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9.竜を伐すもの

「どわあああああああああっ!」
 頭上から降ってきた巨大な頭を避けるのは、槍を構えていたダイチである。
 ほんの半身ほど上を抜けていく巨大な竜の頭部を見上げながら、もし回避が間に合わなければどうなるか……想像しただけで、ダイチは小さく身を震わせる。
「頭を狙うのもぼちぼち潮時かね」
 毒が回ってきたのか、攻撃の効果が出てきたのか。食餌を求める為だけに動いていた竜の頭は、少しずつ律達を追い払うような動きを見せることが多くなってきていた。
「かもね! これだけ暴れられると、ちょっと狙いきれないわ。……先にお昼にしちゃおっか」
 矢弾を置いてあった後方に、まとめて準備していたのだろう。ターニャはそう言いながら、大きめのバスケットからサンドイッチを取り出している。
「アルジェントさん、配るの手伝って」
「いいけど、余裕ね……」
 竜の侵攻は決して早くは無いが、確実にガディアとの距離は縮まっている。一分一秒を争うわけではないが、目立った成果が出ていない以上、余裕があるわけでは決して無い。
「余裕なんかねえけど、言うだろ。腹が減っては戦は出来ぬって。アギも食うか?」
「はあ」
「ほらよ。ダイチ……は食うに決まってるよな」
「食う食う!」
 不安げなアギとは反対に、槍を抱えて戻ってきたダイチは既にサンドイッチの包みを開ける構えだ。
「そっちのアギの兄さんも食うか?」
「……いや、いい」
「ちょっと、腕怪我してるじゃない! 治療するわよ!」
「……不要だ」
 攻撃の最中に合流したアギの兄は、食事もアルジェントの治療の誘いにも小さく首を振り、前線へと戻っていく。ダイチが抜けた攻撃のぶんをフォローする気なのだろう。
「食事……ですか」
 そして、後衛と並んで竜の動きを見極めていた白衣の学者も、サンドイッチを受け取ろうとしていたが。
 受け取ろうと伸ばした手を止め、しばし沈黙を保つ。
「何か思いついたのか? ヒューゴ」
「ええ。ちょっと、行ってきます」
 やがて青年はメガネの位置を正すと、白衣を翻し、竜の元へと歩き出す。
「待てお前!」
 そんな彼を止めるのは、律の言葉。
 真剣味を帯びたそれに、さしもの研究一辺倒の青年も足を止め……。
「まずは、飯食ってからにしろ!」

 迫り来るのは、邪魔な物を払おうと振るわれる巨竜の頭。大きく開いた顎門は、一切の誇張無く、口に入ったあらゆる物を噛み、砕くだけの力を備えたもの。
 その威力は、今までに竜が喰らった木々の太さや獣たちの大きさで実証済みだ。
 それを正面に見据えたまま、白衣の青年はゆっくりと掛けていた丸眼鏡を外してみせる。
 重なり合うピントは、相手との距離を正確に示す。
 そして、迫る竜の放つ威と圧も、より正確に描き出す。
「ふむ」
 圧倒的な恐怖と死の予感をたった一言でいなし、青年はひょいと竜の顎門の内側へ。
 スイングする巨大な首は、そのままはるか上空へ。
「これは、なかなか………!」
 飛び込んだ口の中にあるのは、へし折られた大木の幹と、その間に押し潰された動物の欠片。
 そして、上昇する時に掛かる圧倒的な加重。
 気が遠くなりそうな遠心力を受けながら。ヒューゴが見据えるのは、一気に視界を転ずる外では無く、竜の顎門の内側だ。
 鋭く輝く竜牙は、その圧倒的な力を以て、大木の幹すら容易くへし折る裁断機と化す。
「ここで…………」
 それが、ゆっくりと……しかし、人間のサイズから見れば圧倒的な速度で……ヒューゴの元へと迫り。
「………こう!」


