24.重なり合う悲鳴 「……鍵がかかっていなかったのか?」 リフィリアが力任せに蹴り破った扉は、彼女の予想以上にあっさりとその閂を解放し、彼女達を迎え入れていた。 「細工を施した後があった。誰かが上手くやってくれたんだろう」 奉がちらりと横目に見た時。中央から真っ二つにへし折られたはず閂の断面は、その半ば以上がまっすぐに断ち切られていた。一瞬の事だから自信はないが、誰かが閂に加工を施していたのは間違いない。 先行した半蔵にそんな暇があったとは思えないから、外の城内にいた誰かだろうが……。 「それより、兄様と万里は屋上なのよね! 急ぐわよ!」 だが、扉を蹴り破った音が思った以上に響いていたらしい。慌てて駆けつける兵達に、ジュリアは思わず声を上げる。 「ソフィア! 前!」 「後ろからも来たか……」 そして通路の反対側からも、こちらの姿を認めたらしい兵が大声で仲間を呼びつつあった。 「こんな所で足止めなんて食らってられないのに……!」 既に万里もアレクも誘導を得て脱出し、階上のニキの元へ向かっているという。ニキを止めなければこの戦いが終わらないのは分かっているが、かといって単身で突っ込んでいい相手では決してない。 「けど、やらなきゃどうしようもないよ!」 「……分かってる! 行くわよ!」 言っておきたかっただけだ。 ソフィアは背負っていた片手半を引き抜き、正面へと走り出す。 「了解! イノセントは援護、トウカギ殿は反対側を頼みます!」 「任せといて!」 やはり斧を構えたリフィリアの言葉にジュリアも弓に矢を番え、その背後では奉が細身の刀を抜いている。 「ここをまっすぐ突っ切れば中庭だ。何とかそこまで進むぞ!」 刀を峰へと返して指示を下すと、奉は口の中で神術を紡ぎ始めた。 構えられた大盾を揺らすのは、敵兵から放たれた神術火球の一撃だ。 「ち……っ!」 本来ならば容易く受け流せるそれも、既に二十を超えた今、明らかにかかる重みが増していた。正確に言えば重みが増したのではなく、コトナの力が衰え始めていたのだが……。 小さく息を吐き、僅かでも呼吸を整え直す。 陽動作戦は、確かに敵の戦力を引きつける事が本懐だが……いくら何でも、引きつけた戦力が多すぎた。 「こりゃ、殿を引き受けたのは貧乏くじだったかな……?」 傍らで戦っているエレも、既に疲労の色が濃い。 無理もないだろう。とうとう攻勢を掛けてきた相手に対して撤退する味方を支援するため、いつも以上に派手な戦いぶりを披露しているのだ。 おかげで敵部隊からもしっかりと目を付けられ、コトナもそのフォローに駆け回る事になっていた。 「日明、ソイニンヴァーラ! 本隊の撤退は完了した! お前達も下がれ!」 「了解!」 アーデルベルトの報が入り、コトナも大盾の裏側にくくりつけていた煙幕弾を取り出して……。 「……しまった!」 眼前に迫るのは、その隙を突いて現れた姿無き暗殺者。 少しでも疲労を押さえるために、ほんのひととき熱視界を断っていたのが災いした。 通常視界と温度だけの視界。 片方の視界だけに映るのは、大太刀を振り下ろす輪郭無き姿。 「コトナ!」 細身の短剣が断ち切るのは、老爺自身ではなく、その足を縛る太い縄。 「……悪かったな。くだらん騒ぎに巻き込んで」 辺りを包むのは、混乱と怒号、そして交わされる刃の金属音だ。 「まったく。とんだ猿芝居だな」 「もうちょっと早くヴァルが本音言ってくれるかと思ったんだけどなー」 解かれた両脚の調子を確かめ、ムツキは何事もなかったように立ち上がる。そんな彼の束縛を解いているのは、つい先ほどまで彼を切り捨てるよう言われていた青年将校だ。 「人のせいにするのは関心せんな。それも女に頼るなど」 そのヴァルキュリアは、今はアーレスと激しく刃を交えている。 まさしくそれを引き金として、辺りの兵達もクーデターの兵達への反撃を開始していた。 「……あいつにはもっと自立した女になって欲しいんだよ。俺が言うと俺の命令って事になっちまうからな。難しいのなんの」 「貴様の事情は良いから、奥のご婦人方を助けてやれ。儂はもう自分で何とかできる」 「分かった」 足に力を込められれば、腕の束縛などどうという事も無い。既に軋みを上げている綱の様子に大丈夫だと思ったのだろう。環はまだその場から動けずにいるプレセア達の元へと走っていく。 