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−ARASHI−
(その6)



Act.9

「あれ……?」
 朱鳥の声に、うなだれていたユイカも頭を上げた。
 街道の向こうに見えるのは、細く昇る黒い煙。だが、料理の時や風呂の湯を沸かす
時に昇る穏やかな煙の色ではない。
 もっと凶々しくて物騒な雰囲気を漂わせた、剣呑な煙だ。
「あれって……あたし達の宿の方じゃない!」
 宿泊客は巡礼などに出払っていて昼間はほとんど居ない。いるのは、宿のスタッフ
達と……
「十中八九、クワイプ・ルガーディアでしょうね。ルシィオと言いましたか? 彼は
あの子供に随分ご執心でしたから」
 気配もなく聞こえた声に、ユイカ達は頭を巡らせる。
 そこにあったのは、巨大な馬上槍を軽そうに肩に担いだ細身の青年の姿。今となっ
てはそれなりに見慣れた姿だ。
「シオン……。悪いけど、今はあなたに構ってる暇はないの。また後で……」
「お待ちなさい」
 妙な強さを持ったその言葉に、ついと足を止める、ユイカ。
「ユイカ。あなたはあの虐殺者と戦うつもりですか?」
「当然でしょ! あいつを倒さないと、またルシィオがさらわれちゃうもの!」
 ユイカはさも当然のように頷く。彼のせいでルシィオは記憶を失ってしまったのだ。
これ以上あいつの手にルシィオを渡すわけには行かない。
「結構。では、次の……いえ、最後の質問です」
 意気上がるユイカとは対照的に、あくまでも冷静なシオン。
「あの神官の娘とそこの精霊のお嬢さん、選ぶとしたらどちらを選びますか?」
 ほんの少しだけ焦げ臭さを含んだ風が、青年の白い髪をそっと揺らした。


「ノックにしちゃ、ちょっと派手じゃねえか? お前……」
 瓦礫の山からゆっくりと立ち上がり、スタックはそう呟く。右手には自らの大剣、
左腕にはルシィオが抱えられていた。
 宿のスタッフ達は無事ではないだろう。無論、抱かれた意味を咄嗟に解したルシィ
オが防御の結界を張らなければ、スタックもその中に入っていたはずだ。
「それは失礼。次回からはもう少し控え目にするとしよう」
 通りに立ったままスタックに答えたのは、ローブを纏った男。一本の短剣を無雑作
に提げたその男の名は、クワイプ。
 『虐殺者』クワイプ・ルガーディア。
「で、用件だが……」
 疲れ切ったルシィオを僅かに覗いた土の上にそっと横たわらせると、男の言いかけ
た言葉をひらひらと手を振って遮る。
「いいいい。言わんで」
 そのまま振っていた左手で大剣を包む布切れを振り払い、
「どうせ交渉はハナっから決裂してんだ。手早くやろうぜ、噂の『虐殺者』さんよ」
 スタックはいつもの不敵な笑みを浮かべ、自らの身長ほどもある大剣を構えた。


(にしても、あんな答えとはね……)
 ユイカの傍らを走りながら、シオンは内心苦笑を浮かべた。
 彼女達に伝えたのは、クワイプの短剣のこと。神器に宿る存在を殺す事の出来る、
呪われた武器の事だ。中でもクワイプの使う『怨嗟の短剣』は、負の感情の奔流を直
接相手の精神に流し込んで存在を自壊させる恐るべき武器。
 それに掛かれば、いかな偉大な神霊とはいえ無事でない。
 無論、ユイカの分身たる朱鳥とて。
 だが、その剣の正体を知ってすら、ユイカは笑って答えた。
「簡単じゃない。その短剣に朱鳥を触れさせずにあいつを倒せばいいのよ。本気でや
れば、何とかなるって」
(本気……ふむ)
 この少女の技量では、まず不可能だろう。その事は少女を見つめる精霊の娘の不安
げな表情が雄弁に物語っていた。
(まあ、お孫さんがどうするか……楽しみにしておきましょう。ねえ、師匠……)
 必死に走る少女に合わせてゆっくりと走りつつ。シオンはいつもの静かな笑みを浮
かべていた。