 なぎ払うような軌道を描いていた竜の首がまっすぐ下に落ちてきたのは、ヒューゴが竜の口の中に飛び込んで少ししての事だった。
「どひゃぁぁあぁっ!」
 慌てて避けたダイチの背後に響き渡るのは、竜の頭が地面にぶつかる轟音だ。
 どどおん、という大地すら揺らす震撃に振り向けば、そこには竜の首が力なく落ちている光景がある。
「何が……起こったんだ……?」
「倒した……の? アギ、分かる?」
「いえ、死んではいないようです」
 竜の中から生命力は失われていない。気の乱れがややあるだけのそれは……。
「気絶しているだけです。すぐに気付きますよ」
 竜の口の隙間から這い出してきたヒューゴが、アギの予測に裏付けをしてくれる。
「どうやったんだ? ヒューゴ」
「企業秘密です」
 矢に仕込んであった眠り薬が効いたとも考えづらい。いずれにせよ、千載一遇のチャンスである事には間違いないだろうが……。
「で、気絶させてどうするの? これから」
 気絶させた間に集中攻撃をする程度で倒せる相手とも思えない。もちろん、古代の魔法使いが使っていた大魔法のように、当てられれば勝てる……といった類いの大技を持っている者も、この場にはいないはずだ。
「今のうちに竜の体内に入って、内側から攻撃しようと思うんですが」
「なるほど」
 昔読んだ本に、そんな英雄の物語があったような気もする。いずれにしても体内は外ほど固くは無いだろうし、戦術としては有効だろう。
「なら、俺が行こう。……アギ」
 そんなヒューゴの提案に、参戦の挙手を行ったのはアギの兄である。
「……はい」
 少女と見まごうばかりの白き髪の少年を太い片腕で抱き寄せ、その首筋にそっと歯を立てる。
「ぁ……………っ」
 少年の唇から痛みに対して微かな声が漏れるが、男は立てた歯から力を抜く様子もない。
「ちょっと……何やってるのよ」
「しっ」
 突然の行為を誰もが呆然と見守る中、アギの兄の身体に変化が起こったのは、それからすぐのこと。
「が……あぁ………っ」
 首筋から離した唇からは、より太く鋭い犬歯が覗き。
 もとより大きな体格が、二回り近くも大きくなる。
「がぁあぁぁああぁぁぁぁぁぁっ!」
「アギ……? おまえら……」
「ちょっとした……切り札、ってやつです。アルジェントさん……」
 途切れ途切れに息を吐き、アルジェントに治癒魔法を頼んでいるアギの背後。
「…………アギを、頼む」
 咆哮を上げていた巨躯が紡ぐのは、人の言葉。
 人を超えた戦力を持ちながらも、いまだ人間の意思を保っているらしい。
「ルービィ」
「うん!」
 そして、アギの兄に続いて参戦の意を示したのは、槍を携えた少年と、大盾を提げた少女だった。
「お前達……」
「オイラ達も行くよ!」
「たぶん、ここで見てるよりも役に立てると思うから!」
 ダイチの槍も竜の胸元に幾ばくかのダメージを与えてはいたが、とても致命傷には至らないものだった。
 ルービィの盾に至っては、相手が大きすぎて防御しきれる物ではない。
 竜の攻撃範囲外から攻撃を仕掛けるなら、律やターニャのような射撃武器が必要だろう。だが、竜の懐よりもさらに内側に入り込めたなら……威力を発揮するために距離が必要な射撃武器より、近接武器や大盾こそが役に立てるはずだった。
「分かりました。なら……」
「おっちゃん達は外で今まで通り攻撃してるぜ。中のことは任せたからな!」


 唐突にその場に倒れ込んでしまった巨竜。
「なあなあ、ピンク」
「何じゃ」
 巨大なハンマーで竜の鱗を端から砕いていたネイヴァンは、その手を止めて巨躯の上に視線を向けていた。
「なんやあの背中、上れそうにないか?」
 巨大な鱗に、あちこちに盛り上がった瘤。
 動いている間は厳しいと思われたが、こうして動きを止めている今なら、竜の上に上ることも、さして難しいとは思えなかった。
「ふむ。足元を攻めて動きを止めるのが先決かとも思うておったが……上からか」
 まずは足回りか、たまに降りてくる頭を狙うのが定石と思っていたが……。こうして狙えるチャンスがあるなら、背中などにも意外な弱点が見つかるかもしれなかった。
「ヒョロヒョロ、剣!」
「はいっ!」
 さすがにハンマーを背負って竜の背中に登る気は無かったのだろう。放り投げたハンマーの代わりに、厚刃の片手剣が飛んでくる。
「コウ。案内してやれ」
「あたしかよ!」
 そしてモモが名を呼んだのは、赤い甲冑をまとった十五センチのルードであった。
 彼女も魔晶石を解放しつつ、脚の集中攻撃に加わっていたのだが……。
「ルードの方が足がかりは見つけやすかろう。アシュヴィン……ではなかった、グリフォンは反対側におって誘導できそうにない故にな」
 空中から全体の支援を行っている黒衣の青年は、今は反対側の足を攻撃している隊のフォローに回っているはずだった。彼が居れば空中から誘導できるのだろうが、そのためだけに反対側から呼びつけるわけにもいかない。
「……しゃーねえな! ついてこい!」
 十五センチの小さな姿はため息を一つ吐くと、竜の巨躯まで三輪で高速移動。竜の肌からは武装を変形させ、身軽に竜鱗の絶壁を上り始める。
「……器用なモンやな」
 それを追って、ネイヴァンも竜鱗に手を掛けて岩登りならぬ竜登りを始めるのだった。


続劇

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