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「はぁ……。ったく、新年早々機嫌悪りィ……」
 酒臭い六畳間の換気をすべく部屋の外で時間を潰していた青年は、相当に機嫌が
悪かった。
 まあ、正月初日から迷惑な隣人達にケチョンケチョンに罵倒されたのだ。しかも
本人の預かり知らぬ理由な挙げ句、二日酔いの頭である。無理もないだろう。
「お酒臭いですけど……またさとうさんと阿久津のおじいちゃんですか? づみ
ちゃんさん」
 と、そんな青年に声が掛けられた。
 涼やか……というより、溌剌とした元気の良い声。
「あ、ミユキちゃん」
 同階に住んでいる少女、麻生ミユキである。初詣か何かの帰りなのか、珍しく着
物なんぞ着ていたりする。外国暮らしが長かったせいか、着物の袷が左前でなく右
前なのがご愛敬だ。
「ま、そんなトコ。何か、外道だとか鬼畜だとか言われてさ。こっちは全然そんな
覚えないってのに……。カズマさんとかは酔っぱらったりしないの?」
「ええ。カズマくんはあんまし呑まないから。でも、酔っ払いさんって、大変です
ねぇ」
 ちなみにミユキはカズマの事を「くん」付けで呼んでいるが、カズマはミユキよ
りも10歳も年上だったりする。少し前までは上司と部下だとか何やら色々あった
らしいが、今はただのミユキのお隣さんとなっていた。端から見れば友達以上恋人
未満……みたいな仲の良い関係である。
「けど、あの二人って普段ああいう事言いませんよね。づみちゃんさん、ホントは
何かしてるんじゃないですかぁ?」
 派手男と老人の酔っ払いっぷりは狭いアパートでは有名だ。だが、悪酔いはして
も悪口は言わない裏表のない性格だったから、迷惑な酔っ払いとしては珍しく、ア
パートの連中には割と好かれていた。
 16にして米国の一流大を卒業し、米国のベンチャー企業社員から日本の一流企
業社員へと転身、トップエリート街道を邁進する寸前で部下のカズマを追っかけて
自らドロップアウトしたミユキである。人生経験も青年より豊富な彼女としては、
その二人がそこまでの悪口を言うのだからなにか事情があったのではないか……。
 そう思ってしまうのである。
「……してないって」
 そうは言われても、青年にはどこをどうひっくり返してもそんな事をした覚えは
ないのだ。無論、それはミユキにも分かっているのだろう。苦笑する青年に、いつ
もの愛嬌のある笑顔でくすりと笑いかける。
「そういえばそろそろお昼ですけど、良かったらづみちゃんさんも来ます? カズ
マくんも『テレビ面白くない』って暇そうにしてたし」
「いや、遠慮しとくわ。カズマさんやミユキちゃんに悪いし……。コンビニで何か
買ってくるよ」
 二日酔いとさっきの事で料理を作る気になどとてもなれないのだが、青年だって
二人の間にちょっかいを出すほど野暮ではない。二日酔いの薬もそうだが、最近は
元旦から何でも買えるのだから便利なものだ。
「そうですか? それじゃ、行って来てください。換気の間、あたしここで部屋の
番してますから」
 いくら換気が目的とはいえ玄関を開けっ放しで出かけるのは確かにまずい。この
界隈は色んな意味で『平和』なのだが、だからといって泥棒が入らない可能性が0
というわけではないのだ。
 最近の子には珍しく、小さな気遣いをこういう細かな気遣いで返せる娘なのであ
る。この麻生ミユキという少女は。
「悪いね。15分くらいで戻ってくるから、ちょっとだけ……頼むわ」
 そう言う事ならさほど気を遣うこともない。
 青年は、有り難くその好意を受けることにした。

 帰ってきた青年を待っていたのは、ミユキの張り手だった。 「づみちゃんさんって、最低です!」 「……は?」  ミユキの手形を綺麗に頬に付けたまま、青年はワケも分からず間の抜けた返事を 返す。 「さとうさんや阿久津のおじいちゃんが怒ってた理由がよっく分かりました。約束 だから言えないですけど、ホント、づみちゃんさんって鬼畜で外道です!」 「な、何が鬼畜で外道って……」  憎ったらしい酔っぱらいの二人と違ってもともと好感を持っていた相手だから、 罵倒されても不思議と腹は立たない。というか、腹が立つ以前に何が何だかさっぱ り分からないのだ。腹の立てようもない。 「よく胸に手を当てて考えてみてくださいっ! もう……知りませんっ!」  ばたぁんっ!  そのままミユキは自分の部屋に引っ込んでしまった。  コンビニから帰ってくるまでの10分ほどの間に何があったのかは分からない。 だが、ミユキは本気で怒っているようだ。 「何なんだ、一体……」  仕方なく、青年は自分の部屋へと戻った。  10分もほったらかしにしておくと流石に空気も変わっていて、朝っぱらから あった酒臭さが消えている。これなら昼食は二日酔いだけは気にせずに食べられそ うだ。  ……と思ったら、部屋の中央では夏にしまったはずの扇風機が景気良く回ってい た。 「何故に扇風機……」  さらにその隣に置かれているのは、見覚えのない紙袋。  開けてみると、中には『これだけでも着せてあげてください。ミユキ』という丁 寧な字の書かれた紙切れと、女物のセーターとスカート……多分、ミユキの服なの だろう……が入っている。 「…………分からん。一体、何があったんだ……」  例によって、青年は再び頭痛のし始めた頭を抱えていた。
