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Avenger [KARMA]
Mask The Rider's Story presented by C-na Arai



 街の雑踏の中。
 道を歩く男に、男が絡んだ。
 絡まれた男は商社風の男。困ったような表情を浮かべたその男の姿は、ぴっちり
した三揃えの背広に、メガネ。レンズの度は相当に強いのだろう、正面から見た男
の目は、大きく歪んでいる。
 絡んだ男はチンピラ風の男。漆黒のサングラスで視線は見えないが、凶悪な雰囲
気でサラリーマンに威を叩き付けている。
 そんな事は誰も気にしなかった。この街ではなどよくあることだし、いちいち構っ
てもいられない。「関わりたくないな……」とか思いながら、人混みは流れていく。
 もちろん、チンピラの叫ぶ「衝撃者達め……」とか、「その『複眼』までは誤魔
化しきれないようだな」などという言葉が聞こえたとしても、「危ないヤツ……」
より上の認識を抱く事など無かった。
 だが。
 鈍い音と、砲弾のような炸裂音が響いたとき、全ては変わった。
 悲鳴を上げたOLの視線の先にあるのは、コンクリート壁に半ばめり込んだ男の
躯。否、めり込んでいるように見えるが、めり込んでいるだけではない。格闘ゲー
ムのように軽々と吹き飛ばされた男はコンクリート壁にぶつかった衝撃で半身を圧
搾され、そのまま密着しているのだ。
 しかし、それ程の衝撃を叩き付けられたというのに、赤い液体が飛び散っている
だけで一片の肉片も飛び散ってはいない。とは言え、狂気が狂気を呼ぶ混乱の場だ。
その事を疑問に思えるほど余裕のある人間など、その場にはいない。
 たった一人の例外であろう砲撃の軸線上に立つチンピラは、サラリーマンの方に
細く長い脚を伸ばしたまま、長い息を吐いているのみ。
 蹴り。
 まさに格闘ゲームの如く、男を蹴り飛ばしたのだ。
 違うのは、これがゲームなどではなく、現実であるというただ一点。
 警察がパニックに陥っている場にようやく辿り着いたとき、男の姿は既になかっ
た。


 またある時。


 OLが、夜道を歩いていた。
 踵の高いヒールが床を弾き返す甲高い音は、一定のリズムで淀みがない。
 それに、もう一つの音が重なった。
 同じリズム。
 違うのは、前者が「かつん」、後者が「が」。後者の方が重く、堅い。
 女物のヒールではなく、男物のブーツの音だ。
 かつん、かつん、かつん。
 かつんかつんかつん。
 輪唱となったリズムの拍子が、徐々に早くなっていく。
 かつかつかつかつかつかつかつ
 かっかっかっかっかっかっかっ
 ハイテンポとなったハイヒールの音に、それに倍する8分音符のブーツが重なる。
 時間は同じ。
 移動速度は、単純に2倍。
「お前達の擬態能力など、この俺には通用しない……」
 響く、男の声。
 二つの影を映していた水銀灯が周囲の不安を写したかのように、数度瞬く。
 ががががががががっ!
 さらに、ブーツが加速。いや、既にブーツの重い靴底の音ではなかった。何かを
ひっかき、削るような鈍い音。ぎしぎしと唸り躍動する筋肉の、圧倒的に力強い音。
二つの剛音が、全速で走るハイヒールのテンポの4倍、16分音符の速度で地面を
蹴る。
 ハイヒールの音が消えた。
 代わりに訪れるのは、低い重音。ぶぶぶぶぶぶぶぶぶという空気を揺るがす音と
共に、暗闇を影が『舞う』。
「蜂女め……逃がさん!」
 だぁんっ!
 跳躍の音を残し、削音も消えた。
 ぱぁんっ!
 砕け散った水銀灯の最後の輝きが残したのは、電光の衝撃と共に有翼の異形を真っ
二つに蹴り砕く、異形の影。
 異様な筋肉に鈍く輝く金属質の部品を半ば埋もれさせた、さらなる異形の姿だっ
た。