「……とはいえあの小僧、なかなかやるではないか」 散々煽ってはみたが、我が身など顧みない踏み込みを仕掛けるヴァルキュリアにも、アーレスは一歩も退く様子がない。 心の持ちように難はあれど、確かに武勇だけであればかつての幼き猛将にも匹敵する器だろう。 「はああああああっ!」 そんなアーレスの勇しく猛々しい踏み込みよりも、さらに先。 ヴァルキュリアのあまりに深すぎる踏み込みは、アーレスの刃をかするどころか深々とその腕に食い込ませ……。 肉を切らせて骨を断つ。 腕が飛ぶと同時にアーレスの脇腹に食い込むのは、彼女の握った鋼の刃。 だが。 「がああああっ!」 胴の半ばまで食い込んだ刃を物ともせず、代わりにアーレスが振り上げるのは刃の仕込まれた右足だ。 「がはっ!」 骨を断たせて、奪うのは命。 「……ちっ」 本来ならば心臓の位置にある循環器官を蹴り抜いたはずの脚が抜いたのは、狙っていたよりほんの少し右側だった。 「は……ガ、は………ッ」 それでも片肺を潰されたのだろう。血を吐き、立ち上がる力を全身に込められずにいるヴァルキュリアに対して、アーレスは鬼神の如き表情でその歩みを進めて行く。 「環の本当の意思とやらも知れてンな。……テメェら! こいつらはもういい! 皆殺しだ!」 忌々しそうに叫びながら、ずるりと引き抜くのは彼の腹を貫いていたヴァルキュリアの剣だ。 「馬脚を現したな……下衆め」 いくら痛覚が断ち切れても、実際の身体に力が入らなければどうしようもない。絶え絶えの声で呟くだけのヴァルキュリアに向けて、アーレスは血みどろの刃をゆっくりと振り上げる。 「お前もな。……あの世で環の道案内でもしてやれよ!」 いかな全身義体でも、中枢となる頭部を破壊されてはどうしようもない。万能と言われるキングアーツの義体技術でも、頭脳の完全なコピーまでは実現できていないのだ。 その頭部めがけて。 「……ッ!」 アーレスは、掲げた刃を力任せに振り下ろした。 「万里……」 打ち合うのは刃。 「万里殿……」 片方の使い手は万里。 まさに狐の身軽さと鋭さをもって相手の攻撃を躱し、時に反撃を繰り出していく。 「どうした! ナガシロ家の武の技はその程度か! それしきで我が……我らが怒り、受け止められると囀ったか!」 もう片方の使い手は、ニキの片腕となっていた猪の牙を備えた将軍だ。 その顔面通り、猪の如き力強さと荒々しさで、万里の攻撃を受け、弾き、攻撃を押し込んでいく。 勇ましく壮んな技の冴え、豪にして快なる一撃の重み。こと戦いの技に関して言えば、彼も神揚帝国の将として決して引けを取るものではない。 「……まだです!」 そう言いながらも、既に万里の肩の動きは大きく、呼吸は浅くなっている。 例えテウメッサを駆らずとも、本来の彼女の剣技は八達嶺において並の将よりはるかに上位にある。それが十分に発揮出来ないのは、ひとえにその体調が万全ではないからだ。 「万里!」 そんな戦いの場に現れたのは、力強い青年の声。 「アレク様! クマノミドーさん、ハットリさんも!」 「きゃあっ!」 アレクの声に油断したか、それとも体力の限界を迎えたか。 万里が口にした言の葉は、アレクや部下の名ではなく、刀を弾き飛ばされてもらす甲高い悲鳴だった。 「万里様っ!」 目の前の光景に、千茅も思わず叫びを上げて……その言葉に弾かれるように、アレクはその場を走り出す。 「一騎打ちの最中だ! ここを通すわけにはいかん!」 「どけぇっ!」 だが、アレクの刃は猪牙の将へとは届かない。 万里達の声に圧されていた彼やニキの部下達が今更ながらに動きだし、代わりに刃を打ち合わせたのだ。 「アレク様、ごめんねっ!」 それを好機と見たのだろう。彼の肩にかかるのは、アレクよりもさらに後ろから走り出した少女の僅かな重み。 アレクの肩を踏み台にして、昌は剣の林を飛び越えて……。 「ひゃあぁっ!?」 放たれた防御の術に絡め取られ、その場に引きずり下ろされる。 「万里様ぁ……!」 「万里殿……!」 「万里様!」 千茅も、珀亜も、半蔵さえも。 周囲を兵達に囲まれ、その場から動けない。 「最後だ! この怒り、思い知れ!」 猪のかざした鋼の太刀が、立ち上がれぬ少女へとまっすぐに振り下ろされて。 下された刃に重なるのは、いくつもの悲鳴。 薄紫の空。 煤煙に覆われた空。 琥珀の霧に包まれた空。 それぞれの空の下。 悲鳴と共に舞うのは、鮮血と……一本の、腕だった。 |