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エピローグ
 1.終わりと、始まり


 ドアを開いた彼女を迎えるのは、ベッドに眠る小柄な少女。
 出迎えの言葉はない。
 歓待の抱擁もない。
 ただ、静かにベッドで眠るだけ。
 けれどそれだけで、十分だった。
「ただいま……シヲ」
 糸が切れたように、黒衣の娘は少女の眠るベッドの傍らに倒れ込む。
 体は重く、意識も既に半ば虚ろ。
 埃だらけの服を着替えること。汚れた体を洗うこと。壊れたビークの代わりを調達すること。そして……。
 帰ったら片付けようと思っていた、山積みのすべきこと、全て。
 それら全てを放り棄て。
「ごめん、ちょっと……休むわ」
 ベッドの上、フィーヱはひとまず、無理矢理に掴んでいた意識を手放した。


 庭の彼方に運ばれていくのは、逆さにされた大亀である。
「代用海亀。確かに受け取りました」
 ゼーランディア仮宮の玄関ホールから大亀を見送りながら、依頼主は小さく息を吐いた。
 海亀の入手で彼女の懸念事項の一つは片付くはずだったが……シャーロットの表情は、彼等が山岳遺跡に向かう前よりも疲労の色が濃い。
「せや。その海亀の甲羅とか、処分するんやったらもらえへん?」
 そんな彼女の様子に気付いているのか、いないのか。そんな事を口にするのは、報告に来た冒険者の一人……ネイヴァンである。
「報告に付いてくるなんて珍しいと思ってたけど、そのためなのだ?」
「当たり前や。代用海亀の背甲とか、そんなに手に入る材料でもないしな」
 本物の海亀の甲羅と違って繊細な細工物には向かないが、硬度も耐衝撃性も高いそれは、武具の補強材としてはそれなりに使い道もあるのだ。捨てるものならば、引き取っておいて損はない。
「構いませんよ。料理番に伝えておきますから、明日の昼にでも取りに来て下さい」
 仮に貴重な補強材であっても、仮宮で武具を作る事はないし、鍛冶屋辺りに引き取らせる事はなおさらない。それほど見栄えのする物でもないから、壁に掛けて飾っておくわけにもいかなかった。
「それよりシャーロット。あれ、出してくれた?」
 続く細身のエルフの言葉にも、シャーロットは小さく頷いてみせる。
 ネイヴァンと同じく、普段は報告になど付いてこない彼女がわざわざ付いてきたのは、その確認があったかららしい。
「あの携行食なら、モモさんが代理で出してくれると言うので頼みました。ちゃんと出品してくれていますよ」
 忙しい様子のシャーロットに無理な注文をしたかとも思ったが、上手く他に回してくれたようだ。セリカとしては出品さえされていれば構わなかったから、代理が代理の代理になった所で何の問題も無かった。
「それでは、報酬は明日にでもレディ・ミラの店に預けておきます。それで構いませんね?」
「わかったのだ。皆にはそう伝えておくのだ」
 報告の代表者としてやってきたリントが重々しく頷けば……。
 二階に続くホールの階段から、ぱたぱたと下りてくる幼子の姿がある。
「なんでナナトがここにいるのだ?」
 途中でリント達に合流したアルジェントの話では、幼子は月の大樹で預かってもらっていると言っていたはずだが。
「ねえねえ! アルジェント、かえってきたの?」
「アルジェントなら帰ってきてるのだ。今は『月の大樹』にいるはずなのだ」
 月の大樹でナナトと会えるのを楽しみにしていたから、今頃はいないと知って落胆しているだろう。ノアの所にいると聞いて、迷惑を掛けているのではないかと心配している可能性もある。
「ならナナトも帰っておあげなさい。私は大丈夫だから」
 幼子を追って階上から降りてきたのは、この仮宮の主だった。今日は流石にドレス姿ではなく、普段と同じ草原の国の装いである。
「うー。どうしよっかな……」
「アルジェント様もナナトの事を心配していたでしょう?」
「心配してたよ。一緒に帰ろう」
 一緒に帰らなくても、ナナトがどこにいるかを知れば慌てて迎えに来る気はしないでもないが……シャーロットもノアも忙しいだろうし、これ以上手を煩わせる事も無いだろう。
「じゃあかえる! ノア、またね!」


 月の大樹の裏庭にあるのは、旅人の馬を休ませるための厩。そして店で使う機材を仕舞った、納屋である。
「では、ダイチ様ガ?」
「ああ。残ってるほとんど全員で何とかな……。捕まえるのもかなり無茶したから、あんまり無事とは言い難いが」
 以前捕まえた時と、状況はほとんど変わらない。
 向かう先も、向かうメンバーも。
「でも、何でアリスがいなかったのかしらね?」
 山岳遺跡の戦いで、アリスがフィーヱの不意打ちで片腕を失ったのはアシュヴィンもアルジェントも知っていた。
 だが、ルードの損傷は部品さえあれば修復するのにひと晩もかからない。あれだけの間を置いて、マッドハッターがアリスを伴わずに出てきたというのは……思った以上に深手だったのか、それとも他の理由があったのか……。
「分からん。マッドハッター単独の暴走だったからかもしれんが……」
 アリスは、あれでもノアの側仕えだ。ノア襲撃に荷担するとは思えない。
 故にマハエはそう思ったのだが……あのアリスがマッドハッターのここまで派手な動きを見逃すというのも、それはそれで考えにくいのだった。
(やだやだ。王宮の陰謀ってのには、巻き込まれたくないもんだね……)
 小さく呟き、山岳遺跡から戻ってきたばかりの二人を伴って納屋へと入る。
「アシュヴィン、お帰り」
 見張りのダイチの向こうにいるのは、ベッドの上の小太りの男。
 ベッドごと太いロープで拘束されているが、それに気付く様子もなく静かに眠っているだけだ。炎の魔法か何かの直撃でも受けたのか、火傷の痕が痛々しい。
「治癒魔法で治してもらおうかとも思ったんだけど……」
 その様子を確かめ、アルジェントは小さく首を振ってみせる。
「ちょっとダメージが酷いわね……。命に別状は無いみたいだし、治癒魔法で無理に癒すより、体力を自然に回復させた方が良いと思う」
 治癒魔法は、原則として人間の再生能力に干渉する魔法だ。極端に体力を失っている場合に無理に使うと、あまり良い結果をもたらさない。
 戦闘中の応急処置ならともかく、時間に余裕があるなら自然の治癒力に任せた方が良いはずだ。
「ああ。同じ事を先生にも言われたんで、とりあえずこうして置いてあるんだが」
「マーチヘア卿……」
 小さく呟き、アシュヴィンは眠り続ける元主の傍らに、静かに腰を下ろすのだった。