 またある時。


 異形の影は、死にかけていた。
 片腕がないまま苦しそうに大型バイクにしがみつき、荒い息を吐いている。いや、
異形は肺呼吸をしないから、この表現は間違っているのかも知れないのだが。
「全く、馬鹿か、お主は……」
 その異形の正面に立ち、哀れむように見遣る白衣の老人。
 足下に溜まった血溜まりが量を増やす気配はない。異形の腕から流れ落ちた異色
の体液は、力を取り戻した今、圧倒的な早さで凝固しつつあった。
「お主がその『Cycle-ON』を離れて活動できるのは最大45分と言ったはずじゃろ
う。それ以内に体液のフルメタルブラッドの透析を再開しなければ、生体ダイナモ
とて止まってしまうというに」
 生体ダイナモから生み出される膨大な電力は、異形に埋め込まれたメカニカルパー
ツの動力であり、同時に武器ともなる。さらに、巨大な透析装置を載せたおかげで
動力機関を搭載できない『Cycle-ON』の唯一の動力源でもあった。
 すなわち、生体ダイナモの停止は彼の生命線である透析装置の停止。イコール彼
の死を意味するのだ。
「うるさい。貴様の知ったことか……」
 大型バイク『Cycle-ON』から伸びた数本のケーブルを腹のジャックに叩き込んだ
まま、異形。透析によって再生能力は取り戻したものの、まだまだその力の全てを
取り戻すには至らないようだ。
「出来損ないの飛蝗男……昆虫人類が言い草よ。脊髄運動だけで動くその身体に鋼
鉄神経を埋め込んでやったのはどこのどいつじゃ?」
 足下に転がる腕を拾い上げ、老爺はため息をついた。外骨格の中、昆虫の強靱な
筋肉で構成された腕の損傷具合を見、続いて断裂した金属部品の様子を確かめる。
 人間の脳からの電気信号を筋肉へと伝える鋼鉄神経の損傷は大きかった。神経は
換装じゃな、とぼやき、異形の腕を『Cycle-ON』の後部トランクへ無造作に放り込
む。
「早く……付け直せ」
「急くでない。フルメタルブラッドの再生能力で接合は簡単じゃが、鋼鉄神経の換
装はできぬて。まあ、脊髄反射だけの腕で良ければ、別じゃがのう」
 そう言われて、異形は黙った。
 昆虫人類は本物の昆虫と同じく、頭脳を持たない。全身の駆動も脳による一括制
御ではなく身体の各所に点在する神経瘤で行われる。痛みも感じないし、意志を持
つこともない。 しかし、目の前の異形は蟻男や蜂女とは違う。人間の頭脳を移植
された改造人間だ。改造された頭脳による人間の判断力と、昆虫の持つ圧倒的な筋
力を併せ持つ、次世代の昆虫人類。
 神経系と脳改造を施される直前に、身体が起動。自らの生命の危機を察し、脱走
したのだ。
「殺すぞ……貴様」
 『衝撃者』の基地を脱出した時の一幕。自らの意志を離れて体が動き、近寄る相
手全て……怪人も、科学者達も……握りつぶしていった時の恐怖を思い出したのだ
ろう。
 明晰な意志の中での、悪夢。
 それは人の意志を歪め、発狂させるのに十分なもの。
「殺したければ殺すが良い。この『死神』、既に『衝撃者』からも捨てられたオイ
ボレさ。だが、儂がいなくなればお前さんの身体と防毒服、誰が面倒を見る? 儂
がおらねばお主の身体、半年の寿命どころか半月も持たずに朽ち果てるじゃろうよ」
 だが、老爺は自らの命が掛かっているというのに、皺だらけの顔をゆがめて笑う。
 他人はおろか自らの身体すら研究の実験材料とし、『死神』の名で『衝撃者』の
尊敬と畏怖の全てを集めた狂科学者の姿が……そこにはあった。
「うる……さい」
 必殺の蹴りを放つ際に体内を貫いた過剰電流でダメージを受けた筋肉も、いくら
かは修復されたようだ。異貌を隠し、防毒・耐酸効果を持ち合わせるフルフェイス
のヘルメットを被ると、片手でハンドルを握った。人の姿に偽装する『擬態能力』
はまだ戻らないが、防毒服とヘルメットに隠れるからある程度は誤魔化せる。
 腰部の生体ダイナモから発生した電流が『Cycle-ON』に流れ込み、極限まで小型
化された超伝導モーターが回転を始める。
「なあ、『カルマ』よぅ」
 死神の老爺の言葉は、走り去った異形の背に聞こえることはなかった。

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