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8.来たれ、革新の時

 小さな窓から差し込んでくるのは、穏やかな朝の光だ。
「おはよう、シヲ」
 その光の中。やはり小さなベッドで眠る小さな姿に、黒衣の少女は優しく声を掛けてみせる。
 だが、眠ったままの少女は彼女の声に答えを返すことはなく……目を覚ますことも、少女の声にぐずることすらないままだ。
 今はそれでいい。
 今は。
「もうすぐ……だからね」
 小さく呟くと、フィーヱはパートナーの頬にそっと手を触れさせる。
 もうすぐなのだ。
 この一方通行の時間が終わるのも。
「……あの技法。何としてでも、手に入れてみせるからね」
 アリスが貴晶石を奪い去った後のディスに囁きかけた、数語の言葉。
 アスディウスをアスディウスのまま目覚めさせた、再起動コード。
 それが手に入れば、目の前の貴晶石を失った少女も、きっとかつてのままで蘇らせることが出来る。
「……行ってくるね」
 もう一度パートナーの頬を撫でると、ボロボロのマントをまとい、フィーヱは静かに部屋を後にするのだった。


「長期休暇?」
 黒服の青年から告げられた言葉を繰り返せば、青年は静かに頷いてみせる。
「……この位のトラブルはいつもの事だし、気にしないで良いのよ?」
 まだ朝の客も多く残っている時間だ。それが具体的に何かは口にしない。
「そういうワケにもイキマセン。何かあってカラでは遅いデス」
 五万ゼタの賞金首の情報が流されたのはこの『月の大樹』だけではない。街中の酒場に手配が貼り出されている事と、先日の王女襲撃の犯人という事もあり、既に多くの冒険者や休日冒険者達が情報収集に動いている。
 以前の、いるかどうかも分からない百万ゼタの賞金首の時とはワケが違うのだ。
「……まあ、出来れば今日は手伝ってもらえると助かるわ。フェムトはさっき帰ってきたけど疲れて寝てるし、忍も今日は休みだし」
 『月の大樹』のスタッフは、お世辞にも多いとは言えない。特に数少ない男手のアシュヴィンは、貴重な存在である。
 一つ二つのトラブルの種を抱えているのは、この業界では珍しくも何ともない。特に優秀な彼は、その程度で容易く手放せるような人材ではないのだった。
「ありがとうゴザイマス」
「……ああ。だから、リントがあんな所で寝てるんだ」
 カナンの言葉に小さく納得の声を上げたのは、二人の話を聞きながら朝食を食べていたセリカである。朝の光の中、隅の椅子で丸くなって眠っているぬこたまの様子がずっと気になっていたらしい。
「忍様がいらっしゃいマスと、無理デスしね」
 この店のメイドの前でこんな無防備な姿をさらしていれば、一秒後には悲鳴を上げているはずだった。
「ねえ。あれ、だっこしても平気?」
「泣かさないようにね」
 いつも忍がやっているのが羨ましかったのだろうか。苦笑するカナン達を気にすることもなく、セリカは音も無く立ち上がる。
「こっそりやるのは、得意」
 呼吸を抑え、気配も消して、眠っているぬこたまに音も無く歩み寄っていく。流石に本職の冒険者だけあり、本気への切り替えは完璧だった。
 彼女自身は。
「荷物届いたてホンマか!」
 そっと手を伸ばそうとした所で一階の酒場に響き渡るのは、二階から降りてきた爆音と大声だった。
「にゃーっ!」
 ネイヴァンの大声にリントも思わず飛び上がり、何が起こったかと辺りをキョロキョロ見回している。さすがにここまでの不意打ちを受ければ、一瞬で安全地帯に逃げることも出来ないらしい。
「……どないしたん? 無愛想」
 じろりとこちらに恨めしげな視線を向けるセリカは、ネイヴァンの問いにぷいと顔をそむけるだけ。もちろん事情を知らない男は、首を傾げるだけでしかない。
「あ、セリカー! 今日は見回りに行くのだ?」
「今日は用事があるから行かない。伝えといて」
 リントにそんな言葉を残し。からりと扉の音を立て、エルフの娘はどこかうなだれた様子で酒場を後にする。
「そんなことより、俺あての荷物が王都から届いたって聞いたで! どこにあんの!」
「そこに置いてある木箱がそうだけど」
 王都に使いに出た店付きの魔法使いが、ついでだからと持ち帰ってくれたのだ。転移魔法で大きな荷物を運ぶのは消耗が大きいらしく、おかげで今日は寝込む羽目になってしまったのだが……。
「キターーーーーーーーーーーッ!」
 ネイヴァンは力任せに絶叫すると、その場で巨大な木箱をバリバリとこじ開け始める。
 余程テンションが上がったのか、釘で打ち付けられた木箱に道具を使う様子もない。力任せの素手である。
「ちょっとこら! 開けるなら中庭で開けなさい! 邪魔!」
「ああもう、まどろっこしいなぁ」
 そう言いながらも身ほどもある巨大な木箱を抱え、ネイヴァンは店の外へと飛び出していく。
「だから、開けるなら中庭で開けろって言ってるでしょ!」
 まさかと思って追い掛けて出てみれば、案の定、ネイヴァンは店を出たすぐの所で箱をバリバリと開けようとしていた。
「……なんやもう。うっさいなぁ」
 仕方なくといった様子でネイヴァンは再び箱を抱え、今度こそ脇の入口から中庭の方へと消えていく。
 その箱からはらりとこぼれ落ちたのは、小さな紙片である。
「あ、ネイヴァン様。手紙が落ちまシタ」
 箱を開けることしか考えていないのだろう。アシュヴィンが声を投げかけた頃には、既にネイヴァンの姿は彼等の視界から消えている。
「どうせ読まないと思うけど、何だったら届けとこうか?」
 拾い上げようとした紙片をアシュヴィンより早く取り上げたのは、彼の足元から現われた十五センチの小さな姿だ。
「お願いシマス、フィーヱ様、ディス様」
 アシュヴィンの背後には、酒場に入っていく新たな客がいる。手紙のことは二人のルードに任せ、青年は店へと戻っていく。


 その一撃は空を切り裂き。
 突き抜けるような快音を、森の片隅に高らかに響かせる。
「なんでやねん!」
 連なるのは、娘の元気一杯の掛け声だ。
「忍ちゃんツッコミ早いよ!」
「なんでやねん!」
 カイルの言葉に重なるように再び響く、ハリセンの音。
「…………」
「今のは大丈夫でしたでしょう!」
 自信満々の忍に対し、カイルは掛けられる言葉を見つけられずにいる。
「いや、まだボケてない……」
 カイルがボケて、忍が突っ込む。
 そのは配置はまあ、いい。
 問題は、カイルが何かする前に忍が元気一杯のツッコミを入れてくる所だった。
「え、ええっと……ボケる前に突っ込む、画期的な……」
「いやそこは画期的ではあるけど画期的すぎるから」
 一応、用意したシナリオに対してのカンペも用意してあったのだが、忍の無軌道なツッコミはそもそもシナリオにないものだ。アドリブに対応する心構えや対応パターンもそれなりには用意していたが……さすがにここまでフリーダムなツッコミをぶつけてこられると、対応のしようがない。
「そうだ、忍ちゃん。このステージが上手くいったら、一緒に祭りの屋台を見て回らないか?」
「なんでやねん!」
「そこはボケじゃないから!」
 さらに響き渡るハリセンの音。
「やってるわねー」
 もう叩く事そのものが楽しくなって来ていると思わないでもない、忍のハリセン攻撃を受けていると、声を掛けてきたのは二人の女性である。
「あら、ミスティさん、ターニャさん」
 ハリセンを楽しげに振り回している忍に軽く微笑んでおいて。
 ミスティが取り出したのは小さな紙袋だ。
「カイル。頼まれ物の写真、持ってきたわよ」
「なんでやねん!」
 そのツッコミのタイミングは、完璧だった。
 ここでハリセンを持っていないのが残念なほどに。
「ああ、良いタイミングじゃないの。練習の成果が出てるねー」
「よくないっていうか、俺ボケなんだけど……」
 笑顔のターニャにそう返しておいて、カイルは速攻で表情を切り替える。
「つか、何でこのタイミングでそんなもの持ってくるの!」
 ミスティの事だ。狙ってやっているのは分かっていたが……それでも、突っ込んでおかないと気が済まなかった。
 というか、頼んだ翌日に持ってくるなど、どれだけ仕事が早いのか。
「すぐ欲しい、大至急でって言ってたじゃない。特急料金で割増だからね」
「欲しいとは言ったけどすぐとか大至急とかひと言も言ってない!」
 その割増も、このタイミングでの割増だ。果たしてどれだけの請求額になっているのか、恐ろしくて聞く気にもなれない。
「え? 写真ですの?」
「忍ちゃんは見ちゃダメー!」
「はい」
「ミスティも渡しちゃダメってギャー! なんじゃこの水のぐねぐねー!」
 慌てて忍から写真を奪い取ろうとするが、足元から生まれた何やら水のうねる物体に絡め取られて動きを封じられてしまう。写真の回収どころか、立っていることさえままならない。
「これ……」
 袋の中から出てきたのは、先日の水着コンテストの写真である。忍の物が多いが、中にはノアたち他の娘の物も混じっていた。
「なんか、際どいのが多いねぇ」
 果たして誰が撮ったものなのか。ターニャの言う通り、際どいアングルの写真の割合が妙に多い。
「……ミスティ。分かっててやってるだろ」
 カイル個人としては大変嬉しいセレクトだったが、こんな状況下ではその嬉しさがそのまま危険度にスライドする。相手が相手なら、殺されても文句は言えない状況だった。
 対するミスティは、その言葉にもニヤニヤと満面の笑みを浮かべているだけだ。
「…………カイルさん」
「え、いや、だって……忍ちゃんの水着写真、欲しかったし……」
 カイルはミスティの魔法に捕まり、身動き一つ取れない。
「い、いや、あくまでも俺は紳士だぜ! 夜もちゃんと送っていこうって思ってるし!」
「送るだけー?」
「カイルだしねー」
「こらそこ混ぜっ返さない!」
 そんなカイルを前にゆらりと立ち上がった忍は、手に取ったハリセンをゆっくりと握りしめ。
「そこは、なんでやねんって言わないとダメですわ!」
「そっちかよ!」
「……ボケ、どう考えても逆じゃない?」
 響き渡る快音に、ミスティはぽつりとそう呟き……ターニャも頷いてみせるのだった。


続劇

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