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6.敵の名は『魔物』

 薄紫の風の中。
 ぶつかり合うのは、鋼の音。
 剣と、牙と。
 爪と、盾と。
 真紅のマントを力強く翻すのは、漆黒の全身鎧を纏う大柄な騎士。迫る攻撃を左手の大盾でいなし、右手に構えた大きめの剣を片手で悠々と振るっている。
 片手剣ではない。
 両手剣でもない。
 その中間、片手でも両手でも扱える、片手半と呼ばれる長剣だ。
 剣も盾も、黒。そしてそこに施された、精緻だがけっして華美ではない装飾は、深い金。
 黒金の大盾で受け止め、黒金の片手半で弾く。
 弾いたのは、牙と爪。

「こいつ……やる!」
 ハギア・ソピアーの操縦席の中で、相手の技量にソフィアは思わず舌を巻く。

 相対するのは、甲冑の騎士にも比肩する大きさを持つ巨大な獣である。
 薄紫の風の中でもその艶やかさを失わぬ純白の毛並みに、後ろに伸びる九本の太く巨大な尻尾。胴に回されたハーネスから左右に下がるのは、金色の瞳と同じように細く長い、白木の鞘だ。
 大盾と片手半に弾かれて僅かに距離を取り。
 九尾の白狐は軽く首を振ると、鋭い牙を白木の鞘の根元に突き立てた。
 獣の首だ。引き、抜く事は出来ない。
 だが、ひねりを伴う動きに連動したか、白木の鞘が軽い音を立て……開く。下に空いた隙間からこぼれ落ちた刃を噛み、抜く事は、出来る。
 白狐が噛み抜き、構えたのは、白鞘の白刃。

 片手半を構える黒金の騎士と。
 白鞘を構える九尾の白狐と。

 薄紫色の荒野に、薄紫の風が吹き。

 大地を蹴るのは、全くの同時。



「ソフィア姫様が猪武者でなくて、安心しました」
 そんなソフィアの戦いぶりに安堵の吐息を吐くのは、赤銅のアームコートに身を預けたコトナである。よく言えば天真爛漫、悪く言えば感情に振り回されがちに見えたソフィアの戦い方は、彼女が想像していたよりもはるかに堅実なものだった。
「姫様はそこまで回らない子ではないよ。それより……」
 傍らで槍を構えるのは、青い細身の機体。
 それは、かつてコトナの教導隊が所属していた工廠で開発された、高機動型のアームコートである。
「僕達もこちらを抜かれないようにしないとね」
 コトナとセタが相対するのは、ゴリラに似た大型の魔物と、その従者らしきひと回り小型の魔物。小型と言ってもゴリラを基準にしてであって、メガリ・エクリシアのアームコートと比べればほぼ同サイズと言って良い。
「……あの従者の魔物、戦い慣れていないようですね」
 この世界での魔物との戦いこそ二人とも初めてだったが、あの夢の中での戦いの感触は、いまだその手の中に残っている。
「分かるのかい?」
「新兵の動きというのは、どこも似たようなものです」
 機体の大小の問題ではない。どこかそわそわと落ち着きを見せない小型機の挙動は、戦技教導を施していた、士官学校を卒業したばかりの新人と何ら変わりないものだった。
 今思えば、なぜ夢の中で魔物の本質に思い至らなかったのだろう……と、むしろおかしくなるほどだ。
「戦う気なら任せるよ」
「……やめておきましょう。ソフィア姫様が自重していらっしゃるのに、我々が突出しては意味がありません」
 それにセタの突撃機はともかく、コトナの装甲兵は防御に特化した機体だ。相手の二体も素早いタイプではないようだし、この戦いで深追いしても、味方を不利にするだけだ。
「それに、突っ走るのは一人だけで十分です」
 上空で繰り広げられる戦いを背中を丸めたアームコートの視線でちらりと見上げ、コトナはぽつりと呟いた。


 コトナの視線の上にあるのは、荒野にそびえ立つ巨大な岩肌だ。
 そこを蹴って大きく飛び上がるのは、脚だけが異様に肥大化した限りなく人型に近い異形である。
「あのクソオヤジ……今度会ったら絶対ぶち犯す!」
 だがその操縦席の中で、エレは既に全力でキレていた。
 機体の操縦性の問題ではない。調教するのも仕事の一つと豪語するだけあり、本来ならまともに動く事のないその機体は、エレの意のままに岩肌を跳び回っている。
 キレているのは、視界の隅に映し出された小さなアラートのせいだ。
「何が滅びの原野でも使えるスピーカーだ! フカシてんじゃねえぞ!」
 それは出立直前に、同じ開発工廠の責任者である父に作らせたものだった。本来であれば、この薄紫の大気の中でも問題なく使えるはずのスピーカーだったのだが……。
 今は通常のスピーカーと同様に滅びの原野の薄紫の大気にやられ、外部への音声どころか破損警報を出すだけの物に成り下がっていた。
 もっとも、原因のいくらかが自分にあるのも理解していないわけではない。
 それは、夢であった。
 彼女達のこれからと、愛らしい女の子達が過酷な定めに立ち向かう物語。共に歩もうと茨の道を歩み続け……力及ばず、その志半ばで倒れる物語だ。
 勿体ない。
 エレの思いは、その一点だ。
 彼女達も、それを取り巻く男達も、壊れてしまった青年達も。互いに身体を重ね、分かり合えれば、もっと良い思いがたくさん出来たはずなのに。
 そんな夢の中の不快感を取り払うためにスピーカーの改造を思いついた彼女自身も、少々思いつきが酷かったと反省がないわけでは……ない。
「まあ、SMまでは勘弁してやらぁ!」
 その妥協点が妥当なのかどうかは、彼女だけにしか分からなかったけれど。
「くっそおおおおおおおおお!」
 そして彼女の苛立ちを加速させる原因が、もう一つ。
 彼女の紺色の異形が相対する、真っ白な兎に似た魔物である。そこらのウサギと同じくふわふわしたそいつは、ひ弱そうな外見に似合わぬ機動力で、エレの攻撃を片端から回避し続けているのだ。
 幸い攻撃の手段は少ないのか、限りなく薄い装甲しか持たないエレを相手にしても決定打を繰り出してくる様子はなかったが……だからといって当たらない苛立ちが軽減されるわけでもない。
「男なら正面からぶつかってきやがれぇ! こんちくしょうっ!」
 ゴリラに似た魔物の大振りな一撃を力強く受け止めているコトナのガーディアンを眼下に見下ろしながら、エレは操縦席の中で咆哮する。


