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33.届かなかった、その言葉

 上半身を斬り飛ばされたカメレオンは、残った下半身でぼんやりとその場に立つだけだ。
「な…………」
 その先に降り立ったのは、白い小柄な騎体であった。
「万里を……」
 両手に真っ赤に染まった短刀を下げたまま。
 ゆらりと振り返りながらの昌の言葉に、百戦錬磨のアーレスでさえぞくりを背筋に冷たい物が走る。
「返しなさい……っ」
 いくつも連なる神獣厩舎の向こう。降下してくる翼の巨人にまさかと思って駆けつけてみれば、そこにあったのは倒された黒金の騎士と……。
 赤い獅子の手に握られた、万里とソフィアの姿である。
 それを目にした瞬間、考えるより、身体が先に動いた。
「そうはいくかよ。大事な人質なんだ」
 アーレスにとって幸運だったのは、最初の一撃がホーオンを襲った事だったろう。あの鋭い一撃がもしソル・レオンに向けられていれば、恐らく人質は取り戻されていたに違いない。
 そんな感想をおくびにも出さず、アーレスは右手に握った二人の少女を見せつけるようにしてみせる。
 白い兎に似た神獣と同時に現れた九尾の黒狐は、バルミュラに乗ったシャトワールが相対してくれている。そちらは何とかなるだろう。
「……それとも、試してみるか? テメエの蹴りと、俺がこいつらを握りつぶすの……どっちが早え………」
 だがその言葉は、最後まで紡ぐ事は出来なかった。
 アーレスの言葉よりもはるかに速く、昌の手から音もなく放たれた二本の刃が機体の視界を潰していたからだ。
「五月蝿い」
「がァッ!?」
 痛覚カットのおかげで、彼自身の視覚が潰されたわけではない。けれど機構の働く一瞬に感じた衝撃と痛みは、アーレスの脳を激しく揺らす。
 迫る殺気に、反射的に少女達を握った手を突き付ける事が出来たのは、彼の戦闘本能あってこその事だった。
「……ちっ!」
 本能的に放った刃は、彼女の神獣に新たに備えられた二本きりの装備である。一本だけ放ったのであれば、残るひと太刀でアーレスの片腕を両断する事も出来たのだろうが、気付いたのは怒りに任せて放った後だ。
「ミズキ殿! それ以上はまずいでござる!」
 そんな昌達の視界を覆うのは、黒い霧。
 同時に辺りに響き渡る鋭い轟音が、強化された昌の聴覚を一杯に満たす。
「え……半蔵? どこから……っ!?」
 先ほどまで、半蔵の姿はなかったはずだ。
「昌! 大丈夫か!」
「私より万里を……ッ!」
 轟音の残滓にじんじんとする耳に顔をしかめながらも、奉の起こした風が黒い霧を払うのを見届ければ……。
 彼方に飛び去っていくのは、翼の巨人に抱えられたアーレスの姿。
 そして、彼らが向かう先は……。
「え……何で…………」
 空に浮かぶ、巨大な飛行鯨だ。
 いくら新たな構造により力の強化された白雪でも、その高さまでは……もう、届かない。


「ジュリア! ちょうど良い所に!」
 行く手を阻む翼の巨人をようやく倒し、南下していたジュリアに掛けられたのは、蛇の尾を持つアームコートからの声だった。
「ククロ、何よ今頃!」
「俺だって大変だったんだよ! それより、ホエキンが敵に奪われたみたいだ!」
 南に向かおうと必死で気付きもしなかったが、その僅か上には見慣れた飛行鯨の姿がある。確かに翼の巨人達が飛び回る空の中で、撃墜はおろか刃の一つさえ向けられていないのは、そうとしか言いようのない光景であった。
「何ですって!?」
 奪われてどうなるのかは分からないが、ククロの慌てようを聞けば、それが大問題という事くらいはジュリアにも分かる。
「鳴神が言ってたんだけど……あの中には色々とマズい物が積んであるんだって」
「どうするのよ!」
 何とかしなければならない事くらいは分かるが、何をどうすれば良いのかは分からない。
「……ホエキンの飛行器官を破壊する。もともと風船みたいに浮かんでるだけだから、そこを壊せば飛ぶことだけは封じられる」
 イズミルがようやく形を整えた頃に行なわれたホエキンの改装は、もちろんククロも参加していた。ホエキンの構造についても、その時に概ね把握してある。
「そんな、簡単に言うけどどうすればいいのよ。あんな大きいもの、私の弓じゃ壊せないわよ?」
 先ほどの巨大蜘蛛にさえ通じなかったのだ。これ以上大きく距離もある目標を相手に、一体どうすれば良いのか見当も付かない。
「……ブラスターを使う」
「…………ソフィアはいないわよ?」
 真剣に返されたジュリアの言葉に、ククロは小さくため息を一つ。
「シャトー・ラトゥールのだよ」
「………あるの!?」
「聞かなかったじゃないか……」
 その事は以前きちんと説明しようとはしたのだ。むしろその返しに呆れるのはククロの方である。
「と、とにかく、使い方教えなさいよ!」
 言われてみれば、そんな気もする。
 けれどククロの言葉を誤魔化すように、ジュリアは苛立ったような声を上げてみせるのだった。


