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25.紅に消ゆ

 青い空の上、翼の端に白い筋を引きながら翔るのは、翼の巨人の鉄色の翼と、烏型神獣の黒い翼。
 鉄色の翼の動きは、いまだ完全な空戦の機動とはいえない。地上を駆け、跳躍によってのみ高さを得る戦い方の癖が抜け切れていないそれは、地上戦に慣れた者が飛行型機体を駆る時に現れる特有の癖だ。
「…………よく見抜きましたね」
「ましたねじゃないよ! そんなのに乗って何やってんだよ、師匠!」
 故にその戦いには、いまだリーティに一日の長がある。
 直線的な機動の刃を曲線の動きで躱しながら、リーティはさらなる思念を投げつける。
「必要な事ですから」
 だが、その優勢も少しずつ崩れつつあった。
 本能ではなく、知性で。自身に足りない動きを眼前のリーティから見取り、学ぶ。軍師なりの戦いの仕方を鋼の機体に反映させて、ロッセの動きは目に見えて良くなっていく。
「何が必要な事なんだよ。あの指輪より大事なものがあるってのかよ!」
 翼の巨人の肩に放たれた爪での蹴りは、鈍い音と共に弾き返された。機動力と運動性はともかく、空戦特化の神獣の物理的な攻撃力は、それほど高いものではないのだ。
「師匠の指輪、オレ、ちゃんと預かってるんだよ。万里たちも心配してるよ……。戻って来なよ……」
 呟き、その首に揺れるのは、大きさの違う一組の指輪。
 半年前のあの日、主を失ったクロノスの前に転がっていたという……ロッセが我が身のように大切にしていたはずの品だ。
「……戻るわけにはいかないのですよ」
 放たれた剣に、黒い羽根が宙を舞う。
「小官の一番大事なものを守るためにもね」
「……師匠っ!」
 かすっただけだ。
 有効打には、ほど遠い。
 けれど、その一撃が致命的なそれに変わるのは……恐らく、そう遠くはないだろう。


 老爺がロッセにした問いは、ロッセにしても意外なものだった。
「……どうして私が瑠璃だと?」
 目元を覆う分厚い布を、鋼の指先でほんの少しだけ引き上げて、老爺は静かに笑ってみせる。
 覗いた彼の片眼が向くのは、ロッセの左の薬指だ。
「瑠璃の指輪は、今はリーティが持っておる」
 自分のものも、伴侶のものも。
 ひと組の指輪は、半年前、何の挨拶もないまま姿を消した彼が残した数少ない品の一つだ。
「…………」
 リーティが肌身離さず持っている以上、それがロッセの指にはまっているわけがない。
「何より、足音が全く違ったぞ。外見と声色だけで、他人を真似られると思うな」
 聴覚だけに頼って地上の動きを把握する彼は、自然と足音の聞き分けも出来るようになる。個人まで特定できるとなるとそこまで多いわけではないが、聞き覚えのあるなしくらいであれば、概ねは把握済みだ。
 彼の知る歩き方に該当せず、さらに八達嶺の屋形の中を我が家のように迷いなく歩ける者となれば……それこそ、特定するのは難しくない。
「……あの足で歩くの、大変なのよ」
「だろうな」
 そんな老爺の前に座るのは、既に黒豹の脚を持つ青年ではない。
 大鷲の翼と銀の瞳を備えた、小柄な娘であった。
「して、貴様は何者だ。瑠璃とやらは、ロッセ達の巻き戻しの代償として死んだはずだろう」
 時を巻き戻す代わりに、全ての歴史からいなくなる。だから二度目の世界では瑠璃が消え、この三度目の世界ではさらに沙灯がいなくなった。
「別に死んでなんかないわ。……ロッセの仮説は聞いているでしょ? あたし達は時の外に放り出されて……あのお方に助けられただけ」
「あのお方……」
 呟くその名に、瑠璃は答えようとはしない。
 二つあったワッフルを残らず平らげて、指に付いた餡を小さな舌でちろりと舐め取っているだけだ。
「それに、あたしはただの保険よ。クロノスはもう、ここにはないんでしょ?」
 さらりと紡がれた問いに、老爺は答えないまま。
「答えないなら、実力行使で行くわよ」
 そう呟いた瑠璃に、ムツキが何かを答えるより早く……。
 背後のクロノスが、紅蓮の炎に包まれる。


