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魔風
-Ma No KAZE-
(その3)



 青白い月明かりを浴びて立つ、一人の影。
 昨日の仮眠の時にスタックと話していた、シミター使いの男だ。何の心境の変化
か、ターバンは身に付けていない。
 「お、お前らも無事だったんだな。メシの時に見えないから心配してたんだ
ぜ?」
 笑顔を浮かべ、スタックは男に向かって声を掛けた。同じ隊でも赤の他人の傭兵
というのが傭兵の付き合いとは言え、やはり見た顔がいないのは淋しいものだ。
 「やっとキミ達が餌にかかってくれたんだからさぁ」
 男の放つ意味不明の言葉に、スタックは眉をひそめる。
 「お前……誰だ?」
 「やだなぁ……。僕は僕だよ。それとも……」
 からからと笑うと、男は雰囲気すら別人のように替え、再び口を開く。
 「俺って言った方が通じるか?」
 砂漠の夜風が男の長めの髪をなびかせ、その髪の下にある額の刺青を露にしてい
た。

 「さて、と。そこのスタック君がお望みのようだから、この口調で行かせてもら
うが……」
 腰のシミターを弄びながら、男は言葉を続ける。先程までの子供のような奇妙な
雰囲気から一転し、今はスタックの知っているシミター使いの男の雰囲気を取り戻
していた。
 「実際、君達に今居なくなられては困るんだよ。せっかく殺せるチャンスなのに
……」
 「あなた……」
 今まで黙っていたユイカが、叩きつけるように叫んだ。彼の額の奇怪な刺青に
は、ロクな思い出がない。
 「クワイプ! あなた、クライプ・ルガーディアね!」
 そのユイカの声と同時に、彼女の足元の砂が動き始めた。しかしユイカの注意は
クワイプに向かっていて、足元の異変に気付かない。
 「あたし達に今更何の用!」
 しゅぅっ!
 そこから生まれた鋭い砂の刃が、ユイカの足を切り裂こうと彼女に襲いかかる!
 「おや。相変わらずそちらの『共有者』殿は用心深いようで……。結構結構」
 一瞬にしてユイカを覆い、砂塵の刃を弾き返した炎の羽衣を見て。『虐殺者』ク
ワイプ・ルガーディアは、相変わらずの人を見下したような笑みを浮かべた。

 「足元だけじゃない! 気をつけないとっ」
 砂を自在に操る。それが、今のクワイプの能力だった。
 足元を砂の鎌ですくい取り、砂の大剣で上段から切り付け、隙あらば砂の鞭が動
きを封じようと襲いかかってくる。
 「ンな事言ったってよおっ!」
 ユイカは朱鳥がガードしてくれているから回避に専念できるが、スタックはそう
もいかない。巨大な大剣を器用に使って何とか凌いではいるものの、鍛えられた太
い腕には浅い傷が幾つか浮かんでいた。
 「本当はシオン君が来れば良かったのだがな。まあ、君もその次には殺すつもり
だったから、別に構わないのだが…」
 「ちっ……。ユイカをお前なんかに殺らせるかよっ!」
 クワイプの呟きにスタックは大剣を水平に構え、アミュレットを握り締める。
 「風呪っ! ……とっ!」
 しかし、無数に襲ってくる砂の攻撃に気を取られて術を放つ事が出来ない。それ
どころか、砂の鞭に足を絡め取られて転んでしまう。
 「スタック!」
 ユイカは必死に駆け寄ろうとするが、さらに攻撃の手を増した砂の刃に足止めを
食らって近寄る事すらままならない。
 「ついでだ。君も殺してやろう」
 いつのまに抜いたのか。クワイプはシミターを構え、動きを封じられたスタック
の目の前へゆっくりと振り上げる。この姿になってから、シミターを使うのは初め
てなのだろう。シミターには血のくもり一つない。
 「では、さらばだ」
 そして、クワイプはスタックへ向けて新品同様のシミターを振り下ろし……
 「!」
 突如襲ってきた激しい殺気に弾かれるように、瞬時に後へと引き下がっていた。



