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 7.ふたりのおたずねもの

 壁に貼り出された依頼書に書かれているマルの数は、少年にとって見た事も無い数だった。
「うわ……ホントに百万ゼタって書いてある」
 それも一人につき、である。詳細な情報は一切無し、もちろん相手はどこにいるかも分からないという条件であっても、破格の賞金だ。
「おぬしも依頼を出すように言われておったのではないのか?」
「まあ、爺ちゃんには言われてた気がするけどさ……オイラ、こんな大金持ってないしなぁ」
 確かに旅立ちの前、散々言われたような覚えはある。
 しかし、百ゼタや二百ゼタのちょっとした依頼とはわけが違う。王女の側近として来たタイキならともかく、ダイチのような駆け出しの若者がそんな突拍子もない金額を提示した所で、まともに取り合われるはずもなかった。
「……まあ、そうじゃな」
 それにウィズワールの家の名を出せば、真偽を確認するだけでも時間が掛かる。いずれにしても、依頼を出さないのは当然と言えば当然の話だった。
「そういえばダイチの弟は、ディスがアスディウスだって気付いてないのか?」
 朝食を食べていたマハエの問いに、忍は小さく頷いてみせる。
 ディスは普段から通称でしか名乗っていないし、髪の色も変えている。確かに他愛もない小細工ではあるが、時にはその小細工が有効に働くこともあるのだった。
「まだ気付いていないようですわ。ほらダイチさん、もっとしっかり混ぜないと綺麗に仕上がりませんわよ?」
「おおっと」
 カウンターで片付けをしていた忍に言われ、生地を混ぜていた手に再び力を入れ始めるダイチ。
「のぅ。本気で勝つつもりなのか?」
「当たり前だろ! だって、優勝したらお菓子一年分だぜ?」
「ふむ……」
 まあ、思うだけならタダだし、行動することも決して無駄ではないだろう。
 恐らく最強のライバルとなる相手から教えを請うている段階で、まだまだな気はするが……それでも、一歩踏み出している事には違いない。それに今後の進み方によっては、意外と面白いことになるかもしれなかった。
「ナナもおてつだいする!」
 そんな一生懸命に作業するダイチの様子を見てか、カウンターの隅で暇そうにしていた幼子も少年の元へと近寄ってくる。
「おお、助かる! じゃあ………………どうしようか」
「おいおい。しっかりしろよ」
 まだ自分の作業の段取りも上手く掴めていない有様だ。
 それで今年の大会を乗り切れるのか。苦笑するマハエの代わりに、少年に助け船を出したのは彼の師匠である。
「ナナちゃんはこの木の実の殻を剥いてくださいます?」
「わかった!」
 木の実の入った籠を渡されたナナトはもとの席に陣取って、小さな木の実の殻を剥き始めた。
「モモちゃんもお暇でしたら……」
「ワシは剥いた端から食らうが、良いか?」
 無心に殻剥きを始めるナナトとは違い、モモはその中身がどんな味か知っている。さらに言えば、それがどれだけ手元の酒と合うかもだ。
「ナナがやるの!」
 籠を抱えて答えるナナトに穏やかに微笑んで、モモは籠から手を引くことにする。
「そういえば、今日はアルジェントと一緒じゃないんだな。ナナ」
 モモの魔の手を退け、再び木の実の殻を剥き始めたナナトだが、今日はいつも一緒にいる娘がいない。食事の時も剣の稽古の時も、部屋に戻る時でさえ一緒に居るはずなのに……。
「きょうは、おるすばんなの」
 真剣に木の実の殻との格闘を続けるナナトは、男の方も見る事も無くそう答えるのだった。


