-Back-

23.無知の知

 戦いが終わった後も、喧噪に包まれる場所がある。
 メガリ・エクリシア、アームコート格納庫。
 傷付いた機体の周囲を走り回る整備兵と、戦いを終えて安堵のため息を吐く兵士達。
 そして、その一角にいたのは……安堵ではないため息を吐く者達だった。
「それで、ソフィアは?」
「今、ジュリアちゃんとコトナちゃん、あとセタ君が事情を説明していますわ。……流石に、沙灯ちゃんやこの先の事は話せませんけれど」
 プレセアの言葉に、エレはもう一度ため息を一つ。
「だな……変に気ィ回しすぎたか」
 アレクは先の事を知っている素振りがあったからこそ、あの夢の話をする事が出来たし、エレ達の知る夢の行く末を話す事も出来た。
 しかしソフィアは、エレ達の時も、アレクの時も、あの夢の事を知る様子が何一つ見当たらなかった。故にアレクが死ぬ事も、彼女自身の悲劇的な死も、そしてその犯人についても……その未来に至る可能性がまだない以上、誰も語りたくはなかったのだ。
「……何だ、この空気は」
 そんな彼女達の下に現れたのは、リフィリアに連れられた大柄な老人だった。
「まるでかまどの中にでも突き込まれた気分だわい。老体には堪えるな」
 老爺の視線は分厚い布に隠され、外が見える様子はない。けれど、まるで足元の障害物さえ見えているかのような確かな足取りで、エレ達の元へと進んでくる。
 肩口から片腕を隠すように下がる布は、なぜかキングアーツの物のようだったが……他の衣服の意匠は、確かにスミルナで会った万里や千茅に近い物を感じさせた。
「文句を言うな。暴れられると、私ではフォローしきれんぞ」
「リフィリア。この爺さんが?」
「ミズキ衆ムツキ組組頭 ムツキ・ムツキと申す」
 彼こそが、リフィリア達と共に地下から救出された、神揚の捕虜の一人である。もっともその体躯と態度からは、捕虜らしき雰囲気は欠片も感じられなかったけれど。
 そして彼に遅れるようにやってきた影が、もう一組。
「こっちだ。さっさと歩け」
 リフィリア達の組み合わせとは逆に、一人の少年がヴァルキュリアに引きずられるようにして歩いてくる。
 それは、先程の戦いでプレセアの新兵器に絡め取られた飛行型神獣から救出された少年であった。
「てて……そんなに引っ張らなくてもちゃんと付いて行くってば。……あれ?」
 だが、ヴァルキュリアの態度に抗議の声を漏らした所で……大柄な老人の姿に、少年は思わず動きを止める。
「爺ちゃん。何でこんな所に!?」
「何だ。連絡がないと思うたら、おぬしも捕まっておったのか。リーティ」
「……知り合いか?」
 リフィリアの問いに、そもそも抗う気などないのだろう。ムツキは小さく頷いてみせるだけだ。
「ちょっと爺ちゃん、バラしちゃっていいの?」
 鹵獲された神獣は仕方ないにせよ、そういった問いに素直に答えていいものか。キングアーツの民の性質は、昌達の話やあの夢の中である程度知ってはいたが、それが彼ら全てに通用するわけではないはずだ。
「もはや生殺与奪の身よ。それにこやつらも、あの夢を見た者達だそうだぞ」
「……ああ。昌や万里達が北八楼で会ったって言ってた人達か」
 だとすれば、何も知らない相手よりはいくらかマシだろう。彼をここまで乱暴に連れてきた娘もその話に驚く様子を見せない辺り、当事者の一人だったに違いない。
「とりあえず、お二人の身柄は拘束させて頂きますわ。捕虜としての身分の保障は、私がいたします」
「アーデルベルトじゃないの?」
 あの戦場跡で、ムツキの件の責任を取ると言ったのはアーデルベルトだったはず。けれどククロの問いに、仮面の女性は困ったような微笑みを浮かべてみせるだけ。
「殿下がいませんから、環君とその辺りのフォローで手が離せないようで……」
 本来は主計科の責任者であるプレセアも山のような仕事があるはずだったが、かといってそれなりの地位の者が捕虜との会話に立ち会わない事にも問題がある。故に彼女だけは仕事を部下達に任せ、この場に同席していたのだ。
「なら、一つ頼みがある」
「何ですの? 機体の修理は、申し訳ありませんが……」
 神獣の構造は、明らかにアームコートとは別の技術と理論が用いられている。そんな機体に興味を示す者は少なくなかったが、修理についてはこのメガリはおろか王都の科学院ですら不可能だろう。
「神獣の傷は放っておけば癒える。それはよい」
「自己修復するの!? ちょっとその話詳しく……むぐぐ」
「続けてくれ」
 ムツキの漏らしたひと言に俄然興味をみせたククロを羽交い締めにしておいて、エレは老人の言葉を促してみせる。
「出来れば、薄暗い所に入れてくれ。儂にはこの辺りは眩しすぎる。……光に弱くてな」
 分厚い布で目元を隠しておいて、何が眩しいのかとも思ったが……まあ、個人の好みなのだろう。
「……俺は見晴らしの良い所の方が良いんだけどなぁ」
「そうですわね……」
 捕虜を入れようと思っていた営倉は地下だから、特に問題はないだろう。
 けれどそこで容易く首を振って安心を与えるか、少し悩んだ振りをして感謝を売るか……商人としての振る舞いから考えれば、そこに選択肢など存在しない。
「ふむ。……なら、一つ情報だ」
 そんなプレセアの態度を値切りと取ったか、ムツキは軽くあごに手を当て……。
「アレク王子はそちらに託せる者がおらなんだため、こちらの姫様が回収しておる。儂との連絡が途絶えた時までは、無事であった」
 さして大事でもなさそうに、その重要情報を口にしてみせるのだった。