 「く………。何だっ!」
 スタックを斬り殺す瞬間に食らった、激しい殺気。それに反応したおかげでクワ
イプはスタックを殺し損ねてしまったのだ。
 だが、それは正しい判断だったと、クワイプは理解していた。本能だけでなく、
理性でも。
 そこに立っている、漆黒の影。ユイカ達でも、スタックでもない、三人目の人間
の姿。
 「貴様か……」
 影は、呟く。全てを焼き尽くすような激しい視線をクライプに向けて。
 「砂漠の村を滅ぼし、村の護りだった『主の砂』を奪ったのは……」
 雲の隙間から差し込む月光が、影の姿を静かに照らし出す。
 「砂の魔獣に紛れ、傭兵達を斬殺したのは……」
 そこには、『鬼』がいた。
 漆黒の鎧をまとった、角のない鬼神が。
 「貴様か……?」
 鬼の問いに、クワイプは無感情に答える。
 「だとしたら?」
 砂を操る力を秘めた神器『主の砂』を奪い、『殺戮者』シオンと戦う時の切札に
しようと思ったのは事実だ。それを奪う際に無抵抗の村人を片っ端から殺したのも
確かだし、傭兵達で『主の砂』の試し斬りをしたのも本当の事。『主の砂』の封印
を解いたおかげで砂の魔獣どもが大量発生してしまったのは予想外だったが、これ
とて特に問題のある事態ではなかった。
 どちらにせよ、否定などする気はない。
 それこそが、彼が最強を求める為のステップの一つなのだから。
 「俺が殺したとしたら、どうするね?」
 クワイプのその言葉と共に辺りの砂が盛り上がり、無数の魔物が姿を現した。こ
れも、『主の砂』の力の一つだ。
 「殺す」
 鬼神は短く答えると、持っていた巨大な剣を構えた。


 「ユイカ、朱鳥! 大丈夫か?」
 砂の束縛のなくなったスタックは、彼の後で戦っていたユイカのもとへと走り寄
る。
 鬼とその剣の放つ障気は桁外れの物だった。魔法が使えるだけのスタックでさ
え、背筋が凍るような思いなのである。魔法にもっと近しい存在である朱鳥など、
そんな物を受けたら堪ったものではないだろう。
 「あたしは大丈夫だけど……朱鳥は大丈夫じゃないみたいなの……」
 気鎧状態すら維持できなくなったのか。表に出て来ている朱鳥を抱きしめたま
ま、ユイカは茫然と呟く。
 「大丈夫……。ちょっと、頭痛いけどね……」
 そう言う朱鳥は全然大丈夫そうではない。多分、鬼とクワイプから放たれる戦い
の余波に必死に耐えているのだろう。シオンの時のようにセーブされた障気ではな
いから、その負担は想像すらつかない。
 「いつもそう……。あたしが弱いから、朱鳥にもスタックにも迷惑掛けちゃう…
…。朱鳥が苦しんでても、何にも出来ない……」
 朱鳥の手をそっと握ったまま、ユイカは悔しそうに洩らす。
 ぱしん……
 と、スタックはユイカの前にしゃがみこむと、そんなユイカの頬を張った。
 「バーカ。だからお前、強くなるって決めたんだろ? いつまでもウジウジする
のなんざ、お前らしくねえぞ」
 そこまで言って、スタックはにやりと笑う。
 「………そうね。忘れてた」
 ユイカは朱鳥の頬に軽く唇を寄せると、ゆっくりと立ち上がった。鬼とクワイプ
の戦っている方から砂の魔物がこちらの向かっているから、そいつらをなんとかし
なければならないのだ。
 それに従うように、朱鳥もユイカに続いて立ち上がる。
 「朱鳥。いいの?」
 幾分か顔色の良くなった朱鳥は、こくりと首肯く。
 「ええ。あの程度の相手くらい、なんて事ないわ」
 それでも心配そうなユイカの様子を見て朱鳥はくすくすと笑って寄り添い、小さ
く付け加えた。
 「それにね、今は何だか気分がいいの」


 クワイプは、珍しく焦っていた。
 相手との実力に極端な格差があるわけではない。それどころか、正面から普通に
戦ったのならクワイプが七割くらいの確率で勝利を収められるだろう。
 だが。
 「こいつ……死ぬ気か?」
 足を狙った砂の鎌を踏み潰し、上段から打ち下ろされる砂の刃を自らの斬撃の余
波で打ち砕き、隙あらば動きを封じようと放たれる砂の鞭を無理矢理引き千切る。
 あまりと言えば、あまりに強引な戦い方。
 こんな戦い方をして来るような相手に、普通の戦いの常識は通用しない。
 「ちぃ……っ!」
 鬼の放った漆黒の衝撃波を、半ば本気でかわすクワイプ。着弾点からさらに分裂
して誘爆する技だから、紙一重でかわすなどいかなクワイプでも不可能だ。
 「死ね……」
 しかし、それでもクワイプは避けきれなかった。
 爆風の中から現われた鬼神の一撃までは。
 クワイプの胸を、巨大な大剣がゆっくりと貫いていく。
 「くくく……命が本当に要らぬと見える……」
 そして、鬼神が無数の連撃の第二打目をクワイプに向けて放つのと、クワイプが
無数の砂の刃の第一撃目を鬼に向かって放ったのは……。
 ほぼ、同時だった。


