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−Prologue−
 「師匠!」  紅蓮の焔が漆黒の夜空を灼く。  「どうして………こんな事を……?」  燃え盛る焔の中に立ちつくすは、一人の少女。  「分からぬか?」  返事を返したのは少女の目の前に立つ一人の小柄な老爺。さして口を動かす事も せず、言葉を放つ。  「そう…か」  老爺は諦めたかのようにそう呟くと、節くれだった細い指に絡み付いた細い鋼糸 を、ついとひねった。  からからからから……  それに応じるかのように、あたりに奇怪な音が響き渡る。焼け落ち、爆ぜる焔の 音と対照的な、あまりに空虚な、あまりに乾いたその音。  音の主は、『人形』。  老爺がその指に絡み付いた糸を用いて操る、2mを越える程の巨大な戦人形だ。 その人形が、少女と老爺のちょうど中間あたりの空間で、見る間に組み上がってい く。  まるで、その魂を失って崩れ落ちていく躯の映像を、逆方向へと再生したかのよ うに。  「ならば、拳を以て決着を付けるしかあるまいて……」  からり。  老爺が構えると同時に、操られる『人形』もまた、木と鉄で構成させたその躯を 構えさせる。  「いくら弟子とは言え、容赦はせぬぞ?」  「く………」  少女は納得出来ないながらも、老爺に倣い戦の構えを取った。  人形の構えを鏡に映したかのような構え。だが…  「所詮この世は弱肉強食……迷いがある時に戦えば、待つのは『死』のみ……。 そう教えたはずよの…」  そう。少女の構えの中にあるものは、明らかな迷い。  「ユイカ……ランティア!」  紅蓮の焔に包まれた『街』の中央で、老人と人形、そして少女が……動いた。



起風
-Okoru Kaze-
(その1)



 半年ほど前。
 「一人で旅を始める?」
 銀髪の女性は別に驚く素振りも見せず、そう返した。歳の頃は20代の後半だろ
うか?
 その彼女の紅い瞳からの視線は、目の前の椅子に腰掛けている少女の顔へと注が
れている。
 「兄様も一人で旅に出たでしょ? だから、あたしもそろそろやってみたいな…
…って思って。この街なら大きな街道とつながってるし、丁度いいじゃない」
 そう答えた少女はまだ幼い。十代の前半……くらいだろうか? 目の前のソファー
に座っている女性と同じような銀色の髪と、紅の瞳を持つ少女だ。頭に付けた大き
めのリボンと丁寧にまとめられた三つ編みが良く似合っている。
 「ユイカには少し早くはないか?」
 だが、女性と対照的にそんな事を言い出したのは、女性の隣に腰掛けていた一人
の男。
 「父様……」
 男はナイスミドルなその外見の割に意外と心配性のようだ。まあ、大事な娘が一
人旅を始めようというのだから、当然といえば当然の反応ではあるが。
 「あら? あたしもユイカの歳には一人で旅を始めてたんだけど……?」
 心配そうに呟く男の姿がおかしいのか、女性はくすくすと笑いながら男へもたれ
掛かった。腰まで伸ばした銀色の美しい髪が、さらりと揺れる。
 「そ、それは僕もしていたが………」
 しどろもどろにそれだけを答える男。もう一緒に旅をするようになって20年に
達しようかとしているのに、今だにこの態度だ。女性にはその反応が面白くてたま
らないらしい。
 「ふふっ……。まあ、いいわ。父様の心配ももっともだもの」
 相棒の反応を楽しむのもそこそこにしておいて、女性は体を起こし、娘の瞳を
じっと見据える。
 「貴女には基本的な事は全部教えてあるつもりだし、多分一人で旅をするように
なっても大丈夫でしょうね。その点は問題ないと思う」
 「おい、エミィ……」
 「それじゃ?」
 だが、期待を込めたユイカの視線を女性…エミィは軽く弾き返す。
 「父様が心配してるのは、身を護る方の事なの。そうよね?」
 「う…うむ。その点が何とかなれば、な……。朱鳥もいる事ではあるし…」
 本当はそれ以外にも心配のタネが山ほどあるのだが、男はそれ以上の言及をする
事をやめた。いくら大事な娘の事とは言え、あまりくどくどいう事は自分の『美
学』に反するし、どちらにせよ気持ちのいい物ではない。しかし、端的な言葉で自
分の気持ちを示す術を、男は一瞬で見付ける事は出来なかった。
 少女を愛するが故に。
 「そっ…か………」
 決して表に見せないとは言え、父親のその葛藤を悟れないほどユイカもバカでは
ない。その気持ちは痛いほどに伝わっているのだが、自らの好奇心を押さえる事も
出来そうになかった。
 自らの両親、そして兄と同じように。
 「ならば、儂がそれを何とかしようではないか」
 そんな時、突然掛けられたその声。
 「ざ…座長……」
 声のした方向には、一人の小柄な老爺が立っていた。



