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13.黒鱗の腕、黒鱗の翼

 構えた拳はゆっくりと大きな円を描き、両の脚はしっかりと大地を踏みしめる。
 閉じた瞳の奥に浮かぶイメージは、斬撃器官を振りかざし、こちらへ一足飛びに迫り来る黒い竜。
 黒鱗の籠手の嵌められた拳がそれを受け流すように動き、轟音を立てて転倒した巨竜に次弾を撃ち込むべく、両の脚が素早く動く。
 だが、そこまでだった。
 その先のイメージは、続かないまま。
(これではない……)
 素手の人間の使える技としては、これが限界だろう。
 けれど白衣の青年が求めるのは、さらにその先である。
 人間がけっして投げられぬはずの巨竜をあっさりと投げ飛ばし、鉄壁を誇る竜鱗を拳で破壊しようと……。
 再び最初の構えを取り、意識を集中。
 自らの思い描く動きを空に描きつつ、そこに体を追従させる。
 足を踏みしめ、両の手を動かし。
 反応する事が出来たのは、研ぎ澄まされたその意識があったからこそ。
「っ!」
 受け止めたのはイメージの中の巨竜ではなく、森を駆けぬけようとする男の……。


 眼前にあるのは、砕け散った納屋の壁と、乱れたベッド。
 そして、その場に崩れ落ちた、二人の少年。
「これハ……」
 呆然と呟くアシュヴィンに掛けられたのは、ゆっくりと身を起こしたダイチの声だ。
「……悪い、アシュヴィン」
「マッドハッターは……目覚めたのデスカ?」
 千切れたロープとベッドに縛り付けられていた男の姿がないという事は……つまりは、そういう事なのだろう。
「はい。そこまでは良かったんですが」
 アギの気を操る術で、確かに眠っていた男は目を覚ました。
「腹減ってるだろうから、動けないと思ったんだけどさ……」
 だが、男は圧倒的な力でその身を縛るロープを引き千切り、止めようとするアギとダイチをあっさりと退けて、宿の外へと飛び出していったのだ。
 その動きは、まともに食事も水分も摂れていない男の物ではなかった。むしろ、先日戦った時よりもはるかに強かった気さえする。
「アギ様の力で、一時的にその辺りの感覚ガ麻痺してイタのデショウ」
 アギの力は、気力の流れを操る技だ。その力で一時的に活性化した体が、通常以上の力を発揮させたのだろう。
 そうでなければ、マッドハッターの力を考えて準備したロープがこうもあっさりと引き千切られるはずがない。
「とにかく、オイラは捜しに行くよ。アギは無理しないで、休んでてくれ」
「……僕も行きますよ」
 ダイチに続き、アギもゆっくりと立ち上がる。
 能力活性の力がマッドハッターに有効なら、その対極にある気を乱す技も効果があるはずだ。そして彼の感知能力も、追跡には役に立つはずだった。
「二人とも、結構デス」
 けれど、アシュヴィンは二人の協力をあっさりと拒絶する。
「フェムト様が治療魔法を使えますカラ、マズは治療ヲ。……それト、カナン様に事情を伝えておいて下サイ」
 彼女は賢い娘だ。
 状況を把握し、アシュヴィンが出た事を知れば、その後の事は分かってくれるだろう。多分に義理を欠く事にはなるが、今は一刻を争う事態だ。埋め合わせは、決着が付いてからいくらでもすればいい。
「オイラ達も手伝うって!」
 ふらつく足で立ち上がる二人に、アシュヴィンはゆっくりと向き直り。
「……我の邪魔をするなと言っているのだ! 小童ども!」
 そう言い捨てると、黒翼を広げ、不吉な曇り空へと一気に駆け上がる。
 残されたのは、彼方へと消えていく黒い翼を呆然と見つめる二人の少年だけだ。


 木々の間を駆け抜けるのは、歪に痩せた細身の体。
 久しく動かすはずの全身は羽根のように軽く、思うがままに力を発揮できている。鈍った様子も、空腹を訴える事さえもない。
 息をするように精神を研ぎ澄ませれば、求める存在はすぐ手の届く距離にある。
 それにどうして激しい敵意を持っていたのかは、混濁する記憶の中、再びぼやけたままになっていた。
 しかし、記憶の底に刻まれた言葉が、そいつを倒せと命じてくる。
 そうする事が、自らの存在の証明となるのだと。
 強く奥歯を噛み締めて、木立の間を駆け抜けて。
 伸ばされた、黒鱗の両手に軌道をするりとねじ曲げられて。
「っ!」
 地面に叩き付けられる寸前で受け身を取り、慌てて相手と距離を取る。
「これは驚いた……目覚めたのですか」
 目の前にいるのは白衣の男。森を駆ける彼を投げ飛ばしたのは、この男だろう。
 けれど、違う。
 こいつと戦い、倒した所で、彼の深い意識は満足しない。
 今の回避で間合は取った。
 ならば。
「あ、こら! 貴方には聞きたいことが山ほど……っ!」
 背後で男が何やら叫んでいる気もするが、彼には関係のないことだ。再び精神を研ぎ澄ませ、求める存在目指して、彼は森の中を駆け抜けて行く。


続劇

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