 それに最初に気付いたのは、誰だったか。
「ホエキン……?」
 イズミルの青い空を悠然と泳ぐ、巨大鯨。
「なんであんなところに! 戦闘中だぞ!」
 貴重な輸送手段でもあるし、そもそも持ち主は民間人だ。戦場の空などという危険空域を飛ばして良い物ではないはずなのに……。
「……でも、何で周りは攻撃してこないんだ?」
 ようやくロッセのバルミュラを振り切ったリーティからすれば、それは当然の疑問だった。
 周囲には何体もの翼の巨人がいる。戦闘手段を持たず、航行速度も遅いホエキンなど、良い的にしかならないはずなのに……。
「聞こえるか、テメェらっ!」
 誰もが抱いた問いに答えたのは、頭上から。
「……アーレス君!?」
 ホエキンに備えられた大型外部スピーカーから放たれた、プレセアにも聞き覚えのある男の声だった。
「八達嶺の万里と、イズミルのソフィアは預かった!」
「………くそッ」
 目の前でアーレスを取り逃がした昌と奉は、改めてのアーレスの宣告に悔しさを顔に滲ませるしかない。
「我々ミーノースの要求はただ一つ!」
「ミーノース……だと?」
「イズミルからの、両陣営の完全撤退を要求する!」
 それは、この場にいた誰もが理解出来るほどに、荒唐無稽な要求だった。
「これが聞き入れられない場合は……二人のお姫さまがたが、あの夢の通りになるだろう!」
「……おのれッ!」
「セタ君っ!?」
 忽然と消えた大蜘蛛に茫然とするプレセアの傍ら。脱力したかのように天を見上げていたセタは、弾かれたようにその機体を変形させ、一直線に飛び出した。
「言う事をちゃんと聞いてくれりゃ、両方の陣営にちゃんと送り届けてやるよ!」
「ジュリア!」
「ええっ! ……当たって!」
 背中に取り付けられていた封じられていた機構を解き放ち、ジュリアは引き金を引き絞る。
「七日だけ待ってやる! 良い返事、期待してるぜ!」
 推進器の放つ赤い光と、ブラスターの青い閃光。
 大地から放たれた二条の光は一直線に、イズミルの空から薄紫の空へと抜け出していくホエキンへと向かい。
「消えた…………っ!?」
 ホエキンが一瞬前までいた空間を、そのまままっすぐに貫いていく……。


 その光景を見守っていたのは、イズミルの中だけではない。
「消えた……」
 イズミルの外。襲い来る翼の巨人達を迎撃していたコトナ達も、同じであった。
 ホエキンの撤退と合わせて、周囲の翼の巨人達も忽然と姿を消していたのだ。この場の戦いだけであれば、損害はそこまで大きくはなかったが……。
 全体で見れば、失ったものは大きすぎた。
「ミーノースとか言っていたな。あれが奴らの名前ということか……」
 それに対して、分かった事はあまりにも少ない。
「無事か!」
 撤収を終えてイズミルに戻れば、彼らを迎えてくれたのはアレクと環である。
「シュミットバウアー中佐のおかげです」
「……すまん。外まで指揮が回らなかった。……礼を言う、アーデルベルト」
「いえ。我々も完全にしてやられました」
 陽動の展開の時点で……いや、全ては半年前から戦いは始まっていたのだろう。
 前半だけでもこちらが場を優勢に進められたのは、それこそリーティのもたらした偶然でしかなかったのだから。
「にしても王子さん。大変なことになったな……」
「……ああ」
 エレの言葉に、答えは苦い。
 イズミルの外側だけではない。内の戦闘が激しかった事も、ライラプスの装甲を見ればよく分かる。
「アレク王子。一度目の巻き戻しの中で、ミーノースという名に、聞き覚えは?」
「ない。……二度目の世界でも、なかったようだな」
 問い返されたコトナも、小さくかぶりを振ってみせた。
 謎の出現をする、謎の敵。
 目的も、手段も……何もかもが分からないまま。
「……珀亜? どうした」
 そんな中、外から戻ってきた兵の中で一層に動きの鈍い騎体を見つけ、アレクは静かに声を掛ける。
「いえ……何でも」
 思い描いていたのは、戦いの終盤、圧倒的な強さを誇る翼の巨人の事だった。
(あの太刀筋……あの気迫…………)
 知りすぎるほどに知り抜いた太刀筋。
 猛虎の如き、交えれば震えるほどの強い気迫。
 呼びかけにこそ答えなかったが、思い描くのは……たった一人。
 けれど、そんな事はあるはずがない。
(…………まさかな……)
 あの太刀筋と気迫の持ち主は、確かにいま、ここにいるのだから。


続劇

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