 ホエキンの泊まる港から南に広がる倉庫群。そこを包むのは、激しく燃えさかる紅蓮の炎。
 そしてその間をゆっくりと歩くのは、赤い獅子の兜を備えたアームコート……ソル・レオンであった。
「容赦するな! とりあえずその辺のものも吹っ飛ばせ! ロストアークってヤツが無事なら問題ねえ!」
 この機体を出した時点で、自身の正体は誰もが理解した事だろう。故に自らの正体を隠す事などせず、アーレスは炎に包まれたイズミルを悠然と進んでいく。
「本当に大丈夫なのでしょうな」
 ホエキンにシュヴァリエ達を隠し、時機を見てイズミル内部から一気に攻勢を掛ける。
 カメレオンの工作もあり、今のところ奇襲の第一段階は成功したかに見えたが……そろそろ敵側も反応してくる頃だろう。
「知るか。ロッセのヤツが、少々の事じゃ壊れねえって言ってたから平気だろ」
 アークが清浄の地の浄化を司る装置という事くらいはアーレスも知っている。事前の情報では、イズミルのそれは半ば地面に埋め込まれ、持ち出す事は難しいと言われていたが……正直、その情報は話半分程度にしか信じてはいなかった。
「ま、とりあえず持ち出せねえなら、ここの全員を追い出すか……」
「何をしておるか! 貴様ら!」
 そんな彼らの元に立ちふさがったのは、シュヴァリエやアームコートから比べればはるかに小さな影である。
「…………何だアイツ。キングアーツ人か? 神揚の奴か?」
 赤銅色に焼けた肌に浮かぶのは、キングアーツ人には見ない鱗に似た模様。しかしその右腕は、キングアーツの物らしき義体に換装されている。
「貴公、アーレス・ファーレンハイトだな!」
「だったらどうした!」
 既に正体は知られているし、そもそも隠すつもりも初めからない。唐突に呼ばれた名に、アーレスは外部スピーカーで叫び返す。
「貴公の目的は、自らの属する国を立て直すことだと聞いた! このような輩に荷担し、その大望さえ見失ったか!」
 足元からのその声に、アーレスはぎりと唇を噛む。
 既に国を追われ、従ってくれた部下もない。あるのは無人のシュヴァリエと、数人の道連れだけだ。
「耳を貸さずとも良い。あれとて亡国の主、似たようなものよ」
「……鳴神って奴か。ってことは!」
 アーレスは、鳴神とは直接の面識はない。だからこそ、目の前に生身の彼が現れた時も、そいつが誰か分からなかった。
 けれど、その名は……雷の銘を持つ男がどんな神獣を駆っているのかは、それこそ幾度とない戦いの中で、嫌と言うほど知っている。
 その叫びと同時、焼け落ちかけた倉庫の一つを突き破ってアーレス達に襲いかかったのは、巨大な黄金の竜だった。
「雷帝!」
 通常の神獣よりもはるかに大きな金色のそれは、単純な体当たりだけでも十分以上の攻撃範囲と破壊力を持つ。戦友を護ろうとする雷帝自身の意思によって繰り出されたそれは、二体のシュヴァリエとアームコートを吹き飛ばすには十分なものだ。
「アーレス、ここは我輩に任せて頂こう。このニキ、奴には借りがある」
 こちらの体勢を立て直す合間に、鳴神も自身の巨大神獣に乗り込んでいる。だが、吹き飛ばされて間合が稼げたぶん、アーレスがこの場を離脱する余裕もまた生まれていたのだ。
「任せる!」
 アーレスの目的は、別に鳴神と戦う事ではない。黄金竜との決着を付けたいという気持ちはないでもなかったが、その優先順位はさして高いものではない。
 今すべき事は、他にあるのだ。
「おのれ……!」
 アーレスを追撃しようと身を起こす黄金竜に立ちふさがるのは、翼の巨人。
 ニキの駆る、バルミュラだ。


続劇

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