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22.a wish of silence

「殿下と王子が脱走しただと!?」
 飛び込んできた報告に目を剥いたのは、狒々に似た顔をした将だった。
「はい。どちらも見張りの兵は気を失っていましたが、証言からするとナガシロ衆や馬廻衆の手引きがあったものかと」
 伝令を任された珀亜はそれが誰かを知っていたが、名前まで口にするような事はしない。兵達からその名は聞いていたが、今のニキの怒りを引き出しているのは、間違いなくそこではないだろう。
「おのれ……。既に追っ手は出しているのだろうな! 手引きした者は絶対に許してはならんぞ!」
「どうなさるおつもりですか?」
 白熱するニキと、冷ややかとさえ言えるほどの冷静さで問い返す珀亜。その間には驚くほどの熱量の差があるのだが、ニキは既にそれさえ気付く様子はない。
「我が軍に徒なす無頼の輩である。厳重に処断し、二度とこんな事が出来ぬようにする必要があろうな!」
 素直に殺すと言わない辺りが、彼の最後の理性なのだろう。赤ら顔をより赤くさせ、男は力強くそう言い放つ。
 赤く血走った目は、既に様々なものが見えていないのは明らかだ。
「それに、理由があったとは思えないのですか?」
 だが、それが故に、珀亜は問うた。
 指揮すべき者、軍略を操る者が、決して忘れてはならぬ事を。
「理由……? 知れた事だ。殿下に甘言を吹き込めねば、自らの身が危うくなるだろうからな……」
 相手が何を考え、何を望むのか。
 それを知り、本当に理解しさえすれば、進むべき道、選ぶべき策は自ずと見えてくるというのに……この男は、既にそれさえも見えてはいない。
「本当の奸臣であれば、主がこうなった時点で見限るのでは?」
「……何が言いたい?」
 だからこそ、断じた。
「いい加減になさいませ」
 紡いだ言葉はたった一言。
「万里殿とアレク王子が動いたのは、そうすべき機があったから。この状況においてそれを助ける者は、奸臣どころか忠義の士と言うべきでしょう」
 奸臣が主にすり寄るのは、自身に利がある間だけ。それがなくなり、あまつさえ自身に累が及ぶとなれば、あっという間に掌を返し、むしろ巻き込まれた哀れな被害者を装いすらするだろう。
 だが、彼女達にはそれはない。
 むしろ自身の危険さえ顧みず、進んで死地に飛び込もうとすらしているのだ。
 自らと……その主の思うべき道を実現させるために。
「……あなたの切り札は、アームコートの撃退法と、姫君と王子をその手に握っている事でした」
 だからこそ抗戦派の先鋒に立ち、八達嶺の万里派達を押さえ込み、さらにはキングアーツに降伏勧告をちらつかせる事が出来たのだ。
「ええい、ただの小娘が何を!」
「だが、既にそれは貴公の手にはない」
 陽動のアームコート達は神獣達と互角以上の戦いぶりを見せ、万里とアレクはあっさりと籠の中から飛び出した。
「お前達! この者を捕らえよ! 謀反の心ある者ぞ!」
 それでも、今は彼がこの八達嶺の長である。その怒声を受け、周囲にいた兵達も十重に二十重に一人の少女を取り囲む。
 居並ぶ剣林の中心で、珀亜は鋭い声を放つ。
「謀反の心などあるものか!」
 凜と響く少女の声に、剣の林はざわりと揺れた。
「汝らに問おう!」
 芦原を吹き抜ける風のように。岩の隙間から湧き出す清水のように。
「貴公らの亡き友は、本当にこのような事を望むのか!」
 珀亜の声は、辺り一面に清冽な強さを持って広がっていく。
「命を賭して守った同胞に、復讐の鬼となって欲しいと願うのか!」
 それは、かつて彼自身が命を賭して助けた者達に伝えた言葉。
 彼等にそう言われた時、それが死した彼自身が何一つ望んではいないと気付いた想いであった。
「…………」
 少女の問いに、ニキも、辺りにいた他の将達も、誰一人として答える者はない。
「死した後に再び笑って、酒を酌み交わす事が出来るのか!」
 揺れる剣林が放つのは、陽光を弾くきらきらとした光。無数のそれが一つ残らず揺れているのは、構えた者達の迷いをはっきりと映し出すものだ。
「重ねて問う! 自らが友を守って死んだ後、汝は友が復讐の鬼となる事を望むや!」
 それは、まさしく死者からの問いかけであった。


