7.R-20 イズミルの本営を離れ、僅かに西へ。 そこに並ぶ多くの簡素な建物の群れは、二つの国とイズミルの技術を研究するための施設群だった。 「なあ……ククロ」 先日の戦火を逃れたその一室で漏れた声は……戸惑いと、羞恥に満ちたもの。 「本当にしなければ……ダメか?」 「誘ってきたのはリフィリアだろ。俺は別に、リフィリアがしたくないならいいんだぜ?」 「そ、それは……」 にべもない言葉で指摘され、リフィリアは困ったようにその身を小さくよじらせるだけだ。 確かにそうなのだ。ただでさえ忙しいククロに頼み込み、僅かに取ってもらった時間。それは、リフィリアにも無駄には出来ない時間のはずであった。 「なら、ちゃんと言った通りにしなよ。……聞いてるんだぜ? 柚那とも、色々やってるんだろ」 ククロからすれば、どちらも大差ない。 「それとも、柚那はよくて、俺はダメなわけ……?」 「そ、そういうわけじゃ……」 そうではない。 そうではないし、どちらも望んだのはリフィリア自身だ。 「だが……この格好は……」 頬を赤らめ、うつむく娘にも、ククロは言葉を緩めない。 「そう言いながらも、別に嫌そうには見えないけど? 口の端とか、嬉しそうに歪んでるじゃない」 いつもは目の前の騒ぎにさえ気付かないような鈍い男のはずなのに、今日はどうしてそんな細かな所まで見ているのか。 「うぅぅ…………」 けれど、指摘されたことは全くの事実。 リフィリアは悦びに震える口元を必死に我慢しながら、そっとソレを手に取って……。 「……何やってるのよ、二人とも」 「ジジジジジジジジュリア!?」 部屋の戸をノックもなく開けて入ってきた少女に、思わず上擦った声を上げてしまう。 「リフィリア、驚きすぎー」 「どうしたんだ? ジュリア」 「うん。ちょっと出力の相談があってさ……」 顔を耳まで真っ赤にしたリフィリアとは対照的に、ジュリアの表情はごく普通のまま。平然と部屋の中に歩み寄り、ククロの手元を覗き込む。 「出力ぅ? シャトー・ラトゥールでパワーが足りないなんて話、聞いたことないけど」 より強い弓を引くために腕こそ多少改良したが、もともと余裕のある構造をしていた機体だから大した問題にはならなかったはずだ。 あの改装から既に半年以上経っているが、その間も出力不足などという話は一度も聞いた覚えがない。 「あのブラスターよ。もっと出力を上げたり出来ないかな?」 例えば、敵から鹵獲した動力炉など組み込めれば、より強い出力を得ることが出来るのではないか。 「シャトー・ラトゥールのブラスターは動力炉から動力取ってるワケじゃないからなぁ。それだったら、エネルギーパックを直結させた方が早いんじゃないの?」 「そっか……」 「お、おい……ジュリア」 先客を差し置いてそんな話を始めてしまった二人に掛けられたのは、震えるリフィリアの声だった。 「何?」 「あの、なんというか……だな。この事は……」 本当なら、ククロにも見られたくはなかったのだ。 しかし調整や能力を確かめるためには客観的な視点も必要だと、無理矢理自分を納得させて協力を求めていたというのに……! 「ウサギが良いか猫がいいかだったら、猫の方が可愛いと思うけど?」 リフィリアの手元に握られているウサギと猫の耳が付いたカチューシャを見ても、ジュリアは相変わらず顔色を変えることもない。 「そそそっそそそそそっそそういう意味ではなくてだな……!」 正直、もう思考が追いつかない。目の前が真っ赤になる感覚と、登っていた血が一周回って一気に下がっていく感覚がリフィリアを襲って……倒れそうになる体を押し留めるので精一杯だ。 「別に柚那とテレパシーの訓練してるのと変わんないだろ」 「だよねぇ。私も柚那には治癒術教わってるけど、良く教えてくれるよ?」 少々ボディタッチが多い気もするが、それ以外は熱心な、それなりに良い教師である。別段恥ずかしがる事でもないだろう。 「あ、でも私としては、狐もオススメなんだけどなー?」 「ほ、他の皆には極秘で…………っ」 そう。 いずれは皆の前で付ける事になるにせよ、それまでは出来る限りは内緒に……。 「おーいククロ。作業の進み具合はどうだ?」 そのタイミングでノックもなく踏み込んできた二人の将校の姿に。 「ああ。お前達も来ていたのか」 「…………」 「極秘……ねぇ」 リフィリアは、今度こそ言葉を失っていた。 「あれ、プレセア。どうしたの」 感じた気配にそちらに向ければ、屋上の出口に姿を見せたのは、車椅子に乗った仮面の美女である。 「瑠璃ちゃんを……外に出していらっしゃいますの?」 そんなプレセアの視線の先にいるのは、少し離れた所でエレや昌と話をしている鷲翼の少女の姿だった。確かに瑠璃の扱いに関してはリーティに任されているはずだったが……。 「え……あ、別にオレの独断とか、エレや昌に押し切られたからってわけじゃないッスよ!? アレクから許可はちゃんと取って……」 逃げた時の対策も持っているし、そもそも逃げる先がないから保護した瑠璃がどこかに逃げる事は考えづらい。アレクはそう判断して、瑠璃を部屋から出す事を許可してくれたのだが……。 そんな説明をするより早く、プレセアは彼女たちの元に車椅子を進めている。 「ちょっと貴女!」 「おうプレセア。今度瑠璃が、神獣で楽しい空の旅に連れてってくれるってよ!」 