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10.未来

「ジュリア、ジュリア……」
 穏やかな照明神術の灯火を受けながら、掛けられたのは彼女の名前を呼ぶ声だ。
「……イノセント中尉!」
 それが一転、強い呼び方に変わり、ジュリアは思わず伏せていた顔を上げた。
「え、あ………っ。うん」
「どうしたの? ぼーっとしちゃって」
 意識を集中していただけのはずが、いつしか考え事に転じ、そのまま脱線してしまったのだろう。
「あ……うん。……ごめん、柚那」
 彼女の顔を心配そうに覗き込んでいる柚那に小さく謝って、今更ながらにコトナの手を取っていた事を思い出す。
 最近はほぼ日課となっていた、コトナへの治癒術の施療の最中だったのだ。どのタイミングで術への集中が途切れたのか、既に触れ合わせていた手のひらからは術の輝きも消えていた。
「謝る先が違うでしょ?」
 初級の神術であれば、集中が途切れても術の効果が消えるだけ。ジュリアの使える神術程度であれば、失敗した所でさしたる影響も起こらない。
 だが、もしこれが高度な術であれば……集中を途切れさせるという事は、暴れ馬の手綱を手放す事にも等しいのだ。
「……ごめんなさい、コトナ」
「私相手にぼうっとするのは構いませんが、これが……」
 そう言いかけて、コトナは紡ぎ掛けていた言葉を止めた。
「戦場だったら死んでた?」
 教導部隊の指導を受けていた頃、幾度となく耳にした台詞だ。怒声混じりに言われるわけではなく、平然と諭されるように伝えられるそれは、素直に受け入れられるぶん余計に空恐ろしいものがあった。
「申請書類のゼロでも付け間違えていたら、大騒ぎですよ」
 今ならそんな事があれば、プレセアかアーデルベルト辺りからのお叱りが飛んでくるだろう。その程度で済めば良いが、もしそこで気付かれずに上に通されてしまえば、それこそ降格や営倉では済まない大問題になる可能性さえある。
「あ……うん。そんな事があったら、責任問題……だよね?」
「そうですね。訓告や減俸くらいで済めばいいですが……」
 コトナにもう一度謝って、ジュリアはその場を後にした。
(だったら、もし味方を裏切って、敵側に回ったりしたら……どれだけの責任を取らなきゃいけないんだろう……)
 けれど自分の部屋に戻るまでに、頭の中は思い描いていた事でいつしか一杯になっていて……。
「やっぱり……何とかするしか、ないよね」
 改めてそんな結論に至り、ジュリアは自室の扉を開くのだった。


 見上げれば、そこに広がるのは黒大理の天井。
 どこからともなく差し込む明かりがあるだけで、その世界には昼夜の概念がない。
「なら、ソル・レオンは任せたぜ。俺はちょっと休ませてもらう」
 一応、時刻を表示する道具はある。しかし数字が映るだけの時間では時の実感などあるはずもなく、結局はそれらしき時間に寝て、それらしき時間に起きる……という、微妙に不規則な生活になっていた。
「……何とかなりそうでござるか?」
 そんなアーレスを見送った半蔵が言葉を掛けたのは、獅子の兜を被ったアームコートに向けてである。
「さあ、どうかなぁ……」
 どこかはぐらかすような穏やかな言葉は、その問いかけがアームコートに対するものではないと分かっている返答だ。
 もちろんそれは、機体の本来の主のものではない。
 彼の機体の調整を任された、シャトワールの声だ。
「半蔵さんはさ……聞かないの?」
 使われる部品は、当たり前だがどれも純正の品ではない。ネジ一つ、工具一つに至るまで、このネクロポリスで複製や再生産がされたものだ。
「何をでござるか?」
「言ってたでしょ。万里様やソフィア様が真実を知った時、どうするか聞くって」
 オリジナルをはるかに上回る品質で複製された部品類を存分に使いながら、シャトワールはアームコートにぶら下がる忍びに向けてそんな問いを掛けてみせる。
 聞くとは言っていたが、あの席でも、それ以降でも、万里やソフィアに改めてそれを問いかけた様子はない。
「ああ……。答えなど、あの目を見れば十分でござるよ」
「なるほど……」
 ナガシロ家に長く仕えてきた者にとっては、それだけで十分だったのだろう。
「半蔵さんはさ……あんな目が出来る人を羨ましいって思った事は、ある?」
 シャトワールは技術兵であり、半蔵は神揚の闇を代々見続けてきた暗部の人間。どちらも戦場で華々しく戦うわけでもなく、歴史の表舞台に立つわけでもない。
 だが、万里やソフィア達は、歴史の表舞台に立つべき者達だ。
 諦めぬ意思と、はるか彼方に輝く希望の光を瞳に映す者達。
 そんな光の当たる彼女たちを……そして、彼女たちが幸せになる光景を、自らが同じ立場だったらと感じる事はなかったのか。
「そうでござるなぁ……。拙者がごく普通の武人であったなら、万里様と睦まじくするアレク殿にギギギと奥歯を噛みしめたり、血の涙を流したり、貴様ら爆発しろ……などと邪念を込めたりしたのやもしれぬでござるが……」
 これといって特徴のない顔で、半蔵は困っているようにも、諦めたようにも取れる、穏やかな笑いを浮かべてみせる。
「……ま、このような身でござるからな」
 その表情も、身体も、性別さえも、半蔵にとってはハットリの家から与えられ、また奪われたもの。
 甘味趣味という、それらの幸せを噛みしめる事の真似事くらいはしているが、美味い甘味を食べて回る喜びと、誰かに愛し愛される想いがはたしてどれほど同じでどれほど違う物なのかは、正直理解しているとは言いがたい。
「して、かく言うアディシャヤ殿はそのような事は?」
「そうだなぁ……」
 シャトワールの身体も、時期の差、技術の差はあれ似たようなものだ。生身の身体だった頃の事はよく覚えてはいないし、この座るべき椅子に腰掛け切れていないような、どこか落ち着かないふわふわした感覚も……生まれながらの当たり前のものだと断言されれば、そう信じてしまいそうな気持ちもある。
「幸せになって欲しいと思う人はいるけど」
 心の中に、眩しく輝く姿はあった。
「……わたしがそうなっている所なんて、想像出来ないからなぁ」
 けれどそれは、シャトワールにとっては天に輝く太陽のようなものであり……決して、自身の瞳に刻みつけるものでも、自身の懐に抱き留めるような性質のものでもないのだ。
「拙者もでござるよ。……して、その方々の幸せについて、一つ頼みたい事があるのでござるが」
 耳元に寄せてきた言葉に、シャトワールは静かに耳を傾ける。
 ふと目を転じた天井には、眩しく感じる光はおろか、仰ぐべき太陽も月も見当たらない。


続劇

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