35.それでも、私は諦めない 復旧中のイズミルの一角。被災を免れたククロの研究室で開かれていたのは、この一日の出来事をまとめるための軍議であった。 イズミルの損害、死傷者の事、奪われたものと、相手の目的。 「半蔵が寝返り、千茅まで行方知れずか……」 そして、裏切った者と、さらわれた者達の事。 半蔵に関しては、何かの間違いという想いと、敵陣に侵入するつもりだったのだろうという想いもある。しかし万里を連れ去る手助けをしたという報告もあり、何が正しいのか、鳴神にも判断しきれなくなっていた。 「千茅に関しては、ホエキンに乗ってイズミルに向かったらしいという報告があった。今も見つからない以上、連れ去られたと考えて間違いないと思う」 その流れからすると、移動中に襲撃を受け、そのままといった所だろう。イズミルに向かう兵がホエキンに便乗する事など珍しくもなかったし、霊石の節約にもなるからと、鳴神たち上層部も別段止めはしなかった。 まさかこんな事態に陥るなど、誰も想像しなかったのだ。 「……ふむ。で、ホエキンにはクロノスと、バスターランチャーも乗っていたのか。……詳細を全てそちらに任せていたこちらにも問題があったな」 極秘任務とは言え、事前に細かいやり取りをしていれば、輸送物資の報告書を偽造される事もなかったし、即日荷下ろしという事も出来ただろう。ホエキンの中に立ち入れば、異変はすぐに気付けたはずだ。 「面目次第もない」 「で、どうするんだ? このままイズミルを連中にくれてやる気か?」 イズミルの代表が連れ去られている以上、決定権はイズミルの共同管理者であるアレクと万里にある。しかし、その万里まで連れ去られているとなれば……。 だが、そう問うた奉では万里の名代になる気はなかったし、鳴神もその気はないと突っぱねている。 「いずれにしても、無理だ。連中の何もかもが分からん以上、この地を渡すなどどんな条件を出されても承諾は出来ん」 「ちょっと! それってまさか……」 「そうだ」 何か言いかけた昌の言葉を遮るように、アレクは首を振ってみせる。 「殿下……!」 「……私とてそんな選択を選びたいものか」 一度目の失態は忘れもしない。二度目はそれを踏まえて、しくじったという。 三度目にも同様の失態を演じるなど……正直彼とて、我慢出来るものではない。 「だったら……!」 昌とセタの重なる言葉に、アレクは短く息を吐く。 「……私にとっても妻と妹だ」 彼の手の中にあるのは、金と銀、絡み合う二つひと組の指輪。かつては一つの指輪に組み合わさっていたそれも、今は本来の形に分かれ……既に銀のそれは、彼の指にははまらない大きさへと仕立て直されている。 その言葉に、二人も彼の無念を察したのだろう。まだ何か言いたそうな顔をしてはいたが、渋々席に戻ってみせる。 「どっちにしても、情報がなさ過ぎるだろ。分かってるのはミーノースって連中の名前と、空間を移動するらしいって事。あと、他に何かあったかな……?」 「返答の期限は七日」 「……ロクな情報じゃねえな」 環の言葉を混ぜっ返す誰かの声に、盛大なため息を一つ。 敵の正体は分からない。目的も、どこから来ているのかすら不明なままだ。 「追跡も、上手く行きませんでしたものね……」 戦っていた巨大蜘蛛にも、追跡の補助となるマーカーをいくつか打ち込んでいたプレセアだが、目の前で消えた後にはいかなるセンサーの類も目標を追跡する事は出来なかった。 あれだけの大敗を喫しておいて、得る事の出来た情報はあまりにも少ない。 「そういうわけでもないかもしれんぞ」 重い空気に覆われた一同に掛けられたのは、入口からの声だった。 「ムツキ……」 一人は、見慣れた老爺である。だがその脇には、フードを目深に被った小柄な娘を連れていた。 細身で華奢なその少女には、誰も覚えがないのだろう。辺りを見回しても、誰もが知らないといった顔をしているだけだ。 「……そちらの女性は?」 誰かの問いに、少女は静かにフードを外してみせる。 「半ぞ…………ッ!」 絶対にその場にはいるはずのない、鳶色の髪を短く揃えた小作りな顔に……誰もが思わず息を飲み、声を荒げかける者さえいた。 だが、少し冷静だった者は、彼女の瞳が金色ではなく、銀色だったという事に気付いている。 「…………瑠璃か」 「久しぶりね。アレク様、環」 アレクの言葉に瑠璃が浮かべるのは、どこか疲れたような、諦めたような……弱い笑み。 「どうしたんだ……?」 そもそも彼女はアレク達を巻き戻した時、死んだはずではなかったのか。この場にいる大半の者を巻き戻した時に世界から消えた、沙灯のように。 「今日の八達嶺攻めに加わっていた、ミーノースの将だ。