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6.太刀姫涙忍問答 (たちひめなみだおしもんどう)

 神獣厩舎を満たすのは、今までと変わらぬ喧噪だ。
 キングアーツの回答期限を翌日に控えてはいるが、その回答は容易く想像出来るものだった。兵達には既にその旨も言い渡されており、立ち入りを許された兵達は明日以降の出撃の支度に追われている。
 そんな一角に、小さな人だかりが出来ていた。
「では、以前は兄の隊に?」
 珀亜の言葉に頷いてみせるのは、幾人もの青年兵だ。
 珀亜が異動を言い渡された、抗戦派の部隊の隊員達である。
「はい。あの撤退戦でも、珀牙殿がいなければ……自分達はこうして無事ではいなかったでしょう」
 彼等は珀亜の新たな同僚であると同時に、彼女の兄の元部下……いや、珀亜の身体を借りる珀牙が部下として共に戦った者達であった。
 それは、兄の仇を討つために神獣を駆ることを選んだ彼女に対する、ニキなりの気遣いだったのだろう。
(……身内にはそれほど悪い男ではないという事か)
 とはいえ、そんな感想はおろか、彼女自身の正体など口に出せるはずもない。本来ならば、彼はここには既にいてはならない存在なのだ。
「そうですか……。今もご壮健なこと、兄も草葉の陰で喜んでいることでしょう」
 彼にとっては年下の相手でも、妹からすれば年上、しかも上官にあたる相手である。そこに奇妙な感覚を覚えながら、珀亜はひとつひとつ言葉を選びながら話を続けていく。
「俺たちもこうやって、珀亜殿の妹さんからお話を聞けて光栄です」
「隊が違うと、なかなか話しかけづらいもんな」
「そうそう。ホントはずっとお礼を言いたかったんですが、すいません」
「こちらこそ、自らにかまけてご挨拶が遅れてしまったのは同じ事。兄から名前は伺っていたのですが……申し訳ない」
 どう声を掛けていいものか分からず、伸ばし伸ばしになっていたのは事実である。本当なら今も無事に兵の本分を全うできている事を、元の上官として喜んでやらねばならなかったのに……。
 だが。
「ですから俺たち、あの巨人どもの事が許せないんです」
「これからは、共に珀牙殿の仇を討ちましょう。珀亜さん」
 そんな元部下達から口々に漏れるその言葉に受けるのは、彼等に向ける敬語以上に拭いきれない違和感だった。
「……珀亜さん?」
 思わず表情を硬くしてしまった事を気取られたのだろう。
 心配そうに声を掛ける元部下達に、ぎこちない笑みを浮かべてみせる。
「…………申し訳ない」
 もともと笑顔は、得意なほうではない。
 だが今日の笑みは、そんな珀亜の笑みの中でもひときわ無理をしなければ、作る事さえ難しいものだった。
「皆様のお話を伺って、少し考えたことがありまして……」
「何ですか?」
「確かに私は兄の仇を討つため、こうして八達嶺へと参りました」
 そう言って嘘を吐くことは、この数ヶ月でとうに慣れた。
 妹を解放するという……そして、妹の想いに応える大事の前には、この程度の小事で自らの誇りを穢すことなど、穢すうちにも入らない。
「巨人どもと和平の道を歩こうという万里殿の考えを受け入れる事が出来ず、ニキ殿の元へと陣を変えもしました」
 笑顔を作る事も、女性らしく振る舞う事も、少しは慣れた。
 過剰な肉体的接触を求め続けてくる柚那にはどうしても慣れなかったが、それは精神修業の一環だと割り切った。
「そしてこうして兄に助けられた皆様の話をお聞きして、兄は死した後もこれほど慕われているのだなと……嬉しくも誇らしい気持ちになったのです」
 だが、今紡いでいる言霊だけは、自らの心にそのまま深く突き刺さる。
「ええ。俺達も嬉しいです」
 彼が死してなお慕ってくれる部下達を。
 その強くまっすぐな想いの全てを。
「ですが……」
 放つ言葉全てで欺し、騙っているのだ。
 珀牙・クズキリは、いまだこうして生を繋いでいるというのに!
「私を含めて、兄の仇を討つためにこうして神獣を駆り、剣を取ることを……あの珀牙・クズキリが良しとするだろうかと、そう思いもしたのです」
 だからこそ、珀牙は嘘を吐き続けた。
「兄は……兄の仇を取ることを、皆様に求めるでしょうか」
 生きる自身の言葉を、死した兄の想いと偽って。
 そして……。
「それよりも、皆が笑って兄の分まで生きる事を望むのでは……ないでしょうか」
 そのひと言だけは、紛れもない死した兄の本当の想いだった。
 彼等には、珀牙のおかげで生き延びたなどと言って欲しかったわけではない。
 笑っていて欲しかった。
 生きて、笑って。皆で遊んだあの酒場で、杯の一つでも手向けてくれれば、それで十分に報われたのに。
「あなた方に、復讐に駆られた悪鬼となって欲しかったのでしょうか!」
 断たねばならない。
 この、憎しみの連鎖を。
 それが、死してなおこの戦場に立つことを宿命付けられた彼のすべき事だと……妹が作ってくれた今ひとたびの戦場で、珀牙がすべき事なのだと。
 自然と、そう思えた。
「…………申し訳ありません。言葉が過ぎました」
 思わず浮かんだ涙を拭い、珀亜は小さく息を吐く。
「戦場で言うような事ではありませんでした。……お忘れください」
 語る間に力を込めすぎたのだろう。小さなその手には爪が食い込み、わずかに血の跡が滲んでいた。
「いえ……」
「……俺たちも、少し考えてみます」
「珀牙殿が本当に望むこと……か」
 可憐な少女に見えた珀亜の意外な激昂に気勢を削がれたのか、周囲にいた元部下たちもどこか困惑した様子でゆっくりと散っていく。
 その様子を見まわして、珀亜はもう一度、疲れたような吐息をついてみせるのだった。


続劇

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