 「この半年で随分と力を付けたようだが…まだまだよのう……」
 「くっ………」
 老爺の操る『人形』は恐ろしく軽快で、迅い。ユイカは人形の放った剃刀のよう
な鋭い拳打、『打破(だは)』と呼ばれる打撃技を寸でのところで躱し…
 「何……?」
 さらに身を引く。
 彼女の体を動かしたものは、鋭い殺気。
 だが、ほんの僅か間に合わなかったようだ。ユイカのまとっていたマントの表面
が裂け、ぱっくりと大きな口を空ける。
 ひゅぅん……
 焔に熱された夜の空気を、小さな快音が鋭く切り裂く。
 「カマイタチ……いや、違う…」
 あたりで燃え盛る焔の照り返しに姿を映した弧状の線を見た瞬間、ユイカはその
『切り裂くもの』の正体を悟っていた。
 「糸……。糸も武器だったの…?」
 そう。人形の腕と老爺の指を繋ぐ鋼の糸はただの制御用のワイヤーではなかった
のだ。細かい螺旋状に鋭いエッジを切り出された、極めて高い殺傷力を持つ『武
器』。もしも拳打を躱しただけで安心していたら、ユイカの体は苦もなく切り裂か
れていただろう。
 「繊剣を避けたか……。それにしても、まさかこうも簡単に見抜かれるとは思わ
なんだ」
 老爺の戦法は、『人形』で行なう格闘戦と繊剣を使った攻撃の二段構え。しかし、
繊剣を避ける術があるわけではないし、主力たる『人形』も健在だ。
 「まあよい。続行とゆこうか…。征くぞ、『ザエル』…」
 『人形』…ザエルはユイカに躱された『打破』で燃え盛る壁を打ち抜いたまま、
動きを停止させている。木製のはずのザエルの躯がいつまで経っても燃える気配を
見せないのは、それに施された魔法処理によるものだ。
 からからから………
 老爺はザエルを瓦礫の中から立ち上がらせると、再び戦の構えを取らせた。



 「ソンナニ驚カナクッタッテイイジャナイカ。ボク、傷ツイチャッタヨ。エー
ン」
 老爺の抱えていた50cm程の人形の口が、カタカタと動く。隠居したとは言え、
かつての旅芸人一座『シュミハザ一座』の名腹話術師の実力は衰える様子すらな
い。
 「ごめんなさい。まさか座長がこんな所に居るなんて思わないじゃない」
 老爺はエミィの故郷の村に住んでいるはずだ。村からは一月以上もかかる距離だ
し、その村の住人がまさかこんな所にいるとは思わない。
 「ちょっと知り合いの所まで出掛けておってな。その帰りなんじゃよ」
 老爺はそう言って笑う。彼は旅芸人の一座で育てられたエミィにとって、育ての
親か祖父…と言ってもいい老人なのだ。
 ただ、名前は一座の誰も知らない。『座長』という通称で全てが通じるからだ。
 「それで、座長殿。何とかして見せる…というのは?」
 居住まいを正してそう問い掛けるのは、ユイカの父親。老爺の動きと雰囲気か、
彼がかなりの実力を持つ人物だ…という事くらいは見抜けるが、それ以上の事は圧
倒的な経験の差で巧妙にカバーされていて、よく分からない。
 「聞いての通りじゃよ。ユイカは儂に取っても孫みたいなもんじゃからな。その
孫が自立するのに、一つ手を貸してやろうか…と思ってな」
 「ジジーガカクトーギヲ教エテクレルンダッテ。マルデ年寄ノ冷水ダネ。ハハハ
ハハハ」
 腹話術人形がからからと笑う。
 「どうする? 座長は信用できる人だし、決めるのはユイカだけど……?」
 「うん…」
 ユイカも座長の事は良く知っている。彼女を可愛がってくれるいいお爺さんだが、
本当に強いのかどうかまでは分からない。ユイカ程度の経験では、ケタ外れの経験
に裏打ちされ、巧妙に隠蔽された老人の実力を推し量る事など、不可能に等しい事
なのだ。
 「ユイカ。大事な事だ。よく考えて決めればいい。その程度の時間は頂けます
か? ご老体」
 「言うまでもなかろう? ゆっくり決めなさい」
 父親と老爺の言葉に、ユイカは神妙な顔をして首肯いた。


 ザエルの攻撃を躱しながら、ユイカは考えていた。
 (さて……と。まずはどう戦うか…よね)
 老爺とザエルを繋ぐ糸が普通の鋼糸ならば問題ない。ザエルの攻撃を躱した直後
に操者である老爺に近接し、ザエルを制御する間を与えないままで格闘戦に持ち込
むだけだ。
 (けど……)
 ユイカのまとっているマントには幾筋もの線が入っている。繊剣のほとんどの攻
撃はかわせたものの、何発かに一発くらいは完璧に避けられない攻撃が出ているの
だ。
 (あの糸、邪魔よねぇ……)
 刃の切れ味を持つ糸…繊剣がある限り、老爺に手を出す事は出来ないのだ。もと
もと無防備な操者を護る為に作られた武器……ユイカは武器の形と使い方から、そ
う見当を付けていた。特に目の前の老爺は小柄だから、防御効果は絶大だろう。
 (何とかあれを封じられれば……)
 辺り一面は激しい焔。夜というのに、昼間も同然の明るさだ。
 その熱を受けたユイカの肢体には、珠のような汗が浮かんでいる。
 「ちっ……!」
 そこに繰り出されるザエルの拳打。ユイカはその拳打にタイミングを合わせてザ
エルの拳を蹴りつけ、後方へと自ら跳ね飛んだ。
 後方は台所だったはず。狭い場所だから追い詰められる可能性はあるが、巨大な
ザエルの動きはさらに制限されるだろう。賭けは好きではないが、賭けてみる価値
はある。
 「!」
 空中で軽く一回転し、華麗にその台所へと着地した…刹那。
 足が、滑った。
 一瞬そのまま転び掛けるが、片手で床に一撃を加える事で何とか態勢を建てなお
す。
 (危なかったぁ……。床が灰と水で固まってたのか…)
 燃えて崩れた水桶から水が漏れ、床に溜まった灰を固めていたのだ。
 (水と…灰…固まる…?)
 一瞬の、間。
 (そうか!)
 ユイカは、台所に置いてあった油の瓶を取ると、迫り来るザエルの方へと身構え
た。
続劇
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