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5.敵ノ名ハ『巨人』 (てきのなは『きょじん』)

 薄紫の風の中。
 ぶつかり合うのは、鋼の音。
 剣と、牙と。
 爪と、盾と。
 真紅のマントを力強く翻すのは、漆黒の全身鎧を纏う大柄な騎士。迫る攻撃を左手の大盾でいなし、右手に構えた大きめの剣を片手で悠々と振るっている。
 片手剣ではない。
 両手剣でもない。
 その中間、片手でも両手でも扱える、片手半と呼ばれる長剣だ。
 剣も盾も、黒。そしてそこに施された、精緻だがけっして華美ではない装飾は、深い金。
 黒金の大盾で受け止め、黒金の片手半で弾く。
 弾いたのは、牙と爪。

 相対するのは、甲冑の騎士にも比肩する大きさを持つ巨大な獣である。
 薄紫の風の中でもその艶やかさを失わぬ純白の毛並みに、後ろに伸びる九本の太く巨大な尻尾。胴に回された胴輪から左右に下がるのは、金色の瞳と同じように細く長い、白木の鞘だ。

「この巨人……強い!」
 テウメッサの胎内で、その力強い太刀筋に万里は意識を集中させる。

 大盾と片手半に弾かれて僅かに距離を取り。
 九尾の白狐は軽く首を振ると、鋭い牙を白木の鞘の根元に突き立てた。
 獣の首だ。引き、抜く事は出来ない。
 だが、ひねりを伴う動きに連動したか、白木の鞘が軽い音を立て……開く。下に空いた隙間からこぼれ落ちた刃を噛み、抜く事は、出来る。
 白狐が噛み抜き、構えたのは、白鞘の白刃。

 片手半を構える黒金の騎士と。
 白鞘を構える九尾の白狐と。

 薄紫色の荒野に、薄紫の風が吹き。

 大地を蹴るのは、全くの同時。


 コボルトと呼ばれる軽装の神獣が両手を組み合わせれば、その内側から現われたのは薄紫の風よりはるかに暗い、黒雲である。
 何の遮蔽物もない荒野に生まれたそれは、薄紫の風にすぐに吹き散らされてはしまうものの、それでも一瞬は敵の目を塞ぐ事が出来る。
「むぅ……面倒でござるな」
 その雲に紛れて敵の輸送部隊らしき、蜘蛛に似た巨人や百足に似た巨人に肉薄しようとするものの……気が付けば目の前に迫っているのは巨人達の槍の穂先である。
 コボルトは身軽さを信条とする騎体であるし、黒雲も煙幕の役目を果たしているから、敵の攻撃もこちらを確実に狙っているというわけではない。しかしそれでも束になった槍を向けられれば、防御に難の多いこちらとしては退かざるをえない。
「狙えそうなら狙おうかとも思ったでござるが、これはたまらぬ」
 差し向き、コボルト一体でこれだけの大部隊を万里達から引き離せているのだ。敵の動きが腹立たしくはあるが、少なくとも不利になってはいない。
 さらなる時間稼ぎを狙うため、半蔵はコボルトに新たな印を結ばせるのだった。