「……アレク様はこれほどの仕事をしておられたのか」
 執務室で呟くのは、資料整理を任されたアーデルベルトである。
 メガリという施設が軍事都市である事は、もちろん彼も知っていた。その施設の管理指揮や執政までを、軍の統括者であるアレクが行っていた事も。
 だがその仕事量は、軍部一筋だった彼の想像をはるかに超えるものだった。
 特に今は、アレクの補佐をしていた環も報告のため、王族達との会議に出向いている。
 アレク不在で、これだけの仕事が回るのか……と、アーデルベルトは暗澹たる気持ちになるが……。
 そんな彼のいる執務室のドアがノックされたのは、分かる範囲の資料の半分ほどに目を通した時の事。
「……ソフィア姫」
「今……いい?」
 執務室に現れたソフィアは、いつも元気な彼女にしては珍しく、どこか疲れたような表情を浮かべていた。
「セタ達から聞いたわ。万里達はスミルナじゃなくて、あの魔物……神獣の巣に住んでたのね」
 彼女に伴って現れたコトナとジュリアも、一様にどこかばつが悪いような、後味の良くない表情である。
「あの九本尻尾に乗ってたのが万里で、周りの魔物にも千茅や柚那達が乗ってた……」
 平気な顔をしているのはセタ一人だけだが、内心の彼がどんな思いを抱いているのかは、付き合いの長いアーデルベルトにも見通す事など出来ないままだ。
「……黙っていて、申し訳ありません」
「いいわ。セタは、私が見て感じたもので、判断して欲しかったって言ってたから……」
 それは間違いないだろう。
 余計な知識が判断を曇らせる事は、アーデルベルトもよく知っていた。そして先入観なく神揚の民に接した夢の中のソフィアは、知らぬからこそ、知った後でも世界を正しい判断へ導こうとしていた事も……。
 故にアレクも、彼女に夢の一切を告げなかったのだろう。
「ソフィア姫は、どうなさりたいのですか?」
「あたしは……」
 先の言葉を口に仕掛けたソフィアだが、それにタイミングを合わせるように細身の影が執務室へと戻ってきた。
「環。王族会議は?」
 ソフィアやアーデルベルトよりも、明らかに疲労の色が濃い。王族の集まる会議にメガリ・エクリシアの代表代理という肩書きを持って参加したのだから、その心労は想像して余りあるが……。
「……魔物が人間だったって知って、大騒ぎさ。で、アレクが生きているなら、とりあえず救出を優先。それまでの指揮は……師団司令官としてアヤソフィア・カセドリコス准将が執れ、だそうだ」
「准将……!?」
 今のソフィアは少佐だから、三階級特進という事になる。非常時とはいえ、それはあまりにも急すぎる昇進だった。
「ソフィア姫が? 貴公ではないのか?」
 王族という立場はともかく、実務面でも経験面でも、ソフィアでは明らかに力不足だ。
 少なくとも、実務面に関しては環がいないと回らないはずだ。
「俺は補佐役で、そんな器じゃねえよ。それに俺に指揮執らせたら……アレクを助けるために、全軍で敵の巣に突撃させるぜ?」
 へらりと笑いながら呟いたその瞳は、口元ほどの笑みを宿してはいない。その奥底にちらりと燃える昏い炎に、アーデルベルトは思わず息を呑み……。
「そんなのダメだよ!」
 力強いその声に、環が浮かべるのは苦笑い。
 ソフィアのそれに吹き散らされたか、アーデルベルトの見た炎は、既に環の目には見当たらない。
「……冗談だよ。なら、ソフィアはどうしたいんだ?」
 問われ、ソフィアは僅かに沈黙し。
「……兄様は、助ける」
 呟いたのは、そのひと言だ。
「でも、万里なら絶対兄様にひどい事をしたりしない。向こうに連れていったのだって、助けるためなんでしょ?」
「捕虜の言葉では、そのようで」
 今は主計部で自らの仕事をこなしているプレセアからコトナが聞いたのは、そんな話だ。
 アーレスが気を失い、リフィリア達が地下に呑み込まれ、ただ一人傷付き残されていたからこそ、万里はアレクを回収したのだと。
「それを信じるよ。捕虜の二人を神揚に帰して……あたしも、万里の話を聞きたい」
「それって、魔物と戦わないって事?」
 ジュリアの問いに、ソフィアは小さく頷いてみせる。
「うん。相手が魔物じゃなくて万里達だったなら、きっと話し合いにも応じてくれるはずだもの」
 今まで魔物と話が出来なかった理由は、ジュリアやコトナから聞いていた。そしてそれを解決するための幾つかの手がかりも。
 ならば、刃を交える以外のの選択肢を選ぶ事は出来るはずだ。
「……ジュリア達も協力してくれるよね?」
「もちろん。あの人達なら、きっと力になってくれるわよ!」
 断る理由などない。
 それは、ジュリアの姉が夢見たかもしれない光景であり……。
 何より彼女自身も、それを望んでいたのだから。


