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27.竜と剣、蜘蛛と蜘蛛

 ホエキンの居住スペースは、実のところそれほど広くはない。その空間のほとんどを積み荷を運ぶための貨物室に割いている事もあるし、タロの趣味と実益を兼ねた厨房が置かれているためでもある。
 そんな居住区画の中でも精一杯に確保された客室で、この船の主は向かいに座る少女の名前を呼んでみせた。
「ねえ、沙灯さん」
 タロの呼びかけに、少女からの返事はない。
「沙灯さんってばー。お話しようよー」
 眠るのは飽きた。
 食事を作ることも、する事も出来ない。
 心配だけはいくらでも出来たが、しても不安になるだけだ。
 ならば、後は話すことくらいしか、する事がないのだった。
「……何ですか?」
 延々とされるタロの呼びかけに沙灯がぽつりと答えたのは、何度目の呼びかけだっただろうか。
「沙灯さんさ。甘いもの好き?」
「ええ。まあ……」
 問いかけの意味が分からない。
 けれど、タロが夢の中で見た通り、もともと真面目な性格なのだろう。沙灯は少し考えて、訝しみながらもきちんと答えてくれた。
「だったらさ、ちょっとこの縄、解いてくれないかなぁ? 沙灯さんもお腹空いてるだろうし、材料も残ってるだろうから、何でも作ってあげられるよ?」
 沙灯はその言葉に、どうするべきか考えていたようだが……やがて、静かに首を振る。
「……ごめんなさい。それはダメって言われてるから」
「何だよケチー。オイラが信用できないんだったら、刃物でも何でも突き付けて脅せばいいだろー?」
 既にアーレスも半蔵もした事だ。いまさら善人ぶる真似など必要はないだろう。
「……それがしたくないから、黙ってるのに」
「そっか……。ちょっと、安心した」
 どこか肩の力が抜けたようなタロの言葉に、沙灯は鼻白んだように黙っているだけだ。
「でも、沙灯さん。どうして無事だったら、万里様の所に戻らなかったんですか?」
「もう万里は、わたしのこと……覚えてないから」
 それは、半年前のあの晩のこと。
 一度だけ会いに行った彼女は、彼女のことを覚えてはいなかった。
 沙灯に、彼女の事を妹と呼ぶ、瑠璃の記憶がないように。
 もちろんそれは、沙灯も覚悟の上だった。全ての歴史から弾き出されることを分かった上で、あの時、あの術を解き放ったのだから。
「覚えてないかもしれないけど……今の万里様は、沙灯さんの事、知ってるよ?」
「…………え?」
「半年前、沙灯さんの事とか巻き戻しの事とか、万里様やソフィア様にみんな話したんだよ」
 万里様はその話を聞いて、記憶がない事を随分と悲しんでいるようだった。恐らくもう一度彼女と会えば、再びの出会いを喜んでくれるだろう。
「半年前……」
「たぶん、沙灯さんが帰った後の事です。……一度、わたしともお屋形でお会いしましたよね?」
「うん……。……そっか、あなた、あの時の」
 あのクーデター騒ぎの晩の事だ。
 万里と僅かに言葉を交わした後、舞い降りたその地で……確かに熊の耳をした少女と話をした覚えがある。
「……だったら、分かるでしょ?」
 沙灯には沙灯の事情があるのだろう。
 けれどそれも……ちゃんと理由を話せば、分かってくれるはずだった。
 キングアーツと神揚の民が、二度の間違いを越えて分かり合えたように。
「何とかなるって。万里様もソフィア様も、すっごくいい人達だよ」
 それは、沙灯も痛いほどによく分かっていた。
「わたし、もう万里に……あんな目に遭って欲しくないんです」
 だが……だからこそ、沙灯は首を振るしかないのだ。


 数だけであれば、十対五。
 性能差で言えば、一対二。
 数と性能差、合わせれば互角の戦いは、ほんの僅かなバランスの崩壊をきっかけに、その進行を加速度的に増している。
「なん……だと…………?」
 初めは、キララウスにアーデルベルトが一対一の戦いを挑んできた所からだった。
 汎用機二に対しても、たった一機で互角に戦っていた翼の巨人……バルミュラだ。いかにアーデルベルトの機体が新型の上級機であろうと、一対一であれば勝てる見込みなどどこにもない。
 事実、二人の戦いは彼の予想どおり、アーデルベルトの防戦一方となっていた。
 ……はずなのに。
「馬鹿な……」
 キララウスの部隊で残っているのは、たった二機。キララウスと、無人のバルミュラ一機だけでしかない。
「……馬鹿はどっちだ」
 小さく呟き、息切れした様子のアーデルベルトは、キララウスから逃げるように半歩を下がる。
「そう言いながらも、もはや限界ではないか!」
 その半歩を詰めようとして……。
 その半歩が、縮まらないことに気付く。
 翼を貫く二本の槍に。
 キララウスの剣を受け流す盾に。
 さらに追加で打ち込まれた、三本目の槍に。
「四対一…………だと……?」
 キララウスに迫る敵は四体。
 唯一健在だった一機を見れば、そちらは五体のアームコートに囲まれており、もはや時間の問題のように見えた。
「いつの間に…………」
 彼我の性能差は、一対二。
 相手は人間で、こちらは疲れ知らずの自動機械だ。死をも恐れず疲れも知らず、策を正確に実行する、無敵の兵士だったはず。
「一箇所だけ三対一があったろうが」
「…………っ!」
 アーデルベルトの目的は、キララウスとの一対一ではない。初めからそんなものは、何の興味もなかったのだ。
 ただ、戦場の一箇所に三対一の場を作るため。
 目の前の相手は、二体で倒せなくても……攻撃を防ぎ、翼を破壊するのが精一杯の相手でも……三体なら何とか倒せる敵だった。
 ひと組倒してしまえば、数の比は十対四。
 アーデルベルト達を除けば、九対三。
 アーデルベルトがほんのわずか粘るだけで、残りの三組も全て有利な場に出来る。
 ひとたび均衡が崩れれば、後はもうあっという間だ。
「こっちの損害はゼロだ。……形勢逆転だな」
 最初の攻撃でアーデルベルト達が狙ったのは、まず翼。それを潰した後に、防御の中から勝機を狙う。
「機体性能だけで押し勝てるなどと……思うなよ!」
 最後に残ったたった一機の翼の巨人に向けて、アーデルベルトは増設された大型戦杭を叩き付ける。


