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3.それでも朝は、やってくる

 穏やかな日差しが降り注ぐ、昼下がりの町並みを眺めつつ。
「それにしても……よもや、泰山竜とはな」
 少女がわずかな忌々しさと驚きを含めて口にしたのは、あまりに剣呑な台詞であった。
「まだ生き残りがいたんですね……」
「知ってるの? モモとアギは」
 向かいの席で猫にも似た小さな動物を撫でていた娘の問いに、モモは小さく頷いてみせる。
「アルジェントは忘れておるやもしれんが、一応ワシも龍族じゃぞ」
 龍族と竜種は人と猿ほどに違う種族だが、それでも全くの別種族とは言い切れない微妙な関係にある。普段は別種族だと割り切っていても、やはり気になってしまう……といったところなのだろう。
「僕も、文献で一応……」
「ここ数百年は姿を見た者がおらなんだ故、とうに絶滅したものと思うておったが……」
「その竜って、強いんですの?」
 そんな根本的な質問を口にしたのは、酒場のメイドである。
 冒険者ではない彼女にとって、竜種という存在は冒険者達の話の中に出てくる存在でしかない。どんな性質や特性を持つかも確かに重要だが、結局はどれだけの強敵なのかが凄いかどうかの基準になってくる。
「強いというか、単純に大きいの。『大きさは強さ』を具現化したような存在と聞いておる」
 先行で戻ってきたダイチの報告でも、その大きさは百メートルはくだらないと聞いていた。それだけの大きさの竜が歩き回れば、それが例えただの散歩だったとしても、周囲に圧倒的な破壊をまき散らす事は想像に難くない。
「大きさは……強さ」
 その言葉に、カウンターに座っていた娘がテーブル席へと視線を投げかけてくる。
「あの、ターニャ……?」
「……何か、視線が痛いのですけれど」
 視線を向けられたのは、席についていた娘と、酒場のメイド。
「気にしないで。別に、アルジェントさんや忍さんの大きさが強さとか思ってるわけじゃないから」
「そ、そうですの?」
 それでも離れようとしない視線に、忍はわずかに苦笑い。
「にゃ……」
 そんな微妙な空気を打ち壊すようにひょいと顔を上げたのは、アルジェントの膝の上で丸くなっていた猫に似た小動物である。
「どうしたの、ナナト」
「帰ってきた!」
 元気いっぱいのその声と同時に開いたのは、『月の大樹』の扉だった。
「ただいまー! おなかすいた!」
 最初に店に飛び込んできたのは、大盾を背負ったドワーフの娘。
「はいはい。すぐ何か作るわね。そっちは?」
「ちょっと寝てくる」
 ルービィの肩に乗っていた赤い武装のルードは、そのままひょいと階上に続く壁の渡り廊下へと飛び移っていく。後に続く男達も、食事のためにカウンターに着いたり、仮眠を取るために階上へ向かったりと様々だ。
「忍も手伝って!」
「わかりましたわ!」
 カウンターの内へと戻っていくメイドの忍と入れ替わるように。
 最後に『月の大樹』の扉をくぐったのは、ひときわ大きな体格の中年男だった。
「あ、マハエ!」
「今戻った。ダイチは?」
 彼が着いたのもカウンターだ。忍から差し出された水を一息に飲み干して、注文は視線を一つ送るだけ。
「フェムトと騎士団の詰所に出かけておる。おそらく王都の増援も必要になるであろうからな」
「伝令役か……」
 『月の大樹』の雇われ魔法使いは、王都への転移魔法も使う事が出来る。塩田騎士団に報告に行ってそのまま、王都への伝令の仕事も引き受けてくるつもりなのだろう。
「マハエ。その腕、大丈夫なの? 治癒魔法、掛けてあげましょうか」
 モモから街側の現状報告を受けとっているマハエに遠慮がちに掛けられたのは、テーブル席に座っていたアルジェントの言葉だ。
 だが、マハエは小さく首を振ると、カウンターの反対側で食事を始めている男達の方を指してやる。
「俺より、カイル達が泰山竜と戦ったらしいから、そっちを見てやってくれ」
「…………分かった」
 確かに、百メートルを超えるような巨竜と交戦したのなら、気付かぬ怪我の一つくらい受けていても不思議ではない。
 アルジェントは小さく頷くと、自らの役割を果たすべくカウンターの反対側へ向かうのだった。


