。
故に飛行時の機動も進路も、全てケライノーが司る。
「今のお前で勝てるかよ! あいつ多分俺らより強えぞ!」
怒りや強い感情は、爆発だ。勢いはあっても正確な動きや判断には繋がらない。
そして不安定な空中に機体を固定させ、操縦席から姿まで見せたセノーテの操縦技量は、正直同年代とは思えないほどに高く、正確なもの。
今の状態でカズネがいくらセノーテに挑んでも、一矢報いる事さえ出来はしないだろう。
「何怒ってるのか知らねえけど、今は万里様たち何とかする方が先だろうが!」
そのために、アーレスもペトラもイズミルに残ったのだ。
「あ…………」
だが、二人が無事にマグナ・エクリシアに辿り着けなければ、彼らの行動は全て無駄になってしまう。
「……元気出してくれたのは嬉しいけどよ。ちょっと頭冷やせ。な?」
「…………うん」
ダンの激昂に勢いを挫かれたのだろう。カズネは火が消えたような小さな声で、頷いてみせるだけ。
「こっちの制御、切るね。……連れていってくれる?」
「……おう。寝てていいからな」
周囲に彼ら以外の機体の反応はない。
セノーテがあの可変機体でその気になれば、重荷を下げたケライノーに追いつくことなど造作もないはずだ。恐らく初めから、こちらを追う気はなかったのだろう。
だとしたら、彼女はどうしてあの場にいたのか。
(ペトラを探してたのか……?)
セノーテが姿を見せた時、確かに彼女はペトラの名を呼んだ。
あれだけ分かりやすい態度を示したペトラが彼女と顔見知りとは思えなかったが……仮に何らかの因縁があり、彼女に狙われたのだとしても、アーレス達と一緒なら何とか切り抜けられるだろう。
どちらかといえば、今不利な状況にあるのはダン達の方だ。
(……無事でいろよ。ペトラ)
何事もなく飛べば、国境まで数時間と言ったところか。
ようやく少し落ち着いたのか。伝声管から聞こえてくるすすり泣きを耳にしながら、ダンは進路を改めて北へと向かわせる。
トリスアギオンの操縦席は、神獣とアームコート、二つの性質を併せ持つものだ。義体のコネクタを介しても制御出来るし、神獣のように身体の一部を繋げて動かす事も出来る。
「ライラプス弐式……『アンピトリオン』起動認証終了。出るよ!」
アンピトリオンの騎体は自身の身体に。
感覚が置き換わっていく手応えを感じながら、周囲の状況を確認する。……どうやら万里達も騒ぎにするつもりはないのか、ペトラへの追っ手は現れていない。
「アーレスさんはダン達に、マグナ・エクリシアに向かえって言ってた。だったら……」
騎体は四脚、猟犬の姿に留めたまま。高い壁のないイズミルの城を抜け、人通りのない夜の大通りをひと息に駆けていく。
市街地を抜けた先にいたのは……。
「…………バルミュラ?」
ゆっくりとこちらに向かってくる、翼を備えた騎士だった。
ペトラの知るバルミュラと違うのは、かつて見た資料にあったような、直線的な翼とは違う……まるで炎の形をそのまま抜き取ったかのような、燃えるような翼を備えている事だった。
「ペトラ……!」
ペトラが誰何の声を上げるより早く、通信機から飛び出してきたのは、彼の想像だにしない声。
「セノーテ!?」
その叫びに疑念の意思を感じたのだろう。燃える翼のバルミュラは小さく頷くと、音もなく胸部ハッチを開いてみせた。
内から姿を見せたのは、夜目にも見間違えるはずがない。ペトラが昼間会った、あの白銀の髪をした少女である。
「なんで君がトリスアギオンなんかに……!」
反射的にそう口にしてはみたが、よく考えればククロの娘だ。トリスアギオンに乗っている事そのものは、さして不自然な事ではない。
けれどこんな夜中にトリスアギオンを駆り、ペトラを待っているなど……。
(……まさか)
思い浮かぶのは、先程の両親の異変。
目の前の少女も、あの事件に関わっているのではないか。
(でも、ククロは敵じゃない……)
そうなのだ。
ククロは、イズミル黎明期からアレクやソフィアを助けてイズミルを支えてきた英雄の一人。多くの発明や発見を行なってきた彼が、いまさらアレク達に反旗を翻す意味などどこにもない。
彼の言う『楽しい遊び場』である平和なイズミルを失って一番困るのは、彼自身なのだから。
「時間が……ありません」
だが、そんなペトラの迷いを見透かしたかのように、セノーテは彼を促してみせる。
「案内します」
「案内って……カズネ達の所?」
セノーテの振った首の向きは、横。
他に行くべき所など、思い当たらない。アーレス達は上手くやるだろうし……今更戻った所で、追い返されるだけだろう。
「じゃあ……南の国境?」
かつて八達嶺と呼ばれた南の国境には、彼らの剣術の師匠である珀牙達が詰めている。義に厚い彼らなら、環のようにきっと力になってくれるだろう。
「すべき事がある場所に」
けれどその問いにも、セノーテは首を横に振るだけだった。
「私を信じて……くれませんか?」
小さく呟き、白銀の髪の少女は式服の裾を曳くようにして、燃える翼のバルミュラの中へと戻っていく。
続劇
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