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15.ジャバウォック

 のろのろと街に戻ってきたコウの三輪を力任せに抜き去っていくのは、全速で走る見知った顔の少年達。
「どうしたんだ、お前ら。そんなに急いで」
 ただ走っているだけなら、今の彼女の精神状態で声など掛けなかっただろう。しかし彼等のあまりに必死な表情に、思わず言葉が突いて出た。
「マッドハッターに逃げられたんだよ! コウも手伝ってくれ!」
 五万ゼタの賞金首は、確か月の大樹の納屋のベッドに縛り付けられたまま眠っているはずだった。アシュヴィンが面倒を見ていたのも知っているが、彼がしくじったとは思えない。
 二人の必死な表情を見るに……どうやら、彼等が何かしたらしい。
「こっちです!」
 アギの言葉に、ダイチが飛び込むのは裏路地だ。それにつられて、コウも思わずハンドルを切る。
 人間にとっては細く走りにくい裏路地も、十五センチのルードにとっては通常の道とさして変わりない。むしろ大通りなどは広すぎて平野も同然で、細い路地くらいの方がちゃんと道として認識できるほどだった。
「なんだ。追えてるんじゃないか」
「気配が分かるだけで、アギは戦えないから!」
 先ほど行ったマッドハッターへの治療はほとんど影響を与えていないらしいが、元の体力はいまだ戦闘出来るレベルには回復していない。今この場で戦えるのは、ダイチ一人だ。
「まあ……いいけどさ」
 乗りかかった船だし、彼等二人……いや、話を信じるなら実質ダイチ一人か……にマッドハッターを任せるのも厳しい話だろう。
 幸い、ガディアに着く前に魔晶石の補給もしたばかり。追跡に必要な力は十分に残っている。


 月の大樹の二階から上は、この店の酒場以外のもう一つの顔……宿屋としてのスペースになる。
(ネイヴァンの奴、また出て行った。忙しい奴だな……)
 その一角。明らかに人間には通れない大きさの通路から外を眺めていた黒衣の娘に声を掛けたのは、白いワンピース姿の娘だった。
「フィーヱは行かないの?」
 短い問いに、黒衣の娘はぼんやりと頭を巡らせ、小さく口を開いてみせる。
「……別に」
 それが何かは、もちろん分かっていた。
 納屋で眠っていた賞金首の逃亡に、月の大樹は上を下への大騒ぎだ。事実、彼女と一緒に調査行から戻ってきたディスも、その追跡に出掛けてしまった。
「それを言ったらシノも行かないのか?」
「アシュヴィンも行っちゃったしね。カナンだけ残すわけにもいかないでしょ」
 幸い忙しい時間は過ぎていたため、店の対応は店主代理と裏方の魔法使いで何とかなっているが……夕食の時間になればシノを含めた三人では足りない。忍びなくはあるが、非番の忍も呼び出す必要があるだろう。
「そういえば……三つ揃ったんでしょう? 起動させないの?」
 矛先を変えられた話題に、フィーヱは白いルードを軽く睨んでみせる。
 無論、そんな視線にも白いルードは表情一つ変えることはなく、重ねて首を傾げるだけだ。
「まだだ。あと一つ……」
 それが何かなど、冒険者達からの報告を受ける立場にある白いルードはとうに分かっていたはずだ。
「それと、シノ……」
「……分かってるわよ。けど、貴女が死んだら何の意味も無い事、覚えておいてね」
 小さくため息を吐くと、黒衣のルードの肩を軽く叩き、その場を後にするのだった。