 振り下ろされた刃を弾くのは、黄金の鱗と鋭い牙。
「この太刀筋……ニキ・テンゲルか!」
 無人と思われていた翼の巨人の見覚えのある太刀筋に、まさかと思念を飛ばしてみれば……。
「左様!」
 戻ってきたのは、鳴神もよく知る男の意思だ。
「貴様も堕ちる所まで堕ちたか……!」
 彼らの消息が掴めない事、アーレスやロッセが翼の巨人達を率いている事で、薄々その可能性は示唆されていた。しかしこうして改めて対峙してみれば、鳴神に浮かぶのは失望の思いである。
「なんとでも言え! もはや我輩にはこの道しか残されておらん!」
 半年前のあの事件は、ニキの忠義が暴走したものだと思っていた。神揚の武人だからこそ、軟弱とも取れる万里の態度に業を煮やしての決行だったのだと。
 その気持ちは、同じ武人たる鳴神も分からないでもなかった。
 故に、正当な処罰をニキが受け入れれば、いずれは再び轡を並べて戦えるものだと思っていたのに……。
 それが、どうしてこうなってしまったのか。
「……不器用ものめ」
 だが、既に道は別たれたのだ。
 鳴神は黄金の竜を駆り、ニキは翼の巨人を駆る。
 恐らくこの先、共に轡を並べる事はないだろう。
「ならば、ここで引導を渡すがせめてもの情けよ」
 主の気迫を感じたか、黄金の竜の表皮を舞うのは金色の雷光だ。
「……叩き潰す!」
「ぬかせ!」
 竜の咆哮と巨人の駆動が辺りに響き渡り。
 両雄は、ここに激突する。


 放たれた三本の矢は、表面の重装にあっさりと弾き返された。
「ちょっと、こんなのどうにもならないわよ……!?」
 関節を狙った射撃でさえ、それである。相対する巨大すぎる大蜘蛛に、ジュリアは小さく息を吐くしかない。
 目測でも、ジュリアの機体の三倍、いや、四倍はあるだろうか。
 重量級の相手との戦いも想定しているハギア・ソピアーやポリアノンならともかく……後方支援に特化したジュリアの機体では、いくら弓を大型化し、訓練も欠かさなかったとは言え、打撃力が足りなさすぎた。
「ひゃあああっ!」
 しかも相手が放ってくるのは、粘性を持った蜘蛛の糸だ。そんな物に捕まってしまえば、数少ないジュリアの優位まで失われてしまう。
(こんな事してる場合じゃないのに……っ!)
 半蔵やシャトワールがここから南の神獣厩舎に向かって、何をするつもりなのかは分からない。けれどそこに辿り着けなければ、それを確かめる事さえ出来ないのだ。
 その時だった。
「ジュリアちゃん!」
 通信機から響く声と共に、巨大蜘蛛が大きくその身を揺るがせたのは。
「ジュリアちゃん! 無事!?」
「プレセア!」
 ジュリアを守るように、巨大蜘蛛に正面からぶつかったのは、同じ蜘蛛を模した鋼の機体。
 プレセアの、スレイプニルだった。
「この大きいのは私に任せて、ジュリアちゃんは早く他所の援護に!」
 そう言いながらも、プレセアのスレイプニルとて目の前の大蜘蛛の半分ほどの大きさしかない。純粋なパワー勝負となっては、不利な事は否めないはずだ。
「でも…………」
「大丈夫」
 呟くと同時、次の衝撃は上から来た。
 あまりにも巨大な大蜘蛛の背に長大な突撃槍を突き立てているのは、蒼い装甲を持つ可変アームコートだ。
「……こんな狭い所だとダメだね。空からじゃ、目当ての場所に着地できやしない」
 武器を持たない飛行形態ではない。既に人型となったそれならば、戦う手段はいくらでもある。
「セタ!」
 煙や爆発で視界は悪く、気流も大きく乱れている。恐らくは運動性に優れたマヴァでさえ難しい空域をMK-IIで望んだ位置に飛ぶというのは、セタをしていささか無謀に過ぎた。
「とりあえず、こいつを壊せばいいんだね?」
「ええ。私が押さえるから、セタ君は攻撃をお願い」
「力仕事はあまり得意ではないのだけれど……」
 大蜘蛛の重装を貫いたランスを引き抜くと、セタは次の一撃を繰り出すべく、両手に全力を叩き込んだ。
「二人とも、頑張ってね!」
 鋼の大蜘蛛と蒼い騎士にそう言い残し、ジュリアは神獣厩舎に向けて自らの機体を加速させる。
 そんな彼女の目の前に現れるのは、舞い降りてきた翼の巨人だ。
「…………どきなさいって、言ってるでしょ!」
 相手の大きさは、ジュリアの機体とほぼ同じ。
 それならば、ジュリアにも戦う術はいくらか残されている。


続劇

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