 四角く切り取られた空から降ってくるのは、穏やかな声だ。
「カイルさん。もう出発ですよ!」
 狭い操縦席に響くその声に、男が答える様子は無い。
 声の主はわずかに呆れたような声を出すと……すうっと息を吸い込んで。
「カイルさんってば!」
 狭い操縦席に反響するそれは、眠っていた男よりも、入口に構えて叫びを上げた青年本人のほうが驚くほどに強く響く。
 さすがにそれだけの声撃を受けては眠ってもいられなかったのか、男は小さく唸り声を上げるとゆっくりと身を起こした。
「あー……。悪ィ、寝てた」
 操縦席からのそのそと身を引きずり出すと、広い空の下、軽く伸びをしてみせる。
 呑気なものだ。
「もぅ……いくらそこの居心地が良いからって、時間は守って下さいよ」
「特に居心地が良いわけでも無いんだけどな。椅子硬いし」
 椅子は硬いし、室内は狭い。身を覆わんばかりに立ち並ぶコンソールの圧迫感も相当なものだ。操縦席のレイアウトを考えたデザイナーか技術者は、居住性という言葉を知らなかったに違いない。
「椅子から耐衝撃ジェル出せばいいじゃないですか。そりゃ、あれ出さなけりゃ硬くて痛いに決まってますよ」
 そんな会話の中。
 ジョージの口から苦笑と共にするりと出てきた言葉に、カイルは思わず眉をひそめる。
「……何で知ってる」
 操縦席のその機能を知っているのは、この街では恐らくカイル一人だ。ルード達は古代の記憶の繋がりから知っているかもしれないが……わざわざジョージにそんな機能だけを教えるとは考えづらい。
「あれ……? 何となく、出てきたんですけど……」
 とはいえ、戸惑うジョージの様子は演技とは考えづらい。ジョージも古代の記憶を無くしているというが、その一端が会話の拍子に出てきたのだろうか。
「……そうか。そうだ。あの話、考えてくれたか?」
 唐突に話題を切り替えたカイルに、ジョージは少し不思議そうな顔をしていたが……やがて話題の内容に思い至ったのか、表情を曇らせる。
「パイロット登録の件ですか? ……とりあえず、保留にさせてもらえませんか?」
 古代兵のパイロットがジョージであった可能性は、まだカイルを含めて数人が知るだけだ。しかし、いずれ古代兵を安定して動かす方法が見つかれば、パイロットの登録状況を隠しておくわけにもいかなくなる。
 打てる対策は、早いうちに打っておくに越した事はないのだが……。
「今のところ、数少ない記憶の手掛かりですし……さっきみたいに、何かぱっと出て来るかもしれませんし」
「…………そうか。そうだよな」
 けれど、そう言われてはカイルも首を縦に振らざるを得ない。
 その言葉の重みを一番よく分かっているのは、他ならぬ彼自身だったからだ。