「いた!」
 路地を駆け抜ければ。
 その先の広場の中央に降り立つのは、彼等が探し求めた男の姿。
「マッドハッター!」
 掛けられた声に、男はゆらりと頭を巡らせて。
「でえええええええいっ!」
 男が抜き打ちで放たれた槍を受け止めたのは、手に持っていた棍棒だ。強い魔力の籠もった一撃は太い木の棒を一撃で打ち砕き、力の余波は曇り澱んだ空の雲さえ一気に晴らす。
「ちっ!」
 距離を取ったマッドハッターは二つに折れた棍棒を放り棄て、両の拳を静かに握る。
 拳の男と長柄武器のダイチ、ちょうど先刻のジョージの時とは逆の組み合わせだ。
(懐に飛び込まれたらヤバい……)
 ちらりとコウの側に視線を送れば、やはり戦闘状態を整えたコウは小さく頷いてみせる。どうやらマッドハッターに懐に飛び込まれた時の事は、考えなくても良さそうだった。
 動いたのは、マッドハッターが先。
「悪い事をした罪は、ちゃんと償ってもらうぜ!」
「っ!」
 対するダイチが繰り出したのは、突きではなく横殴りの一撃だった。点では無く面を攻撃するそれは、懐に飛び込まれる隙を減らすことも出来る。
 だが大振りの一撃は、振った後の隙が大きい。
 そしてコウのフォローを期待するなら、そんな攻撃を選ぶ必要はどこにもないはずなのに。
 もちろんそんな絶好の攻撃チャンスを見逃すマッドハッターではない。振り抜いた槍の後ろを取るように、するりとダイチの肩越しに飛び込んで……。
(頼むぜ、コウ!)
 狙ったのは、そこだ。
 あえてコウを意識させない攻撃を放つことで、向こうにもコウの存在を忘れさせる。そこで生まれたマッドハッターの隙は、コウにとって最大のチャンスとなるはずだった。
(………っ!?)
 だが。
 そこに、期待した一撃はやってこない。
 永遠とも取れる一瞬の中でダイチが目にしたのは、呆然とした表情でその場に立ち尽くす、赤い装備の少女の姿。
「ダイチ!」
 気力不足で戦場に割り込むことも出来ず、共に来たアギも叫ぶしかない。
(ヤバい……!)
 マッドハッターの必殺の一撃が叩き込まれるのは、ダイチの隙だらけの背中だ。そんな所にジョージ以上の破壊力を持つ拳打を撃ち込まれれば、無事では済まない。
 さしもの少年も死を覚悟したその時だ。
 吹き荒れるのは、鋼の暴風。
「ヒャッホォォォォォイ!」
 そして高らかな、叫び声。
「こんな所におった! あの二人にすっかり騙される所やったで!」
 身の丈よりも遥かに長い機械槍でマッドハッターに容赦のない突撃を叩き込み、さらに力任せに太い槍身を叩き付ける。
「全弾持ってき!」
 相手が衝撃でふらついた隙を見逃すことなく、手元の安全装置を全解除。弾倉に込められた炸裂弾を全弾まとめて発射する。
「つ、い、で、に……」
 そして立ち籠める硝煙の中。
 引き絞るのは、もう一つの引き金だ。
 機関内部に取り込まれた魔晶石の力を力任せに解放する、ネイヴァンの機械槍に秘められた最大の一撃。
「ヒャッッ!!!!!!!!!!」
 辺りに満ちるのは光。
 機械槍の根元から放たれた、魔力を伴う滅びの光だ。
「ホオオオオオイ!!!!!!!!」
 全ての音を掻き消す破壊の中、体を震わす衝撃だけが辺りに響き、広がっていく。
 それは木立の国の魔法工学技術の結晶。竜さえ打ち砕くとも記されたそれは、弾丸の生んだ硝煙などあっさりと掻き消して……。
 最後に残るのは、槍の中程、解放された内部構造から吐き出された、熱を帯びた白い煙だけだ。
「………しもた! 五万ゼタが!」
 だが、砲の連打と破壊の光が叩き込まれたその後には、マッドハッターはおろか、塵一つさえ残ってはいなかった。
「せめて撃つ前に気付けよ……」
 そもそも懸賞金の五万ゼタは、生死問わずでは無い。あれだけの苛烈な攻撃を叩き込む必要は、どこにもなかった。
「……助かりましたけどね」
 肩を落とすネイヴァンの様子に、ダイチは小さくため息を吐き、アギは胸をなで下ろす。
 そして赤い武装をまとう娘は……ただその場に、立ち尽くすのみ。



 紅の夕日を背に受けて。
 男がその身を起こしたのは、屋根の上だった。
「危ない所だったな、ジャバウォック」
 声を掛けてきたのは、浅黒い肌の長身の青年だ。ゆったりとした衣装をまとい、男を静かに見下ろしている。
「お主の名前だ。お主はこれからしばらく、ジャバウォックと名乗る事になる」
 不思議そうな顔をしていたのだろう。青年は穏やかに呟くと、そっと男の肩を取る。
 男の記憶にあるのは、叩き付けられた槍の一撃と、それに続く爆発音。そして、全てを掻き消すかのような強い輝きが……その最後だった。
 どうやら破壊の光に巻き込まれる寸前に、青年に助けられたらしい。
「お主を害する気はない。我は、汝を護るものだ。……動けるか?」
 言葉のままに確かめれば、両手も両足も、光に巻き込まれる事無くちゃんと形を留めていた。体は少々重い気がするが、そちらはただの疲労だろう。
 青年に支えられながら身を起こし、ゆっくりと屋根の瓦を踏みしめる。
 それ以外の箇所にも痛みはない。普通に動くぶんには問題なさそうだった。
「では、街を出よう…………と思ったのだが」
 屋根から他の屋根に飛び移ろうとした青年は、それきり言葉を止め。
 男もそれに倣って青年の見据えるほうに視線をやれば、そこにあるのは宙を跳ぶ黒い小さな影。二つにまとめた薄青の長い髪を揺らし、慣れた様子で男達のいる屋根の上に舞い降りる。
「カナンから逃げ出したと聞いて探しに出てみれば……お主が見つけておったのか」
 名を呼ぼうとした所で、青年が口元に人差し指を添えている様子に気が付いた。
 何やら考えがあるのだろう。ディスはそいつの名を呼ぶ前に、あえて口を開いてみせた。
「……おぬし、名は?」
「我が名は……そうだな、グリフォンとでもしておこうか。ジャバウォックもそう呼ぶが良い」
 そしてディスを加えた一向は、街の外に向けて屋根の上を走り出す。


続劇

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