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8.翼の折れた……

 それから、さらに一刻ほどの後。
 戦いを終えた黒金の騎士が静かに立つのは、巨大な石造りの城塞の中であった。
 回収された黒金の盾も、必殺の一撃を放とうとした黒金の片手半も、今は脇に設えられた架台に預けられ、騎士もひとときの休息を求めるかのようにその場に立っている。
 重厚な面頬の奥にある視線の先。城塞の窓の向こうに見えるのは、薄灰に煙る空である。
 先刻戦っていた薄紫の世界ではない。
 蒸気と煤煙に覆われた、騎士達の住まうべき世界。
「遅かったなー!」
 そんな騎士の足元から掛けられたのは、声だった。
 青年、である。
 軍服だろうか。黒地のすっきりと整った装いに、短めの銀の髪。元気良く振る手の様子と、いまだ幼さを残した表情が、まだ青年が少年をようやく抜け出たばかりの年齢である事を示していた。
 だが。
 青年は、決して小柄というわけではない。
 相対する騎士が、大きすぎるのだ。
 その身の丈は、青年のおよそ三倍以上。
 その青年を前にして……九尾の白狐にすら一歩も引けを取らなかった黒金の騎士が、がくりと頭を垂れてみせた。
 それだけではない。蒸気の漏れる、ぶしゅ、という音と共に、真紅のマントを外されていた巨大な背甲が大きく開く。
 鈍色の蛹から羽化する華麗な蝶の如く。
 その内から抜け出してきたのは、大きく流れる金の色。
 黒い甲冑を彩る深い金とは対照的な、明るく輝く金の髪だ。
 少女、である。
 鋼色の手足に繋がれた幾つものケーブルを手慣れた様子で引き抜くと、その手を眼下の青年に大きく振り返してみせる。
「久しぶり! 環!」
 黒金の騎士の肩を軽く踏み、身の丈の四倍近い高さをひょいと跳躍。空中でくるりと一回転し……危なげなく着地すれば、鋼色の膝頭から吐き出されるのは小さな排気の音である。
「……相変わらずだな。階段くらい待てないのか? ソフィア」
 頭を垂れ、主を失った黒金の騎士には、既に幾人もの作業兵が取り付き、それぞれの作業を始めていた。本来なら、彼らが使っている整備用のタラップこそが、この騎士の主たるソフィアの正しい通り道のはずなのだが……。
「だって、自分で降りた方が早いもの」
 悪戯っぽく微笑み返し、ソフィアは自らの足を軽く叩いてみせる。
 鋼色に覆われた、細い手と細い足。
 それは、着用している鎧ではない。少女の手足の延長。サイズの差こそあれ、黒金の騎士のそれと同じ構造を持つものだ。
「前に見た時と違う。新調したの?」
「……もう何年前の話よ。あたしだって日々成長してるんですからね。手足だって取り替えるわよ」
 ソフィアの言葉にそれはそうだと環は苦笑し、下げていたマントをそっとソフィアに掛けてやる。
 そんな環の両手も、少女と同じ鋼色に覆われていた。
 義体と呼ばれる機械の体を生身の体と交換する事は、彼女達の住む世界では……殊に戦に身を投じる軍部の人間ともなれば、さして珍しい事ではない。
 現に、黒金の騎士の周囲で作業をしている兵達も、同じように戦場から戻ってきた兵達も、その手足の多くは鈍い鋼色に輝いている。
「アレクも待ってる。……リフィリア! ジュリア!」
 そんな兵達の中に声を掛ければ、やはりアームコートから降りてきたばかりの二人の少女が小走りに駆けてきた。どちらもソフィアとはさほど年の変わらない娘達である。
「ソフィアと准将達を、アレクの所に案内してくれ。僕はちょっと用があって行けないから」
「了解しました」
「では、ご案内します。姫様」
 リフィリアの言葉にソフィアは小さく頷いて、八本脚のアームコートから降りてきた車椅子の准将を迎えに行くのだった。


