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 その地にも、風は吹く。
 薄紫の霧に覆われた呪われた地。
 滅びの原野と呼ばれる、死の荒野にも。
 風が吹き、砂を巻き上げ、それがその領域を広げることはなくとも……彼の地を歩く者の行く手を阻むことはためらわない。
 歩く者は、ただ一人。
 否、それを一人と言うべきか。
 赤毛の犬の頭を備えた、人ならぬ大きさの体躯を。
 歩みは鈍く、限界は近い。
 そいつの赤い瞳に映るのは、永劫に晴れぬ薄紫の霧と、巻き上げられた砂の嵐ばかり。
 防砂を兼ねた分厚いマントの隙間から獣毛と甲冑に覆われた手を伸ばし、そいつは小さく呟いた。
 人の声で。
 まだ若い、少年の声で。

「この世界を、もう少しだけ……!」

 伸ばす手の先にあるものは、救いか、それとも……彼方の、幸せな思い出なのか。

 力なく開かれた赤い瞳に最後に映ったのは。
 少年も良く知る、黒金の騎士の……。





〜The last one step〜

第1話 『20年後の世界』




1.黒金と、猟犬

 薄紫の風の中。
 ぶつかり合うのは、鋼の音。
 剣と、刃と。
 爪と、盾と。


 真紅のマントを力強く翻すのは、漆黒の全身鎧を纏う大柄な騎士。迫る攻撃を左手の大盾でいなし、右手に構えた大きめの剣を片手で悠々と振るっている。
 片手剣ではない。
 両手剣でもない。
 その中間、片手でも両手でも扱える、片手半と呼ばれる長剣だ。
 剣も盾も、黒。そしてそこに施された、精緻だがけっして華美ではない装飾は、深い金。

 黒金の大盾で受け止め、黒金の片手半で弾く。
 弾いたのは、牙と爪。

 相対するのは、甲冑の騎士にも比肩する大きさを持つ巨大な獣である。
 薄紫の風の中でもその艶やかさを失わぬ赤の毛並みに、力強く逆立つ太く巨大な尻尾。胴に回されたハーネスから左右に下がるのは、赤い瞳と同じように細く長い、白木の鞘だ。
 大盾と片手半に弾かれて僅かに距離を取り。
 赤犬は太い首を高々と掲げ、長く鋭い遠吠えを上げてみせた。
 おおん、という力強い響きは黒金の盾を、鎧をびりびりと震わせ、辺りを覆う薄紫の砂さえ巻き上げるほど。
 だが、黒金の騎士が動きを止めた一瞬を見逃す赤犬ではない。四本の脚で鋭く大地を蹴り……次の瞬間に踏み出した脚は、既に二本を減じていた。
 二脚なのだ。
 ハーネスから下がる双刀を腕に転じた前脚で掴み引き抜き、いまだ遠吠えの余波の残る黒金の騎士へと襲いかかる。自らに冠された、獲物を逃さぬ猟犬の名を体現するかのように。


 けれど、撃破必至の一撃も、先刻と同じ。
 咆哮の呪縛を断ち切るように掲げられた黒金の騎士の大盾が、赤い騎士の斬撃を力任せに弾き飛ばしたのだ。
 どちらも限界。
 どちらも打開の一手を見いだせずにいる。
 黒金の騎士が片手半を構えた。
 猟犬の騎士も白鞘を構える。
 動きが停止したかに見えるその光景の中……周囲の景色は、薄紫に染まったまま。
 比喩ではない。
 実際にそうなのだ。
 滅びの原野。
 かつて起きた災いで薄紫の霧に汚染され、人の住み得ぬ地と化したその地を、いつしか誰もがそう呼ぶようになった。
 そこを闊歩出来るのは、かつては大陸の覇者として君臨した人類ではなく……この場に居合わせる、異形の存在だけである。

 やがて。
 黒金の騎士は大盾を捨て、片手半を構えた。
 片手ではない。
 両手持ち。
 片手剣の軽快性と、両手剣の破壊力。
 その相反する特性の中間に位置するのが、騎士の携える片手半だ。
 もはや対応速度が求められる様子見の動きではない。
 全力の破壊力を叩き込む、必殺、の構え。

 それに応じるかのように、猟犬の騎士も白鞘を構えたまま、さらに姿勢を低くする。
 薄紫の風の中。ゆらりと浮かぶのは、幾つもの灯火だ。
 相手の意を感じ、武器を操り、騎士の武技にさえ応じる二本脚の猟犬がさらに得ているのは……超常の力。
 ぽう、ぽう、と灯火が灯るたび、赤い瞳が鋭さを増す。

 互いに無言で得物を構え、術と気を高め合い、最後の一合をぶつけ合おうとしたその時。

 薄紫の大空に響き渡るのは、巨大な翼を広げた化鳥の金切り声と……。

「双方、そこまで!」

 通信機に響き渡る、少年の声だった。


続劇

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