 店の外に響くのは、馬車の止まるどこかけたたましい音。
 そしてわずか後に響くのは、店の入口が開く音。
「ミスティ!」
「いらっしゃい。どしたの、二人とも」
 入ってきたのは律と、リントである。どちらも店の常連だから、珍しい組み合わせというわけではないが……。
「ちっと写真の現像したいんだが、部屋貸してくれるか?」
「いいけど、何の写真?」
 明らかにいつもの律とは違う。普段の彼なら、たとえ急ぎの仕事だったとしても、カウンターでしばらく話し込んでから現像部屋へと向かうはずなのに。
「詳しい事はリントに聞いてくれや。あと、セリカ達が借りてった馬車、店の裏に繋いであるから。よろしくだと」
「ふーん」
 二つ返事のミスティの様子を確かめて、律は取る物も取り敢えず階上へと消えていく。
「ボクもちょっと欲しいモノがあるのだ……。これなのだ」
 そして残されたリントも、どこか神妙な様子で小さな紙片を差し出してくる。
 そこに書いてある品を確かめて……。
「……あることはあるけど、こんなモノどうするの?」
「秘密なのだ。……言わないとダメなのだ?」
「ダメじゃないけど」
 ミスティの基準ではそこまで危険なものでもないし、冒険者相手に秘密を無理矢理聞き出すような真似をする気もない。それは相手が人間であろうとぬこたまであろうと、変わる事はない。
「ただ……その前に」
「その前に?」
 首を傾げるリントをつまみ上げ、カウンターにひょいと置いてみせる。
「何があったのか話しなさい。何で律とあなたがセリカ達の馬車を返しに来たのかから、律が現像しに行った写真の事まで、全部よ」


 深い森に響くのは、ゆっくりとした歩みの音だ。
 全長百五十メートルの巨大竜はようやく地下からの縦坑を抜け出し、その歩みを遙か南へと向けていた。
 向けていたの、だが。
「また食べてるのか、あいつは……」
 数歩進むごとに周囲の植物や動物に巨大な頭を巡らせて、そのままバリバリと食べ始めてしまうのだ。
「まあ、燃費の良い生物じゃないですからねー」
 巨大な生物であるが故に、消費するエネルギーも比例して大きいのだろう。その代わり、泰山竜の歩みの後には食い荒らされた森『だったもの』しか残されてはいない。
「フィーヱさんは、皆さんと一緒に帰らなくて良かったんですか?」
 そんな巨大竜を少し離れた大樹の上から眺めながら。栗色の髪のルードが問うたのは、日常会話のごとき口調での……恐るべき問い。
「どういう意味だ? 女王」
 無論、そんな問いに引っかかるようなフィーヱではない。
「いえ。あのタイミングなら、帰れたんじゃないかなと思って」
「……意味が分からないな」
 彼女には彼女なりの目的があるのだ。それを達成するまで、この場を離れる気は無かった。ハートの女王はその言葉を引き出したかったのだろうが……。
「それより、ディスとセリカは放っておいて良いのか?」
 フィーヱがちらりと視線を寄越すのは、やはり巨大竜から付かず離れずの所にいる二人の娘。
 一人はフィーヱ達と同じ十五センチの小さな姿。
 そしてもう一人は、細身のエルフの娘である。
「別に構いませんよ。あの二人で何か出来るわけでもありませんし……何より、泰山竜の動きを勝手に把握してくれるのは、こちらとしても楽ですから」
「何が狙いだ?」
「何がって……要は、ガディアで大暴れしてくれればいいんですよ。その後にどこかに行けばそれはそれでいいし、倒されたらその時の事ですし」
 そもそも泰山竜は、本来とは別の使い道で動き始めているのだ。これ以上イレギュラーな動きがあった所で、何も困りはしない。
「その混乱に乗じて、ノアを……ってことか」
「まあ、そういうのもありますねー」
 フィーヱの問いに苦笑を浮かべるが、女王はその言葉にも否定もすることはない。
「ノア姫が死んで……今なら、誰が得する……?」
 少なくとも、木立の国と草原の国の関係は悪化するだろう。そこで利権を得られる者は、一体誰なのか。
 他国か、自国の別勢力か、はたまた商人達か……。
「得するのなんて誰でも良いんですよ。ボクが起動した意義は、世界が停滞しないように、程よくかき混ぜる事なんですから」
 あっけらかんとそう呟けば。
 彼女の背後に姿を見せたのは、やはり十五センチの小柄な姿。
「こいつら……?」
 ただのルードでない事は、一目見れば十分だった。
 身体に沿ったような黒衣に、腰から下がる短剣状のビーク。
 表情を隠すような黒い仮面を一様に被った彼女たちは……。
「手持ちの駒をまとめて動かすのは好きじゃないんですけどねー。……まさか、ハートの女王にトランプの兵隊が一人もいないなんて思ってたんですか?」
 確かに女王を名乗るなら、それに従う兵隊達がいても何ら不思議ではない。
「パワー切れになったら、再起動をかけてやってください。こいつらは魔晶石でも動きますから」
 それを理解した時、周囲の食料を喰らい終えた泰山竜が、ゆっくりと次の一歩を踏み出すのだった。