「誰がそのような事、望むものか」
 アーレスの腹の底からの叫びを、老爺は一言で一蹴する。
「ンだと……?」
 見たもの全てを灼き尽くすような視線にも、ムツキはどこ吹く風。無論、その目は分厚い布に覆われているのだから、当たり前なのだが……。
「昔、似たような事を囀る小僧に遭うた事がある。自らの国をより強い国に呑み込まれ……それを、いずれ自らの力で取り戻すのだと息巻いておった」
 はるかはるか、昔の事だ。
 その頃は老爺もまだ壮年と呼べる頃の歳だったし、今思えば浅はかな若造だったとも思う。
「……そいつはどうしたんだ」
「儂は教導を任されておったから、まずは散々に叩きのめした。あれからもう何十年かになるが、未だに奴は儂に敬語を使う」
 何十年ぶりかに会っても、その態度だ。白髪の交じり始めた歳になってもまだこんな老いぼれに萎縮しているのかと思うと、今となっては少々申し訳なくも思う。
「そんな事は聞いてねえ! そいつは……国を取り戻せたのか」
「まさか。今でも大国の属国のままよ」
 大国は他の国も次々と呑み込み、滅びの原野を浄化して、いまだ拡大の一途を辿っている。少なくとも老爺……いや、元若造が生きている間くらいは、その拡大政策は終わらないだろう。
 そんな大国と、いまだ属国から抜け出せない国の差は開いていくばかり。それを若造が理解したのは、老爺と出会ってどれほど経った時の頃だったろうか。
「ヘッ……。腰抜けめ」
「……だが、そやつは属国の主として、その邦を神揚でも屈指の邦に育て上げた」
 そしてその名は、今は神揚でも指折りの猛将として、神揚全土に轟いている。
「それを腰抜けと笑う貴様は、どれほどの力を持っておるやら」
「黙れ! 俺は強い! この状況を見りゃ分かるだろ!」
 力強い同胞に、ハンガーに集められた捕虜達。
 その全ては男が導き、計画を立て、引き金を引いたものだ。
 もちろんこれは彼の野望のほんの一端。この先に待ち受ける独立の戦いまでの、第一歩でしかない。
「見えぬから聞いておるのだ! 小童が!」
 その瞬間、けっして小さくはない老爺の体躯が、宙を舞った。
「ムツキさん!」
「環ィ!」
 力任せに蹴り上げた脚を気怠そうに踏みしめて、アーレスは傍らの軍師の名を呼んでみせる。
「何だ」
「このジジイを、切り捨てろ」
 そのひと言は、その場にいた誰もが耳を疑うほどに冷たく、感情の籠もらぬものだった。
「……捕虜を斬るのか? それこそ取り返しが付かんぞ」
 今の所、メガリ・エクリシアの制圧は無血のまま進んでいる。いかに捕虜とはいえ、血を流すという事は、それ相応の決意が伴われるものだ。
「今更取り返しが恐くてこんなことやれるか! テメェも革命への覚悟見せろ!」
 もともと環はアレクの副官だ。蘭州の小貴族出身だという事はアーレスも知っていたが、かといってそれだけで手放しで信用しているわけではない。
 だからこそ、この命令を受け入れるかどうかで……彼の真意が計れるはずだった。
「そういう貴様はどうなのだ。他人に命じるばかりで、動く事も出来ん老いぼれを蹴るばかり。それで覚悟を見せたつもりか?」
 蹴られた時に口の中が切れたのだろう。小さな血の塊を吐き捨てながらのムツキの言葉は、もう一撃の蹴打に遮られてしまう。
「……環ィッ!」
 苛立ち紛れの男の言葉は、それが最後通牒だと示すもの。
 それを理解したか、環は小さく息を呑み……。
「……ヴァル」
「環…………?」
 口にしたのは、彼の直属の武官の名。
「この老人を斬れ」
「環……!」
 そして下された命令には、アーレスの時のように何の感情も籠もってはいなかった。
「環! 俺はテメェにジジイを斬れって言ったんだ! その人形にやらせろなんて言ってねえぞ!」
「どうした? お前は俺の言う事を聞くんだろう?」
 だが、環はアーレスの言葉に耳を傾けない。
 ただ、ムツキの傍らに立つ少女に向けて声を放つだけだ。
「そ、それは…………」
 確かに環の言葉は絶対だ。それを遂行する事こそが自らの役目だと今までずっと自負してきた。
「それとも、やりたい事でもあるのか?」
「…………」
 やりたい事など何もない。
 ただ、環の言葉の通りに動き、指示をこなし、果たす事で自らの存在する意味を確かめてきた。
「ヴァルキュリア」
 呼ばれる名が、痛い。
 いつもならば呼ばれる度に誇らしく感じるその名を、呼ばれた事に対する意味を、今は考える事すら恐ろしかった。
「ヴァルちゃん…………」
「私は…………」
 プレセアの声が。
「ヴァル……」
「私は…………」
 ククロの声が。
「私は…………ッ!」
 次の瞬間、ヴァルキュリアは腰の刃を引き抜いて。
「な……ッ!?」
 振り下ろした先は、無抵抗な老爺ではない。
 その三歩先にいた、アーレスだった。
「テメェっ! 人形の分際で!」
 腕に仕込みの刃があったのだろう。咄嗟の反応で引き出したそれで斬撃を受け流し、アーレスは怒りの声を放つ。
「私は人形ではない!」
 そんなアーレスの次の動きを封じるかの如く、ヴァルキュリアは続けざまの刃を放つ。
「私はヴァルキュリア! 環の武官!」
 その一撃は重く、迅い。全身を換装された機械の身体が思い通りに動き、思い通りの結果をもたらしていく。
「私がすべき……したい事は、環の本当の意思を体現する事だ!」
「だったら何やってやがる!」
 環がヴァルキュリアに命じたのは、ムツキを殺す事だったはず。
 それがどうして、アーレスに斬りかかっているのか。
「環は貴様の言う事など、聞かんという事だ!」
 苛立ちまみれのその問いに、全身義体の白い髪の娘は口元を僅かに歪めてみせる。
「ついでにいえば……」
 生き残る事、戦いに勝つ事に正義も悪もない。
 興味もないが、アーレスにはアーレスなりの正義があるのだろう。
「私も貴様のやり方が、大嫌いだ!」
 けれど、無抵抗の相手を無碍に殺して火種を作る事など、環はけっして望まないはずだった。

続劇

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