「……昼間っから!?」 エレがいる時点でまさかとは思っていたが、エレが片手に提げているのは大きめの酒瓶だった。見たことのない模様の入った瓶だから、恐らくは神揚の酒なのだろう。 「持ってきたのは……」 「私じゃないよ。私はお菓子持ってきただけだってば」 昌ではないとしたら、やはり犯人はエレなのだろう。 「別にこのくらいで酔やしねえって」 視線を向ければ、当然のように悪びれた様子もない。 「そういう問題ではなくて……あなた」 プレセアがそんな言葉と共に、車椅子から伸びたマジックハンドを瑠璃の元へするすると伸ばせば……。 「…………」 瑠璃はその手をひょいと回避してみせた。 「…………」 もう一度伸ばすが、それもさらに回避する。 「……どうして逃げますの?」 「そんだけ殺気があって、逃げないわけないでしょ」 エレの相手をして十分にアルコールが入っているはずなのに、瑠璃の身のこなしに酒に呑まれた様子はない。 軽いステップでさらなる腕の攻めをするりと躱し……。 「ええいっ!」 最後に伸ばされた手を前に、鷲翼を広げて空へと逃げる。 「ってか、何やってんだ?」 「……今回の戦の、八達嶺の被害状況をまとめていましたの」 紡いだ言葉に、瑠璃が表情を変える気配はない。 「ごめんね、手伝えなくて。……どうだった?」 本来ならば、それは奉や昌の役割だったはず。しかし昌は感情的になっていて仕事ではなく、奉だけでは単純に手が足りなかったため、プレセアがその辺りのフォローまで引き受けてくれていたのだろう。 ムツキに言われて、気持ちは少しだけ落ち着いていたが……落ち着かせるのが精一杯で、まだ他の事まで考えが回らなかったのだ。 「……八達嶺の民間人の死者は三十名。うち子供が四人と、妊婦が三人いましたわ」 バルミュラの襲撃は城を狙ったものだったとはいえ、その戦域の全てが城で収まったわけではないし、城内にも城に仕える民間人は少なくない。 その話を聞いて、瑠璃はしばらく黙っていたが……。 「この時期に妊婦っていうと……市場の酒屋と肉屋の所の若夫婦か、後は大通りの施療院? 城内に子供はいないわよね」 「……ご存じですの?」 「そりゃまあ、八達嶺の子供や妊婦なんて知れてるもの。……歴史がそれほど変わってなきゃね」 もともと八達嶺は周辺地域の浄化と開拓を目的として作られた要塞都市だ。軍事施設でもあるし、滅びの原野の初期の開拓に子供連れの家族が参加することはごく希だ。 ましてや妊婦や乳児となれば、八達嶺全体で考えてもたかが知れている。 「それでも、あなた方は世界のためと仰るんですの!?」 「ええ」 苛立ちを含むプレセアの問いを、瑠璃はあっさりと肯定した。 「だって、私の世界じゃ……その人達、キングアーツの襲撃でみんな死んだもの。念のために八達嶺から、滅びの原野のほとりの町まで逃がしてたのにね」 だがキングアーツは、滅びの原野を踏み越えて、軍事拠点ですらないただの山村さえ襲撃を仕掛けたのだ。 「だからって……!」 「六刻半」 そんなプレセアに、瑠璃はその単語を改めて口にしてみせる。 「六刻半か」 鳴神が口にした数字を確かめるように口にしたのは、珀亜の剣の稽古に立ち会っていたムツキだった。 「どう思いますか?」 「……まあ、ありえん数字ではなかろう。そのキングアーツの要塞は、空や神術への備えはないのだろう?」 「そう聞いています」 キングアーツと神揚の城の構造は、設計思想からして全く異なるものだ。 対歩兵戦やアームコート戦に特化したキングアーツの城は、高く分厚い壁で敵を受け止める事を第一に作られているが、神揚においてはそれらの防壁は何の意味も持たない。空中から攻められるか、破壊系の神術で無力化されておしまいだろう。 キングアーツはただでさえ飛び道具を重視しない風潮だというし、対空の弾幕も張れないのであれば、それこそ攻撃して下さいと言っているようなものだ。 「守りのない街や村なら、やろうと思えば半刻もかからん。壁などあれば、むしろ逃げるのが遅れるだけだろうな」 「それは……起こりえる事なのですね」 「先代ならば、間違いなくな」 まるで見てきたように語られるその言葉に、首を傾げたのは剣の稽古をしていた珀亜だった。 「ムツキ殿は、以前にも軍務の経験が?」 八達嶺に来る前は、辺境の開拓村に住んでいると聞いていたのだ。だが軍務経験者にしては、それらしく振る舞う様子がない。 「古い話よ」 さらりと流す老人の言葉を、問うてもはぐらかされるばかりだと理解したのだろう。珀亜は小さく頷いて、それきりだ。 「本当なら、軍議に出てもらっても一向に構わんのですが……」 反撃の意味を込めて呟いた鳴神の言葉にも、老人は苦笑気味に微笑むだけ。 恐らく珀亜と一緒にいる所で声を掛けたのも、わざとなのだろう。 「老いぼれをこき使うでない。ここからはお主ら若い者の仕事だろうに」 実際の所、手持ちぶさたと思う気持ちもないわけでもないが……それ以上に若い力が育っている事が嬉しいのだ。それは老爺の望みでもあり、またかつての血みどろの戦いの先に勝ち得た物もあったのだと、どこか誇らしくも思えてしまう。 「……ほれ。上で仕事が出来たようだぞ」 そしてムツキが指差したのは、背中を預けていた本営の上方である。 「…………」 そこから響くのは、放たれる鋭い拳の音と……娘達の金切り声だった。 |