 月の大樹の昼間は、暇なようでいて実はそれほど暇でも無い。
 時間をずらして昼食に来る塩田やバザールの店員が来ることもあるし、そもそも月の大樹の主な客層たる冒険者達の動く時間は常に不安定だ。
「それで、複座式に改造ですか?」
 山岳遺跡での報告を終えたヒューゴが話しているのは、イーディスの依頼で魔晶石を集めに行っていたカイルである。彼等も無事に依頼を達成し、山岳遺跡組が帰還するより早くガディアに戻ってきていたのだ。
「ああ。起動実験でジョージがどこまでやれるのかは分からんが、できる限りはフォローしてやらねえとな」
 動力源もひとまず揃い、動力供給の仕掛けも目処が付いている。
 数日後には、ジョージをパイロット、フォロー役をカイルとして、起動実験が行われる予定になっていた。
「何だかんだで、色々やっておるではないか。お主も」
「それはいいけど、大丈夫なのか? ディス」
 カイルの問いに、ディスはいつもの調子でからからと笑ってみせる。
 山岳遺跡でのアリス達との戦いで、死ぬほどの目に遭ったと聞いていたが……その割には、元気な様子だ。
「よく分からんが、今のところは大丈夫なようじゃ。心配するでない」
 そんなディスの言葉を受けて、食事を終えたヒューゴは静かに立ち上がる。
「それでは僕はこの辺りで失礼しますよ。次の起動実験までに、ひと通り読んでおきたい資料もあるので」
「おう、お疲れ」
 普通ならひと眠りして……と入るのだろうが、ヒューゴの場合は恐らくそれを飛ばして資料確認に入るはずだった。あの細い身体にどれだけの体力が詰まっているのだろうと、カイルは心の中で舌を巻く。
「なら、ワシもついでに連れて行ってくれ。部屋で寝たい」
 ヒューゴの肩に乗り、ディスもカウンターを後にする。
 それを見送れば、一階の酒場の客は珍しく彼一人になる。
「カナン。もう一杯、もらえるか?」
 小さく呟けば、出て来るのはコーヒーだ。
 酒じゃないのかと苦笑しつつも、それに砂糖を注ぎ込み。
「なあ、カナン。ちょっと聞きたいんだけど……」
「何? 胸とか尻とか言ってきたら、殴るわよ」
 カナンの表情は変わらない。黙々と、カウンターの片付けをしているだけだ。
「何だよ。俺がいつもそんな事ばっかり言ってるみたいじゃねえか」
「言ってるから言うんじゃない……」
 彼女の手元にいくつか缶や瓶が見える辺り、ヘタなタイミングで何か言えば、とんでもない物が飛んでくる可能性もあった。
 そしてカナンはカイルが相手であれば、間違いなくそれを躊躇しない。
「そうじゃなくってだな。ちょっと真面目な話」
 彼の口調に、普段の冗談が感じられないと気付いたのだろう。カナンはそれ以上の茶々を挟むことなく、沈黙をもって彼の次の言葉を待つ。
「もし俺が古代人だったら……どうする?」
 それは、彼が言おうと思っていて、ずっと言えなかった言葉だった。
「どうするって……古代人なんでしょ?」
「はぁぁ!? 誰が話したんだよ!」
「ええっと……」
 思わず席を立ち上がったカイルに、カナンは客の顔を思い出しながら指を一本ずつ折っていく。指五本を折って、折り返しに入った所でカイルはその手を止めさせた。
「あいつら……殺す!」
 彼のことを語った者達には、カナンには言わないようにと釘を刺しておいたはずだ。
 せめて酒の一杯はおごらせないと、彼の気が済まなかった。
「別に隠すつもりじゃなかったんだけどな……」
 どこか脱力した様子で椅子に腰を下ろし、ぽつりと呟く。
 カナンがこの酒場の店主代理をしているのは、自身の情報を集めるため。それを知っているからこそ、自分の記憶が穴だらけの状態で、古代人とは名乗りたく無かったのだ。
「別にあんたが古代人でも、関係ないわよ。記憶が足りてないのだって、みんなそんなに変わんないし」
 律もそうだし、ジョージもそうだ。忍はあまり自分の詳しいことを語らないが、多かれ少なかれ抜けている所はあるはずだった。
 そして……。
「揃ってたって……それはそれで、寂しい時だってあるのよ」
 静かに呟き、カナンは作業を再開する。


続劇

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