 空に広がるのは、キングアーツ特有の灰色の空。
 しかし僅かに視界を転ずれば、そこからは薄紫の空も見てとれた。
 メガリ・エクリシア外周部、物見台の一角である。
「…………また失敗か」
 そこで苛立たしげに呟くのは、顔の半分を義体化した男。
「まだ連中に気付かれちゃいねえ。むしろ、感謝されたくらいさ」
 自信を失わぬ答えをみせるのは、アーレスだ。
 あの、アレクと万里のまみえた最後の戦い。そこで彼が加速し、斬撃を打ち込もうとした本来の相手は、アレクを切り裂いた見えない魔物などではなかった。
「だが、魔物の長を斃す機会など、そうはないぞ」
 そう。
 アーレスが狙ったのは、九尾の白狐。
 だが、アレクが倒され、場が混乱に陥ったその瞬間……アーレスは咄嗟に作戦を変更し、白狐ではなく見えない魔物に刃を向けた。
 故にアーレスは万里を殺そうとした……ではなく、アレクを助けようとしたという立場に立って、この混乱の中でも素知らぬ顔でこうして話をしていられるのだ。
「次はどうする」
「王子様は囚われの身だし、指揮を執るのはお姫さまだ」
 アーレス達が求める道のためには、長く続く、もっと大きな闘争が必要だった。
 しかしソフィアは、あの夢の中と同じ和平への道を目指すという。
 アレク以上に甘い、夢見がちな女の子。
 だがそれだけに、付け入る隙はいくらでもある。
「それに、補佐役は相変わらず環の奴だ」
 そう。いくらでもあるのだ。
「まあ、昨日今日の事じゃねえんだ。じっくりやろうぜ」
 下卑た笑みを浮かべ、ふと転じた薄紫の空の下。
 複数枚の強化硝子によって遮られた、滅びの原野の一角に……動いている、小さな影が見えた。
 いや、周囲に比較対象物がないから小さく見えるだけで、実際の大きさは人間よりもはるかに大きい。
「……あれは?」
 人型にはみえぬ、異形のそれは……。

続劇

< Before Story / Next Story >


-Back-
C-na's 5th Dimentional Labyrinth! "labcom.info"
Presented by C-na.Arai