「う〜ん……。思いつかない……」  相変わらず悩みつつ、青年はコンビニからの道を歩いていた。  時間は既に夕ご飯の時間である。  とりあえず、昼からは気分転換にどこかに出掛けようと思ったのだ。が、学校の 友人とも連絡がつかず……多分、死体にでもなっているのだろう……、アパートの 隣人達は前述の通り。一人でその辺をぶらぶらする気分にもなれない青年は、結局 部屋の中でこんなの時間まで無為な時間を過ごす羽目に陥っていた。 「あの本は……関係ないだろうしなぁ」  街灯を見上げつつ、部屋の押し入れに押し込んでおいた『そういう本』の事を思 い出す。ミユキが扇風機を出したのであれば、あれが彼女の目に入っていてもおか しくはない。  だが、それで怒る事はないだろう。彼女には前にも何度かそういう本の存在を見 られてはいるが、「カズマくんも持ってるみたいですけど、男の子って大変です ね」などと笑っているだけだったのだから。さらに、青年の持っている本は鬼畜と か外道というほどの内容では決してない。 「それに、ジイさま達が怒るのはもっと分からんもんなぁ……」  このアパートの住人達には帰省という概念がないのか、どの部屋の窓からも明か りが漏れている。青年はたんたん、っと軽い調子でアパートの階段を上がり、自分 の部屋の階へと辿り着く。 「ありゃ?」  と、そこで足を止めた。  自分の部屋に、明かりが点いているのだ。  出掛ける時にちゃんと消しておいたはずなのに。 (……あいつらぁ)  泥棒……ではなく、間違いなく『連中達』だろう。留守中に勝手に上がり込まれ た事よりも、鬼畜鬼畜とあれだけ罵っておいて相変わらず居座っている事の方に腹 が立った。 (ちきしょう。腹立つなぁ)  こっそりと、文字どおりの忍び足で青年は自分の部屋の前まで歩いていく青年。 自分の部屋にいくだけだというのに、まるでこっちが泥棒のようだ。  ドアの隣の小窓に自分の影が映らないように。足元のコンクリートに自らの足音 が跳ね返らないように、細心の注意を込めて青年は歩く。 −全く、これだけあからさまにやっておるのにあの男はまだ気付かんのか。まあ、 非常識といえば非常識じゃからして信じられんとは言わんが……鈍いのう− −けど、それじゃ淋しいですよね。だって、全然気付いてもらえないんでしょ?− −いえ、私は別に……。それに、あの人に気付いてもらおうとか、思ってませんか ら……。私は今のままでも……− −くぅぅっ。健気だねぇ。やっぱ、あいつに言ったほうが絶対いいって−  中の人間達は話に夢中でこちらに向いていないらしい。  青年はゆっくりとドアノブに手を掛け…… 「あんたら、人の部屋で何してやがるっ!」  青年がドアノブをひねるのと、勢い良く扉を引くのと、空いた隙間から飛び込む のと、言葉を放ったのは。  全くの、同時だった。
 部屋の中にいたのは、二人ではなく四人だった。  悪怯れた雰囲気のカケラもない野郎が二人と、どこかバツの悪そうな女の子が二 人。  前者の二人は派手男と老人だ。 「あれ……? ミユキちゃんも……」  バツの悪そうな女の子のうちの一人はミユキ。 「それから……あんた、誰だ?」  そして、最後の一人は見た事もない少女。元気さが全面に出ているミユキとは対 照的に、何となく大人しいというか消極的というか、ともかくそんな雰囲気を漂わ せた娘だ。着ている物に見覚えがある所を見ると、どうやら例の紙袋に入っていた ミユキのセーターとスカートらしい。 「ありゃ」  辺りに漂う、何とも形容しがたい微妙な雰囲気。 「あれ……」  青年がふと気付いたのは、『扉の開いた』棺桶の姿。 『…………』  誰もがそれぞれの理由でそれぞれの沈黙に支配される中、少女はしどろもどろに なりながら、こそこそと部屋の隅の『カンオケ』に入り……  そのままぱたんと蓋を閉めた。 「お前かぁっ!」  青年の新年は、こうしてワケの分からないままに始まってたりするのであった。
唐突に、終わるのだ。
登場人物紹介 一乃字ヒヅミ(俺) 予備校生の青年。被害者(笑)。通称づみちゃん。 正義ヒイロ(派手男) 赤いマフラーに白いパンタロンをまとった怪しい男。 阿久津シュウスイ(ジイ様) 黒尽くめの怪しい老爺。 麻生ミユキ 16歳にして米大卒という天才少女。 カンオケ 青年の家に宅急便で送られた、謎のカンオケ。
続く
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