 戦斧を指揮棒の如く掲げ、周囲の味方に指揮を下すのは大山羊の角に似た意匠を備えた赤いアームコートだ。
 コトナやエレの属する開発工廠では『赤山羊』の通称で呼び親しまれていたそいつをまとうのは、この隊の実戦指揮官……アーデルベルトである。
「総員、周囲に槍を構えろ! 上空からの警戒も怠るな!」
 彼が自身の隊を率いて戦っている相手は、たった一機。
 エレの戦っている白兎型の魔物と……いやそれ以上の機動力をもって彼らの包囲網を翻弄する、黒猫と人を掛け合わせたような二本脚の魔物である。
「向こうは足止めしたい、こちらは攻める気はない……勝っているのはどちらなのかしらね」
 プレセアの知る限り、目の前の黒猫を筆頭に、魔物は立体的な機動に長ける個体が多い。周囲に崖や壁などのない荒野のど真ん中に陣形を整えれば、そんな魔物の得意とする動きは封じる事が出来る。
 事実、二本脚の黒猫は煙幕でこちらの視界を塞ごうとしつつも、アーデルベルトの指揮する槍衾を前に随分と攻めあぐねているようだった。
 様子からするに、偵察や隠密活動、戦闘支援に徹した性質を持つ魔物なのだろう。
 魔物を暴れるだけの怪物として見るならその立ち位置は不自然であるが、相手も同じ人類だと考えれば、偵察や斥候に長けた存在というのはむしろ居て当然と言える。
 ただ、だからといってこちらに圧倒的に有利、というわけでもない。確かに防御に特化して攻撃を防ぐぶんには有利だが、そんな素早い相手が縦横に移動出来る空間で敵の動きを捕らえるのもまた至難の業だ。……要するに、こちらもダメージを受けないが、向こうにもダメージを与えられないのである。
「アーデルベルト君。メガリ・エクリシアと連絡が付きましたわ。ちょうどエスコートの隊が出てくれているみたいだから、彼らがすぐ着くそうですわよ」
 やがてアーデルベルトの通信機に届くのは、彼らの防御陣の中央にいたプレセアの声だ。
「だそうだ! ここが踏ん張りどころだぞ! 総員、集中せよ!」
 相手の放つ煙幕は、赤外線による熱源を視覚化できるアーデルベルトには、さして効果のないものだ。敵の動く方に的確な指示で防御の矛先を向けながら、男は隊員達にさらなる指示を下してみせる。
 今の戦況は五分と五分。
 だが、例え数機でも増援の機体が来るならば、そこで戦況は一気にこちらに傾くだろう。

 黄金のドラゴンから放たれる雷光の雨を、避雷針がわりに立てた大鎌で受け流しながら。
「……増援だと?」
 分厚い装甲板に覆われた機体の中で彼女が呟いたのは、機体から流れ込む情報の中に、二つの姿を見つけたからだ。
 相手の反応は空。
 キングアーツに空を飛ぶアームコートはいないから、それは間違いなく敵……魔物という事になる。
「どうした、ヴァル。敵か?」
 通信機から飛んできたのは、久方ぶりに解放したメガリ・エクリシアとの直通回線だ。
「空からの増援だ。形状は、黒い烏と……鷲の身体に、人間の上半身が付いている二体」
 彼女の直属の上官は、その報告に一瞬何か考えているようだったが……。
「怪鳥か……ドラゴンはアーレスに任せて、ヴァルはそちらの迎撃に集中。可能なら、怪鳥は撃墜して回収しろ。サンプルが欲しい」
「了解」
 与えられた指示に何の疑問を差し挟む事もなく、ヴァルはそのひと言を返すだけだ。
 いずれにしても、空からの攻撃は味方にとって脅威となる。所属外の部隊に対して何の感慨があるわけでもないが、生存率が下がる事はヴァルにとっても面白い事ではない。
「アーレス。ドラゴンは貴様一人で足りるな?」
「たりめぇだ! 腰巾着は邪魔だからすっこんでろ!」
 乱暴な言葉が響いた後、すぐに雷光のノイズに占領された通信を切り、ヴァルはその身を翻す。
 構えるのは大鎌と、そこから伸びる長い鎖。先程までは大鎌に受けた雷光を地面に逃がすアースの役割をさせていたその端を、今度は力強く握り締める。
 黒い烏はともかく、怪鳥の飛び方はどこかぎこちなく、巣を飛び立ったすぐ後の雛鳥のようにも見えた。
 しかしそれは、こちらが加減する理由にはならない。
 ましてやここは戦場だ。
 飛べない鳥など、ただ狩られるだけの的にしか過ぎない。
「……弱い者は、死ね」
 与えられた命令を忠実にこなすべく。古の戦天使の名を冠されたそいつは、戦場の倫理を力任せに振りかざす。

続劇

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