 小さなパートナーを酒場に残し。自称『げぼく』の娘は一人、往来のど真ん中にいた。
 目の前にいるのは、大道芸人の二人組だ。両手に剣を構えた男が剣を縦横に振るう中を、十五センチほどの小さな道化がひょいひょいと跳び回っている。
「……堂々としたものね。千年のアリス」
 軽業師としてはそれほど珍しくもない芸当だが……よく見れば、男の構える剣は触れるだけで切れるほどに刃が研ぎ澄まされているし、道化の軌道はそのスレスレを駆け抜けるもの。もとより安全な芸ではないが、彼女達のそれは通常のそれよりもはるかに危険度が高く、また技量の求められるものだった。
「凄いと思ったのなら、おひねりで表現してください」
 アルジェントの言葉に、マッドハッターの刃も、アリスの軌道も小揺るぎもしない。刃に触れる半瞬前に軌道を変え、触れれば貫かれる程に尖った剣先で、音も無く倒立してみせる。
 互いに少しでも心の乱れがあれば、見誤った瞬間にアリスの体は真っ二つになっているはずだ。
「…………」
 僅かなためらいの後、籠の中に落ちるのは青銅で作られた小さな貨幣が一枚。
「半ゼタですか。今晩のマッドハッターの食事代にもなりませんね」
「……あなた達、それだけの力を持っているのに、なぜあの老人達に力を貸すの?」
 もう一枚、銅の少しだけ大きな貨幣を放り込みながら、アルジェントは重ねて問いかける。
「さあ。それを探索するのが、冒険者のお仕事じゃないんですか?」
 老人という言葉が出た瞬間、アリスの舞う軌道が、紙一重から指一本の距離へと変わった。マッドハッターの剣の速度は変わらないから、その言葉を気に留めたのはアリスだけ。
「なら聞くけれど、仮宮の地下にある姫とシャーロットの新しい体も、貴方たちが手配したのでしょう?」
 それは以前、アシュヴィンが目にしたものだ。
 丘の上のノアの仮宿。非常用の脱出口が繋がる地下室には、二つの棺が置かれているのだという。その中に眠るのは……。
「仮宮の地下って……不法侵入はいただけませんね。兵士、呼んでいいですか?」
「呼んでも誰もそんなこと信じないでしょ」
 何か盗んで出たのならともかく、証拠などは何もない。そもそも仮宮の地下に姫の体が眠っていると言った所で、アルジェントの頭がおかしくなったと思われるだけだ。
「……それとも地下のそれを皆に見せて、私が仮宮に不法侵入した証拠にする?」
 そうなれば、事態は別の動きを見せる事になる。いずれにしても、アルジェントの不利にはならないはずだ。
「別にこの街の警備兵じゃなくて、仮宮の兵士でいいんですよ? 事情説明も面倒ですし」
「それはそれで構わないけれど?」
 少なくとも、この往来での逮捕劇は小さな街にあっという間に広まるだろう。
 今欲しいのはまず相手の動きなのだ。それが何であれ、停滞している今から次の一手を打つ布石になる事は間違いない。
「その大胆な交渉術は、御身に宿した神とやらの入れ知恵ですか。ノア・エイン・ゼーランディア殿下」
「やっぱり知っているのね。あれの正体も」
「まあ、久しぶりに面白いやり取りでしたから……一つだけ教えてあげましょう」
 マッドハッターの剣が止まり、小さな道化は垂直に立った刃の上に音も無く舞い降りる。
 僅かでも重心をずらせば自身の重みで真っ二つになってしまいそうなバランスの中。彼女はソファーに身を沈めているかのような優雅さで、微笑んでいるだけだ。
「古代主義者ってご存じですか?」
「古代文明の信奉者……あの老人達が、そうだと?」
 古代の技術を盲信し、その復興と回復に心血を注ぐ連中達の総称だ。とはいえ技術の発展に力を注ぐのは間違ったことではないし、現に技術国家である夜空の国や山岳の国で古代主義を唱える者達は、さして珍しいわけでもない。
「もっとも、この情報が正しいかどうかなんて、それこそ私も知りませんけどね」
 剣を納めたマッドハッターの肩に飛び乗ると、そう言い残して二人の道化は静かに雑踏の中へと消えて行く。


 集合場所に指定されたのは、いつもの街道の交差点ではなく、ルードの施療院の前だった。
「あれ? コウも行くの?」
 そこにふらりと現われたのは、赤い装甲をまとった少女である。
「……行きたくて行くわけじゃねえよ」
 明らかに不服そうなその様子に、ルービィは首を傾げるしかない。
 引き受ける依頼を選べるのは、冒険者にとっての数少ない権利の一つだ。その冒険者であるところの彼女が、行きたくて行くわけでは無いという。
 他の常連の様子を見回せば、ルードの姿も見えるし、もちろんルービィ達のようなルード以外の冒険者もいる。依頼を受ける気のないコウまで無理矢理に駆り出すほど、人手が不足しているとも思えないが……。
「こいつがだな!」
 そんなコウの背後から現われたのは、律だ。不機嫌さを隠そうともしないコウに睨まれても、それを気にした様子もない。
「おーう。悪い悪い」
「もー! 遅いよー!」
 やがてジョージに連れられてカイルが現われ、『月の大樹』から坑道に向かうメンバーは集合となる。
「あれ? コウも行くのか?」
「だーかーらー。コイツに無理矢理連れてこられたんだよ!」
 先程のルービィと全く同じ事を聞いてくるカイル達の様子に笑いをこらえながら、律はようやくコウの言葉に応じてみせた。
「だって、朝から晩までアリスアリスって走り回ってんだもんよ。たまには気分転換でもしないと、気が滅入っちまうだろ。…………って、ディスとシノが」
 付け加えた二人のルードの名に、コウは表情を露骨に曇らせる。
 現状の『月の大樹』に籍を置くルードの中で、恐らくは最強の座を二分する二人の言葉だ。コウの心情としては、逆らうわけにも、無視するわけにもいかないのだった。
「イーディスもビーク使いはいくらいてもいいって言ってたしな。良い働きすりゃ、そのぶんの上乗せも出るだろうし。人助けと思って力ぁ貸してくれや」


続劇

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