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氷剣の娘
-Icily Sword Daughter-
後編



「……意外そうね。女の子の天幕がそんなに珍しいかしら?」
 ヴァネッサは自分の天幕に他人を入れる事がない。天幕を組み立てる時は部下の手
を借りるから、天幕の間取りや中身は団の人間なら誰でも知っているにも関わらず。
新入りの傭兵だろうと彼女の義父である先代団長であろうと、少女はその小さな聖域
に他人が立ち入る事を許さなかった。
 今までにそこへ立ち入った事があるのは、一度だけ団を訪れた銀髪の女性と、数名
の女性兵士のみ。
「別に面白い物はないわよ。まあ、こんな物があるのは私の天幕くらいだろうけれ
ど」
 天幕の中身は身の回りの小物など入った小さめのザック以外には、中央にただ一つ
大きなクッションが置かれているのみだ。本当に、それを除いては最低限の物しかな
い。
 唯一の調度品とも言える大きなクッションに軽く身を沈め、ヴァネッサは小さく呟
く。
「唯一の贅沢……って所かしら? 私だけがこんな物使って気に食わないのなら片付
けるけれど」
 確かに一見贅沢そうに見えるが、実際はそれほどの物でもない。藁を詰めた大きな
布袋に薄い綿を敷き、厚手の布で覆っただけの物である。布や綿は防具や天幕に使わ
れる備品の余りだし、藁は馬の飼い葉から少し失敬したものだ。肝心の寝心地の方
も、地面にマントを敷いて眠るよりは快適……という程度でしかない。
 ただし、このクッションの存在も団員の間では知っていて当然の事柄である。いま
さら文句を言うほどの物ではない。
「……別にンな事じゃないです」
 ようやく、無言だったツヴィルクが気まずそうに口を開いた。
「団長……泣いてたんですか?」
 布越しだったから分からなかったが、目の前の少女の目は赤い。よくよく見ると、
彼女の着ている服の袖にも、涙を拭ったような跡が残っているではないか。
「……私にだって、泣きたい時はあるわ」
 さして柔らかくもないクッションにぽすん、とその顔を埋め、ヴァネッサは答え
る。
「だって、報告を聞いた時はさも平然と……」
 あの時は眉一つ動かす事もなく、冷徹とも言える程に冷静な判断を下していたでは
ないか。
「……いくら私が子供でも、仕事に私情を挟むような馬鹿な真似はしないわよ」
 だが、今目の前にいるのは。
 藁のクッションに深々とその顔を埋め、静かな悲しみに身を震わせている……一人
の幼い娘。
「大好きだったわ。アイフは私が初めて義父様に連れられてここに来た時、初めに
突っかかってきた人でね。『ガキを俺達の傭兵団に入れるなんて、どういう事
か!』って。今思えば、私みたいな子供に人殺しをさせるのが嫌なだけだったのかも
ね。女の人や子供には優しい人だったから……」
「団長……」
 口調は相変わらず静かなものだ。しかし、その静かな言葉に、時々微かな嗚咽の気
配が混じる。
「……奥さんには本当に取り返しの付かない事をしたと思ってるわ。けど、今の私に
は見舞金を出す事くらいしか出来る事が見つからないの。ほかの大切な人達の命を預
かる義務と責任がある……」
 部下の死に声を上げて泣くのは確かに簡単だろう。部下の怪我にいちいち取り乱
し、錯乱する事だってそう難しいとは思わない。
 だが、それをする事は少女の両肩にのしかかった責任の全てを放棄する事と同義に
なってしまう。少女に求められているのは泣く事ではなく、部下の怪我を効率よく治
療させ、部下の死を少しでも無駄にしない事なのだから。
 戦場で育った少女は、声を上げて泣く事をしない。
 ただただ、全ての終わった後で静かに涙を流すのみ。
「俺……すんません。他のみんなの気持ち、考えないで……」
 そして、青年は思いだした。
 アイフの予備の剣は、剣の優劣を争っていた戦友が引き取った事を。
 アイフの鎧の革紐は、彼から初めて鎧の着方を教わった少年兵が受け取った事を。
 彼の愛用していた擦り傷用の軟膏は、青年の手の中にある。
 誰もが異論を挟まず、誰もが静かに結果を認めたアイフの遺物配分。それは、まる
で初めから決まっていたかのように……。
「いいのよ。普通の人から見れば、冷たい感情のない冷酷指揮官に見えるでしょうか
ら」
 少女は最後まで顔を上げる事なく、立ちつくす青年に向けてそう答えた。

「……アイフの家族に向けた手紙、戦後処理班の連中に預けてきました。あいつの実 家は近いですから、半月以内には届くでしょう、との事です」  ぽすぽす、と気の抜けたノックで入り口の脇を叩き、副長は苦笑を浮かべた。無 論、視線は天幕の外に向けたままだ。いくら何でも女性の部屋を勝手に覗くような不 作法な真似はしない。 「ツヴィルクのヤツか……誰かに言って、直させときます。これじゃ丸見えですか ら」  そこに至って、副長は中の少女から返事がない事に気付いた。  日頃からたまっていた疲れが、アイフの死によって一気に出てきたのだろう。クッ ションにうずくまったままの少女は、小さな寝息を立てている。  砂漠の近くで日中の気候は暑くさえあるから、風邪を引く事はないだろうが……。 「……たまには、思いっきり泣いてくれていいんですがね」  あまりにも無防備な寝姿を軽く見遣り、副長はほぅ、と小さなため息を吐く。義父 の死にすら泣かなかった彼女だ。どれだけ大切な部下の死に立ち会ったとしても、絶 対に泣きはしないだろうが……。 (出来れば、私が死んだ時には大泣きして欲しいもんですね……)  無論、副長に死ぬつもりなど一片もない。しっかりしていても脆そうに見える少女 をまだまだ見守って居たいし、彼自身にもやりたい事はそれこそ山のようにあるのだ から。 「晩飯には起こしに来ます。それまで、ごゆっくり……」  自らのまとっていた日よけの外套を入り口の留め金に引っかけると、副長は穏やか な笑みを浮かべてその場を去った。
Fin
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