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15.不安の始まり

 琥珀色の空の下。
 八達嶺に浮かぶ飛行鯨の群れは、この半年ですっかり珍しくなくなったものだ。その中でただ一頭、ひときわ大きな鯨の腹の中には、この地から北へ運ばれる多くの物資が積み込まれつつあった。
「イズミルの補給に、メガリへの物資。あとは、これか……」
 千茅のオークが運び込んでいるのは、ひときわ大きな木の箱だ。それは先日、やはり彼女が脇に浮かぶひと回り小さな鯨に載せて帝都から運び込んできたものであった。
「千茅さんのあれで、最後かな?」
「予定ではそうでござる。……少し多いでござるか?」
「ホエルジャックなら厳しいだろうけど、ホエキンだから余裕だよ。積みたい物があるなら、ついでに載せていくけど?」
 一覧表に記された物資に加え、実際はこれに千茅と半蔵の神獣も載せているのだが、それでも飛行鯨の腹には十分な余裕がある。
 この半年の間、キングアーツ側の工法を使った若干の改良が施され……その積載量は、以前よりもさらに増量されているのだ。
「拙者達を運んでくれるだけで十分でござるよ」
 千茅の騎体が鯨の腹の中で固定されつつあるのを確かめて、半蔵もゆっくりと歩き出す。
「じゃ、もうすぐ出るよ! 半蔵さんも早く乗って!」
「心得た!」
 それからほんの少し後。
 タロの操るホエキンは、イズミルへのいつもの航路を、いつものようにゆっくりと飛び始める。


 そこには、昼と夜の概念がない。
 いついかなる時でも周囲は暗く閉ざされた黒大理の壁があるだけ。窓と呼べる物はなく、与えられた空間の外がどうなっているのかも、彼らには確かめる術はない。
「いよいよか……」
 小さく呟き、アーレスが自身の身体に繋いでいくのはアームコートを制御するコネクタだ。そのジャックを一つ差し込むごとに、彼の身体はアームコートの一部となり、感覚は広く、強くなっていく。
「抜かるんじゃねえぞ、テメエら」
 機械に置き換えられた視覚に映り込むのは、翼の巨人だけではない。
「うん……」
 シュヴァリエの中でも大きな翼と、女性の胴を備えた異形の機体。それをまとうのは、鷲翼を持つ金の瞳の少女であった。
 荒々しいアーレスの言葉にやや怯んだ様子ながらも、しっかりと言葉を返してみせる。
「人に物を頼む態度ではありませんな。その騎体には飛行能力がないというのに」
 それに随伴するのは、いつもどおりの翼の巨人。
 名前は何と言ったか……八達嶺で謀反を企み追い落とされた、狒々に似た顔を持つ男である。
「テメエも落とすんじゃねえぞ、ニキ」
「見くびってもらっては困りますな。既にこのバルミュラは我輩の手足も同然」
 ようやく名前を思い出して名を呼べば、ニキの翼の巨人はアーレスの背中を大きな両手で掴み上げた。
「それよりも、シャトワール殿の方が心配では?」
 ちらりとバルミュラの視線を向ければ、そこにあるのはもう一体の翼の巨人だ。
「バルミュラの操作は、ほとんどが自動操縦ですから。少々の訓練で、手足のように動いてくれます」
「…………」
 シャトワールの紡いだ言葉は、いつもの笑顔混じりのものだろう。けれどそこに潜む言外の棘に、ニキは狒々に似た顔を露骨にしかめてみせる。
「では先行はお願いします。アーレス、後は作戦どおりに」
 出立する機体は、彼らに加えて無人機が二体と、かつての逃亡劇の時に持ち込まれたカメレオンに似た神獣が一体だけ。
 彼らを見送る者に至っては、黒大理の広間の脇に立つ、黒豹の脚を持つ男の一人しかいない。
「任せろ。お前らも遅れるんじゃねえぞ」
 応えるアーレスが見据えるのは正面。
 そこに開けられた巨大な門の向こうに見えるのは、常に波紋が生まれ、沸き立っているかのような平面だ。
(いつもながら、気味の悪い出口だぜ……)
 ゲートと呼ばれるその場所は、この広間から外へと繋がる唯一の出口だった。アーレスも仕掛けは知らないが、そこに飛び込めば、滅びの原野の幾つかの場所に出る事が出来るのだという。
 そんな仕掛けの出口だから、出口の外……ネクロポリスの外観がどうなっているかは、いまだアーレスにも分からないままだ。
 しかし、今の彼にはそんな事は関係ない。
「オーキュペテー、出ます!」
「シャトワール、バルミュラで出発します」
 沙灯とシャトワールが先陣を切り。
「ニキ・テンゲル。バルミュラ、出陣する」
 それに続くように歪んだ空間に飛び込むのは、アーレスのソル・レオンを抱えたニキの翼の巨人だ。


 メガリ・エクリシアの調理場も、常に戦場というわけではない。昼の食器の片付けが済んでしまえば、夕食の支度が始まるまでは束の間の平穏な時間が訪れる。
 だが今日ばかりは、その平穏なはずの調理場に、奇妙な殺気が満ちあふれていた。
「…………ふむ」
 コンロの前で構えるのは、全身義体の白い髪の娘。
 脇にあるのは練り上げられた小麦粉と、幾つかの果物。そして……何だかよく分からない物体であった。
 小麦粉の塊のようではある。だがそれは多くが妙な大きさをしていて、さらには大半が焼け焦げていた。
「……ふむ」
 小さく呟き、目の前のフライパンを凝視する。
 意識をそこに集中させて……。
「ヴァルー。何してるの?」
 掛けられた声に、その集中はあっさりと消し飛んだ。
「ジ、ジュリア!? どうしてこんな所に……」
 彼女はイズミル所属のはず。ここがイズミルの調理場ならともかく、ここははるか北のメガリ・エクリシアだ。
「明日は式典だから、ソフィアがアレク様との打ち合わせに来てるのよ」
 ジュリアは彼女の護衛である。
 もっとも式典を明日に控えているような時機だから、特に新しく決めなければならない事はない。最終確認をするだけでジュリアは暇だったから、お茶でも淹れようかと食堂にやってきたのだ。
「そ、そうなのか……」
 そうして話す間に、ジュリアは食堂からするりと調理場に滑り込んでいる。
「それより何? クレープ?」
 溶いた粉に、幾つかの果物。目の前のフライパンと調理器具の組み合わせを見れば、浮かんでくる料理はさほど多くない。
「…………環が好きなようだったからな」
 脇の失敗作を見えないように身体をずらしながら、ヴァルキュリアは珍しくぼそぼそと呟いてみせる。
「へぇぇ。そっかぁ」
「な、何だその目は!」
 失敗作を見られたのか、何か思う所があるのか。
 ジュリアの視線に声を荒げるが、ジュリアはそんなヴァルキュリアにひるみもしない。
「別にー。ただ……あんまり上手くいってない?」
 フライパンは熱しすぎているようだし、タネも濾されていないように見える。
 その惨憺たる結果は、彼女の脇に山となって積まれていた。
「……お前は焼けるのか?」
「焼けるよ? まあ、あんまり上手じゃないけど、ヴァルよりは上手かなー」
 少なくとも、ソフィアに美味しいと言ってもらえる程度には。もっともソフィアもあまり料理にうるさい方ではないから、本当の味は保証できなかったけれど。
「教えてあげようか?」
「……いいのか?」
「もちろん」
 戦に関しては圧倒的な実力の持ち主に対して、ジュリアは胸を張ってそう頷いてみせる。


続劇

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