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 黒逸ハルキ。
 数々の難事件を解決してきた、日本の誇る私立探偵だ。
 だが、彼の真の姿を知る者達は、彼の名をこう呼ぶだろう。
 『冤罪探偵ハルキ』
 ……と。


述懐編
「今回は、流石にいい気分ではありませんでしたね……」  狭いアパート。6畳一間のその部屋に押し込めるようにして置いたソファーベッ ドに身を委ね、ハルキはそんな言葉を洩らした。一種冷徹とも言える一面を持つ彼 にしては珍しいセリフだ。  とは言え、沙塔イチヤと沙塔ツグヒコを裁いたことに関しては一片の慚愧の念も ない。女性の部下やモデルへの乱暴狼藉、社内の金の横領、過労死問題。そして、 その行為を大財閥の長や高名な画家という社会的地位に物を言わせ、事件の存在自 体を強引にもみ消した事。  そんな奴らに社会的制裁を加える事に、何の躊躇があるだろうか? 闇を狩る闇 の存在に身を堕とした時から、既に覚悟は出来ている。  だが。 「やっぱり、ハルキでもそういうコトで悩む事ってあるんだ?」  風呂上がりのバスローブを軽く羽織ったラフな姿で、珍しげな笑みを浮かべるカ ナン。 「僕を何だと思っているんです……。僕とて、人の子ですよ」  稚いながらもそれなりに色香を漂わせるカナンを見ようともせず、ほぅ……とた め息を吐くハルキ。  クライアントが過労死した被害者の家族や乱暴にあった被害者本人であったな ら、こんなに悩んだりはしない。ハルキとていつも通り、神業……否、悪魔の所業 とも言える冷徹さを発揮した巧妙極まりない罠を迷いなく張る事が出来ただろう。  だが、今回のクライアントの名は……  沙塔アズサ。  沙塔財閥の先代当主にして、イチヤとツグヒコの実の母親。 「母親が子供をそこまで憎むというのもね……」  無論、間違った方向に進む我が子を諌めるのは親の務めだ。その理屈は両親のい ないハルキにも分からないでもない。イチヤとツグヒコの父親が他界していなかっ たからこそ、母親であるアズサが動いたのだろう。 「自らの生涯を掛けた帝都縦貫鉄道計画と腹心の部下達を利用し、息子に宛てた呪 われた手紙を考案し、そして、結果を見届けぬまま天に召された、母……」  だが、それは本当に『母親としての』仕事であったのだろうか?  ハルキは、ふとそう思ってしまうのだ。 「自らの育て上げた財閥を穢された者としての恨み……たった一人の子供を守るた めに、他の子供を……。護るべき子の手すら血に染めさせて……」  ハルキには肉親など居ない。それ故に親としての考え方など全く分からないが…  もし分かっていたら、彼の存在を脅かす程の危機にすら陥ってしまいそうな…… 「カナン……」  あまりに深い闇の存在に小さく眉を顰めさせた青年は、備え付けの小さなユニッ トバスから上がってきたばかりの少女の名を呼んだ。  呪われた28通の手紙をツグヒコの筆跡でしたため上げ、イチヤの机にツグヒコ を葬った伸縮警棒を潜ませた、ハルキのただ一人の助手の名を。 「ん?」  階下へ行けば広い共同浴場もあるというのに、少女はその小さな個人浴場を使う 事を好んだ。人嫌いのハルキと違い人好きのするタイプであるのだが、彼女の背と 心に穿たれた深い痕が共同浴場へ向かう道程をどうしても拒んでしまうのだ。 「貴女は、『魔』の存在を信じますか?」  いつもと同じ、ハルキの静かな問い。  だが、道に迷った子供が家の在処を求めるような、儚げな問い。 「ハルキ……」  濡れ髪を拭いていたタオルの手を止め、カナンは優しく言葉を紡ぐ。 「それはね……」  石鹸の匂いに湿ったタオルが、ゆっくりと狭い部屋を舞った。
冤罪探偵ハルキ 〜梓の手紙〜 了
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