 薄紫の空を舞うのは、黒い翼。
 鞭のように長い尻尾を揺らす烏に似たその神獣を駆るのは、飛行型神獣の駆り手には珍しい、黒猫の性質を持つ少年である。
「リーティ。巨人の増援はどうなった?」
 心の中に伝わってくる声は、地下深くに潜む老人のもの。
 その言葉に騎体の向きを変え、僅かに意識を集中させれば、彼方の光景はすぐ目の前に。万里達の後退速度をざっくりと思い出して、見た光景と重ね合わせる。
「……もうすぐっすね。もうちょっとしたら退かせた方がいいかも」
 まだ十分に逃げ切れるだろう。殊に身軽な個体が少なく、神術のような強力な飛び道具も持たない巨人達は、それなりに距離を詰められたとしても十分に逃げ切れるはずだ。
「爺ちゃん。あの変な動きしてる巨人達、見て来た方が良いッスか?」
 もうすぐ戦場に辿り着くだろう巨人達より、リーティが気にしたのは別働隊の巨人達である。大きく回り込んだ彼らが万里達の退路を塞ぐ位置に防衛線でも張ったなら、万里達は途端に挟み撃ちに遭ってしまう。
 身軽なテウメッサや昌の白雪なら逃げ切れるだろうが、神獣の中でも重量級の美峰や千茅の騎体は少々難しいだろう。
「大丈夫だ。ちょいとアテが出来たから、そいつらに当たってもらった」
 周囲から伝わってくる無数の戦闘音に少々辟易としながら、地下のムツキは静かに笑ってみせる。
「まあ……様子見くらいは行った方が良いかもしれんが」
 今までは巨人や神獣の歩行音すら聞き分けられるほどだった地下世界も、今は戦闘の轟音に満たされ、彼の音響による探査は意味を成さなくなっていた。
 戦闘音がどこかで収まった気配はないから、各所で戦いが続いている事だけは分かるが……。
「おーい、リーティ!」
 ならば行ってみるかと思った瞬間、リーティのもとに届いたのはムツキとは違う声。長距離思念特有のくぐもった感じもしないそれは、ごく近くから放たれた声だ。
「え……奉!?」
 意識の飛んできた方に騎体を向ければ、その源は地上ではない。
 薄紫の空を舞うのは、鷲の翼と女性の上半身を備えた飛行型神獣である。奉の思念は、何とそこから飛んできていたのだ。
「ああ。警戒くらいなら出来るかと思って来てみたんだが……意外と何とかなるもんだな!」
「何とかじゃないッスよ! フラフラじゃないッスか!」
 確かにいきなり墜落しないのは大したものだが、それでもその翼の動きはどこかぎこちないものだ。飛ぶだけならそれでいいが、どう考えても戦闘には耐えられそうにない。
「どうした?」
 振動の伝わらない地上より上の様子は、地下のムツキには分からない。
 そんな彼に慌てた感情が伝わってしまったのだろう。心配する様子のムツキに、リーティは声を張り上げる。
「奉がヒメロパで応援に来ちゃったんだよ」
「いきなり飛行型とは、大したものではないか。……なら、別働隊の巨人の様子を見に行ってもらうか。奉、聞こえたな?」
「別働隊がいるのか。引き受けた!」
 ゆらりと騎体を旋回させるその様子も、勢いはあるがどこか不安の残るもの。この様子では地上からの迎撃を急な機動で回避するなど到底不可能だろう。
「……ヤレヤレ。爺ちゃん、俺も心配だから着いてくよ。昌にはそろそろだって伝えといて!」
「ふむ。心得た」
 実際、戦闘音に充ち満ちた地下では戦いが終わるまで出来る事はないのだ。
 侍大将への報告を任されて、地下の老人は辺りに満ちる戦闘音に耳を傾け始めるのだった。

「だあああああああああああああああっ!」
 力任せに叩き付けた金棒を受け止めたのは、赤銅色の分厚い装甲を背中に備えた巨人である。
「……ちっ。効いてねえのかよ!」
 打撃武器の最大の長所は、その衝撃力にある。どれだけ分厚い装甲を持つ相手でも、その打撃を徹して柔らかな内側を震わせてしまえば……それは十分以上のダメージとなりえるのだ。
 しかしこの巨人は、そんな衝撃などお構いなしに槍でこちらの動きを牽制し、的確な足止めを行ってくる。
「美峰さんっ! こ、この人、どうしたらいいですかぁっ!?」
 そんな敵の動きに苛ついていると、その精神に飛び込んできたのは千茅の悲鳴に近い声だった。
 どうやら長槍を備えた青い巨人と相対しているようだが、突撃に重点を置いた長槍は千茅に間合を詰められてその性質を生かす事が出来ず……かといって戦い慣れていない千茅も、圧倒的に有利な間合のはずなのに両手の爪を生かし切れずにいる。
「ぶん殴れ!」
「わかりませんよそんなんじゃっ!」
 加速の乗らない槍の突き込みを腕の大盾で必死にいなしつつ、千茅の駆るオークの戸惑いの叫びが戦場に木霊する。


 そして、戦場で苛ついていたのは、美峰だけではなかった。
 眼下の荒野では、万里のテウメッサと見たこともない黒金の巨人が互いの剣を打ち合わせている。
 そんな彼女から任されたのは、敵部隊の撹乱だったはずなのに……。
「ああもうっ! しつこーい!」
 彼女の動きを封じるように荒野にそびえる岩壁を駆け上がってくるのは、両足ばかりが肥大した異形の巨人だった。
 ほとんどが標準的な人に近い形をしているか、蜘蛛や百足のような人ならぬ姿を持つ巨人達の中でのそれは、ひときわに異形を感じさせるものだ。
「一応、足止めにはなってるけどさーっ!」
 あり得ない体勢から力任せに放たれた蹴りをするりと躱すが……大振りな攻撃のように見えて、こちらが攻撃を打ち込めそうな隙は、相手には無い。
 昌の神獣はもともと偵察に特化した作りで、スピードを重視する分、武装と装甲が犠牲になっている。下で戦っている美峰の神獣のように、攻撃を受け止めて力任せに殴り返す……といった運用は初めから考えられていない神獣なのだ。
 故に、回避は出来ても、反撃する手段は限りなくゼロに近い。
 そして撹乱や高速移動の術を用意する隙も、この速さを前には与えてもらえそうになかった。
「せめて、集中するための時間くらい頂戴よーっ!」
 次の蹴打を紙一重で躱しながら、昌はその先へと進めないままだ。


続劇

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