どうしているのかは、よく知らん」 ムツキの短い説明でも、彼女がどうしてここにいるのかは全く分からない。八達嶺からの戦闘報告で、瑠璃と名乗る人物が敵陣に加わっていた事くらいは聞いていたが……まさか、本物の瑠璃・ヒサだなどとは思わなかったのだ。 「敵方の撤退で置いてけぼりを食らった所を先ほど保護してな。……ミーノースが相手でも、捕虜の扱いは適用されるのであろうな?」 「ああ……それは保証する」 少なくとも、アレク達の事を知っている瑠璃らしい。話の通じる相手であれば、少なくとも捕虜として扱う事に異存はない。 「お前達も、分かったな」 辺りの者に落ちるのは、沈黙だ。 「……沈黙は同意と取るぞ」 周囲に漂う不服の気配は分かっていてなおそう問うても、誰も口を開かない。 アレクは小さくため息を吐き、それを同意と見なす事にする。 「で、捕虜となった以上は、向こうの事を話してくれるのか? 瑠璃」 「別に知ってどうこう出来る相手じゃないわよ。それでもいいなら話してあげるけど……条件が一つ」 「イズミルは渡せんぞ」 「食事には温かいスープとデザートを付けて頂戴。王家の谷の食事って、とにかく美味しくないのよ」 真顔の言葉に小さく笑い、瑠璃はひと言、そう付け加えるのだった。 半蔵が通されたのは、黒大理の味気ない一室だ。 「食事というのは……これでござるか!?」 食事と称されて出されたのは、無機質なトレーに乗せられて出てきた、ペースト状の『何か』であった。 「うん。美味しくなくてごめんなさい」 「べ、別に沙灯殿やアディシャヤ殿が悪いわけではござらんが……。むぅぅ……」 口に入れても、甘いとも辛いともつかぬぼんやりとした味が広がるだけ。美味いとはとても言えないが、かといってとりたてて不味いわけでもない……なんとも形容のしがたい物体である。 キングアーツの料理で芋を潰しただけの物を食べた事もあるが、それをさらに味気なくした感じだろうか。 「牢の万里様やタロ殿も同じ物を?」 「そうだね。ネクロポリスの食事はこれ一種類だけだから……」 「……気が狂いそうでござるよ」 これ一種類という事は、甘味や珍味といったものすらないのだろう。半蔵の数少ない楽しみを軒並み封じられ、心の中で盛大なため息を漏らす。 夜空でも見て涙の一つも零したい所だったが、このネクロポリスには見上げる夜空すらもないのだという。 だが、万里達をから寝返って、こんな異境の地までやって来たのだ。何らかの収穫がなければ、戻る事など出来はしない。 「して、ここの輩の目的とは……?」 「そうだね。半蔵さんも知っておいた方が良いだろうね」 そして、シャトワールと沙灯はゆっくりと話し出す。 ミーノースの。 死者の都にいる者達の、真の目的を。 辺りにそびえるのは、高い高い黒大理の壁。 その一室に押し込められた万里とソフィアは、トレーの味気ないペーストを食べながら、タロと千茅の話を聞いていた。 「……もう一度、大後退を起こす?」 「うん。イズミルのアークには、そんな力があるんだってさ。沙灯さんがそう言ってた」 最初の大後退も、あの聖なる石が呼び起こしたものらしい。 「大後退の時も入れたら、もう三回も大戦争を起こしてるのか……」 人間同士の諍いを諫められた末、世界は北と南に……滅びの原野を挟んだ両端に生き残る形で別たれたのだという。 「三回も失敗したんだから、四回目もダメだろう……か」 一度目の失敗はソフィア達のあずかり知らぬ所だが、二度目、三度目の失敗は原因がないかと問われれば、ないと言い切る事も出来ない。 記憶はないが、少なくともそちらの歴史の自分の事だ。同じ立場に立たされれば、恐らく近しい選択をするだろう。 三度目の世界のアレクが、彼の知らぬ二度目の世界と同じ選択をしようとしたように。 「……さすがにそれだけ失敗したら、見限られても仕方ないかなぁ」 ジュリアや昌のちょっとした失敗くらいなら可愛いものだが、なにせ相手は世界である。 「後は、大事なのはロッセさんのクロノスなんだって」 「空間を操るという、あれですか……」 いまだ調査中で、その詳しい動きは分からないと言われていた。しかし設計者のロッセがミーノース側にいるなら、その脅威は十分に理解しているはずだ。 「あれもこっちにあるんだったら、それこそ打つ手なしだよね……」 ホエキンでイズミルに運ぶなどという事はせず、あのまま厳重に封印するか、それこそ解体してしまった方が良かったのだろうか。 そう思うが、今はもう後の祭りである。 だが。 「あの……もしかしたら…………ですね」 そんな重い空気の中、三人に遠慮がちに声を掛けたのは……千茅だった。 |