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28.沙灯と瑠璃の物語

 巨大なその騎士が膝を折ったのは、薄紫の世界の中、ただ一つオアシスの如く輝く緑の世界に足を踏み入れたからだ。
「やっと……着いた………」
 決して広くはない操縦席から身を起こし、その後ろのスペースに縮こまるようにして座っていた男を揺り起こす。
「おいアーレス、大丈夫か」
 男の反応は、道の中程から目に見えて鈍くなっていた。身体の損傷が酷い事は初めから見て取れたが、キララウスとて軍医ではない。応急処置程度ならともかく、ここまで酷い損傷の対処となればお手上げだ。
「ああ……大丈夫だ。……がはっ」
 ようやく身を起こした所で激しく咳き込めば、その先に散るのは赤い飛沫。
「ンだ……?」
 立ち上がろうとしても、膝に力が入らない。崩れそうになる身を支えようとして……両手でも支えきれず、そのまま操縦席へと倒れ込んでしまう。
「くそっ。冗談じゃねえぞ、テメェ」
 頭部に仕込まれた生命維持装置があるから、身体の損傷が生死に直結することはない。けれど維持装置の効果も、そうそう長く続くわけではないのだ。
 身体を捨てても、せいぜい五日か、六日か……。
「しっかりしろ、アーレス」
 キララウスの手を借りてようやくアームコートから降りられたのは、それからしばらくの時が過ぎてから。その間にも打ち身や擦り傷、新たに漏れた血によって、その体はさらなる傷を増やしている。
「たりめェだ。……死んでたまるかよ」
 やりたい事は、まだまだあるのだ。
 やらなければならない事も、十分に。
 死ねない。死ねるはずが、ない。
 スミルナの端。緑成すその地に寝転がり、起き上がる力がないまま、天を向いて咆哮を上げる。
「あの……」
 その想いが届いたのか。
「どうかなさいましたか?」
 叫びを上げるアーレスと、それを茫然と見つめるキララウスに掛けられたのは、穏やかな少女の声だった。
「あんたは……」
 鳶色の髪に、金の瞳。
 背中に生えた、大鷲の翼。
 二人の男の様子を不思議そうに見つめるその少女は、果たして何という名だったか。
(ああ……そうだ)
 メガリ・エクリシアに来た偽物ではない。
 夢で見たその少女の名を思い出し……。
(…………沙灯)
 アーレスはそれきり、自らの意識を手放した。


 お世辞にもさして広くないテントの中は、ここ数日にはないほどの喧噪に充ち満ちていた。
 その内に響くのは炎の燃える音と、鍋の中で焼けた油と新鮮な野菜の混じる音。がつがつと鍋を振る音が鳴れば、やがて立ちこめるのは肉の炒まる香ばしい匂いと、大蒜をたっぷり浸した油から立ち上る食欲をそそる香り。
 誰の耳にも身体の内から聞こえてしまうのは、生唾を呑み込むごくりという音だ。
「このような時に……」
 短くも激しい戦闘は終わったばかり。部隊の撤収や反乱兵の整理など、戦闘直後の雑多な処理は、軒並み奉達に押し付けているというのに……。
「こんな所に来ていて良いのでしょうか」
 カウンターに腰を下ろし、所在なさげに呟く万里だが……そのお腹がくぅ、と愛らしい音を立たのに気付き、頬を染めて俯いてしまう。
「オイラはみんなが揃ってて嬉しいけどなぁ」
 神揚の将に王族。それだけでも一般市民のタロにとっては雲の上の人なのに、今日は噂でしか聞く事は出来ないだろうと思っていた、キングアーツの将や王族達まで来ているのだ。
 まさに千客万来。料理屋の小さな主としては、まさに今この時こそが全身全霊をもって挑むべき、一大決戦の瞬間であった。
「こんな時だからだよ。色々と話さなきゃいけない事もあるし」
 キングアーツと神揚の将が顔を並べ、万里にソフィア、アレクも揃っている。彼らの知る歴史の中では必ず誰かが欠けるはずだった三人が、今はこうして無事に生き延びる事が出来たのだ。
 語るならば、今だろう。
「話すって……みんなが神揚の事を知ってた事?」
「ええっと……ですね」
 ソフィアの問いに、リフィリアはそれ以上の言葉に詰まってしまう。
 確かにソフィアには、彼女達の知る事の一部は話していた。けれどそれは、ほんの一部でしかない。
「……巻き戻しの事か」
「……巻き戻し?」
 アレクの言葉の意味が分からないのだろう。空腹のはずの万里も出された突き出しを口にする事もなく、不思議そうな顔を浮かべるだけだ。
「左様。拙者のこの姿の、本来の主の話でござる」
 カウンターの隅に腰掛けているのは、鳶色の髪に金の瞳を持つ、翼なき少女の姿。
「それって、沙灯って子が本当にいたってこと?」
 それは、半蔵の名乗っていた偽名ではなかったのか。半蔵という名、男の名にそぐわない姿であるが故の、仮の名では……。
「……はい。お二人にはあまり聞かせたくない話でしたから、黙ってたんですけど……」
「……千茅も知ってたの?」
「私も知ってた。……ごめんね、内緒にしてて」
 くたりと元気なく垂れた耳に、それが本当の気持ちだと理解したのだろう。万里はそっと手を伸ばし、平気だよ、と千茅や昌の頭をそっと撫でてやる。
「私も聞いて良いのか?」
「……うん。ここまで関わったんだから、珀亜も聞いておいた方がいいと思う」
 この中で一切の巻き戻しを受けていないのは、ソフィアと万里を除けば珀亜だけ。
「心得た」
 いや、正確に言えば、珀亜の身体の本来の主はその事を知っているのだ。ただ、今の珀亜の身体の主は、それを妹からの最期の便りで伝え聞いたにしか過ぎない。
 ジュリアの言葉に小さく頷き、珀亜もすっと姿勢を正す。
「では……拙者がお話しさせていただいて、構わぬでござるか?」
「任せるよ。補足できる所は、オレ達も補足するから」
 リーティに頷き返し、沙灯の姿を持つ少女は語り始めた。
 彼女達の見た夢の話を。
 本当の沙灯と、万里と、ソフィアの辿った、数奇な運命の物語を。