 それから、半刻も立たぬうち。
 アームコートのハンガーに響き渡ったのは、普段は物静かな人物の絶叫でる。
「どうして……どうしてこんな事にっ!」
 揃いの赤い甲冑と黒いコートをまとうアームコート達が鋼の床に放り捨てたのは、大鷲の翼と首から生えた女性の身体を持ち合わせた、有翼の魔物であった。
「ヒメロパ…………!」
 取り乱すシャトワールを他所に、任務を終えた赤いアームコート達は、その場を何の感慨を抱くでもなく離れていく。
「御苦労だったな、ヴァル」
「任務ですから」
 そして彼らと別れ、ただ一人残った白い髪の娘も、彼女の帰還を待っていた環の労いに短くそう答えてみせるだけ。
「ククロ! 王都に運ぶ前に情報を取りたい。予備調査を頼んでいいか?」
 輸送部隊が運んできたアームコート用の補充部品を確認していたククロだが、単調なそれを部下達に押し付け、既に魔物の骸を興味深そうに見つめている。
 もちろん環の言葉に見せるのは、歓喜の表情以外にない。
「任せてよ! シャトワール…………も、随分気合入ってるなぁ」
 そして彼の相棒たる部下は、既に彼自身のアームコートを起動させていた。普段は機体内に格納しているサブアームまで展開し、慌ただしい歩調で魔物の骸に歩み寄る……いや、飛びついた。
「おい、乱暴に扱うなよ! 貴重な資料なんだ!」
 既にぐったりとした骸を乱暴にひっくり返し、鳥で言えば首筋に当たる部分に四本の腕をねじ込んでいく。
「そんなこと関係ない! ああ……どうしてこんな事に………!」
 そこはかつての調査で、喰らわれた人間を取り込み、消化するための器官の入口だと言われていた。
 だが、シャトワールは知っている。そこが人を取り込むわけではなく、操縦の意思を持つ者を迎え入れるためのコックピットである事を。
 ぐじゅ、というアームコートではありえない鈍い感触が指先に伝わるが、それを気にする事も無く、一気にその場所を割り開く。
「………………いない?」
 しかし、その空間……本来ならば操縦者がいるはずのスペースには、誰の姿も見当たらなかった。
 シャトワールの知る限りでは、本来ならばこの場所には、あの少女がいるはずなのに…………。
「まだ誰も食べてないって事か?」
 そこを興味深げに覗き込んだククロ達も、不思議そうに首を傾げるだけ。今まで鹵獲した魔物は、いずれもその体内に半ば取り込まれた人間の骸が含まれていたのだが。
「ヴァル」
「私が撃墜した後、墜落するまでに黒い烏が近付いて、何かを抜き取っているようだった。それにこの魔物は、飛行型とはいえ飛ぶのがあまり上手くはなかった」
 だからこそ、大鎌の投擲で撃墜する事が出来たのだ。
「だったら……」
 ならば人間を取り込まない魔物は、不完全な動きしか出来ないという事なのか。
「分かんないな。他の魔物じゃ、そんな報告は聞いた事無いけど……」
 いずれにしても、情報が少なすぎる。それはこれからの調査で何らかの手がかりを見つけ出さなければならない事だ。
「飛行型の魔物ですか……?」
 そんな喧噪の場に掛けられたのは、一人だけ雰囲気の違う穏やかな声。
「ああ。敵部隊から鹵獲してきたばかりのヤツだよ。……あんたは?」
「本日からこちらに転属になった、セタ・ウィンズ大尉です。よろしく」
「メガリ・エクリシア師団副官 環・ジョーレッセ中佐だ。ま、気になったなら見て行くと良いよ。姫様付きなら、いずれ嫌でも戦うことになるだろうしね」
 空中の敵に対するキングアーツの備えは、実のところそれほど多くない。
 今日は幸い、超低空を飛んでいたうっかり者を叩き落とせたが、もともと重武装の機体の多いアームコート戦では、今ひとつ決定打に欠ける遠距離武器はあまり発達しなかったのだ。今は魔物相手の射撃武器としては、据え置き型の攻城兵器を持ち運びできるように改良したもので何とか凌いでいる状態である。
 内地にそういった物に対抗する手段や戦術があるなら、それに越したことはない。
(そうか……。そういえば、向こうには飛べる魔物もいるのだったね……)
 もともとセタは、空を駆ける事で育ってきた高地の民だ。故に、翼のある存在がこのような有様となっているのは……どこか複雑な感情がある。
「まあいいや。メディック出しちゃったなら、この辺とかちょっと分解してみよう。何か面白い物があるかも! ……いいよね? 環」
「王都に送るまでに、原型をなくさないでくれよ?」
 苦笑する環に、ククロは満面の笑みを浮かべて「まかせてよ!」と答えてみせるのだった。

 ジュリアとリフィリアによって案内されたのは、メガリ・エクリシアの上層階にある執務室だ。
「プレセア・イクス准将以下、イクス輸送大隊。本日付をもって南部方面軍 メガリ・エクリシア師団に合流いたしますわ」
 車椅子の彼女の前にあるのは、大きな執務机と、そこに腰を下ろす青年……アレクの姿。
「アレクサンド・カセドリコス中将である。貴君らの着任を歓迎する。……既に話は行っていると思うが、准将は以降は補給部隊の統括を行ってもらいたい」
「承知いたしましたわ」
 次に声を掛けたのは、車椅子を押すためにプレセアの脇に立っていたソフィアではなく、その隣に立っていたアーデルベルトだった。
「アーデルベルト中佐は現行のまま、中隊の指揮を任せる」
「はっ」
 こちらも既に内示済みだ。もともと今回の補充部隊はアーデルベルトがメガリ・インバネッサから連れてきた部隊を中心に構成されているから、指揮する側もされる側も、そちらの方が都合が良い。
「ソフィア少佐。既にリフィリア達から聞いているかとは思うが、数名付ける。指揮してみせろ」
「はい」
 ソフィアがアーデルベルトの後に呼ばれたのは、単純に階級が下だからだ。それはこの場にいる誰もが分かっていたし、もちろんソフィアもそれに意を挟む気などない。
「以上だ。……詳しくは各隊にて確認してもらいたい。それと……アーデルベルト中佐」
 僅かに肩の力を抜いた青年の声にも、アーデルベルトは一切の力を抜くことなく、敬礼で答えてみせる。
「……いや、何でもない」
「以上。解散」

続劇

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