 伝説の中より現れた、山ほどもある巨竜。
 限られた手数。
 そして、ガディアの危機。
「なるほどね。それは面白……じゃなかった、大変な事になってるじゃない」
「……いま面白そうって言いそうになったのだ」
 リントのツッコミを颯爽と無視して、ミスティは律の消えていった二階の作業場を眺めてみせる。
「で、律はリントの撮った巨大竜の写真を現像しに上がってる、と」
「そうなのだ。これでいいのか?」
 確かにこれだけ非常事態なら、律が慌てる理由も分からないでもない。
「ええ。ああ、そうだ。それと……」
「もう全部話したのだ!」
「あんたがアレが必要な理由、聞いてないわよ」
 ミスティの言葉にリントは口をつぐんだままだ。
 それほど言いたくない事なのか、誰かに厳重に口止めされているのか。リントの性格を考えれば、どちらにしても上手く誘導すれば口を滑らせそうなものだったが……。
 さてどうしようかとミスティが首をひねれば、良いアイデアの代わりに響くのは、ドアの音。
「あら。何か大変らしいじゃない」
 現れたのは、片腕を吊ったマハエである。
「らしいじゃなくて、大変なんだよ。……リントもいるのか、ちょうど良い」
「何なのだ?」
 カウンターにちょこんと腰を下ろしたリントの元に歩み寄ると、マハエは吊ったままの片腕を差し出してみせる。
「ちっと治癒魔法、掛けて欲しいんだけどよ」
 しばらく放っておけば、吊った片腕も問題なく使えるようになるはずだった。しかし、眼前に迫る危機を前に、そんな悠長な事は言っていられない。
 事実さっきの偵察でも、彼は判断を下すだけで、馬車の手綱一つ取れなかったのだ。
「そんなのアルジェントに頼めば良いじゃない。心配してたわよ」
「頼みづらいだろ。……何となくよ」
「……分かんないわね。人間の考える事って」
 憮然とした表情で寄越された答えに、ミスティは首を傾げるしかない。
「さっぱりなのだ」
 それはリントも同じようで、目の前の美女と同じく首を傾げてみせるだけ。
「さっぱりでいいから、さっさと頼むぜ。……それとミスティ。これ、一式頼む」
 渡された紙は普段通りの補充の品だったが、今日はいつもに比べてもかなり量が多い。巨大な相手に大人数で挑むのだから、確かにこのくらいは必要なのだろう。
「……了解。ちょっと待ってて」
 店の奥に姿を消したミスティを見送り、マハエもカウンターの椅子に腰を下ろす。
「じゃあ、その間にやっておくのだ!」
「頼む」
 どこからともなく魔法の杖を取り出して、リントは意識を集中させる。
 生まれた淡い光が、傷付いたマハエの腕を包み込み。
「マハエいるー?」
 ちょうどそこに入ってきたのは……。


続劇

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