 白木造りの厩舎に足を踏み入れたのは、黒い獅子と……赤銅の背甲をまとう、人型の巨人だった。
 この場所を訪れた巨人の中では三番目。自ら歩いて足を踏み入れたアームコートとしては、初めてになる。
「ただいまー。疲れたー」
「おお、ここが八達嶺か。ホントに木で出来てんだな」
 そんなコトナの機体の横で自らの騎体を丸め、首筋の制御器官から抜け出してきたのは柚那とエレである。
「ご苦労だったな」
「お疲れ様。大変だったね、二人とも」
「奉……はともかく、ウィンズ大尉?」
 アームコートの背中から降りてきたコトナ達を出迎えたのは、神揚の民だけではなく、彼女達のよく知る青年であった。
「何で大尉さんがこんな所にいるんだ?」
 確かに八達嶺との休戦が成ったと聞いていたが……まさか神獣の厩舎にキングアーツの身内がいるなどとは想像もしていない。
「二人の出迎えも必要だろう?」
「ありがとうございます。ソフィア姫様達は?」
「今、万里やソフィア殿達とタロの店で夢の話を聞いている。タロの名は知っているな?」
 タロの名は、エレやコトナもスミルナで何度か耳にした事があった。確か、キングアーツの料理を再現しようと頑張っている料理人だったはず。
「そっか。全部話す気になったのか」
 以前、エレ達がソフィアに神揚との事を語った時は、巻き戻しや彼女が死ぬ定めについては、適当にぼかして話していた。ソフィアも神揚との事を納得するのに精一杯で、その時はそれ以上の質問はして来なかったが……。
「……また夢の話か」
 飽きるほどに出てきたその言葉に、少し遅れて現れた鳴神は露骨に顔をしかめてみせる。
 夢は夢、現実は現実だ。確かに一時期は指針になったかもしれないが、既にそれに囚われている場合ではないというのに……。
「種明かしは必要だからね。今はもう過ぎた話かもしれないけど、だからこそそれを振り返る事も必要だと思うよ」
 理解は出来るが、納得まではしたくない。
 鳴神は小さく唸るだけだ。
「あれ? 鳴神、その腕どうしたの? 片方ないじゃない」
 そんな鳴神の右腕の異変に柚那が気付いたのは、その時だった。
「ああ。ちょっとな」
「ちょっとってどうするの。ないと大変でしょ。右腕よ?」
 文字も食事も、普通は右腕でこなす。鳴神が左利きという話は聞いた事がなかったから、だとしたら間違いなく不便極まりないだろう。
「再生術や新たな融合という手もあるが、面倒でな……」
 鳴神ほどの歳を重ねても新たな動物の性質を融合させる事は可能だし、神術の中には失われた手足を元通りに甦らせる術もある。けれどそのいずれも施術には長い儀式を要したり、力を完全に取り戻すまでに長い訓練を必要としたりする。
 普通は幼い頃に融合を済ませ、成長と共にその異能を使いこなす術を自然と身に付けていくものだが……この歳で新たな融合を行った者で良い結果となった話は、実際の所それほど多くない。
「どうした」
 だが、そんなぼやきを漏らす鳴神を、エレ達キングアーツの出身者は不思議そうに見上げているだけだ。
「や、腕がなくなったんなら、義体化すりゃいいだけだろ? しねえのか?」
「……義体化? 貴様らのその腕か」
 確か、キングアーツにおける融合技術に相当するものだったはず。
 キングアーツでは動物の性質ではなく、金属部品に置き換えるのだと聞いていたが……。
「はい。元々ある物が無事なら置き換えるのは必要に応じてですが、腕がなくなったのに義体化しない意味はないかと」
「ふむ。使えるようになるまでにどのくらいかかる?」
「メガリ・エクリシアの設備でしたら……腕一本なら、訓練と合わせて長くて半月ほどかと」
 キングアーツ黎明期の義体は調整やリハビリに数ヶ月から数年かかるケースも珍しくなかったが、長年の研究と進歩によって、その期間は驚くほどに短縮されている。日常生活に必要というだけのレベルなら、それこそ組織の定着やリハビリを合わせても、一週間ほどしかかからない。
「そんなものか。ならそれにしよう」
 即決だった。
「おいおい。そんな簡単に決めていいのか?」
 施術の簡単さはともかく、腕一本となれば一生の問題だ。融合で新たな力を手に入れても鳴神なら使いこなせるだろうし、再生すれば元と同じように使う事も出来る。
 間違っても、夕食の献立並の速さで決めるような事ではない。
「構わん。再生術だと腕一本で半年はかかるからな」
 再生術にしても融合の儀式にしても、するとなれば施設や術者の整った震柳までは戻る必要がある。
 今の状況で半年も八達嶺を離れていれば、それこそ何が起こるか分からない。
 夢の束縛を離れた今、より先の未来は分からなくなっているのだ。これからの半年をこの地で過ごす事が出来るなら、それは鳴神にとって後悔する事のない選択となるだろう。

続劇

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