 「起きられるか?」
 「ああ。何度も世話をかけるな」
 治癒の掛けられた体を無理矢理起こしつつ、ヴァイス・ルイナーはスタックへと
短い返事を返す。
 既に気鎧は解除されていた。クワイプの放った何十本目かの砂の刃が胸を貫きか
けたところで、さすがに意識がなくなってしまったのである。
 「俺も助けてもらったからお互い様だけどよ。あんま、命を無駄にするんじゃね
えぜ?」
 向こうに落ちているズタズタになったクワイプ『だったもの』を無感動に見遣
り、スタックは呟く。
 「ああ。気を付けよう」
 胸を貫きかけた砂の刃と同時に放たれた拳が『主の砂』の入った砂時計を打ち砕
いていなければ、ヴァイスは心臓を貫かれ、死んでいただろう。
 だが、その事に関しての感慨は特にない。
 (また、生き残ったか……)
 あるとすれば、そんな思いだけ。
 「あんた、これからどうするんだ?」
 手元に転がっていた巨大な大剣『ギルティ』を拾い上げ、ヴァイスはスタックの
問いに短く答えた。
 「流れる。それだけだ」


 「そうですか……。エミィ様に」
 夜の空を見上げ、朱鳥は傍らのスタックにそう相槌を打った。
 『虐殺者』クワイプ・ルガーディアが姿を消してから。そして、『主の砂』が破
壊されてからは、砂の魔物もぱったりとその姿を消していた。
 三日間の様子見の後、魔物は一匹も出ない…という事で、傭兵団は晴れて解散と
なったのだ。
 「ああ。一応、頼まれてな」
 半分、嘘である。
 確かにエミィに頼まれはした。だが、先に護衛を言いだしたのはスタックなのだ
から。
 「そうですか……」
 朱鳥も直観的にスタックの言葉を『嘘』と見抜いていたが、特に何も言わなかっ
た。
 「それより、あれからお前の方は大丈夫なのか?」
 自分にどうも不利になったからだろうか。スタックは話題を強引に変える。
 「ええ。不思議なくらい安定してて……」
 クワイプの事件の後、朱鳥は強い障気の流れを感じてもあまりショックを受けな
いようになっていたのだ。ユイカが何らかの成長を果たしたからなのか、他の要因
なのかは分からなかったが……とにかく朱鳥にとってありがたい事には違いない。
 「スタック様はこれからどうされるんです?」
 一応、当面の問題であるクワイプは死んだ。しかし、本当に死んだのだろうか…
…。ユイカと朱鳥はクワイプがかつては子供の姿をしていたのを知っているから、
いまひとつ素直に喜べない。
 「ああ。当分、お前等に付き合うってのもいいかもな。どうせあいつの事だか
ら、自分から厄介ごとに突っ込んでいくだろうし……」
 その時にはどうせエミィ辺りに呼び付けられるのだ。それに、ユイカが旅をして
いる限り、呼び付けられる時はそう遠くないように思えた。
 「でしょうね。ユイカの事だから……。って、こんな事ユイカには言えないけ
ど」
 朱鳥も苦笑を浮かべる。だが、朱鳥はそんな彼女で構わないと思う。強くて無鉄
砲だけど、優しくてどこか儚い、そんな彼女で。
 「違えねえ。今の話はあいつにはナイショな」
 スタックも朱鳥の言葉に苦笑を浮かべた。
 「あ、そういえば……スタック様に一つお聞きしようと思ってたんですが……」
 事後処理が忙しくて今まで忘れていたのだ。つい先日疑問に思っていた事を、朱
鳥はふと思い出す。
 「スタック様は、どうしてユイカが強くなろうって思ってたのが分かったんで
す? 私も分からなかったのに……」
 「ああ。その事か……」
 スタックは満天の夜空を見上げ、小さく呟いた。
 「ンな恥ずかしい事、言えるかよ」
第6話に続く!
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