「あーあ。来ちまったい」
 道の向こうに見えた二つの影を見るなり、スタックは苦笑を浮かべた。一人は朱鳥
を纏ったユイカとして、馬上槍を背負った残りの一人は……多分ユイカの知り合いな
のだろう。
「どうした? もう戦わんのか?」
 ローブの奥の口を僅かに動かし、呟くように言葉を放つクワイプ。スタックの大剣
は魔法の武器や何かの宿った武器ではないから、クワイプの怨嗟の短剣とも互角に切
り結ぶ事が出来たのだ。
「ん。今あんたを倒したら、あいつに思いっきりぶん殴られちまうからな。それにあ
いつも……」
 虐殺者にも攻撃の気配はなかった。ヘラヘラ笑ってはいるが、スタックは呪文詠唱
まで済ませた完全な臨戦態勢なのだ。にらみ合いの膠着状態から、戦況が崩れる気配
はない。
「あんたに一発入れないと気が済まないだろうし……な」
「何?」
 クワイプは口を小さく歪ませた。目の前の大剣使いはそれなりの腕前だが、向こう
に見える少女は大した敵ではない。その相手に、何故自分が殴られなければならない
のだろう。
「あんまりあいつを馬鹿にしない方がいいぜ。今は絶好調みたいだし……子を守る母
親は、誰より強いって言うしな」
 そう言い残すと、スタックは疲れ果てて眠ってしまったらしいルシィオの方へと去
っていった。


 それは突然だった。
「ぐわぁっ!」
 当たった事すら気付かぬ速度で繰り出された拳の一撃に、彼の体がきりきりと宙を
舞う。あまりに咄嗟の事で、カウンターはおろか、防御や態勢を整える事すらおぼつ
かない。
 どさり。
「ぐぅ……。馬鹿……な……」
 ゆっくりと身を起こしつつ、クワイプは呻く。
「馬鹿ねぇ。だから、正面から殴るって言ったじゃない」
 呆れたようにそうぼやいたのは、殴ったユイカ本人。いつもの気鎧は纏っていない。
いや、朱鳥を纏いはしたのだ。だが、今は燃え盛る羽衣の姿はどこにも見受けられな
かった。
「貴様ぁぁっ! 殺してや……」
「だから、殺されちゃ困るんだってば。誰も……ね」
 彼女の隙を突こうとして、再び崩れ落ちるクワイプ。防御すら間に合わず、鳩尾に
ユイカの左肘が叩き込まれたのだ。しばらくはまともに動くことすらおぼつかないだ
ろう。
「けど、ちょっと迅いくらいで……情けないわね」
「全然ちょっとじゃねえじゃねえか……。マジで見えんぞ」
 これが、ユイカの真の実力だった。誰にも捉えられぬ動きと、驚異的な感応力。も
ともとの半身である朱鳥の力全てを機動力と感覚器官に注ぎ込む、恐るべき技。
「まあ、デメリットのが多いんだけど。この技って」
 拳打と肘を一発ずつ叩き込んだ左腕を少しだけいたわるように抱き、ユイカは苦笑
を浮かべる。
「おい……」
 ふと、驚いたような声を掛けるスタック。ユイカの腕からは、いつも填められてい
る筈の鋼鉄の腕枷が失われていた。しかし、そんな事に驚いたわけではない。
 妙に力無く右腕に抱かれている、彼女の左の腕。
「その腕、折れてないか?」
 スタックの問いに、ユイカはちょっと困ったような苦笑を浮かべる。
「ホントはルシィオに使っちゃダメって言われてたんだけどね…あいつを倒すには、
コレくらいしないと勝てないから」
 それこそが、この力の欠点。限界を超えた動きで体に掛かる肉体的負荷と、異様な
精神集中による精神的負荷。拳を繰り出すどころか、状態を維持するだけでも体には
凄まじい負担が加わってしまうのだ。
 だからこそ、腕枷で封じていた。二年前にルシィオから貰った、あの鋼鉄の腕枷で。
「足の方もちょっと痛いから、あと二回仕掛けたら折れちゃうかな? 折れたらちゃ
んと治してよね、スタッ……」
 そこまで言って、少しだけふらつく、ユイカ。
「馬鹿野郎。俺だって、ンな暇じゃねえや……」
 気を失って崩れ落ちるユイカをそっと抱きかかえ、眠っているルシィオの傍らにそ
っと横たわらせる。
「シオンさん。この二人、頼むな。出来れば、ユイカの骨も見てやってくれ」
 シオンの答えに軽く頷くと、青年は再び剣を取っていた。


「おや? 今度はまたお前か」
 巨大な剣を背負った青年を呆れたように見遣り、クワイプは小さく呟く。
「今のあのお嬢さんの一撃はちと驚いたが……先程の斬り合いでお前の力は見切って
いるぞ」
 あの程度の実力でこの私に勝てると思っているのか。そんな侮蔑の意志を暗の内に
込めた、ローブの男の言葉。
「ん…今はユイカも朱鳥もルシィオも見てねえしな……」
 ゆらり。
 ゆっくりと歩を進め……
「こっちも、遠慮なくやれるってもんだ」
 ほんの一瞬で間合いを詰め、貫く。
 クワイプの、心の臓を。
 ユイカに匹敵する迅さと、その負荷をものともしない体力。
 それが、青年の真実の力。
「これ以上あいつらを泣かせんじゃねぇ。…この、下衆が」
 剣から放たれた天と地を繋ぐ炎の柱に照らしだされる青年の瞳は、限りなく冷たい
輝きを放っていた。
続劇
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