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 28.女王の帰還

 響くのは、天上から降りそそぐ水の音。
 霧の如き飛沫を受けながら停止するのは、赤い三輪だ。それは音も無く少女の武装へと形を変えて。
 赤い髪の娘が見渡すのは、小川の畔。見上げれば小さな滝のあるそこは……先日、彼女とアリスが相まみえた場所だ。
 川岸に突き立つアリスの使っていたショートソードも、あの時のまま。
「ここ……だよな」
 間違いない。
 けれど、見回してもアリスの亡骸だけはどこにも見当たらない。
 十五センチの小さな体とは言え、ルードにとっては自身の体と同じ大きさだ。見逃す事などありえない。
「……どういうことだ?」
 誰かが彼女を拾って行ったなら、側に落ちているビークも一緒に拾っていくだろう。動物が拾って行くには、彼女の血の臭いは濃すぎるはずだ。
 ビークもあるし、戦いの後は残っているから、あの戦いが幻だったわけではないはずだが……。
 彼女の最後のひと言。
 そして、高らかな笑い声が聞こえてきたような気がして……コウは、逃げるようにその場を後にするのだった。

 目の前に腰を下ろすのは、十メートルに及ぶヒトガタの物体だ。
「これが、動くんですか……」
 アギがかつて見たのは、巨大なゴーレムを背後から打ち砕き、空へと駆け上がっていった一瞬だけ。圧倒的な存在である事は理解出来るが、それが目の前で本当に動くというのは、今もってなお信じがたい事だった。
「へぇ……。魔晶石でちゃんと動くのかしらね」
 背中には、明らかに後付けらしき不格好な部品が取り付けられている。現在の加工技術で作られたそれは、古代兵の稼動に必要な膨大なエネルギーを供給するための、カートリッジユニットだ。
「動くよ。だって、あんなにみんな頑張って魔晶石集めたんだよ?」
 その中に封入された魔晶石の数は、およそ百。通常のレガシィであればどれだけ稼動させられるか分からないエネルギー量が、ユニットの中には詰まっているのだ。
 無論それは、ルービィ達がイーディスの魔晶石農場で集めた魔晶石である。
「だよねぇ。ミスティさんもそんな夢のないこと言わないの」
「はいはい」
 ターニャの言葉に小さく呟き、ミスティは傍らのアギを見て思い出す。
「そうだ、アギ。例の薬出来てるから、後で取りに来て」
 先日の暗殺竜狩りで手に入った竜の肝から作った薬だ。今日の起動実験の見物にアギが来ているとは思わなかったから、さすがに持ってきてはいない。
「分かりました」
「お兄さんの薬の量、増えてるみたいだから……気を付けてね」
「……分かってます」
 どこか力ない声で答えれば、施療院の中庭に腰を下ろしたヒトガタに、見知った姿が乗り込んでいくのが見えた。
 いよいよ、起動実験が始まるのだ。


 狭い室内に響くのは、静かなアイドリングの音。
「ジョージ。基本は分かってるな」
 最低限に輝度を落としたディスプレイに囲まれて、後部の補助席に腰を詰め込んだカイルは操縦席のジョージに言葉を投げかける。
「大丈夫……です」
 失われた記憶の中、体がそれを覚えているのか、何となくだが操作方法は理解出来た。起動実験の前にも、ジョージの指導を受けながら沈黙した計器や操縦桿を幾度となく操作し、その感覚はより確かな物へと昇華させてある。
「ここから……」
 だが、アイドリングに包まれながらの実際の起動は初めてだ。
 皆で集めた魔晶石百個分。恐らくそう長くない稼動時間の中で、果たして自分は何らかの成果を出す事が出来るのか。
「落ち着けよ。誰かを護るために、その操縦桿を握ってんだろ?」
「……それ、誰の言葉ですか?」
「俺の言葉だよ」
「そう……ですか」
 どこか聞き覚えのある言葉に、僅かに笑みを漏らせば……自然と、手の震えは止まっていた。
「なら行くぞ。……起動!」
 カイルの叫びと同時、アイドリングの音が一気に跳ね上がり。
「起動します!」
 ジョージは、握る操縦桿を力一杯押し込んだ。


 甲高い咆哮と共に立ち上がるのは、十メートルを超す巨大兵だ。
「すごーい!」
「おお、動くもんだな……」
 着座状態から立ち上がったそいつは、ゆっくりと武術の構えらしき物を取り、自身の可動範囲を確かめるように全身を使って動きを進めていく。
「けど、あんまり早くありませんわね」
「前に見た時は、もっとズバーって動いてたと思うんだけど……」
 かつて暴走するリントを一撃で叩き伏せた時の動き。あの時は高速飛行からの一撃だったから、素早く見えたのかもしれないが……いずれにしてもその時の印象が強すぎて、今日のゆっくりと動く古代兵はダイチにとって今ひとつ物足りなく見える。
「やはり動力が足りておらんのじゃろうな」
 あの時の古代兵は、古代のエネルギーの残りをそのまま使って動いていたと聞いていた。故に、遠く離れた鉱山跡からガディアまでを一瞬で飛翔し、暴走するリントを一撃で叩き伏せられたのだと。
「それより、可動範囲の確認って意味が強いんじゃないか?」
 ゆっくりと動くのは、関節に損傷がないかを確かめる意味もあるはずだ。
 何せ一万年近くを地中で眠っていた物である。レガシィには経年劣化を防ぐ処理が施されているとはいえ、それも完璧ではない。急な機動をして痛んだ関節が吹き飛びでもすれば、中の二人は無事では済まないのだ。
 そんな事を考えていると、片足を上げてバランスを取ろうとした所で……。
「あ、転んだ」
 ゆっくりと、巨大なヒトガタが倒れ込んでくる。
「転んだってちょっとおまっ!」
 施療院の中庭に響き渡るのは、轟音と、飛び散る土砂と。
 見物人達は、魔法の防壁や自身の大盾を構え、慌てて防御に走るのだった。

 『夢見る明日』で昼食を取りながら、早速まとめた今日の実験の結果を眺めているのはヒューゴである。
「稼動時間一分ですか。なかなか厳しいですね……」
 魔晶石百個で、一分。今日は起動そのものと、関節などの損傷確認が中心だったため、データが取れた段階で成果としては十分なものだったが……。
「やっぱ、もうちょっと強力なエネルギー源がないと厳しいな」
 とはいえ、魔晶石や貴晶石を越えるエネルギー源が現在のスピラ・カナンに存在しないのもまた事実。
 他国でも古代兵の稼動実績がないのは、魔晶石や貴晶石にはもっと別に効率の良い使い方がいくらでもあるからだろう。
「ってぇことは、最初のアレってどのくらいのエネルギーがあったんだ?」
「魔晶石百個であれだろ……? 貴晶石で言えば十個ぶんくらいか。ってことは、空も思いっきり飛んでたから……」
 稼動時間そのものはそれほど長くなかったはずだが、何せあれだけの重量物を圧倒的な速度で飛翔させたのだ。必要なエネルギーは、想像も付かない。
 そして、それを日常的に動かしていたという古代のエネルギー技術がどれほどの物なのかも。
「どした、ジョージ」
 初めての起動実験での緊張が残っているのか、最後の転倒を気にしているのか。ジョージの目の前の皿から、料理が減っている様子がない。
「いえ……何でも」
 小さく呟き、ジョージは料理にそっと手を付ける。

 ゼーランディアの仮宮にふらりと姿を現わしたのは、十五センチの小さな娘。
 慣れた様子で屋敷の中を歩き、大きな扉の脇に空いた抜け穴を使って執務室に足を踏み入れる。
「どこに行っていたのですか、アリス。マッドハッターも放って……」
 掛けられたのは、執務机に座るシャーロットの声。侵入者の気配を悟ったのだろう。大量の書類から目を上げる様子もなく、声だけを放つ。
 だがその言葉に、ルードはくすくすと微笑んで。
「私、アリスじゃありませんよ」
 顔を上げれば、そこにいるのは確かにアリスではなかった。
「ハートの女王と申します。アリスの後任というか、本体というか、まあ、そういう役どころです。……アリスが脱落しましたので、あれの引き継ぎで参りました」
「貴女が……ハートの女王」
 彼女の口調からは、アリスが誰かに倒されたのか、それとも別の理由で戦線に加われなくなったのかは分からない。
「まあ面倒なら、アリスでも構いませんが」
 呟き、どこからともなく取り出した金髪のカツラを被ってみせる。瞳の色も、何かの装置を使っているのだろうか。数度しばたたかせると、アリスと同じ碧い色へと変わっていく。
 くすくすとこちらを見下したように微笑み、一礼してみせる様子は……まさしく、アリスのそれだった。
「アリスの記憶は共有しているという事でいいの?」
 執務室の扉の脇に作られた抜け穴は、マッドハッターが来る前に彼女が勝手に空けたもので、もちろん彼女しか知らない事だ。
「もちろん。シャーロットの事も、マッドハッターの事も、全てアリスから受け取っています。貴女と同じですよ、シャーロット」
 魔法か、それとも古代の技術か。
 アリスの本体と言い放つのは、伊達では無いと言う事だろう。 
「で、マッドハッターはどこですか? 山岳遺跡から直帰させてますよね?」
「殿下を襲撃したけれど、失敗したわ。今は『月の大樹』に捕らえられているはずよ」
 シャーロットの言葉に、ハートの女王は大袈裟な動きで嘆息してみせる。
「指揮官がいないのに放り出すとか、酷いコトしますね! そういうの、虐待っていうんですよ? ご存じですか?」
「……指示をしたのは老人達よ。そもそも面倒を見るのを放棄するのは虐待とは言わないの?」
「ああ。それはアリスのした事ですから。私じゃありませんし」
 けろりと言い放つハートの女王は、鬱陶しくなったのか、金髪のカツラをするりと外す。
 その下から現われたのは……短めの、栗色の髪の毛だ。
「……良く言う」
 本来の黒い瞳でこちらに微笑みかけるハートの女王に、シャーロットは短く吐き捨てた。
 アリスよりも少しはまともな輩かとも思ったが……全